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波乱の学期末

 とうとう前期最後の月に入った。

 普通の学校では嫌な試験がある月である。しかしシャルトン王立学校ではトーナメントが開かれるので、年二回のビックイベントでもあった。

 シャルトン王立学校にはトーナメント本戦用の大きな武舞台以外に、トーナメント予選用に四十もの小武舞台が用意される。シャルトン王立学校の専門課程は四学年あるのだが、各学年が使える武舞台は十づつしかない。ディアス達の学年だけでも、剣術学部と魔道士学部会わせて八百人以上いる上に、予選だけで一人五試合行われる。とてもじゃないが一日で終わるわけがないのだ。

 一試合五分でも試合と試合の間の時間を入れればかなり時間がかかる。朝から始まり夕方まで試合を行っても一日に全生徒の半分しか試合を行う事ができない。しかし生徒から見ると、二日に一回しか試合をする事ができない。要するに一人五試合するのに十日かかるのだ。それが終わると八日かけて、それぞれの学年の本トーナメントが行われる。

 トーナメントの前に筆記試験がある。こればっかりは好きな生徒は少ない。

 シェーナ達はディアスが心配になって、放課後ディアスとエリスがいる教室へやって来た。ディアスとエリスは予め集まる事になっていたから残っていたのだが、殆どの生徒は明日からトーナメントに備えて、早々と帰宅していた。まばらに残っている生徒は、見慣れない剣術学部の生徒が来ている事に一瞬目を向けたが、特に気にする事なく雑談を続けている。

 シェーナ達は他の生徒がいたので、しばらく自分達も雑談していたが、残って雑談していた生徒達が教室からいなくなり、自分達だけになる本題に入った。

「どうだった?」

 シェーナが神妙な顔でディアスに聞いた。

「サッパリわからなかった」

「えええええっ!」

「うっそ。ばっちりだぜぇ!」

「それなら良いけど……」

「甘い! 甘いわよ! シェーナ」

 エリスが言うとクレイもうんうんとうなずいた。

「ディアスがあんな言い方をする時は、ギリギリな時よ」

「えええぇっ、大丈夫なの?」

「……たぶん及第点は取れていると思う……」

 ディアスはか細い声で言った。

「まぁ、仕方ないわよね。赤点さえ取らなければいいわ」

「そう言ってくれると楽だな」

「いいのよ。元はと言えば私が悪いんだし。私があんな魔法の実験さえしていなければ、こんな事にならなかったんだし。ごめんね。しなくていい勉強までさせちゃって」

「ん。いいよ。良い勉強になったしね。それに試験がなければ怠けて魔法の知識がつかなかったかもしれないな。そういえばシェーナの方はどうだった?」

「私が赤点を取るとでも思ってるの?」

「取るわけないか」

「そうよ。安心した?」

「最初から心配なんてしてないさ」

「そっか」

「そうだ」

 エリスはくるりとクレイの方を見ると、わざと引きつった笑みを浮かべた。

「二ヶ月半前じゃありえないラブラブぶりね。私達も負けてられないわ! 私達の方がもっとラブラブだって事を見せつけるのよ!」

「はぁ? 何対抗心燃やしてるんだよ」

 エリスはクレイの言葉なんて聞いちゃいなかった。いきなりクレイの首に手を回すと、クレイの唇に自分の唇を重ねた。

 そしてチラリとシェーナを流し目で見る。

「なっ!」

 シェーナは驚いて声を上げた。

 エリスはシェーナが見ている事を確認すると、本格的にキスを始めた。

 これにはクレイも驚いた。人の前でこんな事するのは初めてだ。

「ちょっ、エリ……んっ」

 エリスは離さないとばかりにクレイの頭を抱え込む。

「えっ……うあっ!」

 シェーナは真っ赤になって、食い入る様に二人を見た。ディアスもポカーンとあっけに取られて見ている。

(ふふふ。とどめよ)

 エリスはクレイの手を持つと、自分の胸へと押し当てた。

「ええっ! なっ! うそっ!」

 シェーナの顔はいよいよ耳まで真っ赤になった。

「ふふ。クレイ……続きは後で……ね」

 エリスはクレイの口を解放すると言った。

 クレイはカクカクと首を振る。

「ふふふ。どうよ!」

 エリスは勝ち誇った笑みを浮かべた。

「うぅ。悔しい……。ディアス。私達もキスしようっ!」

「嫌だ。中身がシェーナと分かっていても、見た目は男だ。それだけは勘弁してくれ」

「あんなの見せつけられて悔しくないの!?」

「羨ましいとは思うけどな。そう言うのはなんだ……元に戻ってから考えると言う事で……」

「あう……。けちっ!」

「それにこんな所でできるか!」

「放課後の教室でキスとか憧れない?」

「そうかなぁ?」

「そ・う・な・の!」

 シェーナはエリス達が羨ましくて、悔しくなった。

 ふとエリスを見ると、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

「ふっ。勝った」

 そんなシェーナをエリスが鼻で笑う。

「むぅ……」

 シェーナは学年トップの優等生だ。しかし恋愛に関してはエリスの足下にも及ばなかった。


 そしてとうとう実技試験と言う名の期末トーナメントが始まった。十日にも及ぶ試験の間は、生徒は自由に試合を観る事ができる。皆ライバル達の試合を偵察するために、試合の武舞台の間を行き交い騒然としている。

 ディアス達四人の内で、最初に試合をするのはシェーナだ。

 もちろんギャラリーにはディアス、エリス、クレイの姿があった。しかしギャラリーにいるディアスの体はシェーナなのだ。他人から見れば、魔道士学部の優勝候補であるシェーナが、魔道士の予選ではなく、剣術学部の予選を見に来ているとあって、大騒ぎになった。

 ディアスはシェーナが心配で来たのだが、その事による周りの反応まで考えていなかった。しかし周りのギャラリーは当然と言えば当然の勘違いをしていた。

 シェーナは総合主席を争うであろうディアスの試合を見に来たのだと。そのせいで予選なのに武舞台の周りには、人垣で埋め尽くされていた。

 シェーナは落ち着いていた。普段から人の注目をあびているせいもあって本番には強い。

 しかし相手は違うようだ。初日の一試合目からとんでもない相手に当たり、気後れしている上にもの凄い盛り上がりである。まだ一度も予選を通過していない者にとっては、凄まじいプレッシャーだった。

「ディアス対ロイ。始め!」

 審判を務める先生が試合開始の合図を出した。

「おおおお!」

 緊張に耐えきれなくなったロイが、いきなり突っ込んで来た。

(この人。足運びがなってないわ。よほど緊張しているのかしら?)

 シェーナは間合いに入るなり振り下ろされた剣を避けつつ、剣を右薙に振るった。

 ギィィンッと甲高い音がして、シェーナの手に堅い感触が返ってきた。

「勝者、ディアス!」

「おおおおおおお!」

 審判がシェーナに向かって言うと、ギャラリーがわっと歓声を上げた。

 シェーナは歓声に応える様に剣を天にかかげた。

 選手は試合が始まる前に、対物理、対魔法の防御結界がかけられる。そのため相手に剣を当てても殺すことがない。だから本気で打ち込めるのだ。そしてもう一つ。ダメージを受けると変色する特殊な変色障壁を張ってある。ダメージによって無色から緑、黄色、赤へと色が変わる特殊な障壁だ。しかも外からしか色は見えず、選手の視界を妨げる事はない。唯一例外は真っ赤になった時。すなわち致死ダメージをくらった時のみ、中からも外が赤く見える。選手に自分が負けた事を知らせるためだ。

 シェーナは倒れたロイを無視して、掲げた剣をディアスに向けた。

 どっと沸くギャラリー。

(おいおい。マジかよ)

 ディアスはまだ試合もしていないのに、いきなりに視線を尻込みした。周りはディアスの、いや、シェーナの反応を期待している。

 ディアスは腰に下げた杖を抜くと、シェーナに向けて突きだした。魔法を撃つポーズである。

「おおおおっ!」

 前期期末トーナメントでは戦う事のない組み合わせだが、宣戦布告に応えた事に、ギャラリーは割れんばかりの歓声を上げた。

 ディアスは踵を返すと、武舞台から逃げるように遠ざかった。いや、実際逃げていた。

 その後をエリスとクレイが追う。

 ディアスは人気のない所までくると軽く息を吐いた。

「ふぅ。なぁ、シェーナってのりがよすぎないか?」

「そうね。目立つ所に立つと、パフォーマンスしたがるわね。要するに目立ちたがりなのよ。人気があるのもそのせいね」

「俺はあんなことしないのに……」

「調子に乗ってるのよ。シェーナは調子に乗るほど強くなるわ。良い傾向よ」

「そうなのか」

「そうよ。お昼からはディアスの試合が始まるでしょ。頑張りなさいな」

「エリスは余裕だな」

「だって今日は試合ないもん」

「クレイはあるんだっけ?」

「ああ。今日の最後の試合だから、まだまだ余裕だな」

「本当は緊張してたりして?」

「余計な事言うなって。本当に緊張したらどうするんだよ」

「そんな事を言ってるって事は、もう緊張してる証拠ね!」

「うああああああああ。だから言うなぁぁ!」


 そして昼一からディアスの試合が始まった。

 なんと相手はサラだった。

「初っ端からあなたと戦う事になるとは思ってなかったわ。でも良い機会だわ。あなたの出鼻をくじいてあげる!」

 サラはビシッとディアスを指さした。

「お手柔らかにね」

 そう言ってディアスは呪文を唱える構えを取った。

「シェーナ対サラ……始め!」

 魔法を唱えるためには、相手と間合いが開いていないといけない。そのために大概の生徒は試合が始まると後ろに下がるのだが、ディアスは前に出た。

 意表を突かれたサラは一瞬止まったが、再び詠唱の続きを唱え、ディアスに向かって炎の弾丸を放った。

「ファイア・ブリッド!」

 対してディアスが放ったの突風の魔法だ。

「ウィンド・ブラスト!」

 凄まじい突風が吹き荒れ、炎の弾丸は明後日の方向へと飛んで行った。そして突風をあびたサラは息が詰まり、次の呪文を唱えられない。

「光の精霊よ。光陣より来たりて、我が前に盟約を示せ! シャイニング・スピア!」

 ディアスは至近距離から光の槍を放った。

 サラは身をひねって避けようしたが避けきれず、変色障壁の色が一気に黄色に変わった。

 サラは間合いを取るために後退するが、ディアスの方が動きが速い。死角へ死角へと動くディアスを、サラはまともに捕らえる事すらできない。

「ファイア・ブラスト!」

 サラの耳元でボッと音が聞こえたと思うと、サラは炎に包まれていた。

「きゃぁあ!」

 対魔法防御障壁があるために熱くはないが、視界を覆う炎にサラは悲鳴を上げた。

 そしてサラの変色障壁は真っ赤になった。

 炎が収まるとサラはディアスが十分な間合いを取っていた事に気が付いた。間合いを取っていないと、ディアス自身も自分の放った炎に巻き込まれていただろう。

「いったい何が起きたって言うのよ……」

 サラは呆然としていた。今までこんな近い間合いで戦った事がなかった。魔法の打ち合いはお互い距離を取って行うものなのだ。

「くっ。まただわ……」

 サラは自分が負けた事に気づくと言った。

「まだ終わりじゃないわよ。後期でまた戦いましょう」

「勝利者の余裕ってやつ?」

「違うわよ。あなたみたいに私の事をまともに相手してくれる人って、少ないのよね。だから嬉しいのよ」

「へっ?」

 サラは呆然としていた。いったいシェーナは何を言っているのだろう?

「わからなければいいわ。楽しかったわよ」

 最後の一言はシェーナとしての演技でなく、ディアスの言葉だった。

 サラは何かと突っかかって来たが、それはある意味挑戦であり、ディアスはいつでもその挑戦を受けて来た。ちょっと言葉にトゲがあったが、慣れてくれば、こいつはこう言う言い方しかできない不器用な奴だと思い始めた。そう思うと可愛いく思える。本当はサラもシェーナの事を嫌っていない。本当に嫌っていれば一々突っかかってこないで、無視すればいいのだ。

「何を言っているのかさっぱりだけど、あなたから挑戦するとは珍しいわね。その挑戦受けて立つわ。後期は負かしてあげるわ!」

「楽しみにしてるわね」

 武舞台を降りようとしていたディアスが振り向いて言うと、サラは何か吹っ切れたような笑いを浮かべた。その笑みをディアスも微笑んで返した。

(ちょっと余計な事したかな……)


 ディアス達四人は予選でそれ程強敵とは当たらなかったが、クレイとエリスはかろうじて勝ち進んでいる状態だった。

 クレイは初戦から四回戦目までは完勝していたが、惜しくも最後の一戦では判定負けになり、エリスは判定勝ちが二つに、完勝が三つの成績だったのだが、殆どの試合において、変色障壁が赤の一歩手前まで染まっていた。

 ディアスとシェーナは元々備わっていた戦闘センスのお陰で、全て完勝で勝ち進んでいた。

 そして予選が終わり、剣術学部第二学年のトーナメント開催の朝、トーナメント表が闘技場のあちこちに張り出された。

「何とか第一関門突破ね」

 シェーナが闘技場の正面に張り出されたトーナメント表を見て言った。

 残念ながらクレイとエリスの名前はなかったが、ディアスとシェーナの名前が、トーナメント表に乗っている。予選通過である。

「お互いよくやったな」

 ディアスもホッとして言った。

「でもギリギリって感じがするわ」

 シェーナはそれでも申し訳なさそうに言った。周りの噂は聞いている。今学期のディアスは絶不調。優勝は誰だと。裏で行われている賭の倍率も下降しっぱなしである。

「気にするな。落ちた成績は後期に取り戻せばいい」

「ごめん」

「だから気にするなって。それよりも……とにかく頑張れ。ここまで来たらもう頑張るしかない」

 ディアスはここまで来たらもう十分だと言いそうになったが、それはシェーナには言ってはいけない気がした。だから頑張れとしか言えないのだ。しかし勝てとも言えなかった。なぜならシェーナのトーナメント一回戦目の相手は、去年後期の期末トーナメントで三位のフィリアだったからだ。

 シェーナもやっとそれに気が付いた。

「まじ?」

「とにかく頑張れ。魔法でも何でも全てを出しきるんだ」

 ディアスは心配を隠しつつ応援の言葉をかけた。

「そうだよ。頑張れシェーナ」

 クレイも応援の言葉を送った。

「でもディアスの体じゃ上級魔法は使えないのよねぇ」

 しかし空気を読もうとしないエリスが、言ってはいけない事を言ってしまった。

「な、何とかしてみせるわ!」

 ディアスの体では魔力が足らなくて上級魔法が使えない。シェーナは左腕に付けた魔法の腕輪を見た。ディアスの体で魔力を上げる特訓をし、今では二十五個の中級魔法を入れる事ができる。上手く短縮魔法使ってやるしかない。


『皆さん! 長らくお待たせしました! これより前期期末トーナメント本戦を開始致します!』

 闘技場全体に大音量の女性の声が響き渡った。

 全生徒が入れる程の大きな闘技場で、人一人の声が響き渡るはずがない。風の魔法で声を大きくしているのだ。

 アナウンスの声が響き渡ると、闘技場に集まった生徒が歓声を上げた。とうとう始まるのだ。期末トーナメント本戦が。

『始めに校長のお言葉を聞きください』

 お決まり事である。しかし誰も校長の話なんて聞いていなかった。

『それでは第一回戦を始めます。第一回戦第一試合はディアス・ライマールとフィリア・レルバインの対戦です。ディアスは今まで出場したトーナメントに全て優勝していますが、約三ヶ月前から絶不調との噂が立ち、今回の予選での成績はあまり良くないとの噂。対してフィリアは去年の前期では四位、後期では三位の成績です。しかも後期では準決勝でディアスに敗れています。打倒ディアスに燃えるフィリアは果たしてディアスを倒す事ができるのでしょうか!? 今回のトーナメントは初戦から目が離せません! おぉっと両者入場です!」

 そのアナウンスに闘技場の全ての観客が歓声を上げた。

 シェーナは柄にもなく緊張していた。今シェーナに勝ち目は? と聞いたら、「駄目、無理」と返ってくるだろう。しかしやるしかないのだ。そして二人は武舞台に上ると、歓声は絶頂を迎えた。普通なら尻込みしてしまう歓声だが、シェーナにとってそれは追い風となり、段々と落ち着いてきた。それにつれて緊張も薄らいでいく。

(これよ。この歓声が私に力を与える……)

 そしてシェーナは対戦相手のフィリアを見た。

 シェーナは自分の容姿には自信があった。しかし思わず感歎の声が出てしまうほどフィリアは美しい。線が細くてキリッとした顔立ちは凛々しく、腰まで伸びた銀の髪はプラチナでできているのではと思うほど輝いている。そして剣術学部だというのに、手足は筋肉質でなくしなやかで美しい。女性として理想的な体つきである。フィリアは容姿だけならシェーナに負けていない。しかしフィリアには学校のアイドルになれない致命的な欠点があった。それはフィリアが女色だと言う事だ。男は軟弱と決めつけて相手にはせず、恋心は常に女性へ向いている。しかもフィリアには何人もの彼女がいると言う噂だ。これでは男達にもてるはずもなかった。極めつけにフィリアはなんて言うか……ちょっとあっちの世界の住人なのだ。

「ディアス。ハッキリ言うけど。あなたには失望したわ。男の中ではマシな方だと思っていたけど取り消すわ!」

 フィリアは試合開始地点に立つとディアスに言った。

「あの威圧感はどこへ行ったの?」

 フィリアは苛ついていた。前回のトーナメントで対峙したときは、凄まじいプレッシャーに自分の闘気が消し飛ばされそうになったが、今は何も感じない。

「不調なんだよ。何だか知らないけど……」

「長すぎるわ。トーナメントに合わせて体調を整えられないだけでも、あなたは弱くなった。体調管理もできない戦士なんてもう終わりね。私が止めを刺してあげるわ!」

 シェーナは何も言い返せなかった。真っ向から本気で言っている相手に、嘘で誤魔化したくない。

「言い返す事もできないの?」

 シェーナは言い返す代わりに魔力練り上げた。三ヶ月前までは、魔道士から見れば殆どないに等しい魔力だったが、今は努力の甲斐があって、強力とまではいかないが、魔道士の平均魔力より、ちょっと上まで魔力を上げる事ができた。

 その力を感じ取ったのだろう。フィリアが腰を落として構えた。

「ディアス対フィリア……始め!」

 審判が対戦の開始を告げると、シェーナは後退しつつ呪文を唱えた。

「風の精霊よ。汝、我に集いて全てを切り裂く斬風となれ! シルフィード・ソード!」

 呪文が完成すると同時にシェーナが持つ剣に風が渦巻いた。

 しかしフィリアは動かない。フィリアは後の先を取る戦いを得意としているため、自分からは動かない。まずは相手の動きを見ているのだ。そのフィリアの眉がピクンと上がった。シェーナが魔法を唱えている事に気が付いたのだ。

(魔法? ありえないわ。いったいディアスに何があったって言うの?)

 フィリアは警戒しつつ、シェーナの側面に回り込もうとジリジリと動く。しかしそれがあだとなった。

「風の精霊よ。我が手に集いて刃となれ! ウィンド・スウィギング!」

 シェーナが突きだした剣先から、真空波が放たれた。

 しかしフィリアは余裕で避けると、一気に間合いを詰めて来た。間合いが開いていると、一方的に攻撃を受ける事になるからだ。

「風の精霊よ。我に集いて盟約を果たせ。突風となりて吹き荒れろ! エア・ストリーム!」

 シェーナの放った突風が吹き荒れ、フィリアの接近を妨げ攻撃を鈍くする。

 一方シェーナの剣には、真空の刃を剣身に付与して切れ味を鋭くし、更に試合開始直後にかけた風の力により剣速を早める魔法がかかっている。

「はっ!」

 シェーナは突風に乗り、一気に間合いを詰めると、まさに風のような斬撃を放った。

 ギィインッ!

「こざかしいわ!」

 しかしフィリアは必要最小限の動きでシェーナの剣を受け流した。

 勢いがあった分、シェーナは大きく流されて、体が宙を流れた。

(受け流されたら、無理して体勢を立て直そうとせず、流れに乗って間合いを取るんだ)

 シェーナはディアスに教えられた事を思い出し、流れの向こうに飛び込む様に前転した。その上をフィリアの剣が通過していく。

 しかしシェーナが体制を立て直して振り向くと、目の前に銀の刃があった。

「アンチ・フィジカル・ディフェンス・シールド!」

 シェーナは銀の刃をひねって交わしつつ、フィリアが様子を見ている間に溜めておいた、対物理防御障壁を張った。その事により突きから横薙に派生する斬撃を防ぐ事ができた。

 そして斬撃を喰らいながら、お返しとばかりに剣を振るう。

「せぇえい!」

 だがフィリアはまたしてもシェーナの斬撃を紙一重で避けると、何事もなかったように剣を振るう。

 シェーナが一撃目を受け止められたのは奇跡に近かった。続く二撃目でシェーナが張った防御障壁が砕け散った。シェーナは後ろに飛んで間合いを開けようとするが、まるで吸い付くようにフィリアは間合いを空けさせない。

「そんなちんけな魔法で!」

 フィリアの横薙の一閃がシェーナに浅く入り、変色障壁が黄色に染まった。

「私を倒せると思うな!」

 トドメの突きがシェーナの喉元へ激突した。

 シェーナは真っ赤になった変色障壁をまとって吹っ飛ばされた。もし変色障壁の下に、防御結界がなければ、今頃シェーナの喉は串刺しになっているだろう。いや、あの勢いならば、頭が飛んでいたかもしれない。それを思うとシェーナは震え出した。

「ふんっ。やはり男ってのはだらしないわね」

 フィリアはそう言って踵を返した。

 一瞬静まりかえった闘技場がどよめきだした。

『これは大番狂わせ! 優勝候補のディアスがまさかの完敗です!』

「おおおおおお!」

 そおアナウンスにつられて、闘技場が歓声につつまれた。

 まさかの展開に歓声上げる者、フィリアの勝利に興奮する者、賭に負けて罵声を飛ばす者、様々な声が闘技場を揺るがした。

「うそ……」

 シェーナはどこかで何とかなると思っていた。優勝は無理だとしても、いい所まで行くのではなかと思っていた。しかし現実は一回戦敗退である。相手が悪かったと思えばそれまでかもしれない。しかし何とかなると思っていた自分が情けなかった。


 シェーナがとぼとぼと通路を歩いていると、十字路の左から男がユラリと現れた。

 ジェスターだ。

「……なんだ? あの戦い方は? 魔法で誤魔化すのがお前の戦い方か?」

 ジェスターからにじみ出てくる怒気に、シェーナは恐怖し、足がガタガタと震え出した。

 それを見たジェスターの瞳孔が開いた。そしてその目が失望へと変わる。

「俺が怖いのか? まるで別人だな……。お前には呆れたぞ。前に言った言葉を覚えているか? 荒療治をしてやると。しかし荒療治など必要ない。お前はこのまま終われ」

(殺される!)

 ジェスターは剣を抜くと、次の瞬間にはシェーナの目の前にいた。

 振り下ろされる剣を、シェーナはまるで他人事の様に見ていた。

 今は防御障壁などないのだ。

 しかし次の瞬間、金色の髪がシェーナの視界を覆った。

 ギィィィンッ!

 そして甲高い金属の悲鳴が通路にこだました。

「ディ、ディアス!?」

 間一髪割り込んできたディアスが、ジェスターの剣を受け止めていた。

「ディアスだと!?」

「心配になって来てみて良かったよ」

 そう言ってディアスはジェスターに剣を向けた。そしてそのまま押し返す様に剣を振るう。ジェスターは剣を受け止めつつ後退した。

「この斬撃。この威圧感……。そうか。お前がディアスか!」

 ジェスターは驚愕すると同時に歓喜した。

「そうだ。俺がディアスだ。訳あってシェーナと体が入れ替わっている」

「なるほど。これで合点がいった。道理で……な」

 意外にもジェスターはすぐに理解した。何かの魔法を失敗したのだろうと思ったのだ。

「そう言う事だ。だからシェーナをいじめないでくれよ」

「そうか。すまなかった」

 ジェスターは剣を納めると、意外にも礼儀正しく頭を下げた。

 シェーナは安心したのか、その場にへたり込んだ。

「ディアス……。その……ごめん」

 そしてシェーナは涙をボロボロとこぼした。

「いいんだよ。シェーナは良くやった。相手がフィリアじゃしょうがないよ」

「でも……私……」

「シェーナは頑張った。及第点も取れた。今回の分は俺が後期で取り戻せばいい」

「ディアスゥ……」

「そうか! 戻れるのだな!?」

「ああ。後期には元に戻ってるさ」

「それを聞いて安心したぞ」

「いいか? 俺と戦いたければ、この事は誰にも言うなよ。もしばれたら退学になるかもしれない」

 実際に退学になるのはシェーナだけかもしれないが、それはあえて言わない。

「わかった」

「それとこの事はシェーナをいじめた事でチャラだからな」

「抜け目のない奴だな」

 ジェスターは口元をゆるめた。

「明日はお前がシェーナとして戦うのだな」

「そうだ」

「ならばその戦いを楽しみにしておこう」

「シェーナ。立てるか?」

「駄目、無理。腰抜けちゃった……」

「おいおい。今の俺じゃ持ち上げるのちょっときついぞ」

「しかたない。俺が送って行ってやろう」

 ジェスターが手を差し伸べたが、シェーナはそれを押し返した。

「ディアスがいい」

「……だとよ」

 ジェスターは苦笑するとさっさと消えた。気を使っているのだろう。

「助けてくれてありがとう。私……嬉しかった」

「どういたしまして。でも間一髪だったな」

「うん。ピンチな時に助けてくれるなんて、ちょっと格好良すぎだぞ」

「たまたまだよ。それより明日は応援してくれよな」

「もちろん!」

 二年前期の期末トーナメントの優勝者はジェスターだった。そして二位はフィリア。しかし二人の顔はどこか物足りないように見えた。


 そして次の日。魔道士学部二学年のトーナメントが始まる。今日はディアスの番だ。

『これより一回戦第三試合を始めます。選手は武舞台へ入場してください』

 アナウンスが流れ、客席から歓声が上がる。しかしその歓声も、ディアスが現れるとどよめきに変わっていった。それはディアスの……いや、シェーナの腰にありえない物が吊されていたからだった。

『シェーナ入場です。おっと、これはどういう事なのでしょうか? シェーナの腰にはなんと剣が吊されています。シェーナはディアスと同じく今まで全てのトーナメントで優勝してきました。しかし数ヶ月前からディアスと同じくスランプに陥り絶不調。昨日のディアスは魔法で乗り越えようとしましたが、失敗に終わっています。果たしてシェーナは剣をつかって乗り越えられるのでしょうか!? 対してレーニックは前回のトーナメントで初出場にて八位の成績です。果たしてどちらが勝つのでしょうか!?」

 そのアナウンスを聞いてシェーナはへこんだ。なにも昨日の事をぶり返さなくてもいいのに。そして改めて思い知らされた。アナウンスに名前が出て来る程、ディアスは注目されていたのに、自分はそれに泥を塗ってしまったのだ。申し訳なくて身が破裂しそうだ。

「ディアス。大丈夫? 試合が始まるわよ」

 エリスが心配そうに覗き込んだ。

「ああ。大丈夫だ」

 ディアスならこう言うだろう。そう思ってシェーナは顔をあげた。


「キャァァァアアアアアアア! シェェエェェナァァさぁまぁぁぁああああ!」

 選手出入口の丁度上の観客席にいたフィリアが、凄まじい大音響の叫びを上げた。黄色い声援と言うよりどこか狂気じみた叫び声だ。

 びくっとディアスは見上げると、目が合ってしまった。その瞬間どこかいっちゃってたフィリアの目が正気に戻り、顔がとろけるようにふにゃふにゃに緩んだ。

「頑張ってくださぁぁぁぁあいぃぃぃい!」

 フィリアは限界ギリギリの絶叫を送った。

(マジかよ? こいつは?)

 フィリアは親衛隊にこそ入っていなかったが、シェーナのファンだったのだ。それも熱狂を通り越している。

(こいつ昨日自分が倒した相手がシェーナって知ったらどうするんだろう……)

 ディアスはそんな事を考えつつ、武舞台へ向かった。


 ディアスは試合開始と共に一気に間合いを詰めた。

「光の精霊よ。天空より御下りて我が剣に宿れ! スカイ・レイ・ソード!」

 レーニックは慌てて間合いを取ろうとしたが間に合わない。既に目の前には蒼い光をまとった刃が迫っていた。

 ギィィンッ!

 闘技場が静まりかえった。

 レーニックの変色障壁が一瞬にして真っ赤になった。

 剣はレーニックの首の脇を抜けていた。

 ディアスはわざと防御障壁をかすめるように突きを放ったのだ。堅い防御結界に真っ正面から突きを放つと腕を痛める。

「おおおおおおお!」

 闘技場は割れんばかりの大歓声を上げた。

『一瞬です! まさに一瞬のできごとです。レーニック茫然自失! 動けません! これはトーナメント始まって以来の最短記録ではないでしょうか?』

「しょ、勝者シェーナ!」

 アナウンスの声を聞いてやっと審判が声を出した。

 レーニックは腰が抜けて倒れていた。彼は見てしまったのだ。至近距離からシェーナの、いやディアスの目を。その目からたたき込まれた眼力が、レーニックを動けなくしていた。


「キャァァァアアアア! シェエエナァアさぁまぁあ! ステキィィィィイイイイイ!」

 フィリアは客席から身を乗り出して声あらんばかりに叫んだ。

 ディアスはその真下からボーゼンとしてフィリアを見た。

 剣術学部ではあんなに狂ったフィリアを見たことない。これではいくら容姿がよくてもやばすぎる。

「キャァァァァ……はぅ……」

 フィリアは叫びすぎて貧血を起こし、気が遠くなって乗り出していた手すりから落っこちた。

「うあっ!」

 ディアスは落ちてくるフィリアをとっさに受け止めた。腕の中ではフィリアが涎を垂らしつつ白目をむいていた。

(マジか……)

 恐るべしフィリア。まさに狂気の果てである。

「仕方ないなぁ」

 ディアスはフィリアを背中に担ぐと、選手出入口へと歩き出した。


「ただの貧血だよ」

 医務室の先生は呆れて言った。

「普通、貧血になるまで叫ぶかねぇ。これじゃそのうち喉を痛めるよ」

「私に言われても困るのですが……」

 ディアスは本当に困った。

「起きたら言っておいてくれ」

 ディアスはベットに横なったフィリアを見た。そして思わずつばを飲み込んでしまった。こうして寝ているとまるで天使の様だ。女性の寝顔をいつまでも見ているなんて失礼だと思い、視線を外そうとした時、フィリアが目を覚ました。

「うにゅう……あっ! シェーナ様」

 フィリアは目を覚ますと、寝たままキョロキョロと周りを見渡した。

「私……落ちたんだ」

 フィリアは落っこちた自分をシェーナが助けてくれて、医務室まで連れて来てくれたのだと思った。正確にはディアスなのだが、そこまでは分からない。

「シェーナ様が私を運んでくれたのですね」

 フィリアは恥ずかしくなったのか、かけ布団で顔の半分を隠して言った。

(やべぇ。可愛すぎる……)

 ディアスはいつもと違うフィリアに戸惑った。

「そうよ」

「ありがとうございます。私感激しました。シェーナ様って強いだけじゃなくて優しいのですね!」

「そんな事ないわよ。それよりフィリア」

「はいっ! あぁ……シェーナ様が私の名を……。私を知っているなんて……」

 フィリアは恍惚としたとろける顔になった。

(だめだ。こいつは……イッちゃてる……)

「応援は嬉しいんだけど、恥ずかしいからあまり叫ばないで欲しいのよ。それにあまり叫びすぎると喉を痛めるわよ」

「えっと、それは……」

「いい?」

「……はい」

 フィリアは素直に答えると、ショボンと落ち込んだ。そして潤んだ目で上目使いにディアスの様子をうかがっている。男の前では凛々しく強気なフィリアだが、シェーナの前ではしおらしく可愛い。

(これで中身もまともだったらな。もったいない……)

「それじゃ、次の試合があるから行くわね」

「あっ! 私も行きます」

「寝てた方がいいんじゃない?」

「ただの貧血だから大丈夫です。シェーナ様の試合があるのに寝てられないわ」

 フィリアは勢い良く起きると、ベットから飛び降りた。

「……そう?」

「そうです!」

「途中まで御一緒させてください!」

「まぁ良いけど……」

 ディアスはフィリアの迫力に押されてしまった。


 ディアスの二回戦目の相手グレイルは、剣を警戒して間合いを開けつつ魔法を撃った。

「アイス・ファランクス!」

 グレイルとディアスの間に現れた氷の刃が、ディアスに降り注ぐ。

 ディアスは苦もなく氷刃の群れを避けつつ呪文を唱える。しかし放たない。短縮魔法を使うために溜めているのだ。

 しかしグレイルは、ディアスが避けるのに精一杯だと判断した。有利に立ったつもりになったグレイルは、次々と魔法を繰り出した。

 ディアスにとって魔法は避けやすかった。詠唱と言う予備動作がある分、どんな魔法が放たれるのか予想できるからだ。その点に置いて、シェーナが放った短縮魔法は予想できずやっかいだった。だからディアスは自分も短縮魔法を使う事にしたのだ。

「あまたに漂う大気の精霊よ。我、祭壇を背に盟約をはたさん。汝、幾千もの光りとなりて、天地を繋がん!」

 ディアスは自分が使えない上級魔法の詠唱は、知識として身に着けていた。魔道士の戦いにおいて、知識は武器となり防具となる。そしてディアスはただ避けながら魔法をため込んではいなかった。相手が得意としている系統の属性を見極めていたのだ。

「ライトニング・レイン!」

「アンチ・ウィンド・シールド!」

 稲妻は風の属性魔法である。だからディアスは耐風防御障壁を張って防いだ。一属性限定の中級魔法は、限定されている分、上級防御障壁に匹敵する。

 武舞台の上空から無数の稲妻が、雨のように降り注ぎ天地を繋いだ。

 しかしディアスの周りには風の防御障壁が展開しているので、稲妻はディアスまで届かない。ディアスは稲妻の雨をまるで何もなかったかのように突き進んだ。

「馬鹿なっ!」

 グレイルは目を見開いて驚愕した。

「あまたに漂う闇の精霊よ。我闇の理を用いて精霊門を開かん。汝ら魔力に干渉せよ! 我を守る盾となりて! アンチ・マジカル・ディフェンス・シールド!」

 グレイルは対魔法防御障壁を張った。

 剣には魔法がかかっている。その魔法を防げば、鋼の剣は魔法がかかっているために一緒に弾かれるのだ。しかし……

「ディスペル!」

 ディアスは剣を振るいながら、自分の剣に解呪の魔法をかけた。

 ディアスの剣はただの鋼の剣となり、魔法を防ぐ事しかできない対魔法防御障壁を素通りし、グレイルを横薙に薙ぎ払った。

「うわぁっ!」

 グレイルは変色障壁を真っ赤に染めながら、真横に吹っ飛んだ。

「ぐっ……。馬鹿な。ありえない」

「勝者シェーナ!」

 闘技場は割れんばかりの大歓声を上げた。なにせ上級魔法を使ってくる相手を、中級魔法のみで倒したのだ。それは誰もが夢を見るが、なかなか実現する事が難しい。

 そしてディアスの使う魔法剣に、みんなが注目し始めた。この日から魔法剣を取得しようとする者が続出するのは、目に見えて明らかだった。


 ディアスは準決勝まで進む事ができた。ディアス自身信じられない事だ。まさか準決勝まで進めるとは思わなかった。幸いまだ魔力には余裕があった。しかしその反面、シェーナの体で剣を振るい続けるには、体力の消耗と筋力への負担が激しかった。

「うし。後は気合いだ!」

 ディアスは控え室で気合いを入れた。選手の控え室は個室になっている。トラブルを避けるためだ。ディアスは全身を映し出す大きな鏡の前に立った。そこにはディアスではなくシェーナが写っている。

「シェーナには感謝しているよ。今の状態があったからこそ、俺は魔法を覚える事ができ、更なる可能性に気がついた。ちょっとシェーナの体に無理をかけるかもしれないが、許して欲しい。その代わり優勝をお前にプレゼントしてやる」

 ディアスの次の対戦相手はトレイシア・ラインヤード。同学年で最強の相手だ。トーナメント開催委員会ももっと気がきいた組み合わせにしてくれれば良いのにとディアスは思った。本来ならば決勝にこそふさわしい対戦である。

 ディアスが闘技場に姿を現すと大歓声が上がった。

『シェーナの登場です。一回戦、二回戦と我々の度肝を抜いた戦いを見せてくれたシェーナ。今回はいったいどんな戦いを見せてくれるのでしょうか!? おおっと! 反対側からはトレイシアの登場です。前回のトーナメントでは決勝でシェーナに敗れているトレイシア。今回はその雪辱を果たせるのでしょうか!?』

「シェーナ。それがあなたの答えなのね?」

 トレイシアはシェーナが十分に本気で戦える相手だとわかりホッとした。

「そうよ。これが今の私の戦い方。前に言った意味がわかった?」

「ちょっとはね。あなたも変わったけど、私も前回と同じようにはいかなくてよ。他の分野に手を伸ばして、強くなった気でいるのかもしれないけど、本当に魔法を極めると言う事はどういう事なのかを、教えて上げましょう」

「それは楽しみね。なら私はあなたに新しい可能性を教えて上げるわ」

「シェーナ対トレイシア……始め!」

 ディアスは合図と共に間合いを詰めようと飛び出した。

 剣を使う者が魔法を使う者に勝つためには、離れていては話にならない。一方的に魔法を撃たれてしまう。要は接近して魔法を撃たせなければいいのだ。しかし感のいい人なら、そろそろ気づくだろう。ディアスが忘れている事に……

「あまたに漂う風の精霊よ! 蒼き雷光となりて我が剣に宿れ! ブルー・ライトニング・ソード!」

 ディアスの剣が蒼い稲妻をまとってトレイシアに襲いかかる。

 対してトレイシアは冷静に後退しつつ、防御魔法を唱えた。

「……アンチ・フィジカル・ディフェンス・シールド!」

 ギィィンッ!

 ディアスの剣は耐物理防御障壁に弾かれた。いくら魔法がかかったいる剣でも、その中身である鋼を弾いてしまえば魔法は届かない。しかも今までの相手と違って、ちょっとやそっとじゃ防御障壁を破れそうになかった。

「はっ!」

 ディアスはかまわず剣を防御障壁に叩きつけた。要は防御障壁が壊れるまで攻撃を続ければ良いのだ。

「あまたに漂う闇の精霊よ。我闇の理を用いて精霊門を開かん。汝ら魔力に干渉せよ! 我を守る盾となりて! アンチ・マジカル・ディフェンス・シールド!」

 トレイシアは対魔法防御障壁を張った。

「くっ!」

 ディアスは五撃で対物理防御障壁を破壊したが、その間にトレイシアは新しい防御障壁を張っていた。今度は魔法が弾かれて剣が届かない。これではきりがない。本来のディアスの体なら、腕力と剣速がある分、トレイシアが新しい防御障壁を張る前に破壊できていただろう。

「闇の精霊よ。無の力を我が前に示せ。虚無の力持て、すべての力の源を絶たん! ディスペル!」

「水の精霊よ。魔力の力を散らしめよ! カウンター・スペル!」

 ディアスはトレイシアの防御障壁を解呪しようとしたが、トレイシアはそれを予測して、魔法を打ち消す魔法を放った。その結果ディアスが放ったディスペルは、打ち消されてしまった。

「あなた。シェーナではないわね?」

 トレイシアの言葉にディアスは動揺した。そしてその一瞬が命取りになった。

「輝き燃えたる炎の精霊よ……」

 トレイシアの周りにボッと炎でできた魔法陣が展開した。

「我ここに火の円盤なる理を用いて、炎界の道を開かん。火充時、我に大いなる力の炎を与えたまえ! バーニング・フレア!」

 高速で唱えて放った爆炎の魔法が、ディアスに向かって突き進んだ。

 ディアスはとっさに横に飛んで避けたが避けきれず、爆炎に半分飲み込まれた。

「ぐっ……」

 変色障壁が真っ黄色に染まる。

 爆炎と黒煙が晴れると、遠く間合いを開けたトレイシアが、対魔法防御障壁を張り終えていた。

 トレイシアの戦い方は、地味だがまずは防御障壁を張り巡らせ、相手の攻撃を無力化する。その後に強力な魔法で止めを刺すのだ。

「世界に満ちたる光の精霊よ……」

 トレイシアが上級魔法を唱え始める。

 ディアスは上級防御魔法を使えない。防ぐには避けるか、呪文を唱え終わるまでに相手を黙らせるしかない。

「汝が光り我が道標とならん。汝が光り我が刃とならん。汝、我が敵を光の矢にて切り裂け!」

 しかしディアスは今トレイシアが唱えている魔法がどんな物か知っていた。

「シャイニング・アロー!」

 トレイシアは超高速の光の矢を放った。たった一発の小さな矢だが、密度が高く凄まじい威力とスピードを持っている。普通の人の目には、キラリと光ったようにしか見えない。しかし爆音はディアスの所ではなく、武舞台をドーム場に囲む結界で起こった。闘技場の客席に魔法が流れないように、武舞台を囲むように結界が張られているのだ。

 ディアスは魔法のかかった剣で、超高速の光りの矢を受け流したのだ。

「くっ……痺れる」

 ディアスは落としそうになった剣を何とか両手で握り締めてこらえた。しかしあまりの衝撃に動きが止まってしまった。

「なっ!?」

 トレイシアは戦慄した。今の魔法は普通なら視認できない高速魔法であり、トレイシアの切り札の一つでもあるのだ。

(そんな……。防御障壁も張ってないのに防がれるなんて……)

 しかしディアスも立て続けの戦いによって限界が来ていた。いや、正確にはシェーナの体にだ。自分の体だったらまだ余裕だとわかるだけに悔しい。だがここからが正念場だ。

(ちょっとは魔道士らしい所を見せないとな)

 トレイシアが高速攻撃魔法を防がれて、動揺し警戒している間に、ディアスは呪文をため込んだ。

 そしてトレイシアが呪文を唱えると同時に間合いを詰めた。

 トレイシアが唱えた魔法は、またしても対魔法防御障壁だ。トレイシアは相手がシェーナでないと直感していた。そしてシェーナでない何者かは、今までの戦いで上級魔法を使わないのでなく、使えないのだと判断した。ならば防御を固めてしまえば勝てる。

「ファイア・ブラスト!」

 ディアスが放った爆炎の魔法を、トレイシアは避けようともせず、防御障壁で防ぎながら勝負を決めるための魔法を唱えた。

 炎がトレイシアを包み込み、爆炎が花を咲かせる。ディアスは次々とため込んだ魔法を放ち続けた。

「ファイア・ブラスト!」

 トレイシアの周りで次々と爆炎が炸裂し黒煙が立ち上る。魔法による爆発の黒煙自体は、対魔法防御障壁が防いでくれるのだが、爆炎の魔法はトレイシアの視界を隠すと共に、トレイシアの周りの酸素を奪った。

「かはっ……か、風の精霊よ。我に集いて盟約を果たせ。突風となりて吹き荒れろ! エア・ストリーム!」

 トレイシアは呪文を中断し、突風の魔法で炎と煙を吹き飛ばした。

 それを予想したディアスは、ある程度炎の魔法を放った後、再び炎の魔法をため込んでいた。

「ファイア・ブラスト!」

 ディアスは突風が止むと、再び炎の魔法を放った。

 パキンッ!

 トレイシアの一番外側に張られた防御障壁が砕け散る。

「風の精霊よ。汝我を包み、踊れる盾となれ! シルフィード・ロンド!」

 トレイシアはしつこい炎の魔法を防ぐために、風の防御障壁を張った。トレイシアの周りを疾風が舞い、迫りくる炎をあさっての方向に退けた。

「ちっ! 次から次へと……」

 ディアスは徐々に追いつめられていた。剣を初めとするあらゆる手段が、トレイシアによって封じられている。

 ならば残す手は後一つ。ディアスが唯一覚える事ができた上級魔法を使うしかない。

「世界に満ちたる光りの精霊よ。我ここに光の理を用いて天空の扉開かん。汝焦熱となりて我が剣の刃となれ! シャイニング・セイバー!」

 まるで太陽が現れたかのようにディアスの剣が輝いた。

「ぐぅ……」

 ディアスはどんどん魔力が剣に吸われていくのがわかった。この魔法は威力は強いが、消耗が激しい。シェーナの魔力と魔力容量があるから可能な魔法であり、ディアスの体では到底無理な魔法だった。

 光りが収まると、ディアスの剣の周りで光りが激しく躍動していた。

 その間にトレイシアは上級魔法を唱えていた。トレイシアは待っていたのだ。全ての障壁を張り、準備が整ったこの時を。

「輝き燃えたる炎の精霊よ。炎の王イフリートよ。我、祭壇に向かい地炎の門を開かん」

 トレイシアを中心に炎でできた魔法陣がまるでドームのように多重に展開した。多重構造型立体魔法陣。この魔法陣を召喚しなければならない程の攻撃魔法を使えるの者は、同期の中でも五人といない。難易度が高く強力な魔法だ。

「うおおおおおお!」

 ディアスはかまわずトレイシアに向かって突進した。

「星に芽生える源の火海よ。その熱き力を我に与えよ!」

 ディアスはトレイシアを間合いに収め剣を振るう。

 パキィィンッ!

 最初の一撃で風の防御障壁と対魔法防御障壁を易々と破壊した。そして二撃目でもう一枚防御障壁を破壊する。

「盟約より来たれ! 紅蓮の炎!」

 そしてディアスの斬撃がトレイシアが張った対魔法防御障壁を全て砕いた。

 内心肝を冷やしたトレイシアだが、まだ対物理防御障壁が残っている。

(私の勝ちよ!)

 しかしディアスはバッと間合いを取ると、剣を大きく振りかぶった。それとトレイシアがラストスペルを唱えるのは、ほぼ同時だった。

「インフェルノ!」

 トレイシアの周囲に展開していた魔法陣が爆発し、全方位に向かって巨大な爆炎が吹き荒れた。まるで炎の嵐だ。

「はっ!」

 爆炎が吹き荒れたと同時に、ディアスの剣から太陽の様な光りの刃が放たれた。

 上級防御障壁をいとも簡単に破壊する威力を持った光りの刃が、炎を切り裂きトレイシアに迫る。

 対してトレイシアは魔法に対して無防備になっていた。

 相打ち。誰もがそう思った。

 ディアスは炎を切り裂いたが、周囲に広がった圧倒的な炎に飲み込まれ、武舞台の端まで吹っ飛ばされた。もちろん変色障壁は真っ赤に染まっていた。むしろその下の防御結界が健在である事に驚かされる。選手一人一人に結界を張っている先生達が、どれ程の実力を持っているかがうかがえた。

 炎の海が消えると、トレイシアは武舞台の中央に立っていた。

 変色障壁は黄色く染まっているが、それは自ら放ったインフェルノのバックファイアによるものだった。ディアスの放った光の刃は避けられてしまったのだ。魔法剣は剣にかかった全魔力を放出するかわりに、一発だけ魔法を放てる。鋼が通らなければ、その代わりに剣にかかった魔法だけを通れるようにすれは良いのだ。それをトレイシアは予測していた。だから至近距離でも避ける事ができたのだ。対してディアスは広範囲魔法を放たれて避ける事ができなかった。やはり魔法戦においてはトレイシアの方が一枚上手だった。

「勝者トレイシアァァァアア!」

 割れんばかりの歓声が上がった。

「ここまでか……」

 悔しいが割とディアスは満足していた。本来の自分とは全く別の道でここまでこれたのだ。しかも予想以上に戦えた事に驚いているくらいだ。

 身を起こしたディアスにトレイシアが近寄って来た。

「はっきり言って驚いたわ。シェーナでない誰かさん。シェーナ以外にこれ程腕の立つ人がいるなんて……。あなたは誰?」

「ばれたか……。でも勘違いするなよ。シェーナの体だからできたんだ。俺の体だったらどうなってたかわからない。でも、もしかしたら倒れてるのはそっちだったかもしれないな」

「……わかったわ。あなたディアスさんでしょう?」

「感が良いな」

「分かれば簡単なものね。突然不調になった二人は、実は中身が入れ替わってた。だから相手の分野では素人になった。そうね?」

「あぁ。苦労したよ」

「元に……戻れるの?」

「後期になったら戻ってるさ」

「それは良かったわ」

「誰にも言うなよ」

「言わないわよ。体が入れ替わる様な魔法って言ったらネクロマンシーしかないわ。ばれたら退学ね。私はシェーナと戦いたいの。いなくなってしまったら困るわ」

「そうか」

「後期が楽しみだわ」

 そう言ってトレイシアは武舞台を降りていった。


 決勝戦はトレイシアが勝った。トレイシアにしてみれば、決勝の相手よりもディアスの方が何倍も強いと思った。もしディアスが本来の体に戻ったら、そして魔法を使い続ける事になったら、間違いなく驚異になる。いや、果たして勝てるかどうか……。トレイシアは事実だけを並べて考えた。非力なシェーナの体から繰り出された斬撃だから、防御障壁は五撃までもった。本来のディアスの力で斬撃を受けたら、次の防御障壁を張るのに間に合わないだろう。確実に斬られる。魔法と剣両方使える者は驚異になる。これはシェーナにも言えるだろう。後期トーナメントでは、恐らくシェーナは魔法と剣の両方を使ってくるだろう。ならばすべき事は一つだ。自分と同じ事を思っている人物が一人いる。ディアスをライバルとして見ているジェスターだ。


 フィリアはシェーナをはげまそうと思い、選手用通路に来ていた。そこでフィリアはジェスターとシェーナを負かした憎きトレイシアを発見した。フィリアは気配を消しつつ近寄ると、通路に置かれていた荷物の影へと身を滑り込ませた。何となく気になったのだ。

 そこでフィリアが聞いてしまった二人の会話の内容は、信じられないものだった。


「ちょっといいか?」

 選手用通路の十字路でジェスターがトレイシアを待ち伏せていた。

「あら、奇遇ね。私もあなたに用があったのよ」

「どうやら目的は同じようだな」

「そのようね」

「まさかライバルだと思ってたディアスがシェーナさんと入れ替わってるとはな」

「やっぱりあなたも気付いていたのね。お互い驚かされたわね。そんな事よりもこれからの事よ。魔法と剣を両方使える彼女達に対抗するには、私達も魔法と剣を使えるようにならないと厳しいわ。今回は勝てたけど、元に戻ったら……認めたくないけど、今のままでは勝てないわ」

「そうだな。ディアスとあなたが戦うのを見て俺は身震いした。あんな戦いを見せられは黙っていられない。奴らの後を追うようで気にくわないが、そんな事も言ってられないな」

「利害一致ね。夏休みはなくなるわよ」

「構わん」


「これがディアスとシェーナに関する情報をまとめた資料です」

「うむ。ご苦労だった」

 教頭質に二人の生徒が呼ばれていた。その二人が教頭に渡した資料には、ディアスとシェーナが三ヶ月に渡って行ってきた特訓内容が、細かく書かれていた。

 ディアスがどれだけの魔法を覚えているか、その種類や熟練度はどれくらいなのか。要した時間はどれくらいなのか。そしてトーナメントでの結果まで書かれていた。

 シェーナの方も同じだった。基礎的な技術をどれだけの時間で習得できたのか。技はどれだけ身に着けたのか。その種類や熟練度はどれくらいなのか。そして二人に共通して書かれている事は、剣と魔法を使った場合、どれだけの効果があり、汎用性応用性がどれ程あるのかなどが、詳しく書かれていた。

「うむ。上出来だな」

 教頭のラシャスが呟いた。

「これでシェーナがネクロマンシーを使った事に対して、眼を瞑ってくれるんですよね?」

 そう言ったのエリスだった。もう一人はクレイである。ディアスとシェーナの資料を作れるのはこの二人しかない。

「あぁ、いいだろう。下がってよいぞ」

「はい」

 二人は教室を後にした。

「本当によかったのか? あいつらに内緒でこんな事……」

「良かったに決まってるじゃない。そう思わないと……私だって好きでやってるわけじゃないのよ」

「ごめん」

「それにこの事はあの二人は知らない方がいいのよ。わかった?」

「あぁ、そうだな」


「片道十日はかかるから、それなりに用意しておいてね」

 とうとう夏休みになり、二人は出発の準備を始めた。なにせ往復するだけで半月かかる旅だ。しかも毎日宿に泊まれるとは限らない。旅の殆どは馬車の中で過ごす事になるだろう。昨年もその旅路で家に帰っているシェーナは、大きな幌馬車と御者を手配していた。寝台付きなのでかなり大きい。ディアスが去年使った馬車とは雲泥の差があった。今はその幌馬車に着替えや、保存の利く食べ物を積み込んでいるところだ。

「なぁ、シェーナ。魔晶石があった場所って、最寄りの村からどれくらい離れてるんだ?」

「そうね。朝方に出ればお昼前には着くと思うわよ。モンスターに手こずらなければね」

「近いな。それにモンスターか。腕試しには丁度いいな」

「腕試しねぇ。前に行った時は、私一人でも帰ってこれたし、二人なら余裕なんじゃない?」

「そうなのか。でも今は自分の体じゃないんだし、油断は禁物だぞ」

「油断なんかしないわよ。試合じゃないんだし、自分の命がかかってるもの」

 シェーナの言葉にディアスはうんうんとうなずいた。

「なぁ、シェーナ」

「ん?」

「今思ったんだけどさ、空間転移の魔法で、ガーネイルまでひとっ飛びってわけにはいかないのか?」

「それなら楽なのよね。でも人生そう上手く行かないものなのよ」

「……人生なのか?」

「ここから貴族丘までならどうって事ないんだけど、馬車で十日もかかる程離れていると、魔法陣も巨大になるし、魔力も相当いるのよ。私一人じゃ無理よ」

「そんなもんなのか……」

 ディアスは今年の夏は実家に帰るのを諦めていた。その事を両親に知らせる手紙も書いてあり、明日出発する時に出す予定である。しかしできれば出したくなかった。両親はディアスが帰ってくるのを心から楽しみにしているのだ。

「ディアス……ごめんね」

 ディアスの沈んだ顔からシェーナは悟った。

「いや、いいよ。冬の休みには帰るからさ」


 馬車の旅はお世辞にも快適とは言えなかった。いくら道が舗装されていても、揺れるものは揺れるし、大きな幌馬車と言っても所詮は馬車。一日でも閉じこめられたら窮屈でしかたがない。途中で立ち寄った町や村で、二人は大きく羽根を伸ばしつつガーネイルを目指し、七日間かけて、シェーナの故郷ガーネイルにたどり着いた。しかしシェーナの実家には立ち寄らず、すぐに魔晶石がある森へと向かった。流石に両親に会えば、中身が入れ替わっているのがばれてしまうだろう。そんな事でディアスの第一印象を悪くしたくない。


 ディアスは勘違いしていた事があった。いや、シェーナの説明では誰もが勘違いするだろう。シェーナは一つ言い忘れていた事があった。それはシェーナが魔晶石を得た所は、対岸が見えないほど巨大な湖の中央にある島にあったのだ。その島の森には精霊が宿っていると言われていて、そのため湖の周囲にある町や村はちょっとした観光地になっていた。そして湖の中央の島はかなり大きく、小さな町なら丸々入ってしまう程だ。

「まぁ、なんだ。俺の予想からすると、あの島には精霊とかモンスターがいるから、船は出せないって展開になる気がするんだが……」

「そうよ。その島はいわゆる聖域ってやつよ。まぁ聖域ってのはそこには何か危険な物があって、それに近寄らせないために、聖域って名目で人を近寄らせないようにしてるのよね。でもあの島にはどうしても確かめたい事があって。それで去年行ってみたのよ」

「ほう。それでその聖域から魔晶石をぱくって来たと」

「うっ……なんかトゲがあるわね」

「単なる泥棒じゃないか?」

「気のせいよ。あは……あはははは……。たまたま見つけたからちょっと……ね。出来心と言うかなんと言うか……」

 ディアスはじっとシェーナを見つめて目を離さない。

「……まぁいいか。それでどうやってあの島まで行くんだ?」

「それは簡単よ。朝露に紛れて飛んで行くのよ。人に見つかったら色々とまずいからね」

「飛んで行くにはちょっと遠くないか?」

「大丈夫よ。あのくらいの距離なら余裕よ」

「何とかなるかな?」

「男でしょう。しっかりしなさい」

「今は女だ」

「……言っとくけど、湖にもモンスターがでるからね。気を付けないと食われるわよ」

 シェーナはディアスの言葉を無視して言った。

「でぇぇえ! そんな物騒な湖が何で観光地になってるんだよ!」

「その昔とある英雄が、この辺り一帯にいたモンスターを、中央の島に封印したって話よ。だから湖にいるモンスターは中央の島付近から離れる事ができないみたいだわ。だから漁師は湖で漁ができるみたいだし、付近の村や町も安全なのよ」

「嘘くせぇ」

「私に言われても知らないわよ。とにかく明日出発よ。今日は飛行の魔法を復習しておく事」

「了解」


 湖畔の町の朝は濃霧で覆われていた。直ぐ近くにいるシェーナは確認できるが、少し離れた所にある建物は、白いヴェールに覆われはっきりと見えない。

「風の闇の精霊よ。我、重力の束縛を絶ちて、風の翼をまとわん! ウィンド・ウィング!」

 シェーナとディアスが唱えた風の魔法により、濃霧が吹き飛ばされるが、ただかき回しただけに過ぎなかった。それ程濃い。湖周辺に住む人々は、この霧は湖中央の島のせいだと噂しているのが、頷いてしまう程不自然な濃さだ。

 飛行の魔法は高度が高ければ高い程魔力を消費する。ディアスの体では二階建ての家程のしか高度が取れなかった。

「これは誤算ね。ここにはアレがいるってのに……」

 シェーナは限界高度を飛びながら呟いた。

「アレってなんだ?」

 隣に並んで飛んでいるディアスが聞いた。

「アレよ」

 シェーナは霧の向こうに現れた塔のような物を指さして言った。

「何だあれ?」

「レイク・サーペント。水の中に住む巨大な蛇よ」

「えええええ!」

 シェーナが言うとおり、サーペントとは巨大な蛇で、大きなものでは太さは大人が十人手を繋いで輪を作れる程あり、長さは大きな船を何重にも巻き付く事ができる程ある。湖にいる奴は海にいる奴程大きくはないが、人から見ればどちらも恐るべき大きさだ。

「迂回するわよ」

 シェーナが言うより早く、レイク・サーペントがこちらに気づいて向かって来た。

「応戦はしないで。この霧の中ではぐれたらやっかいよ」

 そう言ってシェーナはディアスに手を差し伸べた。

「わかった」

 ディアスはシェーナの手を掴んだ。

「水の精霊よ。大気に満ちよ。汝が領域を広めるがいい! フォグ・ボマー!」

 シェーナが後方に突き出した手を中心に、爆発するように凄まじい霧が発生した。

「うわっ!」

「手を離さないで。奴らもこの霧じゃ私達を補足できないわ。今の内に突っ切るわよ!」

「奴らって……ひょっとしていっぱいいるのか?」

「うん」

「げっ!」

 シェーナとディアスは霧の中を、多数出現した黒い柱のような影を避けながら、島へと向かった。そのために時間がかかり、島に着く頃には既に霧が晴れていた。

 島から霧の晴れた湖を見ると、不思議な事にあんなにいたレイク・サーペント達の姿が見えない。アレは幻だったのだろうか?

「ここのサーペント達はね、水の中に封印されているの。他の場所にいるサーペントは、まれに陸に上がってくる事もあるんだけど、ここのは封印のために陸に上がって来れない。でも今朝の様に濃い霧が出ている時だけ、姿を現す事ができるの。でも陸には絶対上がれない。なんか悲しいでしょう。この霧は英雄の情けとも言われているわ」

「まるで呪いだな」

「そうね。封印も呪いも言葉が違うだけで、同じような物ね」

 二人はしばらく湖を眺めていたが、ディアスは急に立ち上がると、背後を振り向いた。

「シェーナ。何かいるぞ」

「うん。白い猿よ。爪が長くて大きな目の不気味な猿。でかい割には早いから気をつけて!」

「了解」

 ディアスは剣を抜きながら、自分達の周りを弧を描く様に取り囲んでいる猿達の気配を探った。二十以上いるが、三十より多くはないだろう。

「来るぞ!」

 木々の向こうにいる猿達の気配が高ぶり、頂点に達すると次々と飛びかかってきた。

「ムーンライト・ファランクス!」

 それに合わせてシェーナが唱えておいた魔法を放った。シェーナの手から十数本の光線が出現し、猿達を次々と串刺しにした。

 二メートルはある猿達の死体がドスンドスンと落ちてくる。

「はっ!」

 ディアスは魔法の弾幕を運良く潜り抜けて来た猿を、剣で真っ二つにした。しかし猿達は数の上ではまだ有利だと思い、まるで狂ったように次々と襲いかかってくる。

「キィイ!」

 猿は細く長い腕の先にある長い爪を、まるで剣の様にディアス目掛けて振るった。

 ディアスは早いが無造作に振るわれる爪を受け流し、猿を肩口からばっさりと切り捨てた。

「せぇい!」

 返す剣で横から迫り来る猿の頭を切り落とし、真後ろから来る猿を、振り向かず脇を通す様に剣を真後ろに突きだして串刺しにした。

「キィ!」

 猿は串刺しにされつつも、ディアスの頭をつぶそうと両手で挟もうとするが、ディアスは剣を抜きつつ身を低くして避け、その場で回転しながら剣を振るった。猿の体は上下に分かれて血を撒き散らし、ディアスはその血しぶきすら避けた。

(何て綺麗に戦うの……)

 ディアスの戦いを見たシェーナは、猿から間合いを取りつつ思った。

「アンチ・フィジカル・ディフェンス・ウォール」

 シェーナに向かって突っ込んで来た猿達は、いきなり見えない壁に衝突して弾かれた。

「輝き燃えたる炎の精霊よ。天空輝く太陽を模して、我に灼熱の炎球を授けん! ファイアー・ボール!」

 シェーナはその間に呪文を完成させ、炎の玉を放った。そして轟音が森に響き渡り、破壊の爆炎が猿達をバラバラに吹っ飛ばした。

 残りの猿達は、わずか数分で群れの大半を殲滅したディアスとシェーナを見て、散り散りに逃げていった。

「ふ~。何なんだあの猿は? 普通じゃないぞ」

 普通の猿ならばあんなに爪が長いわけがないし、あんなに凶暴じゃない。

「私に聞かれても困るわ。この島に封じられたモンスターでしょう」

「こんなの封印しないで全部やっつけてくれたらよかったのにな」

「今はそんな事言ったって意味がないわよ。先に行きましょう」

「また来たら面倒だしな。サクッと行って帰ろうぜ」

「そうね。魔晶石は島の中央にある洞窟にあるわ」

 地上にぽっかりと空いた洞窟の入り口は、まるで巨大な井戸の様だった。洞窟と言われなかったら、ただの大きな穴だと思うだろう。

「これはどう見ても人の手で作られた穴だな」

 ディアスは浮遊の魔法を操り、縦穴をゆっくりと降りつつ言った。

「そうね。まるで錐で突いたようね」

 底へ着くと、底よりも少し高い位置に横穴があった。ちなみに底には小さな穴が空いていた。雨水が溜まらないようにするための排水溝なのだろう。横穴を少し行くと、そこにはちょっとした広場になっていた。その広場の中心には周りより一段高い台があり、その台の中央に、複雑な模様と精霊文字で描かれた大きな魔法陣があった。そしてその魔法陣の中央に、子供の頭程ある魔晶石がはめられていて、ぼんやりとした光りを放っている。その大きな魔法陣は複数の小さな魔法陣に囲まれていて、小さな魔法陣にも小さな魔晶石がそれぞれはめられている。丁度シェーナが持っていた魔晶石と同じくらいの大きさだ。

「これって何かの封印の要だろう?」

 ディアスは魔法陣と魔晶石を見て言った。

「間違いないわね」

「間違いないわねじゃねぇよ! 魔晶石を取って封印が破れたらどうするんだよ!」

「大丈夫よ。前に取った魔晶石は、周囲に展開している小さな魔法陣にはめられた内の一つだから。こういうのは一度安定したら、ちょっとやそっとじゃ壊れたりしないわ。周囲の魔法陣は、中央の大きな魔法陣の補助的な物ね。……たぶん」

「たぶんじゃねぇぞ! この事を湖畔の人達に知られてみろ。殺されるぞ!」

「ばれなければいいのよ。それにここにこんな封印がある事すら知らないはずよ」

「そう言う問題じゃないだろう。だいたいシェーナはどうしてこの事を知ってたんだ?」

「それはここに封印を施したのが私の御先祖様だからよ」

「……は?」

「ちょっとした偶然で、倉庫の中の本を読んだらここの事が書いてあったの」

「……で、その本にはなんて書いてあったんだ?」

 ディアスはじっとシェーナを見つめて言った。

「……この地に最悪を封じ込めし闇の祭壇あり、何人たりも近寄る事なかれ」

「近寄ってどうする!?」

「だって、ほら……、そんな事書かれたら気になるじゃない? てへっ」

「てへじゃねぇ! 俺の体でそんな事して誤魔化そうとしても不気味なだけだ!」

「うっ。しまった!」

「シェーナってさ、もしかして天然?」

「なっ! 失礼なっ! 天然じゃないわよ!」

「どうかな……。まぁそんな事はどうでもいい。それで、どうするんだよ?」

「どうでも良くないけど……。まぁいいわ。もちろんもう一個だけもらって行くのよ」

「大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。ひょっとしたら封印の威力が弱まるかもしれないけど……。周囲にある魔晶石なら中央にあるのより、遙かに小さいから、影響も小さいはずよ」

「俺は大きさじゃなくて、位置や方位なんかが関係してると思うけどな」

「余計な知識まで身につけちゃって……」

「なんか言ったか?」

「ううん。気にしちゃだめよ。取ったらすぐに逃げるわよ!」

 そう言ってシェーナは一番端の魔晶石をナイフでえぐり取り、出口に向かって走りだした。

「あっ!」

 ディアスは慌てて後を追う。

「シェーナってさ。トレジャーハンターになれるよ」

「えへへへ。やっぱり? じゃあ二人してトレジャーハンターにでもなろうか?」

「そいつは面白そうだな」

「なる気ないくせして」

「俺には夢があるからな」


 シェーナとディアスは飛行の魔法を唱えると、島の上空へ飛び上がった。

「おい……シェーナ……」

「……うん」

 二人は上空から島を見て同じ事を思った。

「島の形、気のせいかもしれないが、膝を抱えて丸くなってる猿に見えないか?」

「……見えるかも」

「あは……あは……あははは……」

「あはははは……」

 二人は乾いた笑いを上げると、目を合わせてうなずいた。

「見なかった事にしよう」

「元に戻るためには仕方ないよね?」

「とは言ってもな……。シェーナ。お前後でちゃんと闇の魔晶石を手に入れて、絶対にあそこにはめに行くんだぞ」

「怖いから嫌!」

「嫌じゃねぇ!」

「じゃあ、ディアスも一緒に来て」

「ああ、一緒に行ってやるよ。と言うか、引きずってでも連れて行く」


 湖畔の町のとある宿で、シェーナは闇の魔晶石を使った魂交換の儀式魔法の準備に取りかかっていた。失敗は許されない。邪魔が入らないように、部屋の窓にはカーテンをかけ、ドアには鍵をかけてある。

 二人の間には、魔法陣が書かれた布がひいてあり、その上には取ってきた魔晶石が中央に置かれていた。

 そして二人の血が落とされた。

「ラモール!」

 魔法が発動したと同時に二人は気絶した。

 魂の光りがお互いの体に向かって浮遊し、沈むように入っていく。

「う……うん……」

 しばらくして目を覚ましたシェーナは身を起こしてディアスを見た。ディアスも首を振りながら身を起こすと、シェーナを見た。

「やった……」

「元に戻った……よな?」

 ディアスは一瞬鏡を見ているかと思った。しかしそれは鏡に映った姿ではなく、本物のシェーナだった。

「お帰り。私の体」

 シェーナは自分の体を抱きしめた。

「おおおお!」

 ディアスはそれを見てやっと実感した。そして歓声を上げるとぐるぐると腕を回し、自分の体を確かめた。

「ディアス……」

 気付くとシェーナが目の前にいた。

「私ね。元に戻ったらすぐにでもしたい事があったの」

「へっ?」

 シェーナの顔がぐんぐんと近寄って来るのを、ディアスは他人事の様に見ていた。

 そしてシェーナはディアスと唇を合わせた。

 ディアスは柔らかい感触を感じると共に、甘い香りに鼻孔をくすぐられた。そして気が付くとシェーナを抱きしめていた。シェーナもディアスの背中に手を回して抱きしめ返す。

「うふふ。ねぇ。ドキドキしてるよ」

 シェーナは唇を離すと、ディアスの胸板に耳を当てて言った。

 ディアスはこの三ヶ月間、鏡に映るシェーナを見てきた。しかしそれはまるで偶像だったかのようだ。今のシェーナは鏡に映っていたシェーナとは比較にならない程美しく、そして可愛かった。ディアスはこのまま抱きしめていたいと言う気持ちが高まってきた。

「シェーナ。これが俺の答えだ」

 そう言ってディアスはシェーナの唇を奪った。

「んっ……」

 今度は深く長く……

「あはっ……嬉しい……」

 シェーナは目を潤ませて呟いた。


 朝目が覚めると、シェーナはディアスの腕の中にいた。それが嬉しくてたまらない。

「おはよう」

 シェーナが嬉しくてクスクス笑っていると、既に起きていたディアスが声をかけた。

「おはよう。ねぇ、ディアス。私の実家に来てよ」

「いや、やっぱり俺も家に帰るよ。ちょっとしかいれないけど、俺の姿を見せてやりたいんだ」

「……そっか。残念ね。私、夏はこっちにいるわ」

「それがいいさ」

「後期もさ。湖畔の別宅に来ない? 元に戻ってからも剣を習いたいし、ディアスも魔法覚えたいでしょう?」

 シェーナは必死になって理由を探した。

「いいぜ。もう一人じゃ寂しいしな」

「うん!」

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