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第98章ー鹿児島上陸へ

前章でも書きましたが、時間が少しさかのぼっています。前章は6月初頭でしたが、本章は作中にも書きましたが4月下旬です。

 4月24日、川村純義参軍は山県有朋参軍と協議の上、4月27日を期して鹿児島上陸を行うことを正式に決定した。従前から川村参軍は、鹿児島上陸作戦案を海兵局の発案もあり、山県参軍に打診していたのだが、熊本城救援作戦が喫緊の課題であるとして優先されてきた経緯があった。だが、熊本城が完全に解放され、城東会戦にも政府軍が勝利した現在、政府軍の海軍力の優位を生かして、いよいよ西郷軍の根拠地である鹿児島を衝くべきであるという川村参軍の主張は筋が通っていた。この上陸作戦には別働第1旅団と警視隊に加え、海兵隊の最後の予備兵力ともいえる第4海兵大隊も加わることになった。第4海兵大隊は、弾薬補給の不足や長崎方面の治安維持のために長崎に残置されていたのだが、弾薬事情の好転や警視隊が治安維持にも投入されたことにより、鹿児島上陸作戦に参加することが可能になった。


「この光景をあの世から古屋佐久左衛門少佐らも見ておられるでしょうか」北白川宮大尉が周囲を見回して言った。

「きっと見ている。そして、涙にむせんでいる。本当に、滝川充太郎少佐や土方歳三少佐らがこの場にいたら、きっと涙をこぼすぞ」本多幸七郎少佐が自分も涙目になりながら、周囲を見回して言った。実際に第4海兵大隊に所属していて、戊辰戦争に参加して生き残った面々は、大なり小なり涙を浮かべていた。鹿児島上陸作戦を支援するために、「開陽」と「東(元の名は甲鉄)」が、鹿児島上陸作戦を行う輸送船団の側を航行していた。

「開陽と甲鉄がその実力を存分に発揮できていたら、戊辰戦争で薩長の海軍に幕府海軍に対する勝算は全く無かった。もし、榎本提督が慶喜公の命を盾に取られることなく、開陽と甲鉄を引き連れて、蝦夷地に移動して、そこに幕府軍の根拠地を築いていたら、薩長は蝦夷地の徳川家領有を認めるしか無かったろうよ」本多少佐は言った。

「そう考えると本当に夢のような光景ですね。かつての幕府艦隊の最精鋭艦が鹿児島湾に乗り込むのですから、ここに慶喜公がおられたら完璧だ」

「いや、今でも完璧に近いぞ」

「どういうことです」

「宮様がおられる、ここに」本多は笑みを浮かべた。

「奥羽越列藩同盟の盟主である輪王寺宮を護衛して、鹿児島湾に突入する旧幕府艦隊、講談のもとになりそうな光景だ」

「はは、確かに」元は奥羽越列藩同盟の盟主、輪王寺宮であった北白川宮大尉は苦笑いを浮かべた。


「冗談はそれまでにして、大尉は実戦は初めてです。私の傍で実戦の機微を学んでください。古屋佐久左衛門少佐でさえ戦死されています。どうかご注意を」本音をいうと海兵隊の総意としては北白川宮大尉を実戦には参加させたくなかった。旅団司令部等、やや安全なところに配置するのならともかく、第4海兵大隊副大隊長である以上、既に武名を挙げている林忠崇大尉と同様に最前線に近い位置に北白川宮大尉は配置せざるを得ない。当然、戦死の可能性も高いが、北白川宮大尉自身の希望や明治天皇の勅命から上陸作戦に参加させていた。

「分かっています。充分に気を付けます」北白川宮も表情を引き締めた。

4月27日、第4海兵大隊は他の部隊と共に鹿児島へ上陸作戦を決行した。

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