暗黒色とパステルカラー
蛍が戻ってきたのは昼休みも終わるころだった。
「君たち何を仲良く話してたんだい? 私にも教えてよ」
戻ってきて早々、相坂さんの不興を買いそうなことを蛍は言った。
僕と相坂さんはあのイケメンについて話していたところであった。僕は彼のルックスや人当たりの良さ、話術などを高く評価し、相坂さんも少しは見習うべきでは、というようなことを遠回しに遠慮がちに進言したのだが、彼女は聞く耳を持たず、それどころか「あんな上っ面だけの男のどこに魅力があるのかしら」と一刀両断。さらには、あの笑顔がうそ臭い、喋ってることが薄っぺらい、しきりに髪を気にするのがうざったいなどと見事にこき下ろした。正直に言って、僕は彼こそが男子の目指すべき最終形なのではと思っていた。
それはさておき、蛍の問いかけに対し、相坂さんが珍しく笑みを浮かべていた。
「ふふ、教えてあげない。ケイには関係のない話よ」
あからさまに蛍を疎外せんとする物言いであった。普段からかわれているお返しと言わんばかりである。
「くっくっ、そっか」
蛍はそれに気分を害したようでもなく、楽しげな様子に見えた。
ところが相坂さんにはそう見えなかったらしい。
「ふふ、ケイ? 笑顔が硬いわよ?」
「そんなことないよ? それより有紗、君はそろそろ自分のクラスに戻ったら?」
「言われなくても戻るわよ。……喋ったらダメだからね?」
相坂さんはわざわざ僕に釘を差してから教室を出て行った。
ルックスは大人っぽい(ツインテ除く)のに性格は子供っぽいとは、彼女のハイブリッドぶりには感心してしまう。
蛍は相坂さんが教室を出たのを確認すると、微笑みをたたえた表情で訊いてくる。
「それで、何を話してたのかな?」
一応、相坂さんに口止めをされている手前、べらべらと話すのは躊躇われた。内容自体は隠す価値のないことなのだが。
「その、本当にたわいないことなので……」
「はぁ、そっか。私だけ仲間はずれか……」
「そんなことはなくて、相坂さんは蛍に、ちょっといじわるをしたいだけで」
「くふふっ、わかってるよ薫くん。焦りすぎ」
蛍の不貞腐れた態度は演技だったようだ。いや僕も演技だろうなと思っていたはずなのだが、彼女の落ち込んだ素振りを見たらそんな考えが吹き飛び、信仰心から庇護欲を掻き立てられてしまった。恐ろしい、女の子の演技力が恐ろしい。
自分のちょろすぎる自意識に絶望していると、蛍はいつもの微笑みを浮かべ、いつもの口調で言った。
「で、何を話していたんだい?」
あれ? 結局話さないとダメなの?
でも結局、僕は黙秘するのだった。相坂さんの方が怖いのだ。
昼休み以降、特に嫌がらせを受けることもなく放課後になった。
今日は週末ということもあって、放課後の教室はいつもより賑やかだった。
なんだかんだで僕も浮かれていた。今週は色々な事があって疲れていたし、単純に休日が好きなのだ。
さっさと帰ろうと席を立ち、蛍に声をかけようとしたのだが、彼女は多数のクラスメイトに囲まれていて、とても近づける雰囲気ではなかった。仕方ない、一人で帰ろう。
するするーっと教室を出ると、廊下には相坂さんが立っていた。相変わらずの仏頂面で、話しかけるなオーラを噴出させているように見える。
声をかけようか否か迷って立ち尽くしていると、彼女がツインテールを揺らして僕に歩み寄ってきた。
僕の眼前で立ち止まり、しかし何も言わず、挑むような目で見つめてくる。
その視線に耐えかねた僕は、搾り出すように言う。
「……その、蛍はまだ、クラスの人と話しているが」
「あなた、普通に話しかけることもできないわけ?」
「……」
相坂さんの言うことはもっともである。しかし彼女にそれを言われるのは釈然としない。相坂さんの態度は近寄りがたく、心臓の弱い人だったら何かの間違いでぽっくり逝く可能性すら考えられるほど怖いのだ。
彼女の眼光に恐れをなしていると、僕の携帯が震えた。これ幸いと相坂さんの目から逃れるように携帯を取り出す。
僕のもとに届くメールと言えばスパムか広告と相場が決まっているのだが、今回は小夜からのものだった。開いてみると、一緒に帰りませんかという内容の文が表示された。
それに返信をしようとすると、相坂さんが憐れみの表情を僕に向けていることに気がついた。
「あなた……メールを送るフリなんてして楽しいの?」
「フリじゃないです」
そんな道化じみたことを学校でするわけがない。無論、家でもやらない。
小夜と下駄箱で待ち合わせることになったので、帰る旨を相坂さんに伝えることにした。
「僕は帰るので、蛍にもよろしく。また月曜に」
「そう。またね」
彼女が面倒くさそうにひらひらと手を振るのを見てから、僕はその場を後にした。態度は嫌々ながらも、またねと言ってくれたのがなんだか可笑しかった。
問題の下駄箱にやってきた。
朝のこともあって、僕は警戒心も全開に下駄箱へと近づいた。周囲への注意も怠らない。すでに下駄箱に何らかの仕掛けが施されている可能性は充分あり、それを影から窺っている人間がいないとも限らないのだ。
目をギラつかせながら一歩一歩確実に下駄箱へ進軍していると、頭に衝撃を受けた。
慌てて振り返ると、チョップのポーズを取った源田くんが仁王立ちしていた。
「お前な、自分が不審者になってることに気付け」
「……善良なる一般人だけど」
ささやかな反論を試みるも源田くんはスルー。
「そんなふうにビビってると付け込まれんぞ。堂々としてろ」
「……了解」
源田くんの後押しを受け、内心怖がりながらも態度は堂々と下駄箱に近づいた。
そして開ける。
「どうだ。何かされてたか?」
「いや、何も変わってない」
「そいつはよかったな。いや、よかったってのも変だけどよ」
確かによかったというのはおかしな話だが、内心で僕はホっとしていた。もしかしたらあのムカデも勝手に侵入したものかもしれない。
「ま、休み明けにはもっとすげーもんが入ってるかもな。がははははっ!」
源田くんは豪快に笑いながらまったく笑えないことを言った。
源田くんとは下駄箱で別れ、小夜の姿を探す。
小夜は昇降口にひとりで立っていた。その儚げな姿に一瞬見惚れてしまう。
「待たせたかな」
「いいえ。いま来たところです」
カップルか、と思うようなやりとりに心の中で笑った。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい」
そうして二人で学校を出たとき、どこからか視線を感じたような気がした。
すぐに辺りを見回してみるが、僕らを見ている人間はいなかった。あるいは視線を逸らされたのかもしれない。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない」
きっと自意識過剰になっているのだろうと思い込み、僕は小夜と帰路に就いた。
◇◇◇
土曜日。
休日の何がいいかって早起きしなくてもいいことである。惰眠を貪りに貪り、ベッドを均すかの如くゴロゴロ転がり、面白い本を読みに読む。それこそが素晴らしい休日の過ごし方といえるだろう。
これは一年の頃とまったく変わらないスタイルである。現状の打開、そして性格の改善を掲げている今、それでいいのかと自分に問う。
それでいいのだ。休むべきときには休まねばならぬ。革命の戦士にも休息の時間は必要だ。
布団に包まってまどろんでいると、ドアがノックされた。
「兄さん、朝ごはんできてますよ」
ドア越しに小夜に呼びかけられた。
わざわざ僕の部屋まで来てくれた彼女には申し訳ないが、今はまったく食欲がなく、また声を出す気力もないので狸寝入りを決め込むことにした。
「兄さん? 入りますよ?」
僕が返事をしていないにもかかわらず、小夜が部屋に入ってきた。おいおいちょっとデリカシーがあれなのでは、と思わないこともないが、兄に対して遠慮がないのは歓迎すべきことである。
部屋に入ってきた小夜は、僕のベッドに近づいてきたようだった。目を瞑っているからわからないが、多分そうだ。
ベッドのすぐそばで足音が止まった。小夜に見下ろされているような気がする。
「……」
謎の沈黙である。
起こしに来たのではないのか。小夜はどうして黙っているのだろう。
「……」
僕は早くも狸寝入りの決行を後悔していた。
どうしてこうも息の詰まる思いをしなくてはならないのだ。この爽やかな休日に。
「……」
小夜はいったいどうしたというのだろう。もうお願いだから何か言って欲しい。
まるで生殺与奪を握られているような気分である。
いっそ起きてしまおうかと思った時、小夜の動く気配があった。
「兄さん。朝ごはん、できてますよ」
耳元で、慈愛に満ちたような優しい声で囁かれた。
僕は寝返りを打つ仕草をして、目が覚めたことをアピールした。もう完全に目が覚めた。
「早く来てくださいね」
小夜は最後にそう言って部屋を出て行った。
僕はベッドから身体を起こし、はー、と息を吐く。
「なんだったんだ……」
今までこんな起こし方をされたことはなかった。高校生になって何か心境の変化でもあったのだろうか。
今後は下手に寝た振りをするのはやめようと決意して、一階へ向かった。
「兄さん、今日はお暇ですか?」
もそもそと朝食のトーストを食べていると、小夜に尋ねられた。
聞かれるまでもなく僕は暇である。わざわざ聞いてくれるあたりが小夜の優しいところだ。
「暇だよ」
「そうですか。でしたら、わたしの買い物に付き合ってくれませんか?」
おずおずといった様子の小夜が可愛らしかった。
それにしても珍しいこともあるものだ。これまで小夜からこんな誘いを受けたことは一度もない。
正直に言ってあまり乗り気にはならなかったのだが、性格の改善を掲げていることもあり、断ることもできなかった。
「もちろん。今日は、暇だし」
「ありがとうございます。準備してきますね」
小夜はぱたぱたと二階に上がっていった。
しかし買い物とは何なのだろう。わざわざ僕を誘うのだからそれなりの荷物になるのだろうか。荷物持ちくらいなら喜んで買って出よう。
朝食を食べ終えると、僕も出掛ける準備を始めた。
僕と小夜はとあるショッピングモールに来た。
休日ということもあって多くの人で賑わっている。特にカップルが多く、恋人つなぎをしながらそこらを闊歩する姿が多く見られた。できることならそのカップルの間を割って歩きたかったが、顰蹙どころの騒ぎではないので自重した。
「兄さん、ここです」
小夜の目的の店に着いたようだ。
その店構えはとてもファンシーかつキュート、いかにも女子御用達といった様相を呈しており、僕のような根暗男が足を踏み入れるのは至難の業に思われた。
「……じゃあ、僕はその辺ぶらぶらしてるから」
そうして回避しようとすると、小夜に腕を掴まれる。
「あの、一緒に来てくれませんか? わたし、こういうお店は入りにくくて……」
どうして小夜が入りにくいことがあるのだ。明らかに僕の方が入りにくい。
だが、確かに小夜がこういった店に入るイメージはない。あまり可愛らしい小物などを持っている感じでもないし、デザインより機能重視的な雰囲気もある。これまでこういうところには縁がなかったのだろう。
それにしたって適任者というものがある。小夜には女友達がいるのだから、そこを頼りにするのが道理ではなかろうか。
「……小夜。高校の友達と」
「最初はそのつもりでしたけど、ちょっとタイミングが合わなくて……」
「そんな、今すぐに欲しいものなのか」
「はい」
それならば、仕方ない。
僕は勇気を振り絞ってファンシーショップに足を踏み入れた。
いたるところがパステルカラーの店内に、自分がここにいるべきではないことを肌で感じ取った。僕という暗黒色が入っては調和を乱す。
思わず来た道を戻ろうとすると、パステルカラーと見事な調和を果たしている女の子がそこにいた。というか小夜だった。
「兄さん、わたしは手帳が欲しいのです。見つけたら教えて下さい」
小夜は浮足立った様子で言った。
そんな小夜を見たら、なんだか自分のことなどどうでもよくなった。小夜がここにいてもなんら不自然ではないのに、本人はまったくそう思ってないのだから面白い。僕はしばらく小夜を眺めていたい気分になった。
「……あなた、こんなところで何してるの?」
そわそわしながら手帳を探している小夜を微笑ましく眺めていると、横から聞き覚えのある鋭利な声がした。
恐る恐る声の主を窺うと、麗しのツインテール相坂さんが腕を組んで立っていた。
「あ……こんにちは」
兎にも角にも挨拶である。
「こんにちは。で、何をしてるの?」
その顔は怪訝そのものといった感じである。いっそ変態くらいに思っているかもしれない。
「いえ、その、妹の付き添いで」
「ふぅん? あなたに妹がいたの。……架空のじゃないでしょうね」
妹の存在を疑われる始末であった。
「現実に、存在してます」
「どこにいるのよ」
あたりを見回してみるが、ちょうど小夜の姿が見当たらない。奥の方に行ってしまったようだ。
「とにかく、店内にはいます」
「はいはい」
「……断じて、嘘じゃない」
「はいはい」
まったく信じてくれなかった。
ところで、これは僕が恐れていた事態のひとつだった。これというのは、外でクラスメイトと遭遇することである。
孤高の戦士にとって、学校外で出没するクラスメイトは化け物の類といっても過言ではない。クラスメイトの姿を見たら、すぐさま近くの物陰に身を潜めて息を殺していたものである。しかしクラスメイトというのは複数でいることも多く、全ての目から逃れるのは容易ではない。「あれ? あそこにいるの佐久良じゃね?」「あ、マジだ。あいつこんなところに来るんだな」などと会話をされるのはたまらなく苦痛でありいたたまれない。「あいつ、外でも一人なんだな(笑)」と言われているのではないかと被害妄想も加速するし、何一ついいことがない。
今は孤高の戦士ではなくなったとはいえ、ファンシーショップにいるところをクラスメイトに見られるのはよろしくない。今回は相坂さんだったから良かったものの。いや、よくはない。
「君は、ここでいったい」
「別に? ただ眺めてるだけよ。暇つぶしにね」
女子というものは目的もなく商品を眺める行為を得意技にしがちだが、相坂さんも例に漏れずそういう女子のようだ。
そして今更ではあるが、相坂さんの私服姿がとても新鮮である。女子としては長身の彼女らしいカジュアルな格好で、相坂さんという素材の良さが存分に堪能できる感じである。ショートパンツから伸びる脚が素晴らしすぎる。黒タイツも相まってもうなんというか踏まれたい。
そんな気持ちはおくびにも出さず、自然に尋ねる。
「今日は、お一人で」
「ケイもいるわよ。今は別行動中だけど」
やはり蛍と仲が良い相坂さんである。
「で、あなたは何の目的でここにいるわけ? 少女趣味なの? 気持ち悪いわね」
勘違いされっぱなしだった。
もう一度辺りを見回してみると、小夜が遠くから僕らを窺っていることに気付いた。そういえば、小夜は相坂さんと接触したことがなかった。
僕が手招きすると、小夜は恐る恐るといった様子で近寄ってきた。
「相坂さん。妹の小夜です」
僕がそう紹介すると、小夜は相坂さんに会釈をした。
相坂さんはそれを驚きの表情で見ていた。小夜の全身を舐め回すように観察した後、僕に目を向けてくる。
「……妹って設定?」
「設定ではなく」
とはいえ小夜とは血が繋がっていないわけだから、ある意味設定的な感じがしないこともない。
「全然似てないじゃない。これで兄妹は無理があるわ」
それには僕も同意である。
僕と小夜の似てない兄妹っぷりを堂々と指摘する相坂さんを前にして、小夜は固まっていた。
「小夜。こちらは、友達の、相坂有紗さん。……すみません相坂さん、友達というふうに紹介させて貰ってもよかったでしょうか」
「あなた……妹にそんなところを見せちゃうってどうなの?」
小夜は、平身低頭の僕を見て引いているようだった。あるいは、僕にそんな態度を取らせる相坂さんに怯えているのかもしれない。
こわばっている小夜の様子を見た相坂さんは、一瞬微笑んだかと思うと、踵を返した。
「兄妹水入らずの時に悪かったわね」
そう言って店を出て行った。小夜に気を遣ってくれたのかもしれない。
離れていくツインテールを眺めていると、小夜が呟いた。
「とても綺麗な人でした。……怖かったですけど」
「実際、怖い人だよ」
「でもお友達なんですよね?」
「多分、相手はそう思ってない」
「……」
しばし、気まずい時間が流れた。
思わぬ出会いはあったものの、無事に小夜の手帳は買うことができた。
目的を果たしたのでもう帰るのかと思ったが、それは典型的な根暗男の考え方だった。
「せっかくですから、もっと色々見て行きましょう」
小夜はそう言い、僕を引き連れてあらゆるショップをまわった。
雑貨屋、服屋、靴屋、エトセトラエトセトラ。僕にはあまり縁のないところばかりである。
こういったところの店員さんは無駄にフレンドリーであることが多い。僕と小夜も一応男女の組み合わせであることから、あらぬ誤解を受ける可能性はないとも限らない状況だったが、それは完全に杞憂だった。
以下、何人かの店員さんと僕のやりとりである。
「お友達の方すげー綺麗っすね。狙ってるんすか?」「いえ」
「もしかしてアイドルのマネージャーさんとかですか?」「いえ」
「妹さんとても綺麗ですよね、どんな服でも似合いますよー……。あ、すみません、勝手に妹さんって思っちゃんたんですけど、彼女さんですか?」「いえ、妹です」
誰も彼もカップルと誤認するようなことはなかった。最後の店員さんにいたっては、僕と小夜に似ている要素がないにもかかわらずハナから妹だと判断していた。その眼力たるや恐るべし。
しかしまあ、それだけ僕と小夜の組み合わせは異常に見えたのだろう。少なくともカップルとは思われない程度には。いやー、小夜と付き合う男は大変だ。
そんなことを思いながら腕時計に目をやると、十二時を過ぎていることに気付いた。
「小夜、もうお昼だけど」
だいぶ歩いたのでそろそろ一息つきたい。
「本当ですね。どうしましょうか」
「小夜さえよければ。ここには、食べるところもあるようだし」
このまま外食して行こうと提案すると、小夜は頷いた。
エスカレーターに乗って上の階に行くと、フードコートとレストラン街のフロアに着いた。
以前ネットで、デートでフードコートはありえない、といったようなものを見た記憶がある。まったくデートに縁のない身でありながら、そんなにダメなことなのかと驚いたものである。気軽でいいじゃないか。
まあそれは良い大人の話であり、僕らは家族の上に高校生だからフードコートに行ってもなんら問題はない。むしろ推奨されるべき場所だろう。
「小夜は、何か食べたいものとか」
「兄さんにお任せします」
そう言われても困る。
フードコートにはファストフードやクレープ屋などが入っているようだ。レストランも洋食店、定食屋、中華にイタリアンなど種類が多い。
食についても大してこだわりのない僕だが、どうせなら小夜と一緒という機会を利用して普段入らないところに行ってみたい。これまで避けてきたことに突っ込んでいくのは今年の目標でもある。
「……じゃあ、あそこにしようか」
シックな外観、筆記体で読めない店名、そんなレストランを僕は選んだ。
「素敵なお店ですね。入りましょう」
そうして二人で入ると、店員さんが席へ案内してくれた。
メニューを見るに、パスタを押している店のようだ。まあ、僕的にはスパゲティなんだが。
何を食べるか考えながら、店員さんの働く姿を眺める。……制服がすげー可愛い。
「可愛いですね、あの制服」
「……ああ」
ジロジロ見ていたのが小夜にバレたようだ。ちょっとバツが悪い。
しかしこんな店は男一人では入れないなと改めて思う。男友達と一緒でも無理だろう。やっぱり男は無骨にラーメン屋とか牛丼屋こそが相応しい。カウンターでがつがつ食べるのが粋である。
可愛い制服の店員さんに注文して、料理が来るのを待っていると、店の外で見覚えのあるツインテールが歩いていた。
孤高の戦士時代の悲しい習慣から思わずメニューに手が伸びた。それで顔を隠そうとすると、小夜に不審な顔をされた。
「どうかしました?」
「いや」
さっとメニューを戻す。今はぼっちではない。
すたすたと歩く相坂さんの後ろで、蛍がのんびりと歩いていた。
こっちに気付くかなと思いながら眺めていると、不意に蛍がこちらを向いた。
蛍は僕らの存在を認めると、躊躇なく店の中に入ってきた。出迎えた店員さんに一言声を掛け、僕らのテーブルにまっすぐ向かってくる。
「くふふっ、凄い偶然だ。こんなところで二人に会うなんてね」
唐突な蛍の登場に小夜が目を丸くしていた。
蛍は小夜の隣に腰を下ろすと、満面の笑みで話を続けた。
「私も今日は有紗と来てて、どこでご飯にしようかーなんて話してたところなんだよ。だからちょうどよかった」
この言い方から察するに蛍はここで一緒に食べるつもりのようだ。別にそれは歓迎なのだが……。
「相坂さんが、来てないようだけど」
「あ、置いてきちゃった」
おっちょこちょいな蛍である。そんなところもお茶目で可愛い。
店の外を窺うと、相坂さんがきょろきょろと辺りを見回している姿が目に入った。
さすがに店の中から呼ぶのは顰蹙なので、なんとか気付いてもらおうと蛍と一緒に視線を送る。
しかし相坂さんはそれに気付かず、携帯を取り出していた。
まもなく蛍の携帯に着信が来た。
「もしもし。……うん、そんなに怒らないでよ。今、すぐそこの店の中にいるよ」
蛍はそう話しながら、相坂さんに手を振った。彼女もようやくこちらに気付いた。
相坂さんは携帯をバッグにしまうと、つかつかと僕らのもとにやってきた。
「あなた、急にいなくなるとかふざけてるの? ふざけてるわよね?」
「くっくっ、ごめんね?」
「それにどうしてこの兄妹と一緒なのよ」
「あれ? 有紗はこの二人が兄妹って知ってたの?」
「まあね」
溜息をつきながら、僕の隣に相坂さんは座った。
ほどなくして店員さんがお冷とおしぼりを二つずつ追加で持ってきた。
「あ、今更だけど、一緒してもいいかな?」
蛍が確認してきた。確かに今更である。
「もちろん。小夜も、大丈夫だよね」
「はい、もちろんです」
小夜も了承した。しかし相坂さんに対してはあまり視線を向けていないようだ。その気持ち、わかるよ。怖いよね。
「今日は二人でデートしてたのかい?」
蛍がにこにこと微笑んで言った。
「ではなく。普通に、買い物など」
「そっかー。何を買ったの? 小夜ちゃん」
蛍が小夜の横にある袋を見て尋ねた。
「えっと、手帳と、あとお洋服をちょっと」
「うんうん、私もそこのショップ好きだよ。可愛いよね」
「ですよねっ。わたしも好きです」
やっべぇ、早くもいたたまれない空気になってきた。
そもそも女3の男1などおよそまともな状態ではない。会話の内容も当然ガーリーなものになってくるだろうし、僕の居場所がなくなるのは目に見えている。
仕方ないので、僕は店員さんを眺めることにした。おそらく女子高生と思われるバイトさんは、制服との相乗効果で半端なく素晴らしいことになっている。あれならドジをしても簡単に許せてしまうだろう。やはり可愛いは正義だ。
「……あなた、あんまり見てると変態に思われるわよ」
隣から冷めた声が飛んできた。
僕は平常心を保って反論する。
「僕は、ただ店の中を眺めていただけであり」
「じゃあ、あの店員さんの名前は?」
「橋本」
「やっぱり見てるじゃない」
はっ!
「薫くんはそういうところがあるよね」
蛍には笑われ、小夜にはジトッとした目を向けられた。怒るでない我が妹よ、君の兄はこんなものだ。
◇◇◇
「ありがとうございましたー」
食事を終えて店を出ると、なんとなくそのまま四人で行動していた。
とはいっても、僕は女三人に追従している形である。もう先に帰ろうかな。
所在なくあたりを眺めていると、本屋が目に入った。こういったモールの中にある本屋にはなかなか来る機会がないので、通りかかったときはだいたい覗いてみることにしている。
しかし、今回はどうしよう。目の前の乙女たちは本屋など目もくれずに喋っている。
「……あの。僕はちょっと、本屋に行ってるので」
考えた結果、僕だけ別行動することにした。またたくさんの服屋に行くのは勘弁だし、僕がいなくなっても何の支障もないだろう。
「わたしも行きます」
小夜が何故か付き添いを申し出た。気を遣ってくれたのかもしれない。
そして蛍も言う。
「ならみんなで行こう。いいよね有紗」
「私はイヤ」
「そっか。じゃあね、有紗」
「どうしてそうなるのよ! わかったわよ付き合うわよ!」
どうしてそうなるはこちらの台詞である。
でも、僕の行きたいところにも付き合ってくれるのは素直に嬉しい。相坂さんには悪いけども。
本屋に入ると、凄く落ち着いた。この圧倒的なホーム感はそうあるものではない。この静かな雰囲気、匂い、客層、全てが居心地の良いものだった。
相坂さんはまっすぐに雑誌のコーナーへと向かった。ファッション誌でも読むのだろう。さすがはイマドキの女子高生である。
蛍と小夜は、文学の棚を眺めていた。イメージを裏切らない二人である。
僕はそそくさと漫画コーナーへと移動する。インドア根暗のイメージを裏切れない僕である。
可愛い女の子が表紙の漫画などを手に取っていると、すぐそばで人の気配を感じた。邪魔にならないように棚の方に寄りながら、なんとなくその人を見る。
どこかで見たことのある男だった。いや、見たことがあるというか、クラスメイトだった。
話したことがないので、特に挨拶もしなかった。相手も僕のことなどまともに認識していないだろうし、声なんてかけたら気まずくなること請け合いだ。
「兄さん。そういったものが好みなんですか」
通り過ぎていったクラスメイトの背を見送っていると、後ろから小夜に声をかけられた。
そういったものとは、僕の持っている漫画を指しているのだろう。きわどいポーズをとっている女の子が表紙の漫画だ。
「……中身は、案外シリアスなもので。つまり、表紙で釣ろうという魂胆が」
「くっくっ、それは本当かい?」
いつの間にか蛍もおり、僕の釈明を聞いて笑っていた。
僕は持っていた本を棚に差し戻した。決してお色気目当てで見ていたわけではないのだ。うん。
「それより薫くん。さっき根本くんを見かけたよ」
根本……それは先程すれ違ったクラスメイトの名前だ。
「僕も見た。特に何もなかったけど」
「そっか。あの人も大人しいタイプだもんね」
確かに、彼も僕同様に静かで目立たないタイプである。本屋にいることからもその傾向がわかる。
僕と彼は一年生の頃も同じクラスだったが、そこでもやはり話したことはなかった。
暗黒の一年生時代、グループを作れと言われると僕はいつも余っていた。普通なら余った人間同士で組む流れになるのだが、僕はその流れからも弾かれるという離れ業を成し遂げ、真の余り物の称号を手にしていた。
僕が弾かれているのを尻目に、先んじて余り物同士で組んでいたのが根本くんだった。彼は何故か僕と組むのを拒んでいたように思う。当時の僕は、それに怒りと悲しみを覚えていた。
ちなみに完全に爪弾きにあった僕はというと、先生の力によって無理やり既存グループに押し込まれていた。時には上位グループ、時には下位グループとランダムで押し込まれていたので、相手にしてみれば僕というお荷物を持ち回りで管理するような感覚だったかもしれない。すまんな。
底辺の中にも優劣はあるのだと理解した一年生時代だった。
「似たもの同士では、あるかもしれない」
ぼそっと呟くと、蛍は首を傾げた。
「似てるかな? 物静かなところくらいでしょ? 共通点」
ぼっち、底辺、目立たない、男性、人間、これだけ共通点があれば、もはや同一人物といっても過言ではない。
おそらくクラスメイトのほとんどは、僕と根本くんをそんなふうに認識していると思う。蛍が似てないと言ったのは、多少なりとも僕のことを知ってくれているからだろう。それでもさして差はないと思うが、蛍がそう言ってくれたことは素直に嬉しかった。
「まあ、僕の方が、こういった漫画は好きだと思う」
平置きされていたハーレムラブコメ漫画を取ってそんなことを言うと、蛍は笑みを深めた。
「うん。君のほうが変態さんだから、似てないね」
そうして蛍と頷き合っていると、小夜が冷めた目で僕を見ていた。
変態性で差別化を図ったのは間違いだったようだ。しかし小夜、君の兄はこんなものだ。
「なにあなた、堂々と変態宣言って頭大丈夫? 根暗で変態ってもう犯罪者も同然よ?」
いつの間にか相坂さんが傍まで来ていた。よりにもよってそこを聞いたか。
「相坂さん。男子はみな、こういうものなんです」
「そうだとしても、もっと慎むべきでしょうが」
それは仰るとおり。しかし自分で言っておいてなんだが、この程度で変態扱いされるのも釈然としない。変態とは、もっとこう、受け入れがたいものを言うはずだ。
相坂さんはかなり潔癖な人間なのかもしれない。こんな少年誌のハーレム漫画を指して変態などと言うのだから、これはもう相当に純真無垢であると思われる。なんか可愛く思えてきた。
僕はさらに刺激的な漫画を棚から抜き取り、相坂さんに見せつける。
「つまり、相坂さん的には、こういったものは論外だと」
「そうよ。わざわざ見せなくていいから」
相坂さんは顔を背けた。耳が若干赤く染まっている。おいおい、こりゃあ大変なことになってきたぞ。
これまで絶対無敵に思われた相坂さんの意外な弱点は、こういった桃色刺激物のようだ。これはかなりの収穫である。
しかしこの方向性で執拗に攻めるのは間違いなくセクハラなので、これだけに留めておこう。
それからしばらく相坂さんに変態変態といびられたりもしたが、なんだかんだ楽しく本屋の時間を過ごすことができた。
本屋を後にしたのは、午後二時を過ぎた頃だった。
蛍と相坂さんはまだモールの中を見て回るようだったが、僕と小夜はもうひと通り見たので、そこで別れることになった。
「じゃあ、また学校でね。薫くん、小夜ちゃん」
「またね」
花も恥じらう乙女たちに見送られ、僕らは駅へと向かう。
その道中、小夜がしみじみといった様子でこぼした。
「兄さんのお友達は綺麗な人ばかりですね」
「ああ、僕がちょうど引き立て役みたいなものだから、余計際立つ」
美人の近くににブ男を置く名采配である。もちろん、こんなのを置かずとも彼女らが美人であることは揺るぎないものである。
「引き立て役だなんて、そんなことないです」
小夜はすぐに否定してくれる。そういうところに彼女の優しさが覗える。本当に良い子だ。
「言い方を変える。あの二人の傍にいると、どうしても引き立て役になる」
それだけあの二人は突出したものがあるのだ。オーラというか……。
「なるほど……そう言われると納得です」
小夜は僕の意見にこくこくと頷いていた。
その様子を見るに、小夜は自分のポテンシャルには気付いていないようだ。
「これは、小夜にも言えることだよ」
「わたしですか?」
「ああ、身内贔屓でもなんでもなく、小夜もあの二人に劣らぬ魅力がある」
「や、やめてください。わたしはそんな」
小夜は顔を赤く染めていた。照れている姿なんて初めて見たかもしれない。
蛍や相坂さん、そして小夜のような人間の近くにいると、僕はどうしようもなく人間としての差というものを感じてしまう。それはいわゆる劣等感というものだろう。
僕は、彼女たちと比べて自分が劣等であることを当然のように自覚して受け入れている。
そう思う一方で、そんな自分を変えたいと思っている。彼女たちのような人間の隣に、自信を持って立てるような人間になりたいのだ。
結局のところ、当初に掲げた性格改善の目標を達成しないことには、真に友達をつくることはできないのだと思う。今のままでは、僕はずっと友達を見上げ続けることになる。もちろん、ある程度の尊敬の念はあってもいいと思うが、今はそれが過剰にあるあまり卑屈になっていて、距離を取りたがっている。
自分の課題を再認識できたという意味では、今日の買い物はとても有意義なものとなった。
「今日は、誘ってくれてありがとう、小夜」
そんな言葉が口をついて出た。これは素直な気持ちだ。
小夜は一瞬きょとんとした後、淡く微笑んだ。
「こちらこそ付き合ってくれてありがとうございました。楽しかったです」
その日の帰り道は、いつもより会話が弾んだ。
12/27 クラスメイトの名前を変更しました。