誇る子と疑う父
いつもの面子にいつもの位置取りで昼食を食べていると、今まですっかり忘れていた当初の目的を思い出した。
そう、父さんに課せられたミッションである。父さんが出張に行っている二週間で友達を三人つくり、その写真を撮るというものだ。
もうその三人の目処はついている。蛍、相坂さん、源田くんだ。
だが、いきなりスマホを取り出して蛍や相坂さんのことを撮りだしたら、もうそれは半分変態である。他意はないにしても特に相坂さんの理解を得るのは難しそう。
パックの野菜ジュースを飲んでいる相坂さんをちらっと見ると、「なに?」と眉をひそめられた。全然打ち解けられていない。
二週間の期限にはまだ余裕がある。しかし、僕はこういうやっておくべきことはできるだけ早く消化しておきたい性分なのだ。
よし、今から撮ろう。
その旨をまず目の前の二人に恐る恐る切り出す。
「あの、まったく他意はないんですけど、写真撮ってもいいですか」
「はぁ? いきなりなんなの? 気持ち悪いわね」
「くっくっ、私はもちろんOKだよ」
蛍は僕の事情を知っているのですぐに了承してくれた。相坂さんには僕の挙動不審な態度も相まって露骨に拒否されてしまった。
当たり前だが、やはり理由を話さないと了承してくれないだろう。
「相坂さん。僕は、今までぼっちだった。今は違うと、証明するための写真なのです」
「誰に証明したいのよ」
「僕の父です」
「親ねえ……」
「もちろん、首から下は、撮らないようにしますので」
「それは何の配慮なのかしら? ねえ、どこを見てそんなことを言ったの? ねえ、私の目を見なさいよ」
相坂さんに詰問されている間、蛍はニコニコしていたが、頃合いを見て仲裁に入ってくれた。
「まあまあ、有紗落ち着いて。別にいいでしょ、写真くらい」
「ケイ! この根暗のことだからよからぬことに使うに決まってるわ!」
「よからぬことってなんだい?」
「そ、それは……!」
そういえば、相坂さんはそういったシモ的な話は苦手だった。
相坂さんは顔を紅潮させて、しどろもどろになりながら答えていた。
「しゃ、写真に、き、キスしたりとか……!」
「くふふふふ! そうだね、そういうこともあるかもしれないね」
思った以上に可愛い答えが返ってきた。今の発言を聞いたクラスメイトは皆一様に和んだ表情をしていた。正直、僕は吹き出しそうになってしまった。
「相坂さん。断じて、僕はそんなことは」
「わからないでしょう!?」
確かに口で言ったところでどうしようもない。
なんとか許可を得るために妥協案を提供することにした。
「じゃあ、こうしましょう。目をこう、手で隠してもいいので」
「くっくっ、それじゃあいかがわしい感じになってるよ」
「どういうこと!?」
蛍に言われて気付いたが、確かにいかがわしいかもしれない。相坂さんはよくわかっていないようだったが。
頑なな相坂さんに、僕より先に蛍がしびれを切らした。
「いいでしょ有紗。別に写真くらい普通だよ。薫くんこっち来て」
「え」
「どうせなら薫くんも写った方が信用度も上がるよ。ほら、早く」
一理あるが、蛍と相坂さんと一緒にスマホで写真を撮るとなると、相当距離が近くなる。僕の雑魚メンタルでは正直二秒と持ちそうにない。
僕が躊躇して席から動けずにいると、蛍が席を立って僕の方に歩み寄ってきた。
「もう、薫くんは恥ずかしがり屋さんだね。仕方ないから、こっちから撮るよ」
蛍は僕のスマホを取り上げると、カメラを起動しインカメラに設定した。この機能はまったく使うことはないだろうと思っていたが、今日初めて使われた。
蛍が僕の傍に来て腕を前に伸ばした。いわゆる自撮りをするときのポーズだ。スマホの画面にはかなり接近している僕と蛍が映っている。画面に映っている男がキモすぎて変な笑いが出そうになる。
「これだと有紗が写らないね。ちょっと動くね」
「は、い」
少し遠目に居る相坂さんも強引に写してしまおうということで、角度の微調整をしている間、僕は完全に思考停止していた。もはや自分が何をしているのか、何を見ているのかもわからないような状態だった。
「どうせだから源田くんも一緒に写しちゃおうか。直線上にいるしね」
「は、早く撮ろう」
「ん? 昼休みはまだまだあるよ?」
多分、蛍は僕の気持ちをわかって言っている。完全に小悪魔のそれである。
僕がげっそりしていると、ようやく蛍が良い角度を見つけてシャッターを切った。
「ん、いいのが撮れた。ほら」
蛍が見せてくれた写真には、笑顔の蛍と、その隣で縮こまっている僕、ちゃっかりピースしている相坂さん、そしてその奥でおにぎりを頬張っている源田くんが小さいながらも写り込んでいた。
その写真をまじまじと眺めていると、思わず笑みが溢れた。たった一週間ちょっとで、こんな三人と話せるようになるなんて思わなかった。
変なことには使わないと相坂さんには言ったが、正直、待ち受けにしたいくらい好きな写真だった。
「ありがとう。本当に、いい写真だ」
「ね。あ、私にその写真送ってくれないかな」
「ああ、……そういえば、連絡先」
「交換してなかったね! じゃあ、ちょっと待ってね」
その後、蛍が何らかのアプリを使ってアドレス交換をしてくれた。今まで連絡先を交換する機会がなく、家族の連絡先を登録したときは手入力だったので、蛍にやってもらえて助かった。今は便利なもので、それようのアプリがあるというのだから驚きだ。赤外線まではついていけてたけどなぁ。
家族以外のアドレスが入ったスマホは今までと何か違うような気がする、ということもないのだが、僕の心には確かな充実感があった。
◇◇◇
父さんに友達を紹介すると宣言してから二週間が経った。今日は日曜日で、父さんが帰ってくる日である。
案外、父は二週間前に言ったことなんて忘れて、何食わぬ顔で夕飯を食べたりするかもしれない。その時は自分からは触れないでおくつもりだ。
というのも、未だに僕はあの三人を友達と断言できないところがあるのだ。特に相坂さん。
源田くんについては、かなり打ち解けられたと思っている。源田くんとは気を遣うこともなく話せるし、同性の気楽さもある。ただ、僕の友達の定義「休みの日に遊びに行く」これを実行できていない。これを満たさないと学校だけの関係になってしまって、友達と断言しにくい。
蛍についてはとても僕によくしてくれて感謝の念に堪えないのだが、そうしてくれる理由が判然としないのが気にかかる。普通、僕みたいな根暗にあそこまで優しくしてくれるだろうか。友達だから、といえばそうかもしれないが……。根暗ぼっち時代の被害妄想が染み付いている間は、ずっとこういう疑念を持つことになるのかもしれない。
相坂さんについては言うまでもない。彼女自身のフィルターが強固であり、未だにそこを抜けたという実感もない。僕のことを蛍に付随している有機物程度にしか見ていないだろう。会話が成立するだけでも進歩しているとポジティブに考えるようにはしているが……。
改めて三人について振り返っていると、玄関の扉が開く音がした。このがさつな開け方は父さんのものだ。
「おーう帰ったぞー。」
「おかえりなさい」
「おかえり」
今、リビングには僕と小夜がいる。母はスーパーに買い物に出かけているところだった。
リビングに入ってきた父さんは僕の顔を見てニヤニヤしていた。あ、これは完全に約束を覚えているな。
案の定、開口一番そのことに触れてきた。
「薫ぅ、約束は忘れてないよな?」
「覚えてるよ」
僕の父さんはどうしてこうもうざったいのだろう。
「よし、じゃあ早速見せてくれ。お前の友達を」
「はい」
黄門様が印籠を見せるが如く、あるいはジョーカーに対するスペードの3を出すかの如く、自分のスマホを差し出した。その画面には蛍が撮った写真が映されている。
父さんは僕が何の焦りもなくスマホを差し出したことに虚をつかれたようだった。
「お、おー、どれどれどんなヤツと友達に……ん?」
「……」
「ははは、おいおい薫。お前さん、ズルはいかんぞ」
「ズル?」
今度は僕が虚をつかれた。
そんなやりとりをしている間に小夜もスマホを覗き込んでいた。
「こんな可愛い娘たちが友達って、はははは! なあ?」
「いや、友達だけど」
「名前を言ってみろぉ! 彼女らのぉ!」
「このショートの人が夏目蛍、ツインテールが相坂有紗、奥の坊主の人が源田一鉄」
「ほう。じゃあそれぞれいかほどお金を渡したんだ?」
「雇ってねえ! そんなことするくらいなら腹切ってる!」
「なあ小夜ちゃん、こいつこんなこと言ってるけど、信じられないよなぁ?」
父さんは小夜に同意を求めた。僕が信用ならないらしい。
小夜は蛍と相坂さんについては面識がある。証言者になれるはずだ。
「夏目さんはとても良い方ですよ。いつも駅で一緒になって、私と兄さんと三人で登校してます」
「マジかよ……」
「でもこの相坂さんという方と、源田さんという方についてはよく知りません。相坂さんに対して兄さんは怯えていました」
「え」
「ほらぁ! ビビってるってそれ友達じゃねえじゃん!」
稀に見る優しさを持つ小夜ならフォローしてくれると思ったが、何故かここで事実を暴露された。父さんは鬼の首を取ったように指摘してきた。
「いや、違う。ビビってるわけではなく、敬っているのであって」
「友達に使う言葉じゃない。つまりやばい。あーよかった。こんな美少女を侍らせるようなプレイボーイに育てた覚えはないからな。この源田くんってのと仲良くなってるのはいいことだな、うん」
「断じて侍らせてない」
「そうだよな? ったく見栄張りたいのはわかるけど、金を払うとか」
「だからそれも違うって!」
「よく見たらこの源田くんってのもただ映っちゃっただけなんじゃねえか? こっち見てないし」
「それはたまたまで、タイミングの問題ってだけで」
「あーあー、わかったわかった。とにかく小夜ちゃんに夏目ちゃんっていう友達がいて、なんとか一緒に写真を撮ってもらったんだろ? 真実はいつもひとつ!」
「なんでそうなる!? 僕が小夜に紹介したのであって、小夜に紹介してもらったわけじゃない!」
「がはははははは! そういうことにしておいてやるか! 今回はそんな写真が取れただけ合格だ」
「いやだから事実だっ」
「俺風呂入ってくるわ。今日は疲れたからなぁ」
父さんは僕にスマホを返すと意気揚々とリビングを出ていった。
どっと疲れた。こうして父さんが僕をからかうのはよくあることだが、今回はいつも以上にねちっこい感じだった。何もかも信じていないような素振りだった。
僕が不満そうな顔をしていたからか、小夜がフォローを入れてきた。
「兄さん、きっとお父さんも驚いたんですよ。夏目さんと相坂さんは綺麗ですし、この源田さんという方は強面ですから」
「……そうなんだろうな。僕も、改めてこの写真を見ると、ほんと嘘みたいだなって思う」
「でもお友達なんですよね?」
「……うん」
友達と断言しにくいのは、僕の心情的な部分によるところが大きい。底辺特有の卑屈さからくるものだ。
友達と自信満々に言い切るためには、まず対等になること。対等になるためには性格を改善すること。己を磨くこと。結局は、一番初めに掲げた目標に返ってくるのだ。
「最近の兄さん、変わりましたよね。以前よりたくさんお話しするようになりましたし、明るくなりました」
「そう、だろうか」
「はい」
小夜は柔らかく微笑んで言った。
友達を作るためにそう変化したのか、人と関わることで進歩したのか。きっと後者に違いない。
ならば、僕はもっと蛍たちと交流をして己を高めていこう。蛍のように明るく、相坂さんのように強く、源田くんのように温かく、そういう人格を形成していければと思う。そして人間関係の輪を広げて良いところをどんどん吸収していくのだ。
改めてスマホの画像を眺める。弾けるような笑顔の蛍、ストローを咥えながらピースしている相坂さん、こちらに気付かずおにぎりを食べている源田くん。正直、相坂さんがピースしているのを見ると笑ってしまう。あんなに嫌がっていたのに、いざ撮られるとなるとポーズを取ってくれるんだなあ。
そんなことを思っていると、小夜から冷たい声が飛んできた。
「兄さん、いやらしいですよ」
「な、何が」
「写真を見てニヤニヤしてました」
「いや、いい写真だなと」
「そうですか。じゃあ私とも写真を撮りましょう」
「え、なんで」
「ダメだとでも言うのですか!」
「いや、撮る必要性というか……」
「それならこの写真も役目を果たしたのでもう必要ないですよね? 削除していいですか?」
「ダメだ」
「なら私とも撮ってくれますよね?」
「別にいいけど……必要ないような」
「家族と写真を撮るのがそんなにおかしいですか?」
「おかしくはないけど、唐突だなと」
「唐突ではないです。兄さんが友達と写真を撮った、それなら次は家族と撮ろう、そういう流れです」
「そういう流れ……」
その後、小夜に半ば強引に写真を撮られた。謎である。
スマホに表示される画像には、綺麗な黒髪の女の子と相変わらず異物感のある男が写り込んでいて、当事者ながらこの男が邪魔だなと思った。
これで一区切りです。この話は行き当たりばったりに進めてしまったので、次は最後まで考えてから書こうと思います。難しいですね。