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第18章ー大鳥

明治6年初頭の海兵隊の現状の説明回です。

 大鳥圭介は海兵隊に入隊して以来、ずっと多忙だった。海兵隊の組織を実戦に耐えうるものにし、装備を整え、教育を施していかねばならない。荒井郁之助は、榎本武揚が海軍を退いた後は、海軍において旧幕府系出身者の筆頭的立場にあり、海兵隊を庇護してきていた。大鳥は荒井の下で、海兵隊の充実にその手腕をふるっていた。明治6年初頭現在、大鳥の地位は海軍省海兵局の副局長という役職にあった。荒井が局長で対外的な折衝を引き受けており、大鳥が海兵隊内部のことを取り仕切っていた。

 ダグラス少佐を団長とするイギリス海軍顧問団がようやく来日することが決定して、その指導を受けて海兵隊の組織をより充実させることがようやくできそうな一方、英仏に派遣した留学生は対照的な状況を引き起こしていた。イギリスのダートマス海軍兵学校に入った北白川宮殿下は、皇族ということもあり、勉学よりもイギリス王室関係者や貴族との関係を築くことに傾きつつあるらしかった。もう少し勉学に励むように指導すべきだろうか。フランスのサン・シール陸軍士官学校に入った林忠崇少尉は、逆に勉学に精励しすぎているのではないか、とブリュネ少佐等に心配をかけているらしい。運輸通信等を学ばせるためにフォンテンブロー砲工学校に進学させてはどうか、という書簡が届いており、本人も希望しているとのことで、大鳥はそれを認めるつもりだった。

 その一方、海兵隊の組織の現況は極めて微妙な状況になっていた。現在、実戦に投入できる常設の海兵中隊は2個に過ぎず、残りの海兵は分隊単位で各軍艦等に配属されていた。後、軍楽隊と砲兵中隊1個(四斤山砲6門を装備)が部隊として存在していた。いざというときは、各軍艦等の海兵分隊を取りまとめて更に2個海兵中隊を編成する予定ではあったが、それでも全部を合計しても増強独立大隊1個程度の戦力であり、教育機関の1つである海兵士官学校は経費削減のためもあって海軍兵学校と統合されている(アメリカでもやっていることだから、むしろ当然のことかもしれないが。)。海軍で主流を占める薩摩出身者には、海兵隊を常設することは無いという意見(海兵隊の金を軍艦に回せということ)が強いうえに、戦力としては少なすぎるというのも心配の種だった。

 大鳥は予算面等の現状にかんがみると、海兵隊のこれ以上の常時戦力増は無理と考えていた。むしろ戦時に戦力を急速に強化することを考えるべきだった。大鳥には一案があった。それは屯田兵中隊を戦時に海兵中隊にしてしまうことだった。荒井局長に相談しよう。大鳥は決断した。

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