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第99章ー上陸対策

 開陽と東が西郷軍の反撃を警戒する中、第4海兵大隊を先鋒に陸軍の別働第一旅団や警視隊は続々と鹿児島港から上陸した。上陸したその足で、政府軍は鹿児島県庁を確保した。これには、鹿児島港上陸作戦を陣頭指揮した川村純義参軍が、何で防御のための西郷軍がいないのか、と首をひねる羽目になった。第4海兵大隊も、いよいよ実戦と意気込んでいたのにと気が抜けた思いを抱くことになった。


「薩英戦争の話をイギリス留学の際に聞いていて、その二の舞にならねばと心配していたのですが、どういうことなのでしょう」北白川宮大尉は狐につままれたような思いをしつつ、本多幸七郎少佐に尋ねた。

「わからん。とりあえず無事に上陸できてよかった。速やかに防御陣地を築かねばな」本多少佐も上陸当初は事情が分からなかったが、次第に事情が明らかになった。


「ならんものはならん」島津久光はその一点張りだった。西郷軍の桂久武らは、政府軍による鹿児島上陸作戦を懸念し、海岸に堡塁を再整備し、鹿児島の治安維持に当たっている巡査をその堡塁の守備等に充てようと考え、鹿児島県庁に要請していた。鹿児島県庁は極めて微妙な立場にあった。西郷軍の挙兵当初は大山綱良県令の下、鹿児島県庁は西郷軍に全面協力していた。しかし、3月8日に柳原前光が勅使として護衛兵と共に鹿児島に来訪し、西郷軍に対する征討令の発令等を告げ、更に大山県令に随行を命じて3月13日に去り、新県令として岩村通俊が赴任することになったことから、潮目が変わった。鹿児島県庁の職員達は、西郷軍と政府との狭間で苦しむ羽目になったのである。その苦衷の中で出てきたのが、西郷軍からの鹿児島県庁に対する海岸堡塁整備の要請だった。西郷軍は速やかに海岸堡塁を整備するように要請というよりも恫喝したのだが、そこに局外中立を宣言していた島津久光が介入してきた。島津久光は、鹿児島県庁の立場に配慮したというよりも西郷軍に対する反発から介入したのだが、鹿児島県庁にとってはある意味、助け舟になった。さすがにかつて「国父」と呼ばれた島津久光が猛反対していては、西郷軍も海岸堡塁を設置せよという横車は押しとおせない。こうしたことから、海岸堡塁は設置されず、政府軍は無事に鹿児島港に上陸できたのである。


「とりあえず鹿児島の街は確保できたが、火事場泥棒に成功したようなものだ。至急、陣地を築かないと危ない」鹿児島の治安維持は警視隊に任せ、陸軍と海兵隊には川村参軍から、大至急防御陣地を築くように命令が下った。確かにここは西郷軍の本拠地である。第4海兵大隊は甲突川の河口近辺に配備されることになり、そこに陣地を急造し、西郷軍の来襲に備えた。

「西郷軍が来たぞ」監視にあたっていた兵から郷軍の来襲を知らせる大声が上がった。人吉から急派された部隊や郷土を守ろうと志願した者から急きょ編制された部隊が一体となって、5月5日未明、鹿児島を奪還しようと押し寄せてきた。

「できる限り引きつけてから発砲しろ」本多少佐が号令を下した。鹿児島を巡る政府軍と西郷軍の死闘が始まった。

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