第82章ー植木にて
林忠崇大尉は植木にたどり着いた後も、やはり多忙だった。部下の中隊長3名はどうのこうの言っても小隊長の少尉だったのが、西南戦争勃発に伴い大尉に昇任して中隊長に全員任命された者だったし、小隊長も下士官の分隊長の曹長を戦時昇任させて少尉に任命したものばかりで、中には西南戦争前は伍長だったのに戦時昇任と上官の戦死が相まって少尉として小隊長を務める者までいる始末だった。こうなるとあいつは元伍長だというのになんだ、というやっかみまで部隊内に生まれる。林大尉は積極的に部隊内に入り、苦情を受け付け、相談に乗ってやりという状況で、山県有朋と川村純義両参軍からの海兵隊は後方警備と予備として使うという温情に心から感謝する有様だった。実際、植木にいる海兵隊を最前線に投入しても、田原坂攻防戦の頃の奮闘を期待するのはとても無理だ、と林大尉は感じていた。この間に部隊内の軋轢を緩和し、前線で使えるようにしなければ、と林大尉は黙々と任務に精励した。
郵便報知新聞の従軍記者、犬養毅は、土方歳三少佐に取材できることに喜んで取材に赴いたものの、すぐに土方少佐に取材を打ち切られたことに困惑した。一体、何が悪かったのだろうか、と考え込んだが、自分では思いつかない。取りあえず、周囲の者に取材していくことにした。いろいろ周囲の者から話を聞くうちに、おぼろげながら自分でもわかってきたことがあった。海兵隊の幹部の多くが旧幕府系の人材で占められていること、それもあって西郷軍から海兵隊はいろいろ恨まれているらしいこと、新選組は京の治安維持で名を轟かせたが、それ故に敵味方を含めた薩長からいろいろ恨みも含めた複雑な感情を抱かれていること、土方少佐と共にいた林大尉は、自分はすぐに思い当らなかったが、元大名で戊辰戦争で滅藩処分を唯一受けた請西藩の元藩主であること等々が段々分かってきた。
「自分が戊辰の復讐云々と気軽に聞いてはいけなかった。まずは虚心坦懐に相手のこの戦争に対する思いを聞くべきだった」と犬養は考えた。かといって、土方少佐にいきなり再取材を申し込むのは、斬られることはないだろうがやはり怖い。この際は林大尉から話を聞くべきだろうと考え、林大尉の様子をうかがったが、多忙を極めているらしく、中々取材できそうにない。その間にも植木での戦闘は続いており、その取材もせねばならない。何だかんだで、林大尉に犬養が取材できたのは4月9日になっていた。
「再度、取材を受けていただき恐縮です」犬養は低姿勢に努めた。
「いろいろ思うところがこの戦争ではおありと思います。率直なところを聞かせていただきたい」
「私の思うところは、速やかに戦争を終わらせること、そして、お互いに恨みをできる限り水に流し、血を流すのは止めようということです」林大尉は答えた。
「戊辰の恨みが無いとは言いません。ですが、日本人同士争って、外国に乗ぜられる訳にはいきません。速やかに恨みは水に流すべきです」
「ありがとうございます」犬養は考えた。この人はいい人だ。今後も交友を大事にしたい。一方、林大尉も考えた。この人とは立場は違うがいい関係を築けるのではないか。実際、西南戦争後もこの2人の交流は折に触れて続くのだが、それはあらためて語るべきだろう。