第92章ー難戦
八代へと移動を完了して5月6日を迎えた海兵隊だったが、士官というか幹部の多くは切歯扼腕の思いで5月6日を迎えることになった。山県有朋参軍等が西郷軍は時間をおけばおくほど衰弱していき、政府軍が有利になると説くのも分からなくはない。実際、4月27日には政府軍の一部が鹿児島へと上陸しており(ちなみに本多幸七郎率いる第4海兵大隊はこの上陸作戦に参加させられた。)、既に西郷軍の本来の根拠地である鹿児島ですら、西郷軍にとっては安全な場所ではなくなっていた。こういった戦況もあって、山県らは充分な準備を整えたうえでの人吉進撃を決めたのだが、海兵隊の幹部の多くには別の意見があった。それは時間をおけばおくほど、西郷軍の防備もまた強化されるのではという懸念である。
「畜生、西郷軍がまた巧みに陣地を築いている」こう呻いたのは何度目だろうか、呻いた林忠崇大尉にも数が分からなくなって久しい。5月6日から人吉を目指して球磨川沿いに進軍を始めた海兵隊は政府軍の先鋒を命ぜられていたが、連日、難戦を強いられていた。
「副長、あちらの丘の陰が死角になっている模様です」部下の1人の分隊長が林大尉に助言した。林大尉の本来の職責は第1海兵大隊の副大隊長なのだが、副大隊長と呼ぶのは長ったらしいということで、副長といつのまにか部下の多くが呼ぶようになっていた。
「よし、分隊全体でその丘の陰へすすめ、直属の小隊はその援護をしろ」本来は中隊長の役目だが、中隊長も経験不足の集まりである。林大尉が直に判断するのが相当だった。命令を受けた分隊は慎重に前進する。死角と思ったところが罠だったことが何度もある以上、その慎重な前進は当然だった。だが、今度は罠ではなかったらしい、分隊は西郷軍の陣地に躍り込んだ。直属の小隊もそれに続き、他の部隊もそれに続こうとする。西郷軍は第1海兵大隊の攻撃の前に陣地を放棄して退却した。だが、結局は次の陣地に予定通り西郷軍は退却しただけだ。それに対し、第1海兵大隊の損耗は酷い。明日は第2海兵大隊に先鋒を譲るべきだろう。こんな感じで、人吉への進軍が続いており、3個大隊がほぼ毎日交替で先鋒を務める有様になっていた。
「やれやれだな」林大尉はぼやいた。
だが、西郷軍はまた別の意見があった。
「1に雨、2に赤帽と青服、3に大砲、だったかな」海兵隊とまた対峙することになった河野主一郎は嘆いた。西郷軍の兵にとって、困るものを順に挙げたものだった。雨と大砲については説明はそう不要だろう。西郷軍の装備する銃は前装式ライフル銃であり、政府軍の後装式ライフル銃(シャスポー銃を除く)と比較して雨に弱く、雨ですぐに射撃不能になった。また、大砲火力において西郷軍は政府軍に劣っており、砲撃戦で西郷軍が圧倒されることはしばしばだった。ちなみに赤帽は近衛兵であり、青服は海兵隊のことだった。彼らは西郷軍にとって本来有利なはずの白兵戦でも苦戦を強いられる精鋭を意味していた。
「これだけ堅陣を築いたのに、巧みに隙をついて陣地を奪ってくる。海兵隊は本当に強い」河野もまたぼやくはめになった。




