第74章ー氷川へ砂川へ
僅か1日で八代市を制圧した背面軍の士気は高かった。この勢いで甲佐へ川尻へ更に熊本城へと進撃して、4日もあれば熊本城は救援できるのではないか、西郷軍の主力が田原坂へ向かっている以上、八代から熊本への路はそう困難ではあるまい、そんな楽観的な見方さえ背面軍の一部にはあった。だが、八代を奪われた西郷軍は当然、即座に反撃を開始した。熊本から40キロも離れてはいないということは裏返せば、1日もあれば強行軍により熊本城攻囲軍から背面軍阻止の部隊を差し向けられるということである。
「さすがにそう簡単には熊本城へは進ませてくれないか」滝川充太郎少佐はつぶやいた。3月20日早朝から熊本城救援に進軍した背面軍の先鋒に第2海兵大隊は充てられていた。だが、早速、第1の関門となる氷川まで進軍したところ、氷川対岸に西郷軍はざっと見たところ、1000名余りの部隊を展開して、背面軍を阻止しようとしていた。
「艦砲射撃の支援を仰げれば楽なのだが、さすがに海岸からこれだけ離れていては艦からの直接照準が出来ず、無理もいいところだからな」滝川少佐はそうつぶやいて、部下を散開させて攻撃準備を整えた。第2海兵大隊だけでは1000名に満たないが、後続の部隊を含めれば2倍近い。西郷軍がこれに対応しようとすれば、どうしても部隊配備が薄くなるところが出てくる。更に、こちらが攻勢であるというのも有利な点だった。相手の弱点を探って、弱点に攻撃を集中できる。
陸軍の砲兵が氷川対岸に展開する西郷軍に直接砲撃を浴びせる。それによって、西郷軍がひるんだところに氷川の渡渉が少しでも楽なところを選んで、第2海兵大隊は渡渉を開始した。海兵隊のシャスポー銃は本体も弾薬も濡らすのは厳禁である。一部の部隊が掩護射撃を展開している間に、残りの部隊は銃や弾薬箱を濡らさないように努めて氷川を渡河していく。渡河した部隊が西郷軍に突撃を開始すると、西郷軍は氷川での背面軍の阻止は困難と判断したのか、退却を開始した。
「全力で追撃しろ」滝川少佐は部下を鼓舞したが、西郷軍も阻止に必死である。それに西郷軍の援軍も気になる。第2海兵大隊の追撃は、砂川へたどり着く前の中途半端な段階ではあったが、中止せざるを得ない状況になり、20日の夕暮れを迎えることになった。
「もっと増援がいるな。どれだけの兵力を背面軍に回してくれるのやら」滝川少佐はひとり言を言った。それに気になることがもう1つあった。鹿児島方面からの西郷軍の投入である。もし、そうなったら、背面軍が逆に西郷軍によって挟撃されかねない。
「さて、どちらが先になるかな」滝川少佐は考え込んだ。




