第110章ー可愛岳突破
「いよいよ戦争も終わりだな」
「西郷軍から投降者が続出しているらしい。西郷さんも投降するのではないか」8月17日の夜、可愛岳の山頂近くに置かれた政府軍の宿営地で歩哨が会話をしていた。
「こら、気を緩めるな」その会話を聞きとがめた士官が注意の声を上げるが、それも形ばかりに過ぎない。注意した士官自身も、最早、戦争は終わったと思っていた。西郷軍からの投降兵は続出している。西郷軍の一部が脱出をまだ図るかもしれないが、可愛岳は急峻な地形であり、ここから西郷軍が脱出を図るなどありえない。念のために第1旅団と第2旅団が置かれて、西郷軍の脱出を阻止できるようにはしているが、念の入れ過ぎではないか、と士官は内心思っていた。
「馬鹿が、油断しとる」辺見十郎太が言った。
「どう見ても歩哨も形式上、立てているだけですね」河野主一郎もそれを見て言った。8月18日の早朝になっていた。8月17日の深夜、密かに出発した西郷軍は地元の住民の協力により、可愛岳の山道を無事に登攀し、第1旅団と第2旅団の宿営地にひっそりと忍び寄っていた。
「では、行きますか」
「先陣を切らせてもらうぞ」河野の問いかけに、辺見は答えた。辺見の後ろには数百人の西郷軍の兵が無言で従った。
「夜襲だ」
「西郷軍が襲ってきた」政府軍の兵の悲鳴が可愛岳の宿営地の各所で上がった。西郷軍は夜明け前の暗がりが残る中を急襲した。西郷軍はあえて無言のまま、政府軍を襲撃した。まだ暗い中、無言の襲撃者がいきなり襲ってくる。西郷軍の全軍の降伏は間近い、それによもやここを襲撃してくることはあるまい、と油断していた政府軍の兵は、その光景を見て更に壊乱した。中には同士討ちを始める部隊まである。政府軍の混乱は頂点に達しようとしていた。第2旅団長の三好少将もその混乱に巻き込まれ、部隊の掌握が困難というより、不可能に一時的になった。
「今のうちに、突破するぞ」残存する西郷軍の総指揮官の桐野利秋は、この状況を見逃さずに号令を下した。西郷軍は、行きがけの駄賃に弾丸数万発や糧食を奪える限り奪い、政府軍の宿営地を蹂躙して、包囲網を突破していった。
「とりあえず、三田井を目指すぞ」桐野は指図した。包囲網突破に成功したとはいえ、今の西郷軍の兵力は所詮は数百名に過ぎない。3万人以上の政府軍にまた包囲されては、そこまでだった。西郷軍は急げる限り急いで三田井を目指し、21日には到着した。三田井には政府軍の補給処があった。西郷軍突破の情報が細かく届いていなかったこともあり、西郷軍の急襲の前に三田井は陥落した。ここで、西郷軍は更に糧食等の確保に成功した。落伍者の到着を1日だけ待つ間に、西郷軍の幹部は軍議を開き、今後の行動を策したが、最終的には西郷の一言が全てを決めた。
「鹿児島へ帰りもんそ」




