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第109章ー小倉

最終章の始まりですが、その前に現況の説明を、登場人物の回想という形で入れました。

 闇の中を黙々と数百人の男たちが進んでいた。今やそれが西郷軍の全てだった。可愛岳を越えよう、そして政府軍の囲みを突破しよう、ほぼそれのみを考えて男たちは進んでいた。その中に小倉処平も混じっていた。小倉は、ふと戦争勃発からこれまでのこと、特に最近のことを思い起こした。


 西郷隆盛さんが決起したと東京で聞いて、飫肥へ戻り、鹿児島を経て、熊本で既に出発していた飫肥隊と合流したのだった。それから、熊本城が攻防戦の末に政府軍に解囲されて、起死回生の一策として野村忍助らの奇兵隊と共に大分方面への進出を試みたが、所詮は多勢に無勢、次第に自分たちは政府軍に追い詰められた。西郷軍の主力も人吉の陥落、鹿児島からの完全撤退と次第に政府軍に追われ、宮崎でしばらくは粘ったが、結局は押されていった。延岡で自分たちが最終的に西郷軍主力と合流したのは8月初めのことだった。その時にいた西郷軍は全部で4000名近くだったと思う。8月15日、和田越で政府軍に決戦を挑んだが、政府軍は3万は少なくともいた。更に海軍による艦砲の支援もあった。また、こちらはまともな銃弾すら事欠き、食事も1日粥のみの1食で大方が腹を空かせているのに、政府軍は銃砲弾は豊富で、食事もまともに食べているのだから、どうにもならなかった。わずか1日で大敗、政府軍に西郷軍は完全包囲された。8月16日から17日まで投降か、脱出か、全滅するまで戦うか激論を幹部間で交わした。そして、西郷さんの解軍宣言があった。自分は飫肥隊にそのことを伝えた。小倉は、眼前にありありとその時の情景が目に浮かぶように更に想い起こした。


「西郷さんから解軍宣言が出た。私は飫肥隊の生き残りの最高指揮官として、諸君に命じる。飫肥隊全員で政府軍に降伏するように」

「小倉先生は?」隊員の1人が質問した。

「西郷さんに最期まで付き添いたい。西郷さんの後を追うつもりだ」

「それなら私も同行します」

「私も」隊員から次々と自分に同行したい旨の発言が相次いだ。

「駄目だ。指揮官の命令に従え」自分は一喝したが、発言は収まらない。

「先生、どうかお願いします。一緒に連れて行ってください」中には泣きながら頼む者までいる。

「これ以上、死ぬ必要はない。私の最後の命令に従い、政府軍に降伏してくれ。そして、生き残って新たな礎を郷里に国に築いていってくれ」最後は半ばこちらが哀願するような感じになった。それでもついていくと言い張る者がいて、2人ほどが結局、自分に付いてきていた。あの場に小村寿太郎がいなくて良かった。あいつは国に必要な人材だ。あいつが国内にいたら自分についてきていたに違いない。あいつが、米国にいてよかった。小倉は、ふと感傷的な想いにかられた。


 そして、最終的に可愛岳を越えて西郷さんと最期を共にする決意を固めた者のみの脱出策が採られることになったのだった。可愛岳を越えて、どこに行くのか、それすら決まっていない。だが、最早ここまで来た以上、西郷さんと同行して死のう、小倉は進みながらあらためて思った。

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