プロローグ 〜前編〜
この物語はフィクションです。
登場する固有名詞、団体名、史実、その他諸々は現実とは一切関わりがありません。
作者の妄想の産物ですのであしからず。
「いやいやいや…、あり得ないから!」
誰だって硬直するに決まっている。
この状況、間違いなくおかしいです。
想像してみて欲しい。目が覚めたら全く見知らぬ場所で、全く見知らぬプルードラゴンとご対面してみる。
逃げる? ごもっとも。
戦う? それも一つの手かと。
いやいや、固まるでしょ、間違いなく。
だって見上げるように巨大なドラゴンですよ? 恐竜ですらないんですよ? 青い鱗はサファイアの様に輝いているし、角はまるで透き通る水晶。折りたたまれた翼はちょっとした飛行機のそれよりも広い翼面をもっているのではないだろうか?
彼の金色の瞳はまっすぐ俺を見据え、お口には腕ほどもありそうな牙が奇麗に並んでいた。あれに噛まれたらダイブ痛そうです。
これは本当に現実か? あり得ないだろ、ドラゴンとか。でもこの圧倒的な存在感は間違いなくリアルだよな。そして何処なんだ、ここは?
俺は警戒しながら素早く周りを見渡した。
ここはそう奥行きのない洞穴のようだった。高さ、幅は十分にあり、この青い巨大なドラゴンが移動することになんの支障もない。
ドラゴンはちょうど洞穴の出入り口を塞ぐようにして奥にいる俺と対峙しているため、外に逃げることはまずもって不可能に近い。奥に逃げたくてもすぐに行き止まりになってしまう。まさに絶体絶命。
そうして微塵もない逃走への期待を確認していると、ドラゴンは少し顎を引き、目を細めた。
『グガゴオォォ……ッ!!』
腹の底に響くような咆哮をあげるドラゴン。洞穴全体が震え、パラパラと土塊や石ころが天井から降って来る。
大木のような前足が低く踏ん張る。
来るか!? 全身を緊張と恐怖が駆け巡る。口の中がカラカラに乾く。
俺は腰を落とし身構える。といったところでこいつをどうにかできるとは皆目おもってはいないのだが……、それでも。
手にしていた得物を腰に引き、右手を添える。
青きドラゴンの牙がゆっくりと俺へと近づいて来た。
まったく一体全体どうしてこんなことになってしまったのか。
何故か、については全くわからないが、どうやってかについて心当たりがないわけでもない。
どれぐらいの間、気を失っていたかにも依るが、体感的には半日ほど前。
話はそこまで遡る。
(呑気に遡ってないで目の前のドラゴンをどうにかしろって! 鬼ですか! 少しは現実逃避する時間ぐらい与えてくれてもいいじゃないか……)
☆★☆★☆★☆
先に簡単に自己紹介をしておこうと思う。
俺の名前は桜崎龍馬。都内の高校二年生。
最初にお断りをいれて恐縮なのだが、名の読みはリューマなのだ、申し訳ない。これには訳があるのだが、まぁそれはおいおい話す機会もあるかと思う。尤もドラゴンをなんとかできたらの話ではあるが……。
名前も変わっているが、家業も珍しいと思う。
家は代々、古くから剣術道場を営んでいる。何でも初代は御前試合に臨んだとかなんとか。当然ながら俺も幼い頃から剣はみっちりと仕込まれている。
とは言っても俺もやっぱり現代ッ子。脇目も振らずに剣一筋ってなわけにはいかず、ゲームもすれば漫画も読むし、休みの日は友達と街をプラプラして過ごす至って平均的な高校生をしている。
それでも稽古を欠かしたことはないので体はきっちり鍛えてある。顔は実にふつー、平凡そのものなのであまり突っ込まないでくれるとありがたい。廊下で女子を振り向かせるなんてスペックは生憎と備わっていないようだ。
そんな、剣以外たいして珍しくもない高校生、それが俺、桜崎リューマだ。
閑話休題
この日は高校生になって二度目の夏休みを迎える前日、つまり一学期の終業式の日。
体育館にて式が執り行われ、年に数回しかエンカウントしないレアMOB、The こーちょーにもお目にかかって来た。なにか長々と呪文を詠唱していたようだが、とくに変わったことはなかったので心配はいらないか。
俺の前、幼なじみである岩崎和哉は立ちながら居眠りしていた。器用なヤツめ。The こーちょーの詠唱中盤でそれに気がついた学年主任に連行されていった。
「待ってください、先生! なにか勘違いしてますよ!
僕は居眠りしていたわけではなく、目を閉じ、心眼をもって式に望み、余すことなく玉なる御言葉を心に刻んでいたわけで、つま……あ、まって、そっちはイヤ、堪忍してぇぇぇ…」
全校生徒の冷ややかな視線を浴びながら、ヤツはイヤイヤをしながらズリズリと体育館外へと引きずられていった。
うん、しっかり刻まれてくるといい。俺は軽い頭痛を感じながらヤツを見送った。やれやれ。
そんなこんなで終業式は終了。今は移動し、クラスでホームルームの最中だ。担任のガバチョ(勿論、あだ名。風体は名から推して知るべし)が夏休みに向けての諸連絡や注意事項なんかを伝えている。
「……、なので君たちのなかで夏休み学力テストをうけたい者がいたら……、それから緊急時の連絡……、避妊は……」
俺はというと、てんで上の空だった。なんだか最後の方はひどく切実は話だった気がするけど……。黒板の上の時計をちらちら見ながらガバチョの話が早く終わることだけを考えていた。相変わらずガバチョの話は長い。
俺は時折窓の外に目を向け大きな入道雲を眺める。窓は閉め切ってあるのに聞こえてくる蝉の声。見下ろせば校庭に立つ陽炎。
夏が始まるんだ。なんだか体がソワソワするような感覚。なにか新しいことが始まる予感めいた心持ち。
そう、今日は待ちに待っていた日。いよいよ届くのだ、アレが。
「……マ、……リューマ!」
呼ばれている。
俺はハッとして隣の席、安須かんなの方を見る。
安須かんな。和也と同じく幼なじみの一人。肩まで伸びた艶やかな黒髪と色白でほっそりとしたスタイルが儚げな印象を受けるが、実は結構勝ち気で竹を割ったような性格だ。サラッと流れた髪を左手で受け、こちらを向いている。形のよい眉の下、アーモンド型の目が少し非難の色を帯びている。
「ん? かんな、なに?」
俺は遠くにいた自分の意識を教室に戻すことに手間取りながら、かんなに尋ねる。
かんなは小さくため息をついて目を伏せながら、黒板のほうを指さす。
げ、ガバチョがこっち向いてる。チョークを手のひらでコロコロと弄びながら。いかん、機嫌が悪いときのサインだ。
「桜崎、帰って来たか? 今度の旅はどうだったな?」
「はい、ひどいものです。またひとつ村が腐◯に沈みました」
「そうか。話の続きをこの後別室でするのと、今ワシの話を聞くのとどちらがいいか?」
「謹んで拝聴させていただきますです、はい」
ガバチョはフンと鼻息を一つ鳴らして、また連絡事項に戻った。てか、まだあるのか連絡事項。
「あぶねー、あぶねー」
そう呟きながらかんなのほうをみると、「ばーか」声に出さずに口パクをご披露してくれた。昔はもっと大人しくて可愛げがあったのだがなぁ。よく近所の悪ガキにイタズラされてピーピー泣いちゃぁ俺のところに来たもんだが。そういや、飼っていた猫がいなくなったあの時だって……。
キーンコーンカーンコーン
回想に浸っていたらチャイムが鳴った。やっとだ。
「おっと、もうこんな時間か。なにか質問はあるか?」
ガバチョが腕時計を確認し、それからクラスを見渡す。
勿論、誰からも質問などはない。みんな早く解放されたくてウズウズしているのだから。
「よし、それじゃ諸君、楽しい夏休みを過ごしてくれたまえ。羽目を外しすぎぬようにな!
それか……」
「きりーつっ!!」
委員長、絶妙なタイミングで号令を出す。流石、四期連続当選は伊達じゃない。これなら二学期も間違いなく委員長の座は揺るがないだろう。
クラスの全員が弾かれたように立ち上がる。椅子の引かれる騒々しい音にガバチョは諦めたようだ。グッジョブ、委員長!ガバチョ少し寂しそう。
「礼!」
「「「お疲れ様したーーー!!」」」
なんか挨拶にいつも違和感を感じるのだが、まぁいいや。
礼をするや否や、俺は急いで鞄を掴むと教室を飛び出そうとした。
ドアから一気に廊下へと出ようとしたところでかんなに後ろから呼び止められた。
「リューマ、なにをそんなに慌ててるの? 一緒に帰ろうよ。道場のほうに寄る用事もあるからさ。」
かんなが鞄とは別に持っている小さめのショルダーバッグをフリフリしながらそう尋ねてきた。
かんなの兄はうちの門下生だ。おおかたタオルやらなんやらを届けるのだろう。
おれはというと体を半分ドアの外へとすでに押し出した状態で、かなり無理な姿勢のままかんなを振り返っていた。
「あぁ……、すまないかんな。今日は急いでいるんだ。アレがもう届いているかもしれないからな」
「アレって……、あぁ」
そこで周りを見るかんな。相変わらず気が利く。こんなところであれがなんなのか声に出されたらクラスのヤツらにドン引きされるか危ない人扱いだ。
「というわけだ。お先に!」
「えっ、ちょっとぉ!? 今日はリューマの誕生……」
素早く挨拶をして廊下に飛び出す。そのままの勢いで階段のほうへと駈ける。後ろでかんながなにかを言っているような気がしたが、華麗にスルー。
教室のある三階から一気に一階まで駆け下りる。途中、なにか忘れているような気がしたがまぁ大したことではないだろう。
下駄箱で上履きから靴に履き替えて玄関を出る。ブワッと夏の熱気に包まれた。校門は左手、校舎横を進んだ先だ。
校門まで伸びる道の右側は桜の木が等間隔で植えられている。いまは蒼々とした葉をつけるのみだが、春には美しい桜の花が満開となる。俺の一番好きな花だ。名に含まれていることも理由のひとつかもしれない。特に桜が美しく散っていく様には武士の心を感じずにはいられない。なんていうのはちょっと浸り過ぎか。
小走りに校門まで急ぐ。途中、左手のツツジの植え込みの先、校舎一階職員室の隣の生徒指導室に三角柱を並べた上に正座させられている苦悶の和哉を見たが、これもまた華麗にスルー。記憶から削除した。なるほど、忘れていた気がしたのはヤツか。思い出す必要なかったな。
校門を出ればそこからは緩く長い下り坂が続く。俺は家までの道程を走っていくことにした。なに、日頃の鍛錬に比べればなんてことはないさ。
ちょうど目の高さに大きな入道雲が遠くに浮かんでいた。さっきのヤツだろうか。
今日は俺が17歳になる日。
そして、刀がやってくる日。
目指す我が家、道場はまだまだ先だ。大粒の汗が流れる。熱波渦巻く街を俺はさらに加速して駆け抜けていった。