第31章ー祖国へ
明治7年12月初頭、土方歳三は、古屋佐久左衛門や滝川充太郎、本多幸七郎といった面々と一緒になって、台湾から祖国への帰還の準備を進めていた。
「それにしても、なんだかんだ言っても西郷従道中将は派遣軍の最高責任者として最低限の責任は取ったというべきでしょうか?」
滝川が半分独り言をつぶやいた。
「最低限の責任としか言えないがな。全く陸軍だけに限れば、派遣軍の7人に1人以上が病死したんだ。これだけの病死者を出すなんて前代未聞だろう。だから、少しでも早く派遣軍の兵士を帰還させないといけない。そして、派遣軍の最高責任者は最後に帰還するというわけだ。全く海兵隊のように陸軍も対策を講じていればなあ。」
古屋はぼやいた。
土方は滝川と古屋の会話を聞きつつ思った。本当にこれだけマラリア等が蔓延して死者が出たにも関わらず、中隊長全員(古屋は大隊長だが第1中隊長を兼務している。本多は第4中隊長)が生きて祖国の土を踏めるとは思わなかった。海兵隊は事前準備を十分に整えていたお蔭で、陸軍と比較すればマラリア等の被害は少ない。だが、少ないだけで被害が出ていないわけではない。約1200人が海兵隊からは台湾に派遣されたが、60人ほどが祖国に帰ることなく、異郷の土になった。その内、敵兵との交戦で戦死したのは1名にすぎない。残りは皆、マラリア等による戦病死だった。そして、自分の率いる第3中隊からは。土方は痛切な胸の痛みを覚えた。9名が病死した。全員、生きてあの村に連れて帰りたかった。特にあいつは。
第3中隊の中島英次郎第1小隊長が危篤に陥った、との連絡を受けた土方は、取るものも取りあえず枕元に駆け付けた。土方が駆け付けた時、中島はまだ意識があった。臨時の軍医にもなっている古屋に言わせると、命のろうそくの最期のきらめきらしかった。中島は言った。
「やはり、ここは台湾なのですね」
土方は疑問を覚えた。中島は何を言いたいのだ。
「夢を見ていたんです。父や兄と一緒に北海道にいました。土方隊長や古屋大隊長や他の方々も、その夢の中では一緒にいました。榎本さんが艦隊を率いて、北海道に新しい国を造ろうと言って、私達も賛成するんです。そして、皆が力を合わせて新しい国造りをしていくんです。でも、薩長の奴らがそこに攻めてきて、父や兄達と薩長を食い止めようと奮戦して、土方隊長達も一緒に奮戦していたんです。本当に現実のように思えました」
「そうか。中島にとっては、いい夢だったか」
「はい。父や兄と、そして土方隊長や他の方々も一緒にいて戦えて、本当にいい夢でした」
歴史がどこかで違っていたら、それは現実のものになったかもしれない。土方は思った。それが現実になっていたら、自分はどうなっていたろう。
「もう一度、あの夢を見たいです。寝ていいですか」
「いいとも、ゆっくり寝ろ。体が治るまで、ゆっくり寝ていろ」土方は答えた。古屋が言っていた、中島がまた目覚めることは、多分もうない。土方は、夢のことも相まって涙がにじむのを覚えた。
「ありがとうございます。ゆっくり寝ます」中島は答えた。そして、中島は目覚めることなく、そのまま息を引き取った。
そして、あいつも、あいつも、と土方は他の8人の顔と名前も思い浮かべた。共に屯田兵村に来て、一緒に田畑を耕し、寝食を共にして、また、家族と共に過ごした仲間だった。村に帰ったら、つらいが家族を慰問に訪ねなければ。
古屋の声に、土方は我に返った。
「ともかく祖国に帰ろう。年内には皆、祖国に帰れる。祖国に帰ったら、それなりのことを上はしてくれるはずだ」
「これだけの犠牲を払ったんです。それなりのことをしてもらわないと」
土方は答え、他の面々も口々に同意した。
文中に出てくる中島英次郎は、中島三郎助の二男で実在の人物です。史実では五稜郭の戦いで父や兄と共に戦死しています。