第59章ー西郷軍、赫怒
「間違いない情報か」桐野利秋は情報を伝えた者に静かな声で確認した。
「間違いありません」問われた側は背筋が凍る思いがした。人は余りにも怒ると却って声が静かになるという。めったにないことなので、目にすることは少ないが桐野の声は明らかに赫怒している。
「許せん。伝習隊、衝鋒隊に加え、新選組だと。しかも、土方が新選組を率いているだと。時代が遡っているのか。かつての賊軍を官軍とし、俺たちを賊軍だというのか」
周囲にいる西郷軍の幹部も同様に赫怒した。
「よりにもよって、そんな名前を付けるのか」
「挑発するにも程があるぞ」
「やはり海兵隊は旧幕府陸軍の集まりだ。解体しておくべきだった」
西郷軍の現状認識はこうだった。熊本鎮台救援に向かってくる救援軍を阻止し、その間に熊本城=熊本鎮台を落とす。熊本城に対する強襲策は2月22日、23日に行われたが失敗に終わっていた。そのために再度の強襲案が検討されている間に、福岡方面からの熊本鎮台救援軍が接近しつつあるとの情報が入った結果、熊本城は攻囲するに留め、主力は救援軍の阻止に務めるという作戦が採用された。だが、この作戦には皮肉な側面があった。共に守勢側が加藤清正の遺産に頼っていたのだ。熊本鎮台側は加藤清正が築いた熊本城の堅さを頼みにしていた。一方、西郷軍側も救援軍の阻止に加藤清正が地形を整備した田原坂を頼みにしていたのだ。田原坂こそが、救援軍が大砲を陸路運び込める唯一の通路であり、逆に言えば救援軍は何としても田原坂を押しとおる必要があるが、田原坂の地形は加藤清正によって攻むるに難い地形に改修されており、道路上を押しとおろうとすれば、周囲の高台からの集中銃火を覚悟しなければならなくなっていた。
「落ち着け、敵の挑発にわざわざ乗る必要はない」等の声も上がるが少数に過ぎない。
「伝習隊を名乗る部隊が救援軍の先鋒を務めているぞ。間もなく新選組や衝鋒隊も来るだろう」
「西郷軍の意地を示すぞ」
「そのためには熊本城の包囲に充てる部隊を引き抜かなくては」
大鳥圭介の考えた挑発は図に当たった。だが、それは海兵隊に更に犠牲を招くものでもある。
「海兵隊はどこに投入されると考える」
「伝習隊が田原坂に現れている以上、他の部隊も同様に田原坂に現れる可能性が高いかと」
「よし、わしが直接、田原坂の部隊を指揮する。何としても海兵隊を打ち破るぞ」桐野は叫んだ。
その頃、海兵隊はシャスポー銃の思わぬ欠陥に頭を痛めていた。
「紙製薬莢なので覚悟はしていたが」後方にいる大鳥圭介は、長崎にいる部隊の訓練中に相次いだ報告対策に頭を痛めていた。
「雨が降らないことを願うか」逆に前線にいる古屋佐久左衛門は半分達観した。