第22章ー新選組
土方歳三は苦笑いをせざるを得なかった。確かに自分が中隊長である以上、中隊において中隊員がとった行動については全責任を負うべき立場ではある。だが、小隊長全員が結託して中隊長の自分に秘密裏に行った行動について責任を取れと言われても、というのが本音だった。それに自分自身、小隊長たちが取った行動について嬉しく思いこそすれ、叱る気にはとてもなれなかった。
小樽港から長崎港へ輸送船で運ばれた第一屯田兵中隊は、中隊長である土方を先頭にして長崎港から長崎近郊に臨時に設けられた屯田兵の駐屯地へと行進した。土方はその先頭を常に進んでいて、ほとんど後ろを振り向かなかったので駐屯地にたどり着くまで気づかなかったのだが、最後尾では新選組のかつてのあの旗、誠の一字を入れた旗が旗手によって掲げられて第一屯田兵中隊は長崎の街を行進したのだった。駐屯地の入り口で土方が隊員を出迎えていると、その旗が目に入ってきたので土方は仰天する羽目になった。何故、あの旗がここにある、と周囲に聞くと、周囲の者は口々に答えた。実は、小隊長全員に口止めされていました。土方中隊長と共に屯田兵村の開拓に勤しむうちに、自分たち屯田兵村の証しというか、象徴を作りたいものだ、という話になりました。それで何がいい、という話になり、ここは土方中隊長がおられる以上、新選組のあの旗が一番いい、という話になりました。それで、村で最初に収穫できた亜麻を原料にしたリンネル布で旗を作ってもらい、更に亜麻の一部は金に換えて、そのお金で小樽の染物屋で旗を染めてもらい、ようやく作ったのです。土方中隊長を驚かせようと小隊長全員が相談し、各分隊長や各班長の多くも賛同して作成しました。いかがでしょうか。
土方自身は悪い気はしなかったが、周囲にどんな影響を及ぼすのかが心配だった。下手をすると大問題になりかねない気がしたのだ。だが、長崎の海兵隊内部は、特に問題視するどころか、むしろ好意的な反応が多く、土方は拍子抜けした。
海兵隊大隊長を務める古屋佐久左衛門は、
「第一屯田兵中隊は新選組だったのか。その名にふさわしい活躍をしてくれ」
の一言で済ませてしまった。
海兵隊第2中隊長を務める滝川充太郎に至っては、
「新選組が編制されたなら、伝習隊や衝鋒隊も編制したいな。第1中隊が伝習隊、我々第2中隊が衝鋒隊といったところか。その名にふさわしい活躍をせねば」
と悪乗り寸前の言動をする有様だった。
「本当にいいのですか」と土方の方がむしろ心配したが、古屋や滝川、更に他の海兵隊士官までが
「構わん、構わん」と言って済ませた。気の全く乗らない台湾出兵をせねばならない以上、これくらいのある意味、悪戯くらいはさせろ、というのが長崎の海兵隊士官の大方の意見だったのだ。
ちなみに、この旗のことは長崎の新聞に載ったことから東京にまで情報が伝えられ、薩長を中心とした政府首脳陣の一部を激怒させるのだが、荒井郁之助や大鳥圭介、しまいには榎本武揚や勝海舟らが懸命になだめたり、すかしたりで最終的に話は収まることになったのだが、それはまた別で語るべきだろう。