第29章ー銃後(屯田兵村)
子どもの目から見た台湾出兵です。
土方勇志にとって一番幼い頃の記憶として思い出すのは、父、土方歳三が台湾に出征したときの記憶だった。本当はそれより幼い頃かもしれない記憶もある。だが、一番幼い頃の記憶として最初に出てくるのは、父が台湾に出征したときの記憶だった。
父は、それこそ札幌の役所に出かけるだけのような気楽な声で、出征の際に母に声をかけていた。
「それでは行ってくる」
母の返答は今一つ正確に思い出せない。確か父に心配を掛けまいと気丈な返答をしたはずだ。出征が決まったとの連絡を受けて、父母が夜に子どもの自分たちに気取られぬように声を潜めて会話をしていた。却って、それが気になって、自分は耳をそばだてて父母の会話を聞き、更に周りの大人たちの会話を聞いて、父が台湾に他の大人と共に出征することを知ったのだった。父が出かけた後、母に自分は声をかけた。
「お父ちゃんは、いつ帰ってくるの」
「すぐに帰ってくるわ」母は答えた。
でも、父は中々帰ってこなかった。雪が解け、村の農作業が始まった。村の男手の多くがいなかったので、本当に大変だった。母は出征している父の代わりに事実上、村長の仕事も引き受けていて、本当に多忙だった。父や他の大人が早く帰ってくればいいのに、といつも思った。妹の喜多は、まだ2つだったので、何もわかっておらず、話し相手にもならなかった。寂しくて仕方なかった。夜になると、母によく尋ねた。
「お父ちゃんは、いつ帰ってくるの」
「すぐに帰ってくるわ」母の返答はいつも同じだった。
数か月が経ち、夏になった。村の農作業は人手不足で相変わらず大変だった。その頃から、村の誰それが台湾で病死したという連絡が入るようになった。母は、事実上の村長代理として、亡くなった人の家に赴き、葬式に参列するようになった。父が帰るまでに出征した人のお葬式は8回か、9回あったと思う。皆、病死だった。その際は自分も妹と一緒に参列した。亡くなった人の家では自分たちがいる間、泣き声が絶えなかった。その頃になると母は夜になると一心不乱に何かを拝んでいた。その頃だったと思う。父がマラリアで倒れたが何とか回復したという連絡があったのは。母はその連絡を受けると気を失いかけた。そして、自分と妹を抱きしめて泣いたのを思い出す。自分はすぐには訳が分からずに、母に尋ねたのだった。
「お父ちゃんに何かあったの。帰ってくるの」
「帰ってくる。きっと無事に帰ってくる」母の返答がその時から変わった。
秋になり、早い冬の訪れに備える準備が始まった。村では相変わらず人手不足に苦しんでいた。自分がしっかりしないとと子ども心にそう思ったが、4歳の自分にできることなどたかが知れていた。でも、あの母が泣いたのを思い出すと頑張らないとと思った。その頃になると母のお腹も大きくなってきていた。自分にまた妹か弟ができることが分かった。そして、父が帰ってくることが決まったとの連絡もあった。自分はとても嬉しかったし、母も泣いて喜んだ。そして、帰宅した父はさぞ驚くだろうと思った。そして、その時は子ども心に思った。戦争に行くと病気で死ぬことがあるんだと。