表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/120

第95章ー帰順

 6月が近づくにつれ、人吉攻防戦は末期に差し掛かりつつあった。球磨川沿いの正面からは海兵隊が先鋒で攻め込みつつある一方、人吉の北方の山道からは政府軍は5つに分かれて進撃を開始していた。かつてなら兵力を分散させての進撃は各個撃破の好餌となったが、今や有線通信のある政府軍は進撃を統制して行うことが出来るのに対し、有線通信のない西郷軍は伝令頼みで対処せざるを得ない。個々の戦闘では西郷軍も勇戦しており、海兵隊も戦闘の流れ弾から滝川充太郎少佐が右大腿部を負傷、兵にもっこで担がれて運ばれながら指揮を執る羽目になった。だが、全般的な戦況は西郷軍が不利であり、じりじりと政府軍に押される一方だった。人吉にたどり着いた際に、桐野利秋を始めとする西郷軍の幹部は、

「人吉で2年は持ちこたえてみせる」と豪語していたが、政府軍の進撃の前にその目論見は1月も経たないうちに潰えつつあった。


 更に政府軍の進撃と共に西郷軍を悩ませていたことが2つあった。まず、補給の不足である。本来の根拠地となる鹿児島は4月末の政府軍の鹿児島上陸によって、根拠地の機能をそれ以降失い、今や戦闘の最前線となっていた。宮崎方面は西郷軍の勢力がまだ及んでいたので、そこから糧食等についてはある程度の補給があったが、鹿児島で製造されていた弾薬についてはどうにもならなかった。更に、人吉の住民との軋轢は、危険水域に完全に達していた。人吉では臨時の弾薬製造所を設ける等、自給自足の抗戦体制を整える予定だったが、一部の住民は西郷軍にまだ協力してくれたが、政府軍からの後難を怖れたり、西郷軍の態度に反発したりした多くの住民が西郷軍に非協力的だった。それがますます西郷軍の怒りを招き、非協力的な住民の扇動者と目された者を疑惑だけで西郷軍の一部は死刑にしようとし、それを人吉出身者で編制された人吉隊の面々が体を張って止める事態までに至っていた。


「西郷軍への協力も最早これまでだな」人吉隊の丸目徹らは語り合った。

「これ以上、西郷軍の郷里の住民に対する態度を黙認するわけにはいかん」

「政府軍に降伏するか。誰に降伏する」

「海兵隊にしよう。永山弥一郎殿の最期に対する振る舞いを噂で聞いたが、敬意溢れるものだ」

「旧幕府諸隊出身も多いだけに我々の苦悩も分かってくれると思う。俺も賛成だ」


 5月29日、人吉の最終防衛線を展開していた西郷軍に驚天動地の出来事が起こった。人吉隊が独断で対峙していた海兵隊に降伏、更に海兵隊を人吉の街へと手引きしたのだ。海兵隊は土方歳三少佐率いる第3海兵大隊を先頭に突進、人吉の住民の多くも人吉隊と進む海兵隊を歓迎した。

「人吉隊の裏切り者め」桐野以下の西郷軍の幹部は激怒したが、最早、いかんともし難い。防衛線崩壊により動揺する兵を何とかかき集めつつ、翌日、30日に政府軍の進撃をわずかでも食い止めようと人吉の街に西郷軍は放火して、人吉を後に宮崎方面へと向かっていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ