置物と運命少女
これから僕が一年間過ごすことになる二年C組の教室は、まさにお祭り騒ぎというべき様相を呈していた。耳を傾ければ、「同じクラスになれてよかったね」だとか、「やっべー、好きな子がこのクラスだわ」などと青春汁の迸った声がそこかしこから聞こえてくる。クラスメイトのほとんどが喜楽の表情を浮かべており、僕はその風景を見ながら存分に疎外感を覚えていた。
僕が教室の一番後ろの席で置物のように佇んでいると、左の方から男子二人が興奮気味に会話をしているのが耳に入ってくる。
「なぁ、このクラスの女子、レベル高くね? やばくね?」
「ああ、平均レベルからしてやばい。マジでやばい」
ほうほう、どれどれ、どれだけやばいのか僕も確認してみよう。
ふむふむ、なるほど、確かにレベルが高い。まあ、これほどレベルが高くなってくると僕ごときには無縁の話になってくるのだが。いや、目の保養になるか。
「特にあの子、すげー好み」
「ん? あー、あの人か……」
「なんだよ?」
「いや、確かにすげー可愛いけど、なんかちょっと変な人らしいぜ」
「へー、そうなのか」
彼らの言うあの子に僕も興味津々だが、話を聞いているだけではどの人のことを言っているのかわからない。
あーあ、僕も男友達とそういう女の子談義とかしてみたいなー。あーあー。
「友達欲しい……」
思いの丈が独り言となって口から躍り出た。おいおい誰かに聞かれたら死ぬほど恥ずかしいぞ、気をつけろ僕。
自分の迂闊さに溜め息をついたとき、誰かに右腕をちょんちょんと突かれた。その際、びくっと大袈裟に反応してしまったのが恥ずかしい。動揺を悟られぬよう、泰然とした態度でそちらに顔を向ける。
「おはよ。同じ高校だったんだね」
可憐を極めたような女の子がそこにいた。ミルクティー色の柔らかな髪、シミひとつない肌に、優しげな双眸、桜色の唇、どこを見ても目を惹きつけられてしまい、僕はかえって目のやり場に困ってしまった。
いやそれよりもである。
「君は、昨日の……」
「うん。あのときは本当にありがとう」
恐るべき偶然である。不良に絡まれていた少女が自分と同じクラスでしかも隣の席に座っているという事実。これにはさすがの僕も心拍数が上がってしまった。
「ところで君、さっきの友達欲しいっていうのは? もしかして、このクラスには友達がいないのかい?」
「……」
あの無様すぎる独り言を聞かれていた。それだけでも死ぬほど恥ずかしいのに、追い打ちをかけるような質問で軽く失神しそうである。「このクラスには」と気を遣われているあたりがいっそう惨めである。まこと信じがたい話だが、他のクラスにも友達はいない。
僕が羞恥心のあまり沈黙していると、彼女は小さく笑った。
「くふふ、からかってるわけじゃないんだ。私と友達になろうよ」
「え」
え? 友達ってこんな簡単にできてしまうものなの? もっとこう、何か二人で事を成し遂げて、「お前やるじゃねぇか」「へっ、お前もな」といった熱いやりとりを経て初めて友達になるんじゃないの?
僕が呆気にとられているのをよそに、彼女は続ける。
「というか、君は友達がたくさんいるタイプだと思ったけどね。あんなに面白い芝居ができるから」
それは警察を呼んだ芝居のことを言っているのだろうか。ウケを狙ったつもりはまったくない。
彼女はそのときのことを思い出したのか、喉の奥で笑った。
「くっくっ、あれは私のツボだったよ。真に迫ってるのに、どこか滑稽で」
「……いや、その」
「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。私、夏目蛍、これからよろしくね」
そう言ってにっこりと微笑む彼女。こう言うと大袈裟かもしれないが、天使かと思った。
「僕は、佐久良薫。こちらこそ、よろしく」
まるで片言の日本語である。生粋の日本人なのにこの体たらく。
せっかく相手がこんな根暗な男に歩み寄ってきてくれたというのに、こんな態度ではすぐに見切られてしまう。
しかし夏目さんは、僕の哀れな自己紹介を笑うでもなく普通に受け入れてくれた。
彼女はうんうんと頷き、そして事も無げに言う。
「薫くんね。わかった」
ファーストネーム!? 帰国子女か何かなの?
女の子に名前で呼ばれるのは小学生以来ではなかろうか。中学時代はほとんどの人に「佐久良」と苗字で呼ばれていた。当時の数少ない友人にも苗字で呼ばれていたし、そっちの方が呼びやすいのだろう。
でも夏目さんが名前で呼ぶのであれば、こちらも彼女を名前で呼んだ方がいいのだろうか。
蛍。蛍ちゃん。蛍さん。ほたるっち。ほたぽん。ほたるん。たるたる。ソース。
……うん、夏目さんがベストだろう。
呼び方を吟味していると、夏目さんが弾んだ声で話しだした。
「不良に絡まれてるところを助けてくれた人が隣の席の人だなんて、なんだか運命を感じないかい?」
僕とてそういう運命みたいなものをひとつも感じなかったといえば嘘になるが、僕のような根暗が運命などと言うと、妄想に取り憑かれた危険人物と取られてしまう可能性があるので、それを口にすることはない。
一方で彼女のような魅力溢れる女の子が運命なんて言うと、本当にこの出会いが運命なのではないかと錯覚させられそうになるから不思議である。いや前言撤回、不思議でもなんでもない。美少女が自分との出会いを運命と言ったら、そりゃ信じたくもなるだろう。まさしく可愛いは正義である。
しかし身の程をわきまえすぎている僕ならば、そのような甘言蜜語に勘違いすることもない。運命というのは彼女のリップサービスであり、軽い冗談に他ならないのだ。
「……偶然が、重なっただけでは」
「くっくっ、君は現実的なんだね」
夏目さんは笑ってそう言った。
その言葉を聞いたとき、脳裏に馴染み深いおっさんの声がリフレインしてきた。
いいか、薫よ。女ってのは等しく肯定されたい生き物なんだ。だから女と会話をするときは聞き役に徹した上で、相手の言葉を全て肯定しとけ。そうすれば、おまえは女の愚痴を聞く相槌マシーンになることができる――。
それを聞いた小学生当時の僕は、何故そんな意味不明なマシーンにならなくてはならないのかと理解できなかったが、今になってみればそれが女性と円滑に会話をこなすためのアドバイスであったことがわかる。僕は脳裏に巣食うおっさんこと父さんに感謝すると同時に、自分が彼女の言葉を否定してしまった事実に絶望した。
とりあえず、否定の言葉を否定しよう。
「いや、その。やっぱり運命というものは、あると思う」
「くふふ、取ってつけたような感じだけど?」
図星ゆえに僕が何の反応もできずにいるのを、彼女は楽しげに見つめた。
「確かに運命なんて眉唾だけど、あるって考えたほうが楽しいと思わないかい?」
「……それは、僕もそう思う」
その考え方には同意である。運命に限らず、神様の存在や幽霊なんかのオカルトも、絶対にありえないと思っているより、もしかしたら存在するかも、と曖昧に考えている方が日々の生活は楽しくなる。僕も表面上ではそんなオカルトの類を否定しているが、心のどこかで存在して欲しいとも思っているのだ。
彼女は、そんな僕の反応に気を良くしたのか、少し前のめりになった。
「だからね、私は君と友達になりたいんだ。何か楽しいことが起こりそうな気がする」
そう語る夏目さんは、まるで冒険を前にした少年のように目を輝かせていた。しかしながら僕と友達になったところで、今後の彼女になにか変化があるとは思えない。僕にとっては物凄い変化となるだろうが。
そんなふうに自虐的な思いに駆られながらも、彼女の光の溢れすぎている目に感化されたのか、僕も素直に言葉を紡いでいた。
「僕も、君と友達になりたい」
そう言うと、彼女は誰もが見惚れるであろう魅力的な笑みを浮かべた。
◇◇◇
体育館にて退屈を極めた始業式を終え、再び教室に戻ってきた。
担任の先生が教室に来るまでの間が暇だったので、しばし夏目さんと雑談を楽しんでいる。
「へぇ、友達を三人ね。とりあえず、私で一人はクリアだね?」
実際には雑談タイムというより、彼女による質問タイムだった。その内容とは、あの恥ずかしすぎる独り言「トモダチホシイ」について再度問われるというものだった。
なぜ友達が欲しいのか、友達と何をしたいのか、どんな人と友達になりたいのか。
僕の心を存分に蹂躙する質問郡に、僕は恐れ慄いた。しかし彼女は楽しげに、そして優しく聞いてくるものだから抗い難く、僕は羞恥に心を埋め尽くされながらも律儀にそれらの質問に答えていった。
その流れで、僕が父さんに嘘八百を並べ立てたことついても話してしまったのだが、彼女はそれを聞いたとき、いかにも面白そうだというような表情を浮かべていた。
「あと二人の友達の目処は立ってるのかい?」
「……いや、まだ」
「そっか」
そう言うと夏目さんは、教室内を見回した。そしてあるところで視線を止め、僕に言う。
「窓際の席に座ってる彼なんかどう?」
彼女の視線を追うと、そこには僕のような根暗とは一生関わることのないと思われる男子がいた。彼は、髪を無造作に遊ばせ、制服を華麗に着崩し、携帯のアドレス帳には女の子の名前が二百ほどリストされていそうな、チャラさの最先端を走るイケメンだった。夏目さんは何を思って彼を薦めてきたのか。
「……明らかに、タイプが違うような」
「くふふっ、多分相容れないよね」
無邪気に笑う夏目さんを見ると、からかわれているのだとわかっても許せてしまう。僕はもしかしたら女に騙されるタイプの人間かもしれない。
からかわれるだけというのもなんだか釈然としないので、少し言い返してみることにした。
「むしろ、夏目さんの方が、彼とお似合いなのでは」
「くっくっ、そうかもね」
あっさりかわされた。夏目さんはすでに彼を見ておらず、他の人に視線を走らせていた。
僕は夏目さんの横顔に声をかける。
「夏目さんは、このクラスに友達は」
「ん? んー、君を合わせて二人くらいかな」
信じられない人数である。四十人中、三十人くらいは彼女の友達なのではないかと思っていた。僕を除いたら一人なんて嘘だろう。
「薫くん、顔には出てないけど疑ってるね?」
「ああ」
「くっくっ、素直だね。でも事実だよ」
「……しかし、クラスの色々な人と、話していたように見えたけど」
体育館へ移動する際、彼女は多数のクラスメイトから声をかけられていた。その様子から、男女問わず人気があることがわかった。
「話せる人と友達は別だよ。友達はちょっとしかいない」
夏目さんは声のトーンを落として言った。
「君は、友達ってどんな関係だと思ってる?」
彼女にそう問われた。
僕は暇すぎてやることがないときに、友達の定義というものについて考える。しかし考える度に定義は二転三転コロコロと変わってしまい、確固たる定義を導き出せていない。仲良く話せる関係を友達としたときもあるし、喧嘩をしたことがある関係を友達としたときもあるし、電話番号を交換したら友達としたときもある。
僕が一番最近に妄想した定義は、「休日に一緒に遊べる関係」というものである。これが僕の中では思いの外しっくりきており、自分でもなかなか良い所を突いたと自画自賛している。
その定義を夏目さんに話すと、彼女は少し困ったような顔になった。
「でもそれだと、君にとって私はまだ友達ってことにならないよね。遊んだことないから」
「あ、いや、それは」
僕はそれを否定しようとしたが、できなかった。定義を無視したとしても否定できなかった。
なんというか、今の僕と夏目さんの関係は、部活動で言うところの仮入部みたいな状態だと思うのだ。教習所で言えば仮免だろうか。知り合い以上、友達未満みたいな。
僕は彼女のことをほとんど知らないし、また彼女も僕のことをほとんど知らないだろう。そんな状態で、夏目さんのことを友達だと言い切れるほど、僕は肝の据わった人間ではないのだ。二人で積み上げた時間はまだ二日にも満たない。
ただ、言うまでもないが心底友達になりたいとは思っている。
彼女は僕の反応に気を悪くしたようでもなく、明るい口調で言う。
「ま、こんな短期間だし、しょうがないよね。薫くんの気持ちもわかるよ」
気持ちはわかる、そう言いつつも彼女はこう主張する。
「でも、私は君のことを友達だって言い切れるよ」
そう言ってにっこりと微笑む夏目さん。
その自信はどこから来るのか。
「けど、もし僕が、想像を絶するほどのゴミクズだったら」
これは物の例えだが、今後彼女が僕をそう評価しないとも限らない。彼女は僕の哀れな本質を知らないのだ。
「くふふっ、卑屈すぎるよ。君はそんな人じゃない」
彼女の確信めいた物言いに、僕は反発したくなった。
「なぜ、そう言い切ることが」
「んー、女の勘かな?」
「……」
「いや、ふざけてるわけじゃないよ? なんとなく君は良い人だと思うんだよね」
つまり、感覚的に僕が悪い人間ではないと判断した、と。そのあたりが男と女の違いなのかなと僕は漠然と思った。
夏目さんの考え方には腑に落ちないものがあったが、彼女の言葉そのものは嬉しかった。これには真摯に応えなければならないだろう。
僕は今思っていることを素直に話した。
「……今はまだ、友達と言い切る自信がないだけで。もう少し、時間が経てば」
「そっか。ふふ、早く自信持ってね」
意外と、それほど時間もかからずに友達と認識できるかもしれない。彼女の微笑みを見て僕はそう思った。
青臭さぷんぷんの話が終わったところで、担任の先生が教室にやってきた。無精髭を生やしたナイスミドルである。
先生は黒板に自分の名前を書き、簡単な自己紹介をした。酒と煙草が好物ということだった。
「じゃあ、次は君らに自己紹介してもらうからな。そうだな……、じゃあ趣味と、好きな異性のタイプでも言ってもらうか」
えーっ! とクラスが色めき立つ。僕も思わず目を見開いた。ただでさえ自己紹介はハードルが高いのに、それに加えて好きなタイプだと? 無茶を言うな!
「いやいや、別に本気で答えてくれなくていいから。かるーい余興みたいなもん。ほい、じゃあ一番前の席ににいる君から。次はその後ろなー」
そう言われましても! こっちは軽く捉えられないんだけど!?
ほとんどのクラスメイトがこの事態に困惑している中、先生に指名されたトップバッターは元気よく自己紹介をし始めた。
「うっす! 赤坂正っす! 帰宅部っす! 趣味は筋トレと野球っす! 好きなタイプはナイスバディっす! しゃーっす!」
おーっ、と声があがり、拍手が起こる。それは単純に自己紹介を終えたことに対する拍手もあるが、この難題をトップバッターでありながらさらりこなしたことへの賛辞の意味でもある。
だがわかっていない。呑気に拍手を送っているクラスメイトは何もわかっていない。トップがこなしたということはそれ以降我々も続かなければいけないということなのだ。それにしてもあの坊主はあんなキャラなのに野球部じゃないのか。
坊主以降、それぞれノリノリだったり恥ずかしがったりしながら自己紹介が行われていった。
「趣味はピアノです。好きな男の人のタイプは、えっと、誠実な人です!」
「趣味は音楽鑑賞で、タイプは太ももがむっちりしてる子、これ以外ありえない」
「趣味は読書です。えー、好きなタイプは優しい人かなぁ」
「趣味は~、ん~と、買い物で~。好きなタイプは~、たっくんです!」
意外にも好きなタイプは多岐にわたった。なんというか、もっと定番な文句が続くものだと思っていたのだ。しかし今のところ、誰一人としてタイプが被っていない。もしかしたらそのうち大喜利のような雰囲気になるかもしれない。勘弁してくれ!
ちなみに僕が狙っていたのは「優しい人」である。これはやはり安牌で鉄板だったのでかなり早い段階で取られてしまった。
……いや待てよ、これはありきたりな自己紹介をするなという神の思し召しではないだろうか。無難で平凡な自己紹介をしたところでクラスメイトの印象に残らないから、少し変化球な自己紹介をしてみろ、ということではないだろうか。
昨年味わった灰色の青春と決別したいのに、危うく同じ轍を踏むところだった。
よし、今回はクラスメイトに覚えてもらえるような自己紹介をしよう。好きなタイプなんておあつらえ向きの項目があるのだ。ここでひとつ、爆笑必至のネタを披露しよう。
満を持して僕に順番が回ってきた。いざ!
「佐久良薫と、言います。帰宅部、です。趣味は、読書。好きなタイプは、……髪を結ぶときに、こう、ヘアゴムを咥えるタイプの人です。……よろしくお願いします」
…………パチパチパチパチ。
拍手だけが虚しく響いた。先生のドンマイドンマイというような顔が惨めさに拍車をかける。
穴があったら入りたい。顔から火が出る。アイタタタ。そんな言葉を全て並べ立てたくなった。くそったれ、死ぬほど恥ずかしい。これほどダダ滑りするとは思わなかった。
……いや正直こうなるような気がしていた。得体のしれない根暗な男がピンポイントな好みをぼそぼそ言って、それに周りが反応しろというのも無茶な話だ。キャラが確立できていない今の状況では何を言ってもダメだったに違いない。
今の自己紹介を夏目さんはどう思っているのだろう。隣の席の様子が気になったが、醜態を晒してしまった手前、顔を合わせづらい。けれどチラっと窺ってみる。
彼女は俯いて肩を震わせていた。……おやおや? 体調でも悪いのかな?
しばらく様子を見ていると、不意に彼女がこちらを向く。僕と目が合うと、今度は机に突っ伏し、また身体を震わせていた。
なんてことはない、彼女は必死に笑いを堪えているだけだった。まあ、蔑まれるよりは笑ってくれたほうがいいけども。
「っ……ふふっ……か、薫くん、こっち、見ないで。くふっ、笑っちゃう、から」
笑いすぎである。すでに堪えきれていない。こっちは全く笑い事ではないのだ。
夏目さんから視線を外し、他の人の自己紹介を聞くことにした。
やはり人気がある人の自己紹介ほど、なんとなく場が暖まるような気がした。自己紹介中だからそれほど騒ぎ立てることはないが、仲の良い人が何やら茶々を入れたりして、大変楽しそうな雰囲気を演出しているのだ。
そして夏目さんに順番が回ってきた。男子がなんとなく静まる。それは、彼女に注目している一方でそんな自分を悟られたくない、そんな静まり方だった。僕は場の雰囲気だけはそこそこ読めるので、今のそういう雰囲気もなんとなくわかった。
夏目さんはゆっくりと立ち上がり、透明感のある声で自己紹介を始めた。
「夏目蛍です。趣味は映画を見ることです。好きなタイプは……」
聴衆がごくりと唾を飲んだ、ような気がした。
「一緒にいて楽しい人です。よろしくお願いします」
ほぉーぅ、という男子の反応。だよねーわかるー、という女子の反応。
僕としては、意外と普通だなという印象だ。もっとエキセントリックなことを言うと思っていた。
「さすがに薫くんみたいなスベリ芸はできないよ」
僕の心を読んだのか、自己紹介を終えて席に座った夏目さんが笑顔でそんなことを言ってきた。
「僕は、いたって本気だった」
「くふふっ、その真面目な顔やめて、笑っちゃう」
……いつもこの顔だよ!
自己紹介を終えた後、先生から今後の予定や諸注意などが話された。
始業式の日ということもあり、授業もなく今日はそのまま下校となった。
この後どうする~、どっか飯食い行かねぇ? というような会話がそこらで始まる。やっぱり放課後は友達と話してこそだよなぁ、なんて思いながらカバンを持ち、席を立つ。
すると、隣の席に座っている夏目さんに声をかけられた。
「薫くんって電車通学?」
「ああ。……君は」
「私も電車だよ」
ほうほう、それなら駅まで一緒に帰れるじゃないか、などと妄想する。妄想だけなら大得意である。
「ちなみに薫くんちの最寄り駅ってどこ?」
高校の最寄り駅から下りで三駅と答えると、彼女は嬉しそうに言う。
「私と同じだ。一緒に帰れるね」
そう言って、彼女も席を立った。
一緒に帰れる、というのは可能の表現であって、一緒に帰ろう意味ではない。しかしこのタイミングでそれを言うのは、すなわち一緒に帰ろうというニュアンスに取ってもおかしくない。いやでも普通、その日友達になった男と帰りを共にするなんてことあるのだろうか。人と関わらなすぎた弊害がこんなとこにも出てきてやがる。一緒に帰る人の基準がわからない。
僕は彼女の発言の意味を考えすぎるあまり、席を立った状態で硬直してしまった。
「ん? 帰らないのかい?」
「いや。帰る」
「それならほら、行こ?」
彼女に促されるがまま、僕はふらふらと彼女の後をついていった。
そのとき、いくつか視線を感じた。異様な組み合わせを不審に思われたのか、はたまた夏目さんをつける変態と思われたのか。いずれにしても好意的な視線ではないように感じたので、僕はそれから逃れるように教室を出た。
校舎を出て、夏目さんと一緒に駅に向かって歩いている。
片や闇属性を極めし根暗、片や天使と見紛う可憐な少女。パワーバランスが狂っている。いや、ある意味ではバランスが取れているともいえる。
駅に至る道程には同じ高校の生徒がそれなりにいるので、僕は周りの目が気になってしまい、居心地が悪かった。実際には注目なんてされていないのだろうが、長らく一人ぼっちで過ごしていたせいで自意識過剰になってしまっている。僕は緊張のあまり頭が真っ白になっていた。
そんなとき、僕の脳裏にニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたおっさんのビジョンが浮かんできた。
――薫よく聞け、女を退屈させる男は間違いなくモテないぞ。会話がなくて場が凍っているような状況は最悪だ。そんな状況を想定して父さんは鉄板の話題を三つほどストックしている。それを薫に伝授してやる、特別だぞ? いいか、まずはこの話題で様子見して――。
自分が思いの外父さんの言葉を記憶していることに驚きつつもげんなりしたが、今はそれ以外に頼るものがないので父さんを信じることにした。モテたいわけではないが、場が凍っているのはよろしくない。
隣を歩く夏目さんに声をかける。
「夏目さんは、制服がとても似合ってる」
そう言うと、夏目さんはきょとんとした表情を浮かべたあと、口を押さえて笑い出した。
「くふふ、どうしたのいきなり。脈絡なくてびっくりしたよ」
「いや、……特にスカートの長さとか、絶妙かと」
まずは服装を褒めて相手のご機嫌を伺えという言葉をそのまま実行してしまったのだが、考えるまでもなくここで切るカードではなかった。制服を褒めるってなんだ、僕は馬鹿か、変態か。
「くっくっ、ありがと。ちょっと長めだと思うけどね」
僕の意味不明な話題提供に夏目さんは乗ってくれた。本物の天使かと思った。
ちなみに夏目さんのスカートは長すぎず短すぎずの清楚な長さである。膝より少し上くらいのラインだ。まあ、仮に太ももがバッチリ見える長さだったとしても、それはそれで絶賛したに違いない。
今の会話で僕の心にも少し余裕が生まれた。気張る必要なんてない、周りの目なんて気にせず、自然体でいればいいんだ。
そうして気持ちを切り替えたとき、夏目さんが口を開いた。
「さっきの話だけど、友達を三人紹介できないと何かペナルティとかあるのかい?」
「いや、特には。強いて言うなら、僕の人望の無さが露呈するくらい」
紹介できなかったあかつきには、父さんからさぞかし馬鹿にされ哀れまれることだろう。もしかしたら悲しませてしまうかもしれない。
多分、父さんがあんなことを言い出したのは、僕に発破をかけるためだと思うのだ。父さんの思惑通りに動くのはなんだか癪だが、できるだけ期待には応えたい。
けれど、ノルマ的に友達をつくるというのも違うと思っている。それこそ夏目さんのように何かきっかけがあって、その人と仲良くなりたいという気持ちが芽生えた人と、友達になりたい。
「そうなんだ。ねぇ、薫くん、本当に他のクラスに友達いないの?」
「……本当にいない」
「そっか。じゃあ本当に私だけなんだね」
夏目さんは何故か楽しげなご様子。僕は自分の現状を再確認して微妙な気持ちになった。
彼女の横顔をぼんやり眺めながら歩いていると、不意に彼女がこちらを向いた。
「でも、よく一年間ひとりでいられたね? 辛くなかったかい?」
慈悲深い言葉だった。僕が情緒不安定な人間だったら泣いていたかもしれない。
「グループで何かやるときには、肩身が狭かったけど、それ以外は特に」
辛かったは辛かったが、案外なんとかなるもんだと思った一年でもあった。さすがに高校生ともなると、陰湿ないじめなんかも発生しない。まあ、屈辱的ないじられ行為はごくたまにあるが、それを差し引いても基本的にみんな大人である。
「なるほどね。じゃあ体育とか大変だった?」
「大変だった……」
「くふふ、だよね」
体育の時間は何をするにしても複数人でやることが多く、僕のような孤高の戦士はとても苦い思いをした。孤高の戦士に求められるものとは、体力や運動神経の良さなどでは断じてなく、他の人の邪魔にならないように位置取りをし、チームには何の貢献もしていないのにさもチームプレーをしていますというような顔を恥ずかしげもなくできる精神力の強さである。僕のそれは相当高いレベルにある。
昨年、体育でサッカーをやったときには、一度もボールに触れることなく終わるというプレーをしたこともある。もしかすると、僕はそのとき透明人間になっていたのかもしれない。
苦すぎる思い出に浸っていると、夏目さんが聖女のような笑みを浮かべて言う
「薫くん、柔軟くらいなら私とできるよ」
「……。相当に、目立つと思うけど」
ときに、体育教師は「フタリヒトクミデ・ジュウナンヤレ」などと呪文を唱えることがある。その呪文によって引き起こされる現象を、孤高の戦士は尋常じゃない精神力を消費して耐えぬく。授業開始と同時にそんな強力な魔法をぶっ放してくるのだからたまったものではない。僕はそのとき体育教師は鬼か悪魔かの生まれ変わりで、孤高の戦士の天敵であると認識した。救済措置のつもりか、体育教師が自作自演的に孤高の戦士を助けに来るのだから笑えない。
しかしながら夏目さんと柔軟をするというのは、先生と柔軟をすること以上に精神力を消費しそうな話だった。異性と組んで柔軟をしている人なんて見たことない。
「想像すると結構面白いね。薫くんがやたらと注目されちゃいそうで」
「それは、君に原因があると思う」
「え? そうかな?」
「ああ。別に僕じゃなかったとしても、君が男子と柔軟していれば、嫌でも目立つと思う」
「んー、そんなことないと思うけどね。私って地味だし」
「地味……? 君は、その対極にいるのでは」
「いやいや、そんなことないよ」
「いや、ある」
「ないよ?」
「ある」
そんな平行線な会話を繰り返しながら帰路に就いた。まったく不毛な会話だったが、僕はそんなことがとても楽しかった。
◇◇◇
夏目さんと駅で別れ、高揚した気分のまま家に着いた。こんなに充実した一日は久しぶりだ。
意気揚々と玄関のドアを開け、靴を脱ぎ、自分の部屋へ向かう。
部屋着に着替えてリビングに行くと、そこにはソファに腰掛けて読書をしている妹が居た。
「ただいま」
「おかえりなさい、兄さん」
妹の小夜は文庫本から顔を上げ挨拶をした。
僕とは似ても似つかない大和撫子である。まあ、似てないのは当然なんだけれど。
艶やかな黒髪に白い肌、整った目鼻立ち。佇まいは背筋がすっと伸び、腰の位置が高い。ひとつひとつの所作に気品があり、物腰は淑やか。なんだこの理想の女性像は! と世の男が驚愕すること請け合いである。
そんな妹だから、少し気後れする部分もある。劣等感といってもいいのかもしれない。家族にそんな気持ちを抱きたくはないのだが、しかし彼女は完璧だった。
救いなのは、彼女が僕を軽蔑したり邪険にしたりしていないことだ。本当にこれはありがたい話で、小夜はこんな兄に対しても、例えばお茶を入れてくれたり、両親が家を空けているときには料理を振舞ってくれたりするのだ。これを大和撫子と言わずして何が大和撫子か。
そんなことを思い、しばし彼女を見つめてしまっていたものだから、小夜に不審に思われた。
「兄さん? どうかしましたか?」
「いや。なんでも」
小夜の視線を避けるようにキッチンへ向かった。
学校から帰ってくると、猛烈にコーヒーが飲みたくなる。これは僕の生活のルーティンになっているといっても過言ではない。
コーヒーとはいっても、お湯で溶かせば完成のインスタントコーヒーだ。僕は特別この飲み物を美味しいと思って飲んだことはほとんどない。この苦くて温かい飲み物はゆっくり時間を掛けて飲むのに最適という理由で、僕はよく飲んでいる。
ただ、チョコレートに最も合う飲み物は何かと聞かれたときには、一も二もなくコーヒーと答えるだろう。
タンブラーにコーヒーの粉を入れ、ポットからお湯を注ぐ。うーん、いい香りのような気がする。
コーヒーを持ってリビングに戻ると、小夜は先程と同じように文庫本に目を落としていた。小夜の読書を邪魔するのもなんだし、自分の部屋に戻ろうかな。
立ち止まって逡巡していると、小夜に声をかけられた。
「兄さん、座らないのですか?」
「……座る」
特に迷惑そうでもないので、リビングで飲むことにした。
僕は、小夜との間に少しスペースを開け、ソファに腰掛けた。
「……」
「……」
その場を沈黙が支配していた。
普通、家族間で沈黙がきまずいと感じることはないと思うのだが、僕は大いにそれを感じていた。
沈黙に耐え切れず、口を開く。
「……小夜は、今日は何を」
「ずっと読書をしていました。家に誰もいませんでしたから、寂しかったです」
「そう、か」
小夜はぱたんと本を閉じた。
僕はずずっとコーヒーを一口。
……小夜は思いの外ストレートな言葉を口にする。僕としてはなかなか反応に困ってしまうが、変に狼狽えるとなけなしの兄の威厳がなくなるので、こういうときはできるだけ泰然自若の心構えで接している。
「始業式はどうでした?」
「ああ。友達ができた」
「それは良かったじゃないですか。どんな方です?」
「僕もまだ、彼女のことはあまり知らないけど。楽しくて、優しい人だよ」
「女性の方、ですか」
「ああ」
小夜の目がいつもより見開かれていた。
僕は高校に友達がいないということを、小夜に話したことはない。だが、察しのいい彼女ならなんとなくわかっているのだろう。昨日僕が無理無謀な宣言をしたとき、小夜が心配そうに見ていたことがそれを証明している。
だから、僕に女友達ができたことは妹にとって予想外だったようである。まあ、僕自身いまだに信じきれていない部分があるし、小夜が驚くのも不思議じゃない。
「どうしてその方とお友達に?」
小夜にそう訊かれたので、夏目さんと友達に至る過程を話した。
彼女は真剣な眼差しで僕の話を聞いてくれている。その澄んだ目で見つめられるとちょっと落ち着かない。
最後まで話し終えると、小夜は納得した様子で深く頷いていた。
「そんなことがあったのですか。凄い偶然ですね」
「小夜は、偶然と思うか」
「どういうことです?」
「いや。……夏目さんは、運命的だと」
「運命、ですか。兄さんもそう思うのですか?」
「まさか。僕も、偶然かなと」
「兄さんとわたしは同じ考え方なのですね」
どこか嬉しそうな小夜。
意外と僕と小夜は共通するポイントがあるのかもしれない。
小夜はふと気付いたように言う。
「ふふ、今日の兄さんはご機嫌ですね」
「そんなふうに、見えるだろうか」
「はい。いつもはこんなにお話ししてくれませんから」
「……」
言われてみればそうかもしれない。
情けないことこの上ないが、僕は小夜と顔を合わせると緊張してしまい、会話を続けられない。というのも、小夜と家族になったのが半年前の話だからだ。
つまり、義理の妹ということになる。僕の父と小夜の母が再婚をしたことで家族となった。
家族間の仲はそれほど悪くないと思うが、小夜の言葉から察するに僕はもっと小夜や義母さんと会話をすべきなんだろう。コミュニケーションはやはり重要だ。
ちなみに、小夜は今年高校一年生となり、僕と同じ高校に入学した。
昨日、小夜は入学式だったので、その際に制服姿を拝んだのだが、これがまあ凄い破壊力だった。おそらく、一週間くらいのスパンで告白とかされるのではないかと思う。美少女に制服というのは、まさに鬼に金棒なんだと僕は再認識した。
気付くとまた静まり返っていた。間を埋めるように、小夜に話しかける。
「話は変わるけど、小夜。高校までの道は」
「覚えてますが……、ちょっと不安です」
「そうか。なら、明日は一緒に行こうか。嫌じゃなければ」
入学してすぐの時期は何かと不安なことが多いはず。高校に遅刻しないで行けるかなとか、友達ができるかなとか、勉強についていけるかなとか。
そのうちのどれかひとつでも軽減してやることができるなら、それは兄の役目というものだろう。……まあ、今になってそう考えたのだが。
小夜は、僕の思いつきの提案に目を輝かせた。
「本当ですか? 嫌なことなんてありません、一緒に行きたいです」
こんなに歓迎されるとは思っていなかったので少し面食らう。でも、こんな僕を頼ってくれるのは素直に嬉しかった。
照れ隠しにコーヒーをずずっと一口。うーん、苦い。