第9章ー荒井
榎本武揚は、奇跡的に無事に手元についた飛脚便を読み終えると、ほっとしたような顔をした。荒井郁之助はそれを見て声をかけた。
「何とかなったようですね」
「ブリュネ大尉から連絡があった。伝習隊、衝鋒隊、遊撃隊等々、全ての幕府諸隊が降伏したそうだ。ブリュネ大尉自身も神速丸に乗って、こちらにもうすぐ戻ってくるとのことだ」
「ということは、大鳥さん達も全員降伏して」
「そうだ。本当に良かった」
荒井は心の底から安堵した。幕府の有為な多くの人材は遺されたのだ。きっと今後、将来にいい影響を及ぼすだろう。
「それにしても、土方さんが降伏を決断してくださるとは意外でした。近藤さんの後を追って自害するのではないか、とまで思っていたのですが」
「さすがに近藤さんの遺言に土方さんは逆らえないよ」
「その近藤さんの遺言を榎本さんに伝えた方はどうされたのです」
「私に近藤さんの遺言を伝えられたので、心が緩まれたのかもしれない。牢の中で病死された。最期までできたら、土方さん達に近藤さんの遺言を直接話したいと言われていたのだが」
荒井は、ふと思った。近藤さんの遺言というのは、榎本さんのでっち上げではないのか。死人に口なしだ。土方さん達が、直接聞こうにも最早聞きようがない。榎本さんとしては、何としても新選組から遺された有能な指揮官である土方さんを助けたくて、いろいろ情報を集めた末に近藤さんの遺言をねつ造したのかも。
「どうかしたのか」
「いえ」
思わず自分の考えにふけっていたらしい、榎本さんに声をかけられて荒井は我に返った。
「ところで、私はもうすぐ船から降りることになった。後はよろしく頼む」
「どういうことですか」
荒井は榎本に聞き返した。
「徳川家の家臣たちを蝦夷地に入植させて、屯田兵にする仕事を私は仰せつかったよ。言いだしっぺなのだから自分でやれ、ということらしい。本音としては、私を海軍から引き離したいのだろうな。私がここ開陽に乗っていては、いつ軍艦を引き連れて何を企むか分からんと警戒されているみたいだ」
「それはまた、えらい仕事を」
後の言葉を自分は飲み込んだ。自分にえらい仕事が舞い込んだからだ。
「屯田兵にするといっても、そう簡単にはいかん。いざという時に戦える兵士にするには、いろいろと大変な手間がかかるからな。そこでだ、君には屯田兵の指揮官を育てる仕事を頼みたい。指揮官が有能でないと兵士が迷惑する」
「ちょっと待ってください。私は海軍の軍人ですが」
「薩長がどこまで屯田兵に協力してくれると思う。私としては、君に頼むしかない。海兵隊というのがあるだろう。そこを基幹にして、屯田兵の指揮官を養成し、いざというときに備えるのだ」
榎本は言った。
「えらい仕事を私に頼むものですね。拒否するという選択肢は無いみたいですし、出来る限り尽力しますよ」
荒井は答えた。
「数年もすれば、大鳥達が出獄してくるだろう。大鳥達に協力を要請したら、大鳥達もきっと応えてくれるはずだ。それまで頑張ってくれ」
「分かりました」荒井は返答の上で敬礼した。榎本も答礼した。




