第103章ー死守
「本当にお互い地獄のような日々ですね」北白川宮大尉が何とも言えない顔色をして言った。
「全くだな」本多幸七郎少佐も同様の顔色をして、北白川宮大尉に同意した。
鹿児島攻防戦が始まってから1月余りが経とうとしていた。政府軍は鹿児島奪還を図る西郷軍に対して兵力的に劣勢にあり、増援を希求していたが、ほぼ同時期に行われた人吉攻防戦に対して政府軍の補充等までも優先的に回されたり、まずは人吉を奪還してからという態度を山県有朋参軍が固守したりしたために、鹿児島に政府軍の増援は結果的に送られなかった。川村純義参軍は、山県参軍の態度に腸が煮えくり返る思いをしていたが、総司令官の有栖川宮は山県参軍と同道しており、山県参軍の判断≒有栖川宮の判断という現状の前には如何ともし難かった。
だからといって、西郷軍が鹿児島攻防戦で優位に立っていたわけではない。地元の鹿児島の住民の多くは政府軍の鹿児島に対する放火戦術への反感も加わり、西郷軍の側に立っていたし、兵力的にも西郷軍は優位に立っていたが、それを補うだけの政府軍には火力と補給の優位があった。1発撃つたびに補給が無事に届くか心配しないといけない西郷軍に対し、政府軍はそこまで補給の面では追い込まれてはいなかった(これは政府軍が補給に苦慮していなかったということではない。政府軍も苦慮はしている。だが、西郷軍に対しては圧倒的に優位だった。政府軍は苦労しながらも鹿児島防衛軍に1日に3食食べさせていたが、西郷軍は1日2食が限界で、それも芋だけの1食も含めた上でという惨状だった。)。更に火力面での優位がある。1発撃たれたら、10発撃ち返せという政府軍の前に西郷軍の砲火は徐々に沈黙を強いられつつあった。
それに対して、西郷軍は夜襲を駆使し、政府軍の火力の猛威を減殺しようとした。さすがに夜襲に対しては、政府軍の火力の優位も生かせない。西郷軍が夜襲で鹿児島奪還を図り、1つの陣地を夜間に奪取する。それに対して、昼間に政府軍が奪われた陣地に対して砲撃を加えた後、歩兵を突撃させて陣地を奪還するというシーソーゲームが行われていた。
川村参軍は上記のような状況の中で、簡潔な命令を発した。
「政府軍は現在の陣地を死守せよ。反撃は増援を待ってから行う」
「死守せよ、というのは簡単ですが、故郷奪還のために奮闘する西郷軍相手には困難ですね」
「全くだ。その度に多くの兵が死んでいく」北白川宮大尉の問いに本多少佐は半分嘆くように答えた。海兵隊は西郷軍の夜襲の度にそれに対する増援として送り込まれていた。陣地死守に成功することもあり、失敗することもある。だが、その度に死傷者が続出する。かといって、政府軍にとって陣地を放棄しての退却は論外だった。6月上旬現在、鹿児島にいる政府軍は鹿児島のみを確保していると言っても過言ではない。退却できる余地がないのだった。従って、陣地を死守するしかない。
「1日でも早く増援が来ないと崩壊するぞ」本多少佐は焦慮の念を抱いていた。
暗い話を続けて申し訳ありませんでした。次章から、土方歳三少佐等が再登場します。