第36章ー導火線
荒井郁之助は、大鳥圭介と本多幸七郎を海兵局長室に呼んで、川村純義海軍大輔からの指示を伝えた。
「海兵隊1個小隊を率いて、鹿児島に行く赤龍丸に乗り込み、万が一に備えよですか」
大鳥は首をひねった。
「筋は通っています。一見すると。しかし、陰謀の匂いがします」
「本多はどう考える」荒井は尋ねた。
「大鳥少佐に同感です。何か危険な感じがします」本多も答えた。
「かといって、川村海軍大輔からの命令を無視はできまい。断る理由というか理屈もない。どうするのが最善かな」荒井は2人に相談した。
「派遣する1個小隊全員の私服を準備しましょう。下船する際には、私服で行動させるべきです。密偵と疑われかねない逆の危険もありますが、海兵隊の軍服を着て鹿児島の中を歩いていたら、西郷隆盛らの私学校党から攻撃されかねません」
大鳥が提案した。
「警備という目的が果たせないかもしれませんが、海兵隊の軍服は危険です。西郷従道陸軍中将が予備役編入処分になったのは、海兵隊のせいだという誤解が鹿児島では広まっていて、海兵隊は敵だと公言する者も多いとも聞きます」
「あれは西郷従道中将の自業自得なのだがな」荒井はぼやいた。
「いろいろと情報を流したのは誰でしたっけ?」本多が皮肉った。
「そんな昔のことは忘れたな」大鳥がとぼけ、荒井は目をそらした。
そして、本多は鹿児島に到着した今、陸軍の行った謀略に感嘆したくなった。部外者としてならだが。現実には自分たちは当事者であり、海兵隊全員が危機にさらされている。
「事前通報も無く、白昼堂々と大規模な火器硝薬製造工場からの機材の搬出を行うとは、一体どのような権限でされるのか」鹿児島県庁の職員がどなった。
「しかし、火器硝薬製造工場の機材は国のものであり、陸軍が管理している機材です。それを陸軍の判断で大阪に移すのは当然では」赤龍丸に載っていた陸軍の担当者が答えた。
「それに事前通報がなされたはずです。仮になくても私としては大阪に運ばざるを得ません」
「火器硝薬製造工場の機材は薩摩藩が購入したものだ。そして、事前通報はなされていない。重大な約束違反だ」
「重大な約束というのなら、書面を示してください」
「そんなものはない。我が鹿児島県の職員が言うことが信じられないというのか。更に海兵隊が完全武装して乗船している。まさか西郷隆盛先生を殺すなり、逮捕するなりするために来たのでは」
「海兵隊が乗船しているのは、あくまでも搬出作業の手伝いのためです」
これはまずい、と本多は思った。陸軍の担当者が言っていることの方が当然なのだが、鹿児島側にはこれまでの経緯から特権が認められて当然という意識がある。そして、赤龍丸が攻撃されたら、攻撃した者は犯罪者だ、そして、犯罪者となれば西郷隆盛といえど庇えないし、犯罪者が鹿児島の特権を振りかざして主張しては全国の不平士族は同調しない。ただでさえ、鹿児島の士族は優遇されているという不満が、全国の不平士族にはあるのだ。鹿児島の私学校党の面々を暴発させて、赤龍丸を攻撃させる。そして、鹿児島の私学校党を解体しようとは見事としか言いようがない。だが、それが自分たちを犠牲にしてというのが問題だ。本多は何とかしてこの窮地を乗り切ろうと考えを巡らせた。