第26章ー猛威
土方歳三の高熱がようやく収まり、現実に対する見当識が完全に戻るのには、倒れてから10日ほどがかかった。その間、土方は半分幻想の中にいたと言ってもよかった。苦いキニーネを半強制的に飲まされて、それによる頭痛や吐き気、発疹等の副作用にも苦しめられ、いっそ死んだ方が楽ではないか、近藤さんの遺言通りだ、とまで土方自身、思いつめるほどだった。
高熱の収まった今朝、土方の問診に来たのは、古屋佐久左衛門だった。
「どうして、古屋さんが?」
「俺に医術の心得がないと思ったのか?俺は元々は医師だ。それに、あのヘボン医師にも直接指導を受けている。俺ほどの医術を心得ている医師は、日本国内でも少ないレベルだ」
その声を聞きつけた高松凌雲が言った。
「本当は頼みたくなかったのだがな。医師も今は5名が病臥中だ。残っている医師では、とても患者の面倒を見きれんのだ。だから、泣く泣くな」
「こういうときは、弟として兄を頼るべきだろう」
「俺が心配しているのは、患者の方だ。10年以上、実地に患者を診ていない医師をこんな地獄のような現場に送り込んで役に立つものか」
「兄を侮辱するのか」
「大体、ヘボン医師に学んだのは英語だけではなかったか?」
「ちゃんと医術も学んだ。何だ、その疑うような眼は」
「そういうことにしとくよ。大勢の患者が待っているんだ。お互いに全力を尽くさないとな」
その会話を聞いた土方は苦笑いをせざるを得なかった。古屋は土方に尋ねた。
「今日が、何月何日かは分かるか」
「8月の5日くらいか?」
「数日、意識不明だったからな。正確には8月6日だが、見当識はかなり回復している。かなりよくなっているとみてよさそうだ」
「今の海兵隊の現状を教えてもらえますか」
「海兵隊全体の3割いや4割近くがマラリアにやられている。延べ人数にすると全体の6割といったところか。2度かかる者まで出だした。ここのマラリアは、我々が知っている三日熱マラリアではなく熱帯熱マラリアという悪性のものだ。だから、死亡率も高い。特効薬のキニーネの残量も気になるレベルまで減少したので、補給を至急要請している。熱を下げるために製氷機5台を全力で稼働させているが、とても追いつかず、意識不明の重症患者に優先配布している有様だ。このままいくと、海兵隊はマラリアのために台湾で全滅しかねん」
「それほど酷い状況なのですか。冗談だと言ってください。冗談でしょう」
「こんな冗談が言えるか。現実だ。だが、陸軍の方がもっと我々よりも酷いらしい。陸軍が情報を隠そうとしがちなので、正確なところは分からないが、西郷従道中将までマラリアで倒れたという噂まで流れている。実際に滝川充太郎大尉を西郷中将と相談させるために昨日、陸軍の駐屯所に一度行かせたが、理由も言われずに面会を拒否された」
「早くここから帰国しないとまずいですよ」
「全くだ。東京は何をしている」
古屋は嘆いた。