第41章ー動員準備
海兵局は本多幸七郎の帰京報告に基づき、万が一に備えた出動準備に動いた。2月8日、長崎に駐屯する第1海兵中隊及び砲兵中隊に対しては出動準備命令が発せられ、全員の休暇が取り消され、いつでも出動可能な状態で待機することが命ぜられた。横須賀に駐屯している残りの3個海兵中隊にも同様の命令が発せられると共に、三菱等に長崎へ移動するための船舶の依頼が行われた。更に重大な問題があった。それは北海道の屯田兵中隊に対する出動準備である。この点に荒井郁之助海兵局長以下の面々は頭を痛めることになった。どこまで動員を掛けて、どのように編成するのか。毎年、仮の試案を立ててはいたが、台湾出兵後の明治8年に屯田兵からの請願に折れた形で海兵隊が屯田兵を管轄して動員等も行うということになったばかりである。しかも、薩摩士族が挙兵し、それに全国の不平士族等が呼応するかもしれないという事態である以上、速やかなるほぼ総動員という形を取らざるを得ない。かといって、北海道を空にするわけにもいかない。荒井たちは頭を痛める羽目になった。
「現在、動員可能な屯田兵中隊は何個ある」荒井が大鳥圭介らに声をかけた。
「明治3年に第1屯田兵中隊が編成され、明治4年に第2屯田兵中隊が編成されました。それ以降は2個屯田兵中隊が毎年編成された結果、12個中隊が動員可能です。しかし、昨年編成されたばかりの2個中隊については、事実上動員は不可能と考えるべきでしょう。この2個中隊は北海道警備の任務を与えて、駐屯地に残しておくべきです。開拓作業もまだまだの状況下で動員はかけられません」大鳥が答えた。
「となると全部で10個屯田兵中隊が動員可能か」
「それに4個海兵中隊に1個砲兵中隊が常設状態にあります。後、予備役兵や志願兵を募れば2個中隊程度は少なくとも増加させられます」
「これをどう組み合わせて部隊を編成するかな」
「試案ですが、4個海兵大隊を臨時編成し、それで海兵旅団にするというのはどうでしょうか」
「どう組み合わせるつもりだ」
「第1海兵中隊と第2海兵中隊はほぼ同じ練度にあります。また、第1屯田兵中隊と第2屯田兵中隊は台湾での実戦経験もあります」
「台湾での実戦経験というが、マラリアに罹りに行っただけの気もするが」
「一方、第3海兵中隊と第4海兵中隊は編成完結から時間が経っておらず、練度が明らかに不足しています」
「ふむ」
「そこで、第1海兵大隊と第2海兵大隊は第1海兵中隊と第2海兵中隊をそれぞれ基幹とし、第5屯田兵中隊から第10屯田兵中隊を組み合わせて編成します。第3海兵大隊は第1屯田兵中隊と第2屯田兵中隊を基幹とし、志願兵等から新編成された2個中隊をこれに組み合わせます。第4海兵大隊は第3海兵中隊と第4海兵中隊を基幹とし、第3屯田兵中隊と第4屯田兵中隊を組み合わせます。これによって各海兵大隊にそれほど実力差は生まれないかと」
「砲兵中隊は?」
「旅団司令部直隷扱いにしますが、状況に応じて各大隊に事実上直属させます。いかかでしょうか」
「とりあえず、それで各海兵大隊を編成するか」
大雑把な海兵隊の動員方針は決まった。問題は、それをどのように投入していくかである。
海兵隊の具体的な作戦計画は長くなったので次回に回します。