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第58章ー伝習隊の初陣

 伝習隊こと第1海兵大隊が熊本鎮台救援軍と合流できたのは3月2日のことだった。強行軍をすれば3月1日中に合流できなくもなかったのだが、砲兵を随伴させていたことと兵士の疲労を嫌った古屋佐久左衛門少佐の判断から3月2日の合流となった。この合流は、事前に電報によって陸軍も承知しており、この到着を待って、3月3日を期して田原坂への攻撃を始めることになった。熊本鎮台救援軍と合流して、第1海兵大隊の駐屯地の確保ができると、古屋少佐は熊本鎮台救援軍を指揮している野津鎮雄第1旅団長に挨拶に赴いた。


「古屋少佐以下伝習隊こと第1海兵大隊、本日、合流しました」

「ご苦労」野津旅団長が答えた。

「それにしても、その名前は。思わず銃弾を浴びせたくなるな」

「野津閣下もそう思われますか。西郷軍が引っ掛かってくれると思ってこの名前にしたのですが、味方からも撃たれそうだ」

「心配するな、冗談だ。本当に撃ちはせん。味方のわしらもそう思うくらいだ。西郷軍はおそらく引っかかるぞ。というわけで、正面からの攻撃の先鋒をお願いする」

「伝習隊を西郷軍によって皆殺しにするおつもりですな」

「悪いか」

「それくらいは覚悟していました。伝習隊の精鋭ぶりをお見せしましょう」

「よく言った。詳細は参謀に説明させる」にやりと笑って、野津は古屋が辞去することを許可した。野津の目は笑っており、古屋は平然としていたが、古屋に随伴した海兵隊士官の面々は胃が痛くなる思いがしたやり取りだった。だが、その後の参謀との打ち合わせはそれなりに順調に進んだ。陸軍側も四の五の言っていられる戦況ではなかったのだ。


 3月3日朝から、伝習隊は菊池川を渡河し、安楽寺へ、更に木葉から田原坂を目指す先鋒を務めることになった。砲兵中隊の支援砲撃がまず行われる。ひとしきり、砲声がとどろく間、匍匐前進した歩兵が、西郷軍の陣地の前面に迫り、一部が支援の銃撃を浴びせて、西郷軍をひるませ、残りが陣地に突貫していく。もちろん他の陸軍の部隊も共に戦っているのだが、西郷軍も伝習隊の参戦の情報を得ているのだろうか、それとも伝習隊が陸軍と軍服が違うから目立っているからか、伝習隊に西郷軍の反撃が集中する。古屋少佐は、西郷軍の反撃を何とかしのがせ、その間に陸軍が進撃していき、包囲の危機を感じた西郷軍は田原坂へ退却していった。1人40発ずつ配給された弾丸は、日没までにほとんど全員が撃ち尽くしており、中には銃剣に頼って戦ったり、負傷兵から弾丸を半分奪って戦ったりする兵が出る有様だった。最終的に1日で海兵隊全体で戦死者10名、負傷者が30名近く出た。

「初日でこれだけの損害か。熊本城にたどり着くまでにどれくらいの兵が失われるかな」古屋少佐はりつ然とする思いに駆られた。

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