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第91章ー人吉へ(政府軍)

 4月21日に城東会戦は事実上終結したが、政府軍はすぐには行動に移らなかった。会戦による弾薬等の消耗は激しかったし、会戦に参加した兵の疲労もそれ以前からの熊本城解囲のための作戦行動も相まって溜まっていたのだ。その弾薬等の補給や兵の疲労回復の休養等のために、しばらく政府軍は動かなかった。確かに一面では間違っていなかったかもしれない、だが、海兵西南戦争史は、この政府軍の行動について手厳しく非難した。確かにすぐには動けなかったかもしれない、だが、それにしても休養等に時間を取り過ぎた、と。


 4月24日、山県有朋参軍の命令により、熊本城近辺にいる大佐以上の政府軍の指揮官が集合して、今後の政府軍の方策について会議が開かれた。本来なら、熊本城近辺にいる海兵隊には大佐クラスの指揮官がいないので参加が認められないが、海兵隊の意見を聞かないわけにもいかないからという理由もあり、特例扱いで滝川充太郎少佐の参加が認められ、末席に連なることになった。

 滝川少佐は会議に列席している面々を見て、ふと思った。それにしても薩長が多いな、旧幕府出身は自分だけか、海兵隊が旧幕府陸軍ばかりと言われるのも無理はない。この状況が改善され、陸軍が日本全体から成るのはいつだろう。また、海兵隊も速やかに人員募集については改善せねば。その思いの陰で、会議は山県参軍の司会により粛々と進められていった。

 まず、議題になったのは、西郷軍の今後の目的だった。西郷軍の主力はどこに向かい、何をするつもりなのか?いろいろと意見が出たが、浜町の住民の多くが聞いたという西郷軍の主力は人吉に向かったという説が大勢を占めた。人吉は、宮崎、熊本、鹿児島へと街道が通じる交通の要衝であると同時に山岳に囲まれた盆地であり守備に向いた好適地である。西郷軍が人吉に割拠し、適時、反撃を行えば、政府軍は苦戦を強いられる可能性が高い。次の議題は、政府軍が即時に行動を起こすか、それとも補給等が整ってから行動を移すかだったが、ここで鋭い対決が起こった。滝川少佐を含む少数派は即時の行動を主張したのだが、多数派は行動は補給等が整ってからと主張し、山県参軍の判断により多数派の意見が採用された。そして、部隊の配置についても議論百出の状況になった。滝川少佐は、海兵隊は海外からの弾薬輸入に依存している割合が高いこと等から、八代から球磨川沿いでの人吉侵攻の任務に海兵隊は志願したい旨を主張した。海外からの弾薬は長崎に一旦、集結した後、海兵隊に供給されていた。八代からの進軍なら長崎港から八代港へ海運による輸送が行える。この主張は陸軍からも了解され、海兵隊は八代へ移動し、人吉侵攻の準備を整えることになった。結局、朝から始まった会議は24日の夜までかかる大会議になり、その結果を受けて政府軍は再配置等を進めた。


 補給等が整い、政府軍の部隊が完全に人吉侵攻のための準備を整えたと山県参軍が判断するのには、5月5日の夜まで掛かった。翌日、5月6日を期して政府軍の人吉侵攻作戦は発動されることになった。


 

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