第100章ー艦砲射撃
「青服がいるな」桂久武は舌打ちしながらつぶやいた。
「これは苦労しそうだ」眼前には海兵隊が胸壁等を築き上げ、鹿児島を死守しようとしていた。
鹿児島に政府軍が上陸してきたのを西郷軍が把握したのは、4月27日当日のことだった。桂らは西郷軍の兵を募ることと、鹿児島県庁に西郷軍に協力するように要請(恫喝)することのために鹿児島に滞在していたのだが、鹿児島港の沖合に政府軍の船団が現れたのに気づき、速やかに鹿児島を脱出し、人吉の西郷軍司令部に政府軍が鹿児島に上陸したことを急報するために向かった。島津久光の横槍等のために桂らの手元には兵はおらず、命からがら鹿児島から逃げ出すしかなかったのである。人吉の西郷軍司令部は政府軍が鹿児島に上陸したとの急報を受け、鹿児島奪還のために別府晋介を総司令官とする振武隊、行進隊等の部隊を急きょ派遣した。桂らはそれに同行して、鹿児島奪還作戦に従事することになった。また、政府軍が鹿児島に上陸したと聞きつけ、郷土防衛のために西郷軍に志願する者もおり、彼らをかき集めた部隊も急きょ編制された。
こういった動きに対処することや、鹿児島の街では上陸してきた政府軍に対する反発が強く、西郷軍に陰に陽に協力しようとする者が多数いると見られたことから、鹿児島に上陸した政府軍を指揮する川村純義参軍も至急、増援を山県有朋参軍に求めることになった。山県参軍は、これに対して第4旅団を中核とする部隊を鹿児島に急派した。結果的に5月4日に、第4旅団は海路から鹿児島に到着し、5月5日から始まった西郷軍の鹿児島奪還作戦に辛うじて間に合った。
桂の率いる部隊は甲突川で海兵隊と対峙して交戦したが、桂の敵は海兵隊だけではなかった。海からは艦砲による政府軍の支援も行われた。海岸に西郷軍の堡塁は無く、桂の部隊には数少ない西郷軍の砲兵が回されなかったので、その点でも桂は苦戦を強いられることになった。最も仮に砲兵を回されていても数十門単位で回されなかったら、艦砲射撃には対抗できないし、鹿児島奪還作戦に投入された西郷軍全軍を集めてもそんな大砲はどこにもなかったから、総司令官の別府の判断はやむを得ないものと言える。
「開陽と甲鉄、いや東だったな、による艦砲射撃か。我々に対する嫌がらせだな」桂はつぶやいた。単なる嫌がらせならまだしも、一方的に艦砲に撃たれるというのは西郷軍の兵にとっては、たまったものではない。前面からの海兵隊の射撃もあり、桂の指揮下にある西郷軍の兵に死傷者が続出する。
「やむを得ん。甲突川河口方面からの鹿児島奪還は断念する。艦砲の届かない内陸に迂回して、鹿児島奪還を目指す」桂は2日余り、甲突川河口方面からの甲突川渡河を策したが、続出する損害に耐えかねて断念した。これ以降、甲突川河口方面は平静を保つことになり、海兵隊は1個中隊を監視に残し、残りの部隊を他方面に転出させ、他の陸軍等の支援に当たることになった。