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第65章ー抜刀隊編制

 早速、長崎の大鳥圭介旅団長に電報で刀400振りの手配を依頼し、土方歳三少佐と林忠崇大尉は斬り込み隊の編制案の策定に掛かった。

「斬り込み隊の定員は200名、1個小隊50名の4個小隊で編制し、1個分隊10名の5個分隊で1個小隊とします。これは第3海兵大隊の兵員から志願者を募ります。そして、斬り込み隊の隊長と第1小隊の隊長は私が取りあえず兼ねます。いかがでしょうか」林大尉が言った。

「とりあえず、その案で行こう。問題は志願者がどれだけ集まるかだな」


 翌日の11日朝、第3海兵大隊の全兵員を集め、土方少佐が発言した。

「川村純義参軍の命令により、西郷軍の抜刀斬り込み戦術に対抗するために、斬り込み隊を編制することになった。志願者は速やかに直属の上官に志願するように。なお、斬り込み隊の定員は200名とするので、定員以上の志願者が出た場合には、剣の腕によって選抜する」

 この発言に応じて、斬り込み隊に志願した者は300名近くに上った。何しろ、屯田兵中隊からも志願者が出たのだ。これには土方少佐は意外の念を抱いたが、実際問題として、第1、第2屯田兵中隊の兵員のほとんどが明治維新を20歳前後で迎えた士族であり、幕末の治安が乱れていた時代を肌で感じていたこともあって、幼い頃から自分の身を護るために剣術を習っていたものが大半だったのだ。

 このために急きょ、土方少佐と林大尉は、模範演技や竹刀を用いた試合で、斬り込み隊員を選抜することになった。それによって、元新選組の隊員でありながら、斬り込み隊の選考に漏れる者まで出る始末で悲喜こもごもが各所で見られた。もちろん、永倉新八や斎藤一は文句なしに選抜され、更に小隊長までに任じられた。なお、後1人の小隊長は元新選組でもある相馬主計が任命された。


 一方、川村参軍は、海兵隊による斬り込み隊の編制を山県有朋参軍に報告していた。山県参軍は、この斬り込み隊を先鋒にした第3海兵大隊を横平山奪取に投入することにした。横平山を奪取することによって、政府軍は田原坂を側面から攻撃できるようになる。もちろん、西郷軍も横平山の重要性は把握しており、既に巧みな陣地を築いていた。山県参軍は、昼間正面からの攻撃は犠牲を大きくすると判断し、夜間に奇襲攻撃を加えることで横平山を奪取しようとした。14日朝から横平山に牽制攻撃を仕掛けることで西郷軍を欺瞞し、14日深夜に西郷軍が気を緩めたところに海兵隊を突入させる計画が陸軍の参謀によって立案された。そして、斬り込み隊という名前があからさま過ぎるということで、斬り込み隊は抜刀隊と呼称されることになった。


 14日の日没を期して、闇の中を抜刀隊を先頭に第3海兵大隊は動き出した。いよいよ戦機が熟しつつあった。

 思ったより長くなったので、横平山の戦いは次章になりました。

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