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第19章ー古屋

 古屋佐久左衛門は腹をくくった。大鳥圭介が本当は言いたくないという表情をしていたのは、そういうことだったのか、と今に至って心から合点がいった。古屋自身も吐き気がすると言っては言い過ぎかもしれないがいい気分にはなれなかった。だが、これまでの経緯からすると動かざるを得なかった。

「鎮圧のために動くぞ。わずか200名もいない小部隊なのは事実だが、出来る限りのことをする」

「了解しました。私としては飯の種を失うわけにはいきませんので、できる限り奮闘します」

 第1小隊長を務める梶原雄之助少尉は答えた。全身に入れ墨を入れていて元はやくざだったという噂のある(本当は火消しだったらしい)梶原がいうと何とも言えない圧迫感があった。


 少し時をさかのぼる。

「第1中隊を引き連れて、長崎に駐屯してほしい。駐屯地は確保しておく」

「了解したが、裏がありそうだな」

「古屋少佐は知る必要が無い。したがって、私としては理由を告げるわけにはいかない、というか、知ってほしくない」

「大鳥がそこまでいうのなら、黙って行かせてもらう」

 古屋は大鳥に答礼しつつ答えた。古屋は大鳥の内心を半分推察できていた。海兵隊の存在意義を示すために大鳥は暗躍せざるをえなかった。征韓論を巡るごたごたから、西郷隆盛等は抗議の辞職をして、故郷に帰った。いずれ彼らは武装蜂起する可能性が高い。海兵隊はその鎮圧のために1個中隊を長崎に駐屯させることにしたのだ。海兵隊の存在意義を示すために。


 だが、実際に江藤新平の武装蜂起がおこり、その鎮圧部隊の一員として海兵隊が動くとなると話は別だった。江藤に呼応した元佐賀藩の士族は数千人とも言われている。2月15日に佐賀県庁において熊本鎮台兵と武装蜂起した士族との戦闘が起こったとの情報が入ったことから、海兵隊は出動したのだった。長崎にいた山口尚芳外務少輔(山口は佐賀の乱に参加すると疑われた武雄藩の士族等の説得に当たることになった)の護衛もかねて、武雄藩にまず海兵隊は向かった。幸いなことに武雄藩の士族はほとんど動いておらず、そのまま佐賀に向かうことが出来た。古屋少佐はほっとしつつ佐賀に進軍した。最終的に3月1日に佐賀に海兵隊は山口と共に入城できた。海兵隊は幸いなことに一発の銃弾も撃つことなく佐賀の乱の終結を迎えることが出来た。


「おもしろくねえな。佐賀藩の奴らを殺して、戊辰戦争の恨みを晴らせると思っていたのに」

「全くだ」

 佐賀でしばらく警備に当たった後、長崎の駐屯地に海兵隊は戻ることになった。海兵隊が長崎に向かう途中で、梶原らの物騒な会話が古屋の耳に入ってきた。古屋は思った。これは多分皮切りに過ぎまい。まだまだ武装蜂起は起こるはずだ。梶原らは今回は撃たずにすんだからそんなことを言えるのだろうが、次はこのようなことではすむまい。

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