第1章ーブリュネ
本当は通訳を介して、榎本とフランス軍士官は会話しているはずですが、それだと変な感じになるので、思い切って省略しています。ご了承ください。
ブリュネ大尉は正直にいうならば困惑していた。まさか、こんなこととは思ってもみなかった。
榎本海軍副総裁(厳密にいえば、日本が2つに割れている現在、その呼び方が正しいのか、間違っているのかもわからないが)が、フランス軍事顧問団を訪ねてくると聞いたとき、感情的には反発を覚えていた。もし、榎本海軍副総裁が、将軍を説得して徹底抗戦を行ったならば、少なくとも海軍を率いて蝦夷地を目指すと決断していたならば、自分は榎本海軍副総裁と行動を共にし、フランス陸軍から脱走する決断を固めていた。それなのに榎本海軍副総裁まで投降する決断を下したと聞いたときは本当に落胆したものだった。一体、どんな理由から訪ねてくるのか、と身構えていたのだが、こんな理由だったとは。
シャノワーヌ大尉も同様の想いなのだろう。困惑の表情を浮かべてはいる。だが、自分よりは理解できたのか、得心したような表情を浮かべつつはあった。
「ムシが良すぎる話だとは思います。なぜ、自分が説得に赴かないのか、と非難されれば甘んじて受けます。でも、私が行くよりは可能性が高いと思うのです。これ以上、幕臣だった人たちを死なせたくはない。死なせないとなると、降伏を勧めざるを得ません。でも、私が説得に赴くと、何で海軍と共に来てくれなかった、来てくれれば、蝦夷地で徹底抗戦できたはずだ等々の非難が巻き起こるでしょう。感情が高ぶる余り、私を殺して、偽官軍に斬り込んで死のう、という話になるやもしれません。裏切り者の非難を浴びて殺されても私は当然です。しかし、それによって日本にとって有為の人材が失われるのは本当に忍びません。そして、あなた方が指導した幕府歩兵隊は今や分裂し、多くは奥羽越列藩同盟の一員として戦っていますが、一部はいろいろ事情はあるのでしょうが薩長軍の一員となって奥羽越列藩同盟に銃を向けています。このままいけば、かつて肩を並べた幕府歩兵隊の一員同士の殺し合いが起こる、いや、既に起こっているかもしれません。教官だったあなた方から奥羽越列藩同盟に参加している幕臣の人達に投降を勧めていただけないでしょうか。師からの言葉となれば、幕臣の人達も聞き入れてくれるのでは、と思うのです」榎本は懸命の熱弁をふるっていた。
「私が行きましょう。私も自分の教え子同士が殺しあうのは望みません」自分が発言したことに気づいたとき、ブリュネ自身も驚いていた。だが、考えてみれば榎本のいうことは至極当然のことだった。それに自分も教え子同士が殺しあうのは望むことではない。
「シャノワーヌ大尉、私は脱走したことにしてください。中立を保とうとする本国に迷惑をかけるわけにはいきません」
「ブリュネ大尉、心から感謝します。この御恩は決して忘れません。出来る限りの便宜を図ります。私からの書簡も逆効果になるやもしれませんが、あなたに託したいと思います。どうか、皆の命を助けてください」榎本は言った。