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第10章ー榎本

作者自身が間違えそうなので、北海道の地名に関し、現在の表記で行っています。どうかお許しください。

「これは想像以上に大変だな」

と榎本は一人ごちた。

「何か言われましたか」

「独り言だ。気にするな」

新政府のスパイを兼ねている(と榎本は睨んでいる)一人の部下の言葉に榎本は返した。石狩平野を主にして、旧徳川家の家臣、つまり旧幕臣を中心に屯田兵を置くことは新政府の方針として(一応は)定まっていた。しかし、問題が山積していた。榎本は海軍の職を全て解かれて(予備役海軍少将扱い)、北海道開拓使の一員として北海道に赴任して、屯田兵問題を主に担当する身になっていた。

 最大の問題は、屯田兵が行う農業だった。明治2年の春現在、石狩平野では稲作は不可能だった。将来的にはできるかもしれない。しかし、現状は函館や室蘭近辺で苦労を重ねて稲作を行っている段階で、石狩平野では寒すぎて稲作が不可能なのだった。ジャガイモや蕎麦、麦類を中心に農業を行うしかない。また、これでは現金収入の道が乏しいので、養蚕や亜麻栽培も行うことで屯田兵には現金収入の道を確保させようとは考えているが、どこまで対応できるだろうか。また、1つの屯田兵村で中隊編成が可能な規模で屯田兵村を設置しようと考えてはいる。だが、そうなると1つの村が200戸前後の規模ということになる。二毛作が可能な西国だったら、三反百姓、それが不可能な東国では五反百姓という言葉があるが、それは一戸当たりどれだけの農地があれば自活可能かを暗に示している。では、ここ北海道ではどうかというと、榎本自身も試算内容を確認したのだが、一戸当たり1町歩どころか、その5倍、5町歩は欲しい、というのが試算結果だった。つまり、1つの屯田兵村を置くのに1000町歩(約1000ヘクタール)の農地が必要なのだった。これほど大変な仕事とは思わなかったというのが、榎本の偽らざる実感であり、多くの部下もその困難さを予測して、暗い思いに囚われていた。

「まずは、1つ今年中に屯田兵村を作るぞ。来年は2つ、それ以降は毎年、2つずつ屯田兵村を作るのが目標だ。皆、努力してくれ」

「分かりました」

 多くの部下が答えた。

「また、農学校を作り、授業を行うと共に、屯田兵として入植した者に対する農業の指導も併せて行わせよう。北海道に適した農業を屯田兵に指導しないとどうにもならん。大体、屯田兵の多くは元武士だ。農作業に詳しいとは思えん」

「戸主は兵士として鍛えるとともに、その家族は農業に粉骨砕身させるというわけですか」

 部下の質問に、榎本は答えた。

「そのとおりだ。だが、そうしないと屯田兵は自活できない。入植当初はいろいろと支援を行うが、3年、最大でも入植後5年以内に屯田兵が自活できるようにしないといけないと考える。皆、頑張ってくれ」

「はい」

 もう一つの荒井に託した問題はどうなっているだろうか、榎本はふと思った。

 

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