自己紹介
仕事が大体終わり、寝室を出た。リビングへ行き、ソファを覗き込む。
おじさん、また寝てる。おじさんって、15時間睡眠? これはある意味関心するわ。
「さて夕ご飯をつくりましょう」
昨日今日とかなり真面目に料理をしたせい、でもうラクしたい、と思ってしまった。そこで、私の強い味方――レトルトカレー――の登場。これのおかげで私の夕ご飯は10分でできた。
「おじさん、起きて。夕ご飯だよ」
おじさんはビックリして飛び起きた。声、大きかったかな。そう思いつつ、昼と同じようにおじさんをテーブルに連れてきて、おじさんと夕ご飯を食べ始めた。
「ねえ、おじさん、自己紹介しない?」
おじさんは首を傾げた。そんなの必要かって、感じだった。
「おじさん、これからも家にいる気でしょ。なら自己紹介は大事。おじさんは私の質問に首を振って答えて」
おじさんは特に反応をしないで、カレー――正確にはジャガイモとにんじん――を食べていた。
「名前は中原 美月。年は29歳。仕事はナチュラル・ジュエリーっていうアクセサリーを扱う会社の企画部。兄弟姉妹なし。両親共に健在。彼氏はなし。結婚の予定なし。まっ、こんなところ」
おじさんは「へえ」という感じで私の話を聞いていた。
「次はおじさんね。まず人間ですか?」
おじさんは無反応。
「じゃあ、座敷わらし? 宇宙人? 教えたくないわけ。おじさんの年は? 60、65、70、75。それは無いか。55、50、45、40、35、30って、何か反応してよ」
おじさんはどの質問にも反応はしてくれなかった。私は質問することをやめた。
「おじさんはミステリアスですね」
嫌味をたっぷり含めて言ってやった。おじさんはちょっと悲しそうな顔をする。
ちょっと傷つけたのかな。
「ごめん。おじさんにはおじさんの事情があるよね」
おじさんの悲しそうな顔は変わらなかった。
おじさんの悲しい顔を見ていたら居たたまれなくなり、ベランダの方へ目線を向けた。
「おじさん、今日は満月だよ。ベランダで一緒に見よう」
私はおじさんを手に乗せてベランダへ行った。
「夜風が涼しいね。私の名前に『月』って字が使われてるから、月、大好きなんだ。親がね、この名前つけてくれたのも、私が生まれた時、満月がすごくきれいだったからなんだ」
おじさんは私の手の上で月と私の顔を交互に見ていた。
「私がナチュラル・ジュエリーに入ったのも、この名前からなの。中学1年生くらいかな、ムーンストーンっていう石があることを初めて知ったの。月の石って、どんな石なんだろうって、すごく興味が沸いてね、いろいろ調べたんだ。
そしたらすごく力を秘めた石だった。そのときに他の石も調べてね。それでパワーストーンや宝石の虜。お小遣いを貯めては、ネックレスや指輪を買ってた」
おじさんは月をじっと見詰めていた。髪の毛が月の光で反射して、空にある白い月と同じ色になっていた。
「それがきっかけでジュエリーデザイナーになりたい、と思ったの。でも、絵が下手でね、美大に行きたかったけど諦めたの。普通に英文科に進学して、アクセサリーショップのバイトをずっとしてた。そのバイト先の大本の会社がナチュラル・ジュエリーで、大学4年のとき入社試験を受けたの。まさか受かるとは思わなかった。だから、受かったときすごくうれしかった。デザイナーになれなかったけど、ジュエリーに関わる仕事ができてるから満足なんだ」
おじさんは私の方をじっと見ていた。暗くて表情まではよくわからなかった。
「最近はプロジェクトのチーフを任されるようになったんだ。でも、大変なことばかり。ジュエリーだけを考えてればいい訳じゃないいんだよね。当たり前だけど。チームの調和を図ったり、ぶつかり合ってる人たちの意見を聞いたり、思っていた以上に大変。それでも、私もだけど、みんながナチュラル・ジュエリーが大好きなんだってことはすごく伝わってくる。意見が衝突し合うのも当たり前だよね。だから頑張れてるんだ、私。正直、大声上げたい時もあるし、泣きたい時も、納得いかない時もあるけどね。」
私はそれから月を眺めていた。ベランダに出た頃よりも月は高い位置にあった。
「私ね、初給料で両親へのプレゼントと、自分へのプレゼントでムーンストーンの指輪買ったんだ。初心を指輪に誓おうって感じで。それにムーストーンには感性を豊かにして、危機を事前に知らせてくれる魔よけの力があるの。これからの私に必要な力だ、と思ってね。仕事をしてるときは絶対につけてたんだ、その指輪」
私はそれから溜息を吐いた。その息のせいで、おじさんが一瞬体のバランスをくずした。
「ああ、ごめん。おじさん、大丈夫?」
おじさんは縦に首を振ってくれた。
「でもね、その指輪、3か月前に失くしちゃった。ジュエリーボックスをひっくり返しちゃって。その指輪以外は全部あったのに……。よりによって何でって思った。絶対に寝室にどこかにあることは間違えないんだけどね。いまでも、掃除ついでによく探すんだけど見つからないんだ。1年の内、ほとんど仕事をしてるから、指輪をしない日の方が少なくて、なんかもう体の一部な感じがしてて。だから今でも結構ショック。それに足りない感じがするの。ただの指輪なのに、私にはただの指輪じゃないんだ」
するとおじさんが私の左手の親指を握った。きっと見つかるよ、と言っているようでうれしかった。
「ありがとう。おじさんは優しいね。ありがとう」
おじさんの手に少し力が入った。そして親指がじんわりと温かくなった。
「そろそろ、中に入ろう。今日の月見はおしまい。また、しようね」
おじさんをソファに下ろすと、ハンドタオルの上で私をじっと見詰めてきた。
「どうしたの? ちょっとしんみりするような話をしたから心配になっちゃった? 大丈夫だよ。久しぶりに自分のことをただ話すって、久しぶりだったから、逆になんかスッキリしちゃった。ありがとう、おじさん」
おじさんは少し笑ってくれた。夕ご飯の時から浮かない顔ばっかりしていたから、笑ってくれて少しほっとした。
食器の後片付けをして、ゆっくりお風呂に入った。
お風呂から出て、たぶん寝てるだろう、と思いつつも、おじさんの所へ行った。意外なことにおじさんは寝ていなかった。ハンドタオルの上に胡坐をかいて、複雑な顔をしていた。
「おじさん……」
私の呼びかけに反応して、顔を上げてこっちを向いた。おじさんは梅干みたいなしわしわの笑顔を向けてくれた。
「おじさん、明日から仕事だからもう寝るね。おじさんは好きにしていいから。おやすみ、おじさん」
私は初めて起きてるおじさんに『おやすみ』を言った。おじさんは何故かピースサインをしてきた。よく分からないけど私もピースサインを送った。
寝室に行き、目覚ましをセットした。
明日から頑張りますか。この土日、おじさんのおかげで有意義な時間が過ごせたかも。料理して、本読んで、ネイルの手入れして、ネットショッピングをして、月見をして、たくさん話して、楽しい土日だった。
それから私は目覚ましが鳴るまで熟睡した。