第61章ー涙雨
いよいよ西南戦争の天王山、田原坂の攻防戦が本格的に始まります。
大鳥圭介や古屋佐久左衛門の願いは残念ながら裏切られた。3月4日から田原坂では無情にも雨が降り出したのだ。
古屋は周囲に与える影響を考えて、相手もそう銃を撃てん、全く互角ではないか、と豪語して平然としたふうを装ったが、こっそり野津鎮雄第1旅団長に意見を具申して、伝習隊こと第1海兵大隊を昼間の前線からは後退させて、夜間警備を主な任務にした。野津にしても、雨で銃が撃てない部隊を前線に配置する余裕はないし、それなら伝習隊にスナイドル銃をくれ、と言われたら、陸軍にも余分の銃などない(スナイドル銃がどうにも足りないので、徴収した予備役兵が主力の部隊にはグライゼ銃を配備する有様だった)し、銃弾不足に苦しむのは陸軍も同様である以上は藪蛇になる。伝習隊が夜間警備を主にしてくれるのなら、その間に多少なりとも陸軍は寝られるという理由から古屋の意見具申を許容した。
「チェストー」、「きぇー」西郷軍の叫び声が上がった。
「ふん、芸のない夜襲だ」古屋は鼻を鳴らして、西郷軍の夜襲を迎え撃たせた。田原坂の激戦が始まってから3日目の3月6日の夜だった。昼間は政府軍が火力で圧倒して前進するが、西郷軍は堅陣を活用して中々進ませない。そして、夜になると闇を活用しての抜刀突撃により、昼間奪われた陣地の奪還を西郷軍は図ってくる。昼間は寝て休息している伝習隊は、夜になると生き生きとしてくる。それに伝習隊の指揮下にある第1海兵中隊は精鋭の誇りを胸にずっと猛訓練に励んできたし、それ以外の屯田兵中隊も元士族ばかりである。西郷軍の抜刀突撃を恐れる者はほとんどいない。
「不発が怖いからな。少々離れていてもどんどん撃て。撃てなくなったら、排莢して白兵戦に備えろ」古屋は事前に部下に命じていたので、伝習隊からは離れているにも関わらず、西郷軍の接近を察知した部隊から盛んに銃撃が行われる。しかし、やはり雨天のために薬莢が湿気てしまっているのか、すぐに銃撃音が下火になる。それを好機と見たのか、西郷軍は接近してきた。
「ひるむな。相手は寝ていないんだ」古屋は叫んだ。伝習隊は白兵戦に備えて、銃剣を揃えて西郷軍を迎撃した。銃剣と日本刀が打ち合う音が響く。伝習隊は善戦した。いや逆に西郷軍を押し返しているが、白兵戦が苦手な周囲の陸軍が先に崩れだしてしまう。西郷軍は1万人近いが、伝習隊は所詮1000名に満たない寡兵である、周囲の陸軍が崩れだしてはどうにもならない。
「ここまでか、後退しろ」古屋は撤退を決断した。伝令を出して、声を限りに後退を命じる。練度の高さを示して伝習隊は秩序だって後退し、殿の役目を見事に果たした。しかし、西郷軍の追撃も急である。何とか西郷軍の追撃を振り切ったが、伝習隊は、今日は50名以上の死傷者を出した。
「伝習隊が散るのが先か、田原坂が抜けるのが先か。冗談では済まなくなってきたな」古屋は独白した。
「衝鋒隊や新選組が早く来てくれないとどうにもならん」