第76章ー八代港攻防戦
ある意味、幕間の話になります。
別府晋介と辺見十郎太は熊本城攻防戦等により消耗した兵員を補充するため、3月から鹿児島に戻って募兵していたが、中々うまくいかなかった。鹿児島全てが西郷軍一色であったわけではない。大久保利通と共に東京に残って政府の一角を占める鹿児島出身者もいるし、かなり減っていたとはいえ今でも島津久光の威光に従う者もいる。島津久光と西郷隆盛は知る人ぞ知る犬猿の仲である。そして、島津久光は西郷軍の挙兵に際し、局外中立ともいえる立場をとった。更に西郷に心服していた者から真っ先に西郷軍に志願して出発してしまったため、結果的に鹿児島に残っていたのは、反西郷とは言わないまでも非西郷の人が多く、兵員補充はままならなかったのである。そのため、微罪の者の刑を免ずる代わりに兵に志願させる等の手段まで講じて、何とか2000名余りの兵を整えた。その兵を率いて、鹿児島から熊本へ向かおうとしたところに、背面軍が八代に上陸したとの急報を受け、別府らは急きょ八代港の奪回を図ることになった。
人吉まで別府らが進んだところ、西郷軍に協力を申し出た熊本出身の宮崎一郎が協同隊を率いて待っていた。宮崎は協同隊と共に山鹿方面で戦っていたが、西郷軍司令部の命令により山道を通って別府らの援軍に来たのである。宮崎に先導させて、別府らは八代港に向かった。
「さすがにある程度は防備を固めているな」辺見は背面軍の防備を見てつぶやいた。
「しかし、八代港を奪還しないと西郷さんが危ない。そして、八代港を奪還すれば背面軍は袋の鼠だ」
八代港を守備する背面軍は別働第3旅団から派遣された2個中隊だったが、西郷軍接近の情報を得たことにより1個大隊余りに増強されていた。4月4日から球磨川沿いに攻撃を始めた西郷軍は辺見を先鋒にして八代港を目指した。辺見は猛将である。背面軍の射撃の弾雨の中を先陣を切って突撃し、背面軍の陣地に真っ先に躍り込む等して奮闘し、6日には八代港まで指呼の間に達した。
「突撃馬鹿が」川路利良別働第3旅団長は鼻を鳴らした。
「側面ががら空きになりつつあるのに気づいとらん。目を覚まさせてやる」
川路は熊本城救援に向かわせていた部隊から援軍に来た1個大隊を迂回させて、西郷軍の側面に突撃させた。西郷軍は予期せぬ突撃に壊乱状態に陥った。
「しまった」辺見は慌てた。
「ここは退却してください。殿を務めます」宮崎が辺見を諌めて退却させたが、自らは戦死した。別府も重傷を負った。ここに八代港攻防戦は一時、背面軍が勝利を収めたが、背面軍も主力を熊本城救援に向かわせていたために守勢を執らざるを得ず、これ以降、八代港攻防戦はやや西郷軍優位のまま、しばらくはこう着状態に陥った