第79章ー熊本城解放
「いろいろと思うところはあるだろうが、全力を尽くせ。何としても川尻を突破し、熊本城を速やかに開放するぞ」滝川充太郎少佐は部下の第2海兵大隊の兵に訓示した。4月13日、熊本城攻防戦はいろいろな意味で末期戦に突入している。
熊本城の守備兵の兵糧は4月17日に尽きると奥保鞏少佐は滝川少佐に語っていた(実際には奥少佐率いる突出隊を支援した部隊の一部が熊本城下の民家から食糧を調達しており、4月中は熊本城籠城軍が籠城を続けられる目途が立っていたのだが、熊本城籠城軍と連絡がつかないので、田原坂からの熊本城救援軍、背面軍共にそれを知らなかった。)。そして、熊本城まで背面軍は川尻を抜けば、すぐにでも熊本城にたどり着ける状況になっていた。背面軍の救援が阻止されれば、4月18日以降、熊本城籠城軍からは餓死者が出る惨状が発生する。一方、背面軍の救援が成功すれば、熊本城は解放され、この戦争は政府軍の勝利に終わることがほぼ確定的となる(熊本城解放は、政府軍にとって明らかな勝利であり、その後から西郷軍に味方して挙兵しようとする者は、現状まで挙兵を見合わせる慎重派である以上、ほぼ絶無であると見られていた。)ことから、西郷軍、背面軍(更には田原坂からの熊本城救援軍も)共に、ここ一両日中が熊本城攻防戦のヤマになると覚悟を固めていた。
4月14日、別働第2旅団、別働第4旅団を主力とする川尻攻撃が始まった。第2海兵大隊は攻撃の最右翼(一番東側)を受け持ち、西郷軍に対する猛攻を開始した。
「芋兵の怖ろしさを見せてやれ。西郷軍の芋侍に負けるな」滝川は、屯田兵に対する蔑称を敢えて言ってまで部下を鼓舞した。4月14日午後、遂に川尻が陥落する。黒田清隆参軍は、川尻陥落直後で指揮下の諸部隊が混乱していたことから部隊整理を優先して、明日15日を期しての熊本城救援を決断した。そして、その旨を指揮下の諸部隊に連絡するが、陸軍の諸部隊には連絡が届いたものの、混乱した状況のために海兵隊には連絡が届かなかった。
「何で陸軍は前進しないんだ」滝川少佐は首をひねった。しかし、これは海兵隊が熊本城救援一番乗りを果たす好機である。
「折角、陸軍が海兵隊に熊本城救援の名誉を与えてくれるんだ。これは活用しないと」滝川少佐は第2海兵大隊を熊本城に急進撃させた。
「何で海兵隊は停止しないんだ」背面軍所属の陸軍の諸部隊は騒然となり、慌てて進撃の準備に取り掛かったが、当然のことながら海兵隊の方が先に進んでしまう。
「あれは、海兵隊ではないか」一刻も早い救援を待ち望み、焼失を免れた熊本城の建物の中で一番高い所に立って周囲を見渡していた谷干城は驚いてつぶやいた。横にいた樺山資紀も驚愕している。
「何で陸軍ではなく海兵隊が熊本城救援の先陣をしているのでしょう」
「おーい、熊本城救援に来たぞ」滝川少佐は熊本城籠城軍に呼びかけた。籠城軍の兵の多くもまさか海兵隊が先陣とは思わなかったので、射撃を忘れて呆然としている有様だった。
「とにかく出迎えろ、そして、射撃は厳禁だ」谷は慌てて部下に命令を下した。海兵隊の方はそんなことは知らないので、のこのこと熊本城に近づいていく。籠城軍の兵も谷の命令を受けて我に返り、海兵隊を出迎える。
「お待たせしました。第2海兵大隊、熊本城に救援に到着しました」滝川少佐は谷に言って敬礼した。
「救援を感謝する」谷は心の整理がまだついていなかったが、答礼して出迎えた。