第114章ー激闘、関ヶ原以来の因縁
辺見十郎太の初太刀を、斎藤一は無心で迎え撃った。斎藤は、新選組きっての剣士、沖田総司をしのぐかもしれぬと謳われた剣の天才である。20代にして無外流の奥義を究め、剣術の師匠から出藍の誉れというのはこういうことか、と慨嘆させ、剣禅一如の境地に達したとして、免許皆伝を許されていた。一方の薬丸自顕流は、その祖に当たる示現流同様、初太刀に全てを賭ける剣術である。辺見の初太刀は、神速といってよかったが、戦いを前に無心の境地に達していた斎藤の目には、その初太刀は遅く思えた。斎藤は流麗に辺見の初太刀をかわし、中段に構えた刀を辺見の小手を狙って振るった。
「ぐわっ」辺見は呻いた。斎藤の刀は存分に辺見の小手をえぐっていた。薬丸自顕流にも、二の太刀はある。だが、小手をえぐられては、さすがに二の太刀は振るえない。
「見事。新選組の剣士の腕の冴えが、未だに残っていたとは。最期によい敵に巡り合えた。自分に心残りは無い。ただ一つ、西郷さを鹿児島の街に送り込めなかったのが唯一の心残りか」辺見は走馬灯のような思いを巡らせた。斎藤は辺見の心を察したのか、無言のままで太刀を再度構えて、辺見に突き技を振るった。それを見た辺見は、心底からの笑みを浮かべて、それを受けた。辺見は絶命した。だが、それにもかかわらず西郷軍の兵は怯まずに続々と新選組を、海兵隊を突破しようと更に進んで来た。
林忠崇大尉は、西郷軍が第3海兵大隊を攻撃することで中央突破を図ろうとしているのを望見すると、少し顔色を変えてつぶやいた。
「まさか、中央突破を図るとは。関ヶ原ではないのだぞ」それを聞いた梶原雄之助大尉は、意味が分からなかったので、林大尉に尋ねた。
「関ヶ原とはどういうことです」
「ああ、すまん。徳川家にとって幕府成立のきっかけとなった関ヶ原の戦いというのがあるのだ。その戦いに島津家の軍勢も敵として参加していたのだが、その際に島津家の軍勢は数倍以上いた敵の徳川家の軍勢の中央を突破して退却していったのだ」林大尉は元徳川譜代の大名家の当主として知っていたことを梶原大尉に話した。
「数倍の敵軍の中央を突破しての退却ですか」梶原大尉はすぐにはその意味を理解できなかったが、理解が及ぶにつれて顔色を変えていった。
「そんなことを島津家の軍勢はやったのですか」
「やったのさ。そして、その時の井伊家の当主で、徳川四天王の1人、井伊直政も結果的に島津家の攻撃の前に死んでいる」
「それは」梶原大尉はそれ以上、言えずに絶句してしまった。
「だが、2度は許さん。一文字大名の誇りにかけて、また、徳川家の軍勢の末裔ともいえる海兵隊の誇りにかけて西郷軍に突破はさせん」林大尉はひとり言を言うと、第1海兵大隊に向かって吠えた。
「これより第3海兵大隊の救援に向かう。第1海兵大隊は全力を尽くせ」
「応」梶原大尉も含め、第1海兵大隊の面々は林大尉の檄に応えて、第3海兵大隊の救援に向かった。
だが、その前に西郷軍の兵の一部が立ち塞がった。第1海兵大隊の猛攻を何としても阻止し、西郷隆盛を鹿児島の街へ送り届けようと奮戦する。やがて、林大尉の前に1人の20歳前後と見える若い男が立ち塞がって吠えた。
「今忠勝と令名の高い林忠崇殿とお見受けする」
「今忠勝とは面映いがいかにも」林大尉が返答した。
「私は島津啓次郎。今生の思い出に今忠勝とお手合わせを願いたい」林大尉は思いを巡らせた。島津を名乗るということは、島津の一族か。これも因縁と思うべきだろう。林大尉は無言のまま、刀を構えた。島津啓次郎は刀を中段に構えて、林大尉の隙を窺った。これは、示現流ではない、だが、覚えがある剣術、と思いを林大尉が巡らせていると、島津啓次郎が突進してきて、刀を振るった。そうだ、直心影流か、と林大尉は考えたが、林大尉の体が先に動いていた。島津啓次郎の剣の腕は悪くはなかったが、戊辰戦争以来の経験を積み、新選組きっての剣の遣い手である斎藤一や永倉新八でさえ一目置く林大尉の剣の腕には到底及ばない。島津啓次郎の刀は林大尉の服にさえかすりもしなかったが、逆に林大尉の刀は島津啓次郎の体を袈裟懸けに存分に斬った。島津啓次郎は無言のまま、地面に倒れた。
「関ヶ原の因縁を断たせてもらった」林大尉は一言、島津啓次郎にかけて、前を向いた。林大尉の眼前では、西郷軍と海兵隊の死闘がまだ続いている。




