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男女逆転学園生活

 ディアスは緊張していた。何しろ今から自分はシェーナとして登校しなくてはならないのだ。だから通学路の途中で待ち合わせしていたエリスを見つけるとホッとした。

「おはよう」

 ディアスはなるべくお淑やかで清楚な雰囲気で挨拶した。

「おはよー。うんうん。そんな感じだね」

 昨日の夜。ディアスはエリスに教えてもらい、お淑やかで清楚なシェーナっぽいしゃべり方を練習した。なぜシェーナ本人じゃなくてエリスからなのは、自分の姿をしたシェーナに教えてもらっても、正直気持ち悪くてはかどらなかったのだ。それに客観的に見ているエリスの方が良い気がしたのもある。

 シェーナは有名人なだけあって、ディアスは登校中に沢山の生徒に挨拶された。その度にディアスは軽く手を振って挨拶を返した。

「ちょっと、ディアス。わざわざ手を振り返さなくてもいいって。ディアスだって朝の挨拶の時に手を振らないでしょ」

 エリスは小声で言った。

「すまない。緊張しているんだ」

「言葉使い!」

「ごめんなさい。気をつけるわ」

「それでよし。それと人が多くなってきたからシェーナって呼ぶからね。ちゃんと反応するのよ」

「わかったわ」

 教室に入るとディアスはシェーナの席を探した。シェーナの席は真ん中よりもちょっと後ろの窓際にあった。その周りには四人の女生徒が集まっていた。その四人がシェーナの姿に気づくと、ディアスを取り囲むように寄って来た。

「シェーナ様。おはようございます」

 その四人は声をそろえて挨拶をした。

(こいつら練習してるのか?)

 ディアスはおはようの合唱とシェーナに様をつけている事に驚いた。

「おはようございます」

 こいつらがシェーナの言っていた、シェーナ様親衛隊という奴だろう。

 シェーナ様親衛隊の一人がシェーナの椅子を引いた。座れという事だろう。こいつらはシェーナの意思とか考えているのだろうか? 

「ありがとう」

 ディアスは礼を言って座った。ディアスはみんな立っているのだから、立ち話でも全然よかった。逆に四人に見下ろされている方が落ち着かない。ディアスは反射的に机の上に腰掛けて、目線の高さを同じにしようと思ったが、今の自分はシェーナだと思い出して踏み止まった。四人は一方的に争うようにディアスに話しかけて来る。ディアスはその勢いに押されて、相づちを打つくらいしかできなかった。

 エリスはシェーナと同じ教室だった。エリスは荷物を置くとディアスの後ろに回り込み、ディアスだけに聞こえるくらいの小声で囁いた。

「教室の廊下側にいる三人組に気をつけて。特に髪の長い女の子は、シェーナを目の敵にしているわ。名前はサラ。自分がナンバーワンにならないと気が済まないタイプの人ね」

 ディアスとエリスの視線に気が付いたのか、その髪の長い女性がこちらに向かってきた。

「朝からご機嫌がいいようね。愛想振りまいて、まるで学校のアイドルにでもなったつもりなのかしら? 図に乗った女って怖いわ」

 サラは見下すようにディアスを見た。

 今朝シェーナの姿をしたディアスが、手を振って挨拶していた事が、ちょっとした話題になっていた。今日のシェーナは機嫌がいいと。

(シェーナって意外と苦労してんだな……。あれだけ有名なら敵も多いのか……)

 さっきまでキャーキャー騒いでいた親衛隊の四人は、サラが怖くていつの間にか離れた所で、事態が収拾するのを見守っていた。

(あいつらは友達ってわけじゃないのか……?)

「何よ、その目は」

 サラは歯ぎしりしてから言った。

 ディアスはシェーナに同情して物思いにふけっていたのだが、親衛隊にチラッと視線を送っただけで、視線をサラに向けたままだった事に気が付いた。つまり同情の視線をサラに送っていたのだ。

「人を哀れんだ目で見て……冗談じゃないわよ! 貴方何様のつもり!?」

 サラがシェーナに向かって何を言っても、ディアスにとっては他人事である。別に怒りを感じるわけでもないのだが、いい加減に鬱陶しくなってきた。ディアスは今朝登校してから何も悪い事はしていない。一方的に絡まれる筋合いはないのだ。

(うぜぇ)

 そう思ったディアスはサラを睨んだ。

 学校を卒業していないから一流とは言えないが、同学年でトップの力を持つ戦士の眼力である。戦闘で相手を圧倒するための視線。それをサラは無防備に受け止めてしまった。

「ひっ……」

 サラはまるで衝撃波を喰らったような錯覚を感じた。まるで試合中に対戦相手と対峙しているかのようだ。しかも今までこんなに圧倒された事はない。自然に足が震えて来た。

「皆さん。おはようございます」

 そこへタイミング良く担任の先生であるフィアが入って来て挨拶をした。

 生徒達は各々の席へと戻った。

 サラもディアスの視線から解放されて、よろめきながら席へ逃げた。

 その日、シェーナはやっぱり機嫌が悪いという噂が流れたのだった。


 時間を少々さかのぼる。

 シェーナはクレイと一緒に登校していた。

「学校のアイドルシェーナと一緒に登校できるなんて夢のようだな」

 クレイは楽しそうに言った。

「でも今の俺はディアスの体だぞ」

 シェーナは少し呆れ、少しがっかりした。クレイの様な反応は飽きるほど経験している。

「それが残念で仕方ないよ。でもディアスの体でなけりゃ、今こうして一緒に登校する事も、友達になれるかもしれないきっかけもなかったんだぜ。これはこれで良かったんだよ。前向きにいこうぜ」

「私は良くないわよ。あぁ、早く戻りたい。……って友達?」

「図々しかったかな?」

「いいえ。よろしくね」

 シェーナは戸惑いつつも少し頬を染めて微笑んだ。ディアスの顔で。

「うぅ。すまないが、ディアスの体で女口調だけはやめてくれ。それと照れたのは分かったが頬染めて微笑まれると……こう言っちゃ失礼だが、怪しまれるだけじゃなくて気色悪い!」

「そ、そうだな……よしっ!」

 シェーナは改めて気をつけるように気合いを入れた。

「おっはよっ!」

 声と共もシェーナは背後から叩かれた。

「きゃっ!」

 シェーナはバランスを崩してつんのめった。普通ならそのまま倒れるところだが、シェーナは足を一歩前に出して踏み止まった。シェーナが考えるよりも、ディアスの体が反射的に体を動かしたのだ。

「きゃっじゃねーよ。気色悪いな」

 後ろからディアスを叩いたのはジーンという男だった。

「おっと、今日は日直だったんだ。じゃあな」

 そう言ってジーンは足早に先に行ってしまった。

「なんなんだ……」

「単なる挨拶だろう。俺らも行くぞ」


 剣術学部の教室は夕方から使われる。日が明るい内に外のグラウンドや鍛錬場で実技を習い、夕方になってから剣術理論や戦法戦術の抗議が始まるのだ。

 だからシェーナはいきなりピンチだった。

 実技の授業前に学生服から、動きやすい服装へと着替えなければならない。服装は動きやすければなんでもよかった。しかしシェーナは男物の服を持っていない。だからディアスから服を借りてきている。制服はともかく男の服を着る事に抵抗があったが、今はディアスなのだ。そう思えば問題ないのだが、シェーナは男臭い更衣室の中で、半裸の男達と一緒に着替えなければならない事に激しい抵抗を感じた。自分の体は男の体なのだと思いこませ、凄まじい早さで着替えると、すぐさま更衣室から脱出した。

(明日からは制服の下に着替えを着て来よう……)

 シェーナは頬を真っ赤にし、涙目になって恥ずかしさに耐えた。女性なら可愛らしいと思えるが、今はディアスの顔である。出口でばったりと合ったクレイの顔は、不気味な生物を見た様な表情をしていた。

 今まで向けられた事のない視線を感じ、シェーナはクレイを突き飛ばして走り去った。

(最悪……)


 魔道士学部の午前の授業は室内での魔法の講義だ。

(……まったくわからん)

 ディアスは昨日シェーナに魔法の基礎知識を教えてもらったが、それとはまるで次元が違う内容に悪戦苦闘していた。

「バノンの魔法陣は火の第三階級の精霊が司っています。第二節の詠唱を唱える時に、このバノンの魔法陣を召還するのですが、その時に術者にかかる負担は、魔力数値にして五十程です。さて、五十の負担がかかる魔法と言えば、先週教えた水系の魔法はなんでしたでしょう? シェーナ。答えなさい」

 運が悪い事にシェーナが指された。

「えっ?」

 ディアスは戸惑った。知っているはずがない。先週は剣術学部で剣を振っていたのだから。

「先生。それはフリジットだと思います」

 答えを出すのに時間がかかっているシェーナに変わって、サラが答えた。

「正解です。でも私が指名したのはシェーナですよ」

「すみません。どうもシェーナさんが答えられないようでしたので、思わず答えてしまいました」

 もちろん親切からではないのは、誰が見ても明らかだった。

 でもディアスに取ってありがたい助け船だった。

(ナイスだ。サラ)

 ディアスはサラに向かってにっこり微笑んだ。

「うっ」

 しかしサラにはその笑みが不気味な物にしか思えなかった。


 一方シェーナは授業が始まって一層ピンチになっていた。

 授業と言うよりは、稽古といった方がいいだろう。その稽古は柔軟体操から入り、ウォーミングアップもかねて、素振りから始まる。

 その素振りなのだが、シェーナは緊張のためかまともに振れなかった。

「おいおい。ディアス。まるでど素人じゃないか。どうした?」

 担任のレンツァが眉をひそめた。

「いや……その……」

 シェーナが困っているとクレイが助け船を出した。

「こいつ。どうやらスランプみたいなんですよ」

「スランプか。なるほどな。俺も昔あったよ。まぁ、そう言うことなら仕方がない。気が済むまで素振りをしていろ。あんまり直らない様だったら、荒療治するからな」

「……はい」

 シェーナはクレイに助けられてホッとしたが、スランプじゃないので治しようがない。荒療治なんてされたらつぶれてしまう。シェーナは泣きたい気分になった。

 素振りが終わると、シェーナはクレイとペアを組んで打ち込みに入り、そしてとうとう寸止めによる打ち合いの稽古に入った。

「よう。ディアス。お前でもスランプなんてあるんだな」

 声をかけてきたのは、今朝登校路で叩いてきたジーンだ。

「俺だって人間だぞ。スランプの一つくらいあるさ」

「じゃあ、お前を倒すのは今がチャンスってわけだな」

 そう言ってジーンが剣を構えた。

「来いよ」

「……わかった」

 シェーナはジーンの構えた練習用の剣に、自分の練習用の剣を合わせた。ディアスに稽古や試合を始める時に、まず最初にお互いの剣を軽く合わせると聞いていたからだ。

 キンッと小さく金属の音が鳴る。練習用の剣は刃をつぶしてあるが、鋼の剣で殴れば当然痛いし、打ち所が悪ければ死ぬ事もある。

「はっ!」

 ジーンがいきなり剣を袈裟懸けに振るった。

 シェーナはとっさに避けようとしたが、対応できなかった。

「うっ」

 シェーナは反射的に目を閉じたが、予想した痛みは来なかった。当然の如くジーンが寸止めしたからだ。

「おいおい。避けもしないで、目を閉じる馬鹿がいるかよ」

 ジーンには悪気はなかった。こいつにもスランプなんてあるのか? と疑い半分からかい半分で稽古の相手を挑んだのだったが、ディアスの状況が予想外に悪い事を知り、罪悪感込み上げてきた。

「悪かったな」

「いや、いいんだ……」

 しかしそれを見ていたクラスメイトが、相方を放り出して近寄ってきた。

「はっ! こいつはいいや!」

 近寄って来たのは金髪を固めて逆立ててる、軽薄そうな男だ。

「よせよ。ケイン」

「ジーン。てめぇは黙ってろ。おい、ディアス。俺とも相手してくれよ。この間の傷がうずくんだ」

(何こいつ……。ださい上に危ないわ……)

 シェーナは恐怖した。魔法が使えれば、こんな奴一撃で倒せる自信がある。しかし今は魔法を使うことができない。

「おい。ケイン。ディアスとやる前に俺とやらないか?」

 そう言ったのはクレイだ。

 クレイは剣を抜くと、ケインの喉元に剣を突きつけた。

「ちっ」

 ケインは舌打ちすると去っていった。

「自分より強い奴は相手にしない最低な奴だよ」

 クレイはシェーナにだけ聞こえるように言った。

「気をつけろよ。今がチャンスだと思って、あいつみたく狙ってくる奴が少なからずいるみたいだ」

「ディアスって敵が多いの?」

「そうだな……。あいつってさ、前回の期末トーナメントでも、その前の期末トーナメントでも優勝してるだろう。シェーナには負けるけどディアスも結構人気あるんだ。強い奴に憧れる者、逆に反感を感じたりする者。色々いるって事さ。中にはディアスを倒して俺が学年ナンバーワンになってやるって思ってる奴もいるかもしれない。そこら辺はシェーナの方が分かるんじゃないか?」

「……そうね」


 シャルトン王立学校では、生徒達の昼食の選択肢はかなり広い。お金のない生徒達は安上がりな学生食堂で済ます事が多いが、そうでない生徒達は学校の外にある飲食街へ行く。

 魔導士学部と剣術学部は、校舎は別々だが隣同士に建てられてあるため、その気になれば両学部の生徒達は、待ち合わせてしてどこかへ食べに行く事なんて簡単だ。

 シェーナ達は午前の授業が終わると、お互いの状況を報告するために、同じレストランで待ち合わせしていた。シェーナがクレイと一緒にそのレストランに着くと、既にディアスとエリスが、食事を半分くらい済ませていた。

「おっそーい!」

 エリスがシェーナを見つけると、手を振りながら言った。

「先生に個人指導受けてたのよ」

「シェーナ。口調が女だぞ」

 シェーナが言うとクレイが注意した。シェーナは気が緩む度に女言葉を使ってしまう。

「ごめん。疲れてたから……」

 シェーナは素直に謝った。するとおやっとエリスが眉を上げた。

「俺の方はスランプになったって事にしている」

 シェーナが改めて言った。

「急に剣が使えなくなったための理由としてね。お前って結構人望あるみたいだけど、敵も多いんだな。おかげでひどい目にあったぞ」

「ケイン達ね。あいつはお山の大将になりたがってるから。私が弱くなったと思って、今の内に叩きのめしておこうってつもりなのでしょう」

 ディアスは完璧に女言葉を扱っていた。

「冗談じゃない! そんなのたまったもんじゃない!」

「クレイがいるでしょう。クレイならケインなんて子供を相手にしてるようなものだわ。あれでどうやってお山の大将になるつもりなのかしら」

「……そうだな。クレイは頼りになるな。一人じゃ正直逃げ出してたかも」

「惚れるなよ」

「大丈夫。それとこれとじゃ話は別だ」

「ふふ~ん。でも脈ありって感じじゃないの?」

「ちゃ、茶化すなよ。エリス。それよりそっちはどうなんだ?」

「こっちは順調にピンチよ。ね?」

「えぇ。まず授業がさっぱり分からないわ。先生がおっしゃってる話がちんぷんかんぷんなのよ。それと実技なんだけど、魔法が全く発動しないわ。ここに来るまでにエリスに聞いたんだけど、ただ詠唱するだけじゃだめな……なっ……なっ……うがああああああああああああああ! 歯が浮く……」

「もっとゆっくりしゃべって。落ち着くのよ」

 身もだえ始めたディアスをエリスがなだめる。

「当たり前だ。ただ丸暗記しただけで魔法が使えたら、魔法学部なんていらない。本だけで十分だ」

 魔法を発動させるためには、呪文を唱えるだけでなく、頭の中で特殊な図形を浮かび上げたり、指先で特殊な印を結ばなければならない。時には魔法陣を召還したりもする。

「何で昨日教えてくれなかったのよ」

「それを教える所までたどり着かなかったんだよ。時間がなくて。それに教えるにしたって、種類が沢山ありすぎて、すぐには覚えきれないぞ」

「そうなの……。でも今日はあの日だから集中できないって事にしておいたから大丈夫」

「はぁあっ!?」

 シェーナはそれを聞いて顔を真っ赤にした。

「ちょっと待って!」

 シェーナはテーブルに手を着き、身を乗り出して叫んだ。ガシャンとテーブルの上の食器が跳ね上がる。

「あんた。まさかそれをみんなの前で言ったんじゃないでしょうね!」

「えっ? そうだけど。剣術学部では割とみんな平気で言ってるわよ」

 女性は子供を産むために月に一度痛い思いをする。その日と前後数日、個人差はあるが、腹や腰が痛くなって、激しい運動ができない。魔道士学部では魔法を学べばいいだけだから、自分があの日だと言う事を隠し通す事ができる。しかし毎日激しい運動をする剣術学部では、絶対にばれてしまう。そして学校側も一日つぶしてしまうのは、もったいないと言うことで、別カリキュラムを組むのだ。どの女性も入学して間もない頃は、こそこそと別カリキュラムを申請していたのだが、慣れてくれば平然とあの日だからと言うようになっていた。どうせばれるのだから、こそこそする必要はないと。

「剣術学部と同じように考えないでよ! あーもー。恥ずかしくて顔から火が出るわ」

 シェーナは両手で顔を覆った。

 シェーナは感情的になると、男口調で喋るのを忘れ、いつものように喋る傾向があった。

「頼むからそれはやめろ!」

 今度はクレイだけでなく。ディアスもエリスも語尾が違っていたが同時に叫んだ。

 しかしシェーナは聞いちゃいなかった。

「それもこれも、あんたのせいよ。あ・ん・た・の!」

 とうとうシェーナはディアスの胸ぐらを掴んで揺さぶった。

「ぐあっ。やめっ、やめ……。俺は女の胸ぐらを掴むような事は……うえっ」

「ふぬっ! ふぬっ!」

 シェーナは全くディアスの声を聞いてなかった。興奮してディアスを頭をカックンカックンと揺さぶり続けた。

「この私が個人指導を受けることになるわ、みんなの前で生理発表されるわ、今まで築き上げてきた私のイメージを、ど・う・し・て・くれるのよ!」

 しかしディアスは何も答えなかった。それもそのはず、ディアスの体から繰り出される、カックンカックン攻撃に、シェーナの体が耐えられず気絶していたのだ。

 そしてこの日の午後の授業でも、二人は何もできずに終わってしまった。


「あのケインと言う男に勝ちたいわ。弱い人間しか相手にしないなんてちょっと許せないわ」

 学校から別宅に帰ってきたシェーナが、ディアスを見つけると言った。ここにはエリスとクレイくらいしか来ないので、口調を気にする必要はない。だからいつも通りに喋っている。

「そうだな。俺が弱くなったと思って狙ってるんだろう。だがすぐには勝てないと思うぜ。あいつだって成績はそこそこいいしな。とりあえず、今はひたすら素振りと打ち込みしかないぞ」

「冗談言わないで。そんな悠長な事してられないわ。技とか教えてよ」

「あのな……シェーナだって、基礎が大切な事はわかってるだろう?」

「もちろんよ。でも、この体が覚えてるんでしょう」

「おいおい。そんな都合良く動かないぞ。ちょっと物覚えが早くなる程度なんじゃないか? もし体が覚えているだけで、強くなれるんだったら、もうケイン程度なら楽勝だぞ。でもそうじゃないだろう。まずは俺の体になじむことから始めないとな。でもまぁ今日はいくつかの斬撃の種類を教えるよ」

「……わかったわ」

 そしてディアスはシェーナに斬撃を教えていった。

「今まで素振りしていたように、上から真っ直ぐ振り下ろすのを唐竹と言う。相手に向かって右肩から斜めに振り下ろすのが袈裟切りだ。逆に左から斜めに振り下ろすのが逆袈裟と言う」

 ディアスは一瞬にして剣を抜くと、シェーナに向かって三連撃放った。シェーナの頭と両肩口で寸止めしたのだが、シェーナはびびりまくって瞳孔を細めた。

「き、斬られるかと思ったわ……」

「驚かせちゃったか?」

「わざとでしょう?」

「当たり」

 ディアスはクスリと笑った。

「次に胴へ左から右へ薙ぎ払うのが右薙、逆に右から左へ薙ぎ払うのが左薙だ」

 今度はシェーナをびびらせないために、シェーナの前でゆっくりと右薙に剣を振るい、返す剣で左薙に剣を振るった。

「そして左下から右上に切り上げるのが右切りあげだ。逆が左切りあげ。そして真下から切り上げるのを逆風と言う」

 最後にディアスは左下から右切りあげに切りあげ、そのして唐竹に剣を振り下ろし、逆風に切りあげ、逆袈裟に切り下ろすと、右下から切り上げた。

「そしてこれが……」

 ディアスは剣を引くと地面と水平に構え、剣先をシェーナに向けた。

「突きだ! はっ!」

 ディアスはシェーナの喉元に向かって剣を突き出した。

「ひっ!」

 剣はシェーナの喉元を、指一つ分空けてぴたりと止まった。

「突きはもっとも使われる技だ。実戦だと人を斬ったら血と脂で刃が鈍り、切れ味が落ちるからだ。大きな剣で肉をぶった切るならまだしも、そうでないのなら、切れ味の鈍った剣だと、斬るよりも突く方がいい」

「な、なるほど……」

 シェーナは冷や汗をかきつつ、喉元に突きつけられた剣に視線を落とした。

 すぅっと剣が引かれると、ふぅっと息を吐く。

「まずは全ての斬撃の素振りだ。その後に型と技を教えるから」

「わかったわ。ものには順序があるものね……」

 シェーナはびびったせいか、大人しくディアスに従った。

「そうだ。斬撃がわからなくちゃ、連続技も教えられないからな」

 シェーナの素振りは暗くなっても続いた。

 いくらディアスの体でも、明日は筋肉痛でしんどいだろう。


 くたくたになったシェーナは、お風呂で汗を流し食事を取った。この後はディアスに魔法を教える番だ。

「どうしたの?」

 シェーナがお風呂から上がって来ると、ディアスはソファーの上でへばっていた。

「眠い……。シェーナの体で剣なんか振ったから異常に疲れた。明日は筋肉痛だな……」

「あんまり無茶をしないで。私の体なんだから」

「わかってるよ。でも徐々に体力と筋肉を付けないと、やってられないな」

「わかってると思うけど、筋肉には気をつけてよね」

「了解」

 ディアスはだるそうに言うと、汗を流すために立ち上がった。


「じゃあ、基本的な集中の方法を教えるわね。エリスから授業内容を聞いたけど、今は火の魔法を教えてもらっているところね」

 シェーナは剣術だけでなく、日々の授業内容をエリスから教えてもらっていた。

 エリスは人に何かを教えるのはあまり得意ではないが、シェーナは聞き手上手で、エリスから上手く要点だけを聞き取り、教本と照らし合わせて勉強していた。そうしないと三ヶ月もみんなから遅れてしまい、本業が疎かになってしまう。

「火の魔法を唱える時は、三つの三角を真横にちょっとづつずらして並べたような図を頭に思い浮かべるて。これをマジックシンボルって言うの。覚えておいて。試験にも出るから」

 そう言ってシェーナは紙の上に、王冠の様な図を書いた。

「これ思い浮かべながら、意識を眉間に集中するのよ」

 シェーナはディアスの眉間に向かって指さした。それも振れるか振れないかギリギリの所で指を止める。

「じんじんくるでしょう」

「ああ」

「そこよ。そこに意識を集中するの。慣れない内は、自分で指を指して感じるのよ」

「なるほど。良く絵本や劇なんかで、魔道士が額に手を当てて呪文を唱えているのは、この事だったのか」

「そうね。でも眉間に指を当ててるようじゃ、その魔道士はダメね」

「……なるほど」

「とりあえず、火の呪文を教えるわ。まずは簡単な発火の魔法よ。詠唱内容を教えるから、今言ったように集中するのよ」

「まてまて、メモするから」

 ディアスは慌ててペンを握った。

「いくわよ。火の精霊よ。我に集いて姿を見せよ! ファイア・アピア!」

 ボッとディアスの目の前に小さな火が現れた。しかし火種がないので一瞬で消える。

「うあっ!」

 ディアスはびっくりして仰け反った。さっきの仕返しである。

「あははははっ」

「驚かすなよ」

「ごめんごめん。じゃあ、やってみて。狙いは目線の先よ」

「……わかった」

 ディアスはメモを見て暗記すると、息を深く吸い込んでから詠唱を始めた。

「火の精霊よ。我に集いて姿を見せよ! ファイア・アピア!」

 ボッ!

「うおっ!」

 ディアスは思いもよらない威力にびっくりした。

「おい。シェーナが放ったのよりもでかいぞ?」

「あたりまえよ。私の体とあなたの体じゃ、魔力に桁違いの差があるわ」

「あ、そうか。俺の体は今シェーナだったんだ……」

「自覚が足りてないんじゃない? 同じように、次は光をつける魔法を教えるわ。実はこっちの方が基本かな。まずは光の魔法の集中方法だけど……」


 ディアスとシェーナは少しずつではあるが、お互いに剣と魔法を教え合った。

 そして月日はそろそろ一ヶ月を過ぎようとしていた。すでにシェーナとディアスを知る者は、二人の長すぎるスランプに、とうとう二人は弱くなったと認識し始めていた。


 シェーナは放課後校舎裏に呼び出されていた。相手はマッチョな男だ。だからクレイが一緒に来ていて、隠れた場所からシェーナの様子を見守っている。いざと言う時に飛び出してシェーナを助けるために。

 しかし……

「待ってましたよ。ディアスさん」

 その男はどこかそわそわしていて落ち着きがなかった。そんな様子の男をシェーナは何度も見てきた。嫌な予感がする。

「ディアスさん。俺、ディアスさんがお仲間だと知って嬉しいっす! だから言うっす! 俺……ディアスさんの事が好きっす!」

「……はぁっ!?」

 シェーナは立ち眩みしそうになった。よく女子の間では、美少年同士の恋愛小説などが流行ったりするが、マッチョは論外だ。

(これが現実なの……)

 現実は小説のような甘いロマンスに溢れていない。その事にシェーナはがっかりした。

「すまない。俺は男には興味ないし、お仲間でもない」

 シェーナはディアスの面子を守るために言った。

「でもディアスさんは、男に目覚めたって言う噂が……」

「そんな噂どこから聞いたんだ?」

 そう言いつつシェーナは冷や汗をたらした。オカマと間違われてもおかしくない行動をしてきた記憶が山程ある。

「あちこちで噂になってますよ」

「噂は噂だ。みんなにも言っておけ。俺は普通だと」

「……そうでしたか……。あの、この事は……」

「大丈夫だ。今日俺は放課後ここには来なかった。真っ直ぐ家に帰った。そうだろう?」

「ありがとうございます。やはりディアスさんは素敵だ……」

 マッチョな男は頬を染め、目を潤ませると、踵を返して走り去って行った。

「……どうしよう」

 シェーナは罪悪感を感じた。ディアスが知ったらどうなってしまうのだろう。めちゃくちゃ怒るだろうか。そう思うと怖くなってきた。

「どうやら噂はデマだったようだな。少々安心したぞ」

 そう言って現れたのは長髪の男だ。まるでカラスの様な黒い髪に、刺すような鋭く黒い瞳。少し危険な香りがする男だ。スリルを求める女なら放っておかないだろう。そしてシェーナの好みではないが美形である。美少年同士の恋愛には、さっきのマッチョでなく、この男の様な者が出てきて欲しいものだとシェーナは思った。

 しかし目の前の男は、そんな美少年の恋愛小説には絶対に現れないとも思った。気配が物騒過ぎるのだ。そして自然体ながらも隙が全く感じられない。シェーナは一発でこの男は、ディアスに匹敵する強さを持っていると直感した。しかし……

(……誰だっけ?)

 非常にまずい。相手はディアスを知っている。しかしシェーナは目の前の男が誰だかわからない。クレイは物陰に隠れているので、助けを求めるわけにもいかない。

「カマを掘られて弱くなったと聞いた時は、自分の耳を疑ったぞ」

「疑って当然だ。デマだと知って安心する程信じるんじゃねぇよ」

「そうだな。しかし弱くなった事は確かのようだな。こうして対面してても、まるで威圧感が感じられない。以前のお前はどうした? スランプだそうだが、いつまでもスランプだと俺が許さんぞ。完璧でないお前を倒したとしても、何の意味もない」

 シェーナは思い出した。こいつの名はジェスター。ディアスがいるせいで、期末トーナメントでずっと二位だった男だ。

「なかなか調子がでなくてね。しかし後期までには戻してみせる」

「遅いな。それでは前期トーナメントに間に合わない。何とかしろ」

「何とかって言ってもな。こればっかりはわからない」

 なんとか平静を装っているが、シェーナは冷や汗をかきっぱなしだった。

「わからないじゃだめだ。どうしても治らないのなら、俺が荒療治してやろう」

「それはもう試したよ」

 嘘だった。そんな事冗談ではない。

「まぁ、期末トーナメントまでには努力するよ」

「……わかった。お前だからこそ信用しよう。しかしもしも俺の期待を裏切ったら、わかるよな? その事を覚えておけ」

 そう言ってジェスターは踵を返した。

「ああ、覚えておくよ」

 ジェスターが見えなくなると、シェーナはその場にへたり込んだ。

「おい。大丈夫か?」

「……駄目、無理」

「……」

「嘘よ。でもどうしよう。絶対無理だよぉ」

「弱音吐くなよ。どうにかするしかないだろう」

「剣を使い始めてまだ一ヶ月しか経ってないのよ。やっと基礎が身に付いてきたばかりなのに、どうやってトーナメントの予選を突破するのよ。及第点取るので精一杯だわ」

「俺やディアスがいるだろう。大丈夫だって」

「でもディアスはもう私に何も教えてくれないかも……」

「あの噂か……」

「まあ、俺がフォローするから……がんばれ」

「駄目、無理。泣きそう……」


「ごめんなさい」

「……いったいどうした?」

 ディアスは突然シェーナに頭を下げられて戸惑った。放課後になって別宅のリビングに呼び出されたら、そこにはシェーナだけなく、クレイとエリスまで集まっていた。何が始まるかと思えば、いきなり謝られてわけが分からない。

「その……ほら……、私って時々いつものしゃべり方するでしょう。あれって結構聞かれていたらしくて……。後……私、訓練とかで倒れる時って、やっぱり女の子の様に倒れちゃうの。それは仕方ないでしょう。私は女の子なんだから。だから……その……後はクレイお願い!」

「仕方ないな。まぁ、なんだ。ぶっちゃけて言うと、ディアスがオカマか同性愛者じゃないかって噂が流れてる」

「はぁ? ちょっと待て! 誰が同性愛者だと!?」

 クレイは真っ直ぐディアスを指さした。

「ちなみに俺もとばっちり受けてる。どうやらお前の相手は俺らしい」

 クレイががっくりと肩を落とした。

「クレイもごめん」

 シェーナが学校で頼れるのはクレイだけだ。だからどこへ行くのもクレイと一緒だった。だから二人はデキてるのではないかと噂がたったのだ。

「うがああああああああああああ!」

 いきなりディアスは頭を抱えて叫んだ。

 その反応にシェーナがビクッと震えた。

「……なんで……俺が……ホモだと……」

 ディアスは同性愛者が嫌いだ。一度同性愛者に言い寄られて襲われた事があった。その時は撃退したのだが、色んな意味で怖い思いをした事は、誰にも話していない秘密だ。

「あっ!」

 シェーナは見てしまった。ディアスの目尻に光る物がにじみ出て来たのを……

「ごめん。本当にごめん」

「……はは。いいさ。普通の状態じゃなかったんだ。仕方ないよ……」

 ディアスは乾いた笑いを浮かべた。

「悪いが今日は一人にしてくれないか」

 そう言ってディアスはリビングから出て行った。 

「どどどどどうしよう」

 焦ってうろたえてるシェーナを見たクレイとエリスは、お互いに困った顔を見合わせた。

「どうしようって言われてもなぁ」

「ねぇ」

「あれだな。シェーナはちょっと真剣味が足りないと思うぞ」

「えっ?」

「シェーナってさ、義務感から剣術を覚えようとしているんだろう」

「……そうだけど」

「そしてディアスの事を敵視している。今はそうじゃないかも知れないけど、最初の頃は嫌ってさえいただろう」

「……正直言ってそうよ。ディアスは総合主席を狙う上での最大の障害よ。本当はこうやって馴れ合う気なんてなかったのよ」

「それが原因だな。俺から見ればシェーナが剣術を覚えるよりも、ディアスが魔法を覚える方が早いし、上達しているように見える。それがなぜだかわかるか?」

「……わからないわ」

「じゃあ教えてやる。ディアスはシェーナのために頑張ってるからだ。エリスから聞いたけど、普段の学校生活でも、お淑やかで清楚なお前を演じきってるってさ」

「そうよ。ばれないためだけじゃなく、シェーナの評判を落とさないために頑張ってるわよ」

「……え?」

「でもシェーナはどうだ? 義務感から必要最小限の事しかしていないんだろう? ディアスなんかどうでもいいと思ってるから、普段の行動で粗が目立つんだ。しゃべり方にしろ倒れ方にしろ。気配りがなさ過ぎる」

「あいつが……私の事……そんなに……」

「あぁ。それに少し前にこんな事言ってたよ。シェーナは凄い奴だって。演じきれる自信がないって。シェーナには万人を引きつけるカリスマ性ある。俺にはシェーナ程のカリスマはない。そいつは持って生まれた才能みたいなものだから、それ以外の能力でシェーナを越え、必ず総合主席を取ってみせるってな。あいつはある意味シェーナに憧れていたんだよ。色々と裏切られて来たがな。まぁそれは俺も同じだが……」

 クレイはとんだ猫かぶりだったよと、最後にボソッと言ったが、シェーナは聞かなかった事にした。それどころじゃなかった。

 シェーナは今まで感じた事のない程の大きな罪悪感に襲われた。自分はなんて小さい奴なんだろう。なんて酷い奴なんだろう。そして自分とディアスの器の差がはっきりとわかり、敗北感まで感じた。思えばディアスはずっと自分を友達のように接してくれた。それは友達がエリスくらいしかいない事に、気遣ってくれていたのではないだろうか? どんなにシェーナが冷たくしても、ディアスは暖かかったではないか? もしかしたら同情だったのかもしれない。でもそれでも良かった。何故自分は今までディアスの優しさに気が付かなかったのだろうか?

 気づくとシェーナは涙をこぼしていた。

「私……ディアスの所に行ってくる」

 シェーナは流れる涙をぬぐいながら、ディアスの部屋へと向かった。

「クレイ。良かったの?」

「何がだ?」

「もしこのまま何も話さなければ、シェーナ、あなたの事好きになってたかもよ? 最近学校じゃずっと一緒にいるんでしょ? 頼りにされてたんでしょ?」

「……そうかもな。でもシェーナは俺の好みじゃないよ。それに俺は超人類と付き合う自信がない!」

「ぷっ。何よそれ?」

 エリスは笑いながら聞き返した。

「だって超人類だろう? シェーナもディアスもな。奴らは普通じゃない」

 クレイもつられて笑った。

「俺は普通の恋で十分だ。親衛隊に怯える事もなく、誰かに妬まれるような事のない普通の恋で十分だ」

「……そか」


 ディアスは部屋にいなかった。シェーナはディアスを捜して別宅をあちこち歩き回り、屋根の上まで来てやっとディアスを見つけた。

「ディアス……」

 シェーナの声を聞いて、寝っ転がっていたディアスが、上半身を起こして振り向いた。

「シェーナ。お前、初めて俺の名を呼んでくれたな」

「えっ? あっ……その、ごめん」

 シェーナはディアスの事を、総合主席を争う敵としか見ていなかった。だから一定の距離を置くために名前で呼ばなかった。馴れ合いをしたくなかったのだ。敵は敵であり、一線置いた関係を保とうとしていたのだ。今考えてみれば、何故そこまで意地を張る必要があったのだろうかと馬鹿馬鹿しく思えた。

「私。ディアスの事、総合主席を狙う敵としてしか見てなかった。だから名前で呼ばなかったの。だからごめん」

「今は違うのか?」

「……うん。たぶん。無意識に名前が出たの。それって心の奥ではもう敵として見てないって事だと思う」

「そうか」

 ディアスが微笑むと、シェーナは一瞬ドキッとした。

「私、クレイから色々聞いたの。ディアスが私の事を色々と気遣ってくれたり、私の評判を落とさないように頑張ってくれているとか……。それなのに私……」

 シェーナは熱い何かが込み上げて来て、それを押さえる事ができずに涙を流した。

「あいつ。余計な事を……」 

「私も頑張る。今日みたいな噂は二度と流させない。汚名も返上できるように頑張る。ううん。返上してみせる。だから……」

「それならもういいよ。元に戻れば噂なんて消えるさ。グダグダ言ってる奴はぶちのめしてやるさ」

「……ごめんね」

「今日のシェーナは謝りっぱなしだな」

「だって私が悪いし……」

 ディアスは気にするなとは言わなかった。言えばシェーナを追いつめる事になると思ったからだ。シェーナは十分反省している。ならもういいじゃないかと思った。

「もういいよ。シェーナは十分反省してる。もういいんだ」

「ディアス……」

「そろそろ戻るか。クレイもエリスも心配してるだろうしな」

「ちょっと待って。あのね。一つお願いがあるの」

 シェーナは恐る恐る言った。本当は今言うタイミングじゃないと自分でも思う。しかしこの思いを止める事ができない。

「なんだ?」

「こんな私だけど、友達になってくれるかな?」

「ぷっ」

 ディアスは吹き出した。

「なっ? なによ! 人が真剣に悩んだ末に言ったのに!」

「だって、俺はもう友達のつもりだったからな。それは思い上がりだったかな?」

 それを聞いてシェーナの顔がぱっと明るくなった。

「全然っ!」

「……それでだ。俺もシェーナに言わなくちゃならない事がある」

 ディアスは頭をポリポリとかきながら言った。

「なに?」

「実はだな。魔法が使えなくなって、シェーナが弱くなったと思った男達が襲って来た」

「え!?」

 シェーナは血の気が引いた。まさか……

「魔法じゃかなわないから、ぶん殴って蹴り飛ばして撃退した」

「……はぁ。やられたかと思ったわ」

「その言い方はいろんな意味で危ないからやめとけ」

「なっ! なに考えてんのよ!」

 シェーナは顔を真っ赤にして怒鳴った。

「冗談だって。落ち着け」

「それで? その後どうなったの?」

「今度は複数できた。だがしっかし、魔道士学部の生徒って体力も腕力もないなぁ」

 ディアスは少し呆れているようだ。

「へ?」

「最初の不意打ちをかわした後は速攻片づいた。あれだな。魔道士ってのは懐に入られるとてんでだめだな」

「どうやって間合いに入ったの? 魔法をかわせたの?」

 ディアスの言うとおり、魔道士は接近戦を苦手とする。だから敵を懐に入らせないように、間合いを開ける訓練をしている。

「わりと簡単だったぜ。相手の目線と手を見ていれば、いくらでも予想がつく」

「簡単じゃないわよ……」

 光の槍や炎の弾丸は、突きだした手や杖から高速で放たれる。それを避けるにはかなりの訓練を積まなければできるようなものじゃない。魔道士学部の生徒は、魔法を当てる訓練もしてきたが、避ける訓練も怠っていない。シェーナだって避けれるようになるまで、かなり時間がかかった。ちなみに訓練では防御障壁を予め張ってから、魔法を避ける練習をする。そうでなければシェーナも何回死んだかわからない。

 それをディアスは訓練なしでやってのけたのだ。剣を避けるのとは全然違うのにだ。

「まぁ、そんなわけで、シェーナは男を素手でぶちのめす事ができる女って事になった」

「はっ?」

「そう言うことだ。すまない。でもこれってシェーナの体を守るためにやったんだぜ」

「あ……あははは……。いいのよ。これでおあいこだもんね」

 シェーナは乾いた声で笑った。

「もう一つある」

「えっ!」

「急にシェーナの親衛隊が増えた。やはり闘う女は格好いいからかな。特に下級生がお姉様お姉様ってうるさくてかなわん」

「それって、もしかしてあっちの趣味の人達……?」

「さあな。もしかしたらそうかもしれない……」

「親衛隊って勝手に作ってるけど迷惑なのよね……。まともな人少ないし……。もう分かってると思うけど、私って実は友達少ないのよ」

「やっぱり有名人ってのは近寄りがたいところがあるからなぁ。知り合いにはなりたいけど、友達になると色々と面倒だって思うかもな」

「う。確かにそう思うかも……」

「サラってさ、結構良い奴だと思うぞ」

「え? なんで!? サラって私の事嫌ってるでしょう。何かと目の敵にしてさ」

「でもシェーナの事を同級生としてまともに接してるのって、教室の中じゃエリスを除くとサラくらいだと思うぞ」

「……そうなのかな?」

「そうさ。素直に接すれば、結構良い友達になれると思うけどな。それを決めるのは俺じゃないから放ってあるけどね」

「ありがとう。そうね。体が元に戻ったら私から歩み寄ってみるわ。ディアスの時みたいにね」

「シェーナ、お前って変わったな。前より輝いてる」

 シェーナは頬を染めて視線を外した。

「おだてないでよ」

「なに恥ずかしがってんだよ。前のシェーナってさ。意地張って最高の女、最高の魔道士、最高の生徒を演じていただろう。それがすっかりなくなってる気がする」

「え、そんな風に見えてた?」

「そう思ってたのは俺だけかもしれないけどな」

「確かにそう見えてもおかしくないわ。親やみんなに期待されると、つい背伸びしちゃうの。私にミスは許されなかった。妥協も許されなかった。だから私は頑張ってきた。でもそれは間違いだったのよ。みんなのためじゃなくて、自分のために頑張っていれば、もっと普通にいられたのかもしれない……」

「今からでも遅くないんじゃないか? 丁度評判落ちてるしね。落ちる時は早いぜ。大衆ってのは残酷だからな。見切りをつけたら、新しい生け贄探し出して、前の生け贄には見向きもしないぜ」

「それはそれで寂しいわね。でも私はディアス達がいるからかまわないわ」

「それが普通ってやつだぜ」

「そうね」

 シェーナはクスクスと笑って夜空を見上げた。

「夜空って綺麗ね。なんだか今初めて気がついた気分だわ」

「今まで余裕がなかったんじゃないか? 空はいつでも綺麗だぜ」

「余裕かぁ。そうかもね。色々とありがとう。私、ディアス達のお陰で変われそうよ」

「そいつは良かった」

 ディアスの笑顔にシェーナはドキッとした。見た目は自分なのだがから、変な気分である。


「ディアス! 次よ、次!」

 シェーナは変わった。今までと違って自分のために、そしてディアスのためにと思う気持ちが、剣術の上達を早めたのだ。まだ剣術をディアスに習って一ヶ月ではあるが、荒削りでも基礎を身に着け、次々と技と言えるものを身に着けていった。

「そうだな。次は返し技とか教えるよ。今まで教えてきた技を、防ぎつつ逆に相手に攻撃する技だ」

「へぇ……いいわね」

 シェーナは剣を振るうのが楽しくなっていた。いや、ディアスと剣を交えるのが楽しくて仕方ないのだ。しかしシェーナ自身はまだその事に気づいてはいなかった。

 一方ディアスも次々と魔法を覚えていった。

「今まで攻撃魔法を教えて来たけど、今日から防御魔法も教えるわよ。ディアスは魔法を避けられるかもしれないけど、広範囲魔法を撃たれたら避けきれないわ」

「ふむ。防御は大事だな」

「流石ディアス。わかってるわね」

 ディアスは魔法の歴史やらうんちくやらは、覚えるのに時間がかかったが、実際に魔法の詠唱内容を覚える時は、飲み込みが早くすぐに覚えた。シェーナの方も余計な部分は省いて教えているせいもあった。


「ディアスって魔道士学部でも結構良い線いってたんじゃない?」

 シェーナが夕食をディアスと食べながら言った。

 ちなみに今日の料理はディアスが作った物だ。見た目は多少崩れているが、味はシェーナよりも美味い。シェーナにはそれが悔しかったりする。

「良い線か。でも剣術じゃもっと良い線いってるだろ。やっぱり俺は剣の道を選んで正解だったんだよ」

「何勘違いしてるのよ。私が言いたい事は、ディアスは魔法のセンスもあるって事よ」

「ありがとうな。でもそれを言うなら、シェーナも剣の素質あるぞ」

「ほんと!?」

「ああ。なんだか褒め合ってちゃ成長しない気もするがな」

 ディアスは苦笑しながら言った。

「あら。時には褒める事も大切よ。やる気が出るもの」

「そうかもな」

「ねぇ、エリスとクレイは何してるのかな。二人とも週末は二日の内片っ方しか手伝ってくれないし。二人とも毎週同じ日に用事があるなんて、怪しいわね」

「やっぱりシェーナは知らないんだな」

「え?」

「エリスとクレイは付き合ってるんだぜ。今頃デートの真っ最中だろう」

「ええええっ!」

 シェーナは腰を浮かせて声を上げた。

「知らなかった……」

「あいつら誰にも内緒で付き合ってるからな」

「じゃあ。なんでディアスは知ってるの?」

「長い付き合いだぜ。いい加減気づくし、何回か二人がデートしてるのを見かけてる」

「でもなんでディアスにも言ってないんだろう。幼なじみなんでしょう? 三人は」

「幼なじみだからだよ。三人の内二人がくっついたら、なんか気まずいだろう。エリスもクレイも俺が気づいてる事を知ってると思うけど、あえて触れないでいるんだ」

「複雑なのね」

「複雑だよ。人間の気持ちってのはね。まぁ、俺にも恋人とかできれば、あいつらも遠慮する事なくなると思うけどな」

 シェーナはディアスの言葉にドキッとした。そして急にディアスを意識してしまった。考えてみれば同棲しているのである。今の状態は恋人同士だと言われてもおかしくない。ディアスが自分の姿をしているために、今まで意識していなかった。しかし一度意識してしまうともう手遅れだった。顔が赤くなり鼓動が激しくなる。

(な、何意識してるのよ……)

 シェーナは慌てて平静を取り戻そうとしたが、どうもだめだ。どんどん顔中が熱くなってくる。このままじゃ顔が真っ赤っかになってしまう。

「私……ちょっと具合が悪くなったから、部屋に戻ってるね。悪いけど、片付けお願い」

「大丈夫か? 飯、まずかったかな?」

「ううん。美味しかったよ。悔しいほど……」

「そ、そうか。ならいいが……、薬とかいるか? って魔法で治せるのか?」

「魔法は万能じゃないわ。それに治癒系の魔法は、私よりエリスの方が得意よ」

「じゃあ、エリスを呼ぼうか?」

「いいわよ。デートの邪魔しちゃ悪いから。ありがと」

 そう言ってシェーナは逃げるようにリビングから出て行った。


「エリス。放課後相談したい事があるんだけど……」

 シェーナは昼食の帰りに、エリスだけに聞こえるように言った。

 ディアスとクレイはシェーナ達のちょっと前を歩いている。シェーナはそうなるように、歩く早さを落としたのだ。

「いいわよ。それよりも大丈夫? クレイの話だと、午前中全然集中力なかったって言ってたわよ」

「う……まぁ……そうなのよ」

「……あの日?」

「なっ! ディアスの体であの日が来るわけないじゃない!」

「冗談よ。となれば……残りはアレしかないわね」

 エリスはニヤリと口元を歪めて微笑んだ。はっきり言って怖い。

「その笑み怖いわよ」

「うふふふふ。そうかぁ。とうとうシェーナにも春が……ぶっ」

「わっ! わっ!」

 シェーナは慌ててエリスの口を手でふさいだ。幸い先に歩いているディアスとクレイには聞こえてないようだ。

「続きは放課後ね。大船に乗ったつもりで、まーかせて!」

 エリスは親指を立ててウィンクした。

「……よろしく」

 シェーナは急に不安になって来た。相談する相手を間違えてしまったかもしれない。


「……で? どっちなの?」

 ヴェールの中でもかなり外側にある喫茶店にシェーナとエリスがいた。他人から見たら男女の組み合わせなので、デートかと思うかも知れない。

 シェーナは周りに人がいない事を確認すると、いつものように話し始めた。

「ディアスなんだけど、なんて言ったらいいかな……、急に意識するようになったの。これって……恋なのかな?」

「なんだか聞いてる方が赤面しちゃうわね」

「私も恥ずかしくて心臓が飛び出そうよ」

「それってどう見ても恋でしょ」

「……やっぱり?」

「そうよ。あ~もう。恥ずかしいわね。シェーナってさ、まわりに担ぎ上げられて、まともな恋なんて今までした事なかったでしょ?」

「うっ。そうかも。ちょっといいなぁって思う男の子がいても、いつも親衛隊に邪魔されるのよ。だからいつもうやむやになって、その内どうでもよくなっちゃうのよ。それと……周りの目や反応が怖いの」

「もったいないなぁ。シェーナなら誰だって一発で良い返事もらえると思うな」

「そうかなぁ?」

「たぶんね。でさ、今って周りの反応を気にしないでいいし、親衛隊に邪魔される事もない。素直に自分の気持ちを相手にぶつけられるチャンスじゃないかな?」

「そっか。そうだよね。うん」

「シェーナは今、恋の舞台に立ってるわ。後はシェーナの気持ち次第ね」

「恋の舞台……。なんだか素敵ね。そう言うエリスも、今恋の舞台に上がってるのよね?」

「なんだ。やっぱりバレてたのか」

 エリスはちょっと照れた笑いをこぼした。

「実はディアスに聞いたの。全部……」

「……そか」

「幼馴染み三人って微妙な関係みたいね」

「友情と愛情が絡むとやっかいなのよ。幼馴染みって気兼ねなしに付き合えるけどさ、だからって何でもできるわけじゃないし。三人の関係を崩したくないから、時には逆に気を使ったりする事もあるのよ」

「……なんかエリスって凄いわね」

「そう?」

 エリスが首をかしげると、シェーナはコクコクとうなずいた。

「話を戻すけど、シェーナってさ。本気の恋するのって遅すぎだわ」

「うっ。私もそう思う」

「損してるわよ。恋ってさ、良い事ばかりじゃなけど楽しいわよ。でも選択を間違わないように慎重にね。余分なプライドや、意地とか全部取り払って、残った感情から答えを導きだしてみて」

「……わかった」

「頑張ってね」

「うん」


 シェーナは帰るのが怖かった。わざと回り道をしたり、小物を買ってみたりした。ディアスの体で可愛い女物の小物を買った時、お店の人が頑張ってねと言ってくれた。きっと彼女へのプレゼントだと勘違いしているのだ。そう言えばディアスはどんな物を持っているのだろう。趣味は剣以外に何があるのだろう? 好きな食べ物は? 好みのタイプは? 気づけばシェーナはディアスの事で頭がいっぱいになっていた。それに気が付いて恥ずかしくなったシェーナは、自分をごまかそうといきなり走り出した。

(私って何やってるんだろう……)


 シェーナは放課後、毎日ディアスに剣の稽古をつけてもらっている。今日はその稽古に遅れてしまった。

「遅いぞ、シェーナ」

 ディアスは既に素振りを始めていて、額に汗をかいていた。

「ごめん。ちょっと用事があって……」

 実際用事があったのだ。嘘はついていない。でも何も言わずにディアスを待たせてしまった。そんな後ろめたさが声を小さくさせた。

「なぁ。俺、何か悪いことしたか?」

 ディアスは剣を納めて汗をぬぐった。

「えっ? 全然そんなことないわよ」

「じゃあ、何で避けるんだよ?」

「私。避けてなんかないわよ!」

 シェーナは思いもよらない事を言われてびっくりした。

「そうかなぁ?」

「私、ディアスの事嫌いじゃないし……」

(むしろ好きだし)

 シェーナはハッとした。今初めて確信した。自信を持ってディアスが好きだと。

 確信した瞬間、シェーナは真っ赤っかになった。なんだかクラクラする。目を合わせていられない。体中が上気してゆでだこのようになった気分だ。

「おい。どうした? 顔が赤いぞ」

 ディアスが近寄って手をかざしてくる。きっとおでこを触って熱を確かめるつもりだ。

「はうっ!」

 動揺して動けないシェーナは、なすがままにおでこに手を当てられた。

「熱っぽいな」

(……もうダメ……)

 ディアスが目と鼻の先にいる。しかしまともに見られない。

「あ……あの。ディ……ディアス。ちょっと熱っぽいから今日はもう寝る。ごめんね」

「分かった。ゆっくり休みな。後でおかゆでも作って持って行くよ」

「う……うん」

 この時からシェーナはディアスとまともに顔を合わせられなくなった。やっと話せるようになったのは、週の半ばを過ぎてからだった。


「やっといつものシェーナになったな」

 ディアスはシェーナと剣を合わせながらいった。

(誰のせいだと思ってるのよ!)

「ごめんね。心配した?」

「ああ。おれが何かしたのかなって」

(したわ。十分過ぎるほど!)

「ディアスは何も悪い事してないから気にしないで」

「そうか……」

「それよりさ。今週末、気晴らしに王都にでも遊びに行かない? ずっと稽古と勉強で疲れちゃったわ。たまには息抜きも必要だと思うの」

 シェーナは何度も練習した台詞を言った。

「そうだな。たまにはいいかもな」

「やったね!」

「クレイとエリスも誘うか」

「え? いいわよ。デートの邪魔しちゃ悪いわ」

 シェーナはあらかじめ予想していた反応に対して、用意していた言葉を返した。シェーナはあらゆる会話のパターンを予想して、シュミレーションしていたのだ。そのせいで昨夜は寝付けなく、教室の授業で熟睡し、先生に怒られたのは内緒である。

「そうだったな。ま、いいか」

「うんうん。それでさ、今王都で流行ってるミュージカルを見に行こうかと思ってるんだけど、ディアスは興味ある?」

「う~ん。行ってもいいぜ。ミュージカルは見た事ないから、ちょっと楽しみだな」

「ほんと!? 私も楽しみ」

「それじゃ。再開するか」

 ディアスは疎かにしていた剣を再びシェーナに向けた。

「仕方ないわね」

 シェーナとしてはもっと話していたかったが、仕方なくディアスに剣を向けた。


 王都に遊びに行く朝、別宅の前にあらかじめ手配しておいた馬車が到着した。

「おいおい。たかが息抜きに金使ってるなぁ」

 ディアスは少々驚いた。

「馬車を手配するのは貴族のたしなみよ。それにこっちの方が目立たないでしょう」

「あぁそうか。勘違いされたら面倒だしな」

「……別にそう言う意味じゃないわよ」

 シェーナはただ邪魔されたくなかっただけだった。もし親衛隊に見つかったりしたら、デートどころではなくなってしまう。

 シェーナは馬車に乗ってから話題をあれこれ探した。昨夜色々と考えていたのだが、いざとなったら緊張して何も思い出せない。

「なぁ、シェーナ」

「な、なぁに?」

 だから口を開いたのはディアスが先だった。

「今のままじゃ、及第点は取れてもトーナメントは予選すら通過できないんじゃないかな? 俺もシェーナも七歳の頃からシャルトン王立学校に通ってるだろ。周りのみんなだってそうだ。もう十年以上も修行して来た奴らだ。それをたった三ヶ月頑張った程度で勝てると思うか? はっきり言ってそんなに甘くない」

「……そうね」

 シェーナは期待した話題からかけ離れていたのでがっかりした。でもディアスが言ってる事は、シェーナも薄々思っていた事だ。いや、なるべく考えるのを避けていた。

「だから、俺はやっぱり剣も使いたい。そうすればまだ勝ち目がある。それでだ。剣に魔法をかける事ってできるのか?」

「確かにそう言う魔法はあるわ。魔法でしか倒せないモンスターなんかもいるしね。でもあまり注目されていない分野でもあるの。モンスターを倒すにしても、魔法しか効かない様な特殊なモンスターを倒す時にしか使わないし、使うにしても自分じゃなくて味方の戦士にかけるくらいで、まず自分にはかけないわ。自分の武器に魔法をかけて闘うよりも、攻撃魔法を撃った方が強いもの」

「なら剣術ができる俺ならどうかな?」

「それは確かにいいかも。剣にかける魔法って範囲が狭い分、拡散されないのよ。だからその分魔力が凝縮されて威力が高いわ」

「なるほどな。放たれる魔法はどうやっても、ある程度魔力が拡散されちまうしな」

「分かってきたじゃない」

「そうでなきゃ困るだろ」

「そうね」

「それでさ、魔導士学部のトーナメントって武器を使ってもいいのか?」

「いいわよ。杖を使ってる人が一番多いかな。魔法の杖は魔力を増幅してくれるから」

「杖を使ってるのは見た事あるさ。俺が言いたいのは刃物とかそういう武器さ」

「あぁ。そういう事ね。刃物も使っていいわよ。実際短剣や剣に魔法をかけて闘う人もいるわ。ただ防御に使うためってのが多いわね。短剣や盾とかに防御魔法をかけて、強力な防御障壁を作り出して相手の魔法を防ぐのよ。だからディアスが剣に魔法をかけて闘うのは全然かまわないと思うわ」

「それを聞いて安心したよ。後で教えてくれよな」

「うーん。私も詳しくないから、一緒に勉強する事になるかな」

「そうか。ならシェーナも剣に魔法をかけて闘ったらどうだ?」

「剣術学部なのにトーナメントで魔法を使えるの?」

「使っちゃいけないっていうルールはない。時々少しかじった魔法を使う奴がいるしな。でも魔法で勝った奴はいないと思う」

「そりゃそうでしょう。魔道士学部でも本格的な剣術で挑もうって人は見た事ないわ」

「じゃあさ。二人で新しい風を吹かせようぜ」

「いいわね。面白そうじゃない」

 二人は顔を合わせて微笑んだ。


 ミュージカルの内容はありふれた物だった。とある国のお姫様が騎士と駆け落ちするのだが、当然追っ手がかかる。しかし二人は追っ手を何度も危機一髪で退け、隣の国へと逃亡する。しかし後一息と言う所で追っ手に取り囲まれて窮地に追い込まれる。そしてお姫様が騎士をかばって死んでしまう。騎士もお姫様の後を追うように、なすがままに殺されてしまう。しかし二人の魂は一緒に天国へ向かい、そこで幸せになると言う話だった。

「あれはないよぉ。死んじゃうなんてかわいそうだよぉ」

 ミュージカルのクライマックスから、シェーナはずっと泣きっぱなしだった。

「あんまり泣くなよ。恥ずかしいから」

 シェーナが自分の体で泣く分にはかまわない。でも今はディアスの体なのだ。

「なによ。ディアスだって目に涙溜めてるじゃない」

「だけどさ。見た目女の俺はいいけど、男が号泣きするってのも恥ずかしいわけで……」

「でもほら、いるじゃない? 例えばごっつい男の人でも感性豊かで、感動しちゃうと直ぐ泣いちゃう人。そういう人って結構可愛いわよ」

「そんなもんかなぁ。まぁ、いいや。それよりも城を見て行かないか?」

「うん。いいわよ」

 ウェンダンの王城は美しい堀に囲まれている。まるで湖の上に浮かんだ島に建てられているようだ。城は高い城壁に守られ、四方と中央には高い塔が天に向かって伸びている。そしてその頂上にはウェンダンの国旗が風になびいていた。

「綺麗だよな」

「ウェンダンの自慢よね」

「将来さ。あんな綺麗な場所で働けたら凄いんだろうな」

「でもちょっと窮屈そうよ」

「……そうかもな」

「ね。ご飯食べよう。ちょっと早いけど、早めに帰らないと明日に支障でるから」

「いい場所知ってる?」

「実はね。予約してあるんだ。混む時間じゃないから予約いらないかなぁって思ってたんだけど、完全予約制だったから」

「おいおい。俺あんまりお金持ってないぞ」

「大丈夫。付き合ってくれいたお礼におごるわ」

「シェーナってさ。前から思ってたけど金あるな」

「何言ってるのよ。ディアスだって貴族でしょう。これくらいたいした事ないと思うレベルのレストランよ」

「いや、たぶん俺とシェーナじゃ、金銭感覚が違うと思うぞ。貴族丘に家を一件借りるだけじゃなくて、郊外の湖畔にもう一件借りるなんて、シェーナくらいじゃないのか?」

「そうかなぁ?」

「俺の家の爵位は男爵だけど、シェーナの家の爵位は?」

「伯爵よ」

「うわっ。やっぱし。でも伯爵家なら王都の王立士官学校でも行けたんじゃないのか?」

 シャルトン王立学校は一般平民から下級貴族が入学できる学校である。それに対して王立士官学校は伯爵以上の貴族か、貴族にコネのある者でなければ入学できなかった。

「もちろん行けるわよ。でも士官学校じゃ伯爵が一番下の爵位なのよ。まぁ平民も少しいるけど。毎日上級貴族のご機嫌うかがいながら生活するのは嫌よ。それに上の学校の下っ端よりも、下の学校のトップの方が気分いいじゃない」

「なるほどな。でも親は士官学校へ行けって言わなかったのか?」

「言われたけど説得したわ。でもやっぱりこっちに来て正解だったわ。ディアス達に会えて、私……今、とても最高だわ」

「そいつは良かった。そう言われて俺も嬉しいよ」

「ディアスは……私に会えて良かったと思う?」

 シェーナは恐る恐る聞いた。

「ん? 俺か? 会えて良かったと思うぜ」

「そか。うふふふ」

 シェーナはくるりと回って微笑んだ。

「……頼むから。俺らしく振る舞ってくれ……」

「う。そんな目で見ないで……」

 ディアスはまるで不気味な生き物を見る目で、シェーナを見ていたのだった。


 たどり着いたレストランを見て、ディアスは唖然とした。

「これがシェーナの普通か……」

 ディアスはど田舎の貴族である。王都から離れれば離れる程、標準レベルが下がる。例えば王都でちょっと高めのレストランがあるとする。しかし地方に行くと、そのレベルのレストランは最高級レストランになったりする。

「どうしたの?」

「うちの領地にはこんな凄いレストランなんてないぞ」

「うそ?」

「真面目にない」

「田舎なのねぇ」

 シェーナはしみじみ言った。

「うっさいな。いいだろう。その分素朴で良い所だぞ」

「へぇ。一度行ってみたいな」

「やめておいた方がいいぞ、都会の貴族様には退屈過ぎる場所だ」

「あら、うちの領地だって王都からかなり離れた場所にあるわよ」

「ガーネイルはそこそこ大きい都市だろう。村がやっと町になったようなロードウェンと一緒にしないでくれよ」

「そっかぁ……。まぁ、とりあえず入りましょう」

 ディアスは思った。今日のこの一食の値段は、学食の数ヶ月分に匹敵するだろうと。そんな事を考えている自分にふと気が付いた。名ばかりの地方貴族である自分と、シェーナの様な名門貴族では、かなり差があるものだと。


 帰りも同じ馬車だった。どうやらシェーナは馬車を一日借り切っているらしい。

「シェーナって本当に金あるな」

「ディアスが貴族のくせにないのがおかしいのよ」

「だから、うちの爵位はシェーナの家程高くないし、お金もない」

「うーん……そんなもんなのかなぁ」

「そんなもんだ。まったくシェーナと一緒にいると、金銭感覚がおかしくなりそうだ」

「じゃあ……楽しくなかった?」

 シェーナは恐る恐る訊いた。

「いや。楽しかったよ。でも俺を誘うなんて意外だったな」

「それは……」

 時は来た。そう思った瞬間、シェーナの心臓が爆発しそうになった。しかし今ここで言わねば今日ディアスを誘った意味がない。シェーナは覚悟を決めた。

「それはね。私……ディアスの事が好きになっちゃったから……」

「えっ!」

 ディアスはいきなりな事に驚き、戸惑い、しばし考え込んだ。

「……ディアス。返事を聞かせてよ」

 シェーナは蚊が鳴く様な声で言った。

「ごめん。シェーナ。俺、今までシェーナの事を異性として見たことがなかった。最近やっとうち解けて、友達になれたかなってくらいで……。なんていうか、そんな風に見られているとは思いもしなかった」

「……それで……どう?」

 シェーナは動悸で息が詰まりそうになるのを必死に押さえて言った。

「正直わからない。いきなり言われても困る」

「……そう」

 その後二人は一言も喋らなかった。馬車は湖畔の別宅に止まり、二人は申し合わせたように、自分の家へ転移した。

 シェーナは久しぶりに中央部にある家で長い時間を過ごした。

「あんな事言わなければ良かった……」

 そうすれば今までの関係が続いただろう。しかし発展もなかった。

 今はディアスがいるかもしれない湖畔の別宅には行きたくない。ディアスの顔を見るのが怖いのだ。

 シェーナは今夜自宅で寝る事にした。自分一人しかいない家は静かで寂しい。シェーナの心はぽっかりと穴が空いた様に空虚だった。この寂しさをディアスに埋めて欲しい。今になってやっと、ディアスの存在が自分の心の大半を占めている事が分かってきた。


 朝になると、シェーナはトランスポーターを使って、湖畔の別宅へ飛んだ。

 転移して光の柱が消えると、別宅の魔法陣の近くに荷物が置かれていた。見覚えがある。ディアスのだ。それに気づいたシェーナは、弾かれたように走り出していた。ディアスは出て行く気だ。しかし荷物があると言うことは、まだ出て行っていない。

 ディアスはリビングにもディアスの部屋にもいなかった。念のためトイレをノックしたが空だった。

 とてつもない不安がシェーナを支配した。

 ディアスがいなくなる。嫌だ。それだけは嫌だ。ずっと側にいてくれなくちゃ嫌だ。

 ふとリビングから外を見ると、そこにはディアスがいた。

 ディアスは剣の感を鈍らせないように、早朝必ず一人で稽古している。

 シェーナは勢いよくドアを開けて外に出た。

「ディアス!」

 シェーナは息を切らせつつディアスの前に立った。

「トランスポーターの荷物は何!? まさか出て行く気じゃないでしょうね!?」

「そのまさかだよ。ここを出て行く事にした」

「何でっ!?」

「もう俺を信用しても大丈夫だろ。シェーナの体は大切に扱うから安心してくれ。外に出る時もちゃんとシェーナの家に転移してから出るから安心してくれ」

「もうそんな事どうでもいいわよ! 側にいてよぉ! こんなの嫌だよぉ!」

 シェーナの目から熱い涙がこぼれ落ちた。

「悪い。シェーナの気持ちは嬉しいし、シェーナといても楽しい……けどな」

「けどって何よ!?」

「けど、今は駄目なんだ。怖いんだよ。シェーナの気持ちに溺れてしまいそうで……。今の俺には恋愛している余裕なんかないんだ。俺は夢を叶えるために強くならなくちゃいけないんだ!」

「どうして? どうして夢のために強くならなくちゃいけないの? それを話してくれないと、私……苦しいよ」

「わかった。話すよ。俺の家は地方貴族だ。領地は小さな町が一つだけ。のどかで平和で良い町なんだ。でもそれだけだ。俺はもっと波瀾万丈な生き方をしたい。人生が瞬間の連続である事を感じられるような生き方をしたいんだ。そのためには田舎町に留まっているわけにはいかない。王都に出て、国に貢献できるような仕事をしたいんだ。幸い俺は剣に自信がある。だから剣の力で夢を切り開こうと思った。しかし俺の様な田舎貴族は王立士官学校なんか門前払いさ。でもシャルトンで総合主席を取れば認められる。エリートコースに入ればその分でかい事ができる。そしていつか俺の名を国中に響かせるんだ。ただの一般兵士で終わりたくないんだ。だから今はごめん」

「……ってるよ」

「えっ?」

「そんなの間違ってるわよ! 本当に強い人は恋をしても腕が鈍る様な事はないわ。そんな事で腕が鈍る様な実力なんて、全然強くないわよ! あなたは私に色々と教えてくれたわ。あなたには覚えがないかもしれないけど、私はあなたから色々と学んだわ。だから今度は私があなたに教えてあげるわ!」

 シェーナは弾かれた様に言うと、手を前で組んで印を描き始めた。

「闇の精霊よ。虚空より現れ、託せし我が肉を示せ! サモン・スタッフ!」

 呪文完成と共に、シェーナの目の前に杖が出現し、シェーナはその杖を左手で握りしめた。通常右手は印を描くので、杖は左手で持つのだ。

「私があなたの恋人になっても、あなたの最強のライバルであり続ける事ができる事を!」

 シェーナは杖を構えると、集中力を高め、魔力を練り上げた。

 ディアスは感じた。シェーナが放つ闘気を。シェーナは本気だ。

「私はね。今まで生きて来て、これほど楽しかった事はなかった。エリスやクレイがいて、そしてあなたがいて。あなたは私の気持ちが嬉しいって言ってくれた。だから、私のわがままなのかもしれないけど、私はこの恋を終わらせたくない。だから私は闘うわ。私のために。そしてあなたのためにも!」

「そこまで言ってくれるとはな」

 ディアスは正直嬉しいと思った。ディアスもシェーナの事が気になっていたのだ。しかしそれは何とも言えないようなうやむやな感じだった。将来の夢の方が優先されていたために抑制され、自分の気持ちに気づかないふりをしていたのだ。けれどもディアスは今、自分がシェーナに惹かれている事を認めようとしていた。しかしそれは今までの自分を否定する事になってしまう。今まで恋をしないで剣一筋で生きて来た自分が、間違っていたと認めてしまう事にもなる。今までの自分の生き様を否定してしまう事になるのだ。

「うだうだ悩んでいても仕方ないわ。私と闘って、その中で答えを見つけなさい!」

 シェーナは後ろに後退しつつ、杖をディアスに向けて呪文を唱え始めた。

「火の精霊よ。汝我に集いて槍となれ! ファイア・ジャベリン!」

 シェーナが突きだした杖の先から、炎の槍がディアスに向けて放たれた。

 ディアスは炎の槍を横に飛んで避ける。炎の槍はディアスがいた所を通過し、遙か後方の地面に激突し爆炎を上げた。直撃していたら間違いなく死んでいる。

「あぶねぇ。……本気だな」

「あなたなら避けられる。だから本気で撃ったの」

 それは信頼だった。

「そうか。それじゃあこっちも本気にならないとな」

「あなたの魂をぶつけてきなさい。それで私が必要かどうかわかるわ。それでも私が必要じゃないのならば……諦めるわ」

「わかった」

 ディアスはすらりと剣を抜いた。

「ディアス・ライマール。いざ……参る!」

 ディアスの気が一気に爆発した。

 凄まじい闘気が風となってシェーナに襲いかかる。その瞬間シェーナは後退していた。それがシェーナを救った。あまりにも早い。シェーナは背筋がぞっとした。かなり距離を取ったつもりでも、ディアスはその間合いを一気に縮めて剣を振るっていた。もし後退していなかったら、勝負はもうついていた。あれは本当に自分の体なのかと疑いたくなる。

「光の精霊よ。全てを惑わす光となれ! デイリーコンサイス・ライト!」

 シェーナが周囲に向かって魔法を放った瞬間、ディアスの視界からシェーナが消えた。いや、違う。シェーナのいた辺りの空間が、ぐちゃぐちゃに歪んで見えるのだ。

 シェーナが放った魔法は、光を無作為にねじ曲げ、人の視界を狂わせる魔法だ。そのぐちゃぐちゃに見える空間の向こうで、魔力が爆発した。

「来るっ!」

 ディアスはとっさに真横に飛んだ。その次の瞬間。高速の光弾がディアスのいた場所を貫いた。しかし狂った景色から現れたのは一発だけじゃなかった。無数の光弾がディアスがいた辺り一面に向かって飛来する。

「こなくそ!」

 ディアスは弧を描く様に回避し、避けきれない光弾は剣で弾いた。

 シェーナもディアスが見えないので、ある程度当たりをつけて魔法を放っているのだろう。その光弾の軌跡から、シェーナは扇状に光弾をばらまいている。ディアスはシェーナのだいたいの位置を軌跡と気配から読み取ると、弾幕から抜け出すために、回り込むように前に出た。

「くっ!」

 ディアスは左方と右股に痛みを感じ、転びそうになりつつも、バランスを保ち、弾幕から脱出すると、光の撹乱障壁を突破した。

 ぐちゃぐちゃになった世界を抜けると、シェーナは斜め先にいた。

「まさか?」

 シェーナは光の壁から突然現れたディアスに驚いた。

(甘ぇ!)

「エア・ストリーム!」

 ディアスは唱えておいた魔法を放った。

 ディアスの手から突風が吹き荒れ、シェーナは息が詰まり、飛ばされないようにするだけで精一杯になり、身動きができなくなった。

「もらった!」

 ディアスは間合いを詰めつつ、剣を平にしてシェーナに向かって横薙の斬撃を放った。

「テレポート!」

「なっ?」

 しかしディアスの剣は何もない空間を薙いだだけだった。シェーナが目の前で消えたのだ。

「ライトニング・ブラスト!」

 ディアスは驚異的とも言える反射神経で、前に転がり込む様に身を投げ出した。その上を稲妻が枝を伸ばすようにして広がり炸裂した。避けたつもりのディアスの背中が痺れるように痛む。

(今のは詠唱がなかったぞ!)

 ディアスは体制を立て直しつつシェーナの方を向くと、シェーナは既に呪文を唱えていた。

 ディアスはシェーナの魔力の高まりから、長い詠唱をしてるのだと判断し、短い詠唱の魔法を唱えた。

「ファイア・アピア!」

 それは一番単純な発火の魔法だった。しかしシェーナの目の前で発火した火は、シェーナの視覚から一瞬ディアスを隠した。そのわずかな時間でディアスは間合いを詰める。そしてシェーナの呪文詠唱が終わると同時に、ディアスの剣がシェーナの肩口ギリギリで寸止めされ、シェーナはディアスの胸に杖を突きつけていた。

 これが実戦だったら相打ちだろう。

 見つめ合う二人の柳眉が下がった。

「やっぱりディアスって強いわね。魔道士って一人で一個中隊に匹敵する強さを持ってるって言われてるのに」

「それは軍隊で言う戦略的な強さだろ。一対一ならそうでもないさ」

「……そうみたいね。私、結構自信あったんだけどな」

「俺だって一本取るつもりだったよ」

 二人はほぼ同時に剣と杖を引いた。

「ふ~」

 シェーナはその場に座り込み、ディアスもついでに腰を下ろした。

「ねぇ?」

「ん?」

「これでもお互いふぬけになって終わると思う? 私はいつでもディアスと戦えるわ。ディアスの夢の足手まといにはなってないつもりよ」

「そうだな。認めるよ。いや前から認めてたよ。俺はそれに気づかないふりをしていたのかもしれない」

「認めるだけじゃ嫌よ。私は欲張りなの。あのね。ちょっと私の話聞いてくれる?」

「うん?」

「私はね、今まで夢とか考えた事がなかったの。ただただ周りに流されていただけなの。私の家はね、昔王様が参加したモンスター討伐の際に王様を守り、手柄を立てた事で貴族になれたの。それから代々アストリア家はモンスター討伐に参加しているの。だから私も魔道士になって、そのままモンスター討伐隊へ入るんだって、漠然に思ってたわ。でもディアスは私と違ってちゃんと自分の意思で夢を持っていた。正直凄いなって思ったわ。私もその夢を一緒に共感したい。もしね、ディアスがふぬけるような事があったら、私が叱ってあげる。一人じゃいつかつぶれちゃうかもしれない。でも二人なら乗り越えられるかもしれない。それに一人よりも二人の方が楽しいわよ」

「お前って物好きだなぁ。いいぜ。正直言うと、俺もシェーナの事好きなんだと思う」

「!」

「でもな。なんて言うか……最後の最後で好きになりきれていない部分があるんだ。シェーナを見ていても自分を見ている感じと言うか……。こう……ドキッとこないんだ」

「あっ! 私がディアスの姿をしているから……?」

「うん。内面的には惹かれるんだけど、どうも最後の一押しがないんだ。友達として好きなのか、異性として好きなのかあやふやなんだ。だからさ、体が戻るまで待って欲しいんだ。今の状態じゃキスだってできないと思う。男とキスしてるみたい……と言うか男とキスだろう?」

「……そっか。わかったわ。じゃあ、出て行ったりしないよね?」

「ああ。シェーナがそんなに俺の事を思ってるとは知らなかった。俺はその思いには応えたい」

「嬉しい……。私、最初はディアスが私の事を大切に扱ってくれてるなんて思いもしなかったわ。でもちゃんと私の立場とか考えてくれてて……凄く嬉しかった。それがきっかけでディアスが気になって、いつの間にか好きになってた」

「……そうなんだ」

 湖の向こうから吹いてくる風は冷たくて、火照った体に気持ちよかった。二人はしばらく黙ったまま湖を見つめていた。それだけで楽しかった。

「なぁ、シェーナ」

「なぁに?」

「さっきの戦いでさ、シェーナって呪文詠唱なしで、最後のラストスペルだけで魔法を発動させたよな?」

 魔法は精霊に人の魔力を与え、精霊力を活性化させる代償として、超自然的な恩恵を与えられて発動する。その魔法の呪文には大きく分けて三つの句がある。まず始めにどの精霊に対して魔法を紡ぐのかを決める属性句から始まり、次にその内容の本句、そして最後に魔法を発動するための発動句。その発動句の事を別名でラストスペルと呼んでいる。

「あれってどうやるんだ?」

「あぁ、短縮魔法の事ね。あれはこの腕輪を使うの」

 そう言ってシェーナは左腕につけた腕輪を見せた。

「この腕輪に唱えたい魔法を溜めて置く事ができるのよ。でも溜めている間は常に魔力が消費するの。だからある程度の魔力と魔力容量が必要だわ。それと、ほら、ここに宝石が付いているでしょう」

 シェーナはディアスに宝石が見えるように腕を回した。

「この宝石の数だけ魔法を溜めておくことができるの。溜める魔法によっても変わるけど、溜めている分どんどん魔力を消費するわ。ディアスの体じゃあ上級魔法一個、中級魔法一個が限度ね」

「中級だけならいくつだ?」

「中級魔法十個で上級魔法一個分かな。だから十一個ね」

「なるほど。それでシェーナの体なら最高いくつ溜められるんだ?」

「私は上級魔法を十個かなぁ」

「凄いな」

「ふふふ。伊達に総合主席を狙ってないわよ。あっ、それより怪我は?」

 シェーナは立ち上がってディアスの体を見た。

「ごめん。今治すから」

「俺こそシェーナの体を傷つけてごめんな」

「ううん。その傷は私がつけた物だもの。気にすることないわ。それにそれくらいのケガなら魔法ですぐ治るもの。でも今痛いのはディアスだし」

 そう言ってシェーナは回復魔法を唱え始めた。

「癒しの精霊よ。我に集いてこの者の内なる癒しの力を引き出し、傷を癒したまえ。ヒール!」

 シェーナの手のひらから暖かい光が溢れた。そしてシェーナはディアスが怪我をした部分に手を当てる。暖かい光がディアスを包み込み、スゥーっと痛みが引いていった。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「魔法って便利だよな」

「そうね。この魔法も近々教えるわね。それで話を戻すけど、短縮魔法が使えるようになれば、強力な魔法が使えなくても、結構戦えると思うの」

「それはいいな。そうそう。俺の方からもアドバイスがある」

「なぁに?」

「風系の魔法を色々と勉強して気が付いたんだけど、突風の魔法は相手の動きを止めるのにかなりいい。短縮魔法で相手の動きを止めれば隙ができる」

「なるほど。さっきのエア・ストリームね。あれは焦ったわ。奥の手を使わなくちゃ避けられなかったわ」

「前に言った剣に魔法をかけて闘うって話だが、剣に風系の魔法をかければ、剣速を上げたりできないか?」

「できるわね。その分体に負担がかかるけど」

「そうか。でも短時間なら平気だろ」

「たぶんね。それと剣を振ったら真空波を打ち出すような事もできると思うの」

「そいつはいいや。間合いを広げられる。シェーナは風系の魔法が得意なんだろ。もっと色々とできるかもな」

「そうね。それに風は炎や光の魔法みたく派手じゃないから、上手くごまかせるしね」

「ははは。上手くいけば魔法を使ってると気づかれないかもな」

「それはないでしょう。いくらなんでも相手にはばれそうよ」

 シェーナもディアスにつられてクスクスと笑い始めた。

「案外鈍いの多いぜ」

「ケインとか鈍そう」

「ケインなら魔法ってわからなくても、インチキだっていいそうだけどな」

「ぷっ。そうかもね」


 そして一ヶ月が経ち、ディアスは様々な魔法を覚えていった。代表的な地水火風光闇の内、シェーナの体と相性が良い、火風闇の三種の攻撃魔法と防御魔法を、中級レベルまで覚えた。更に一時期下降していたシェーナの成績も、かなり取り戻す事ができるようになった。

 模擬戦でも上級魔法を使う事ができないが、短縮魔法を上手く使い、上級魔法を使っている生徒にも負けていない。むしろ中級魔法までで対抗できる事に注目をあびていた。上級魔法を使える生徒は多くない。だから中級止まりだった生徒から見れば、今のシェーナは新たな可能性と希望を与えてくれる存在になっていた。しかしその事によって、シェーナを驚異と見なさなくなっていた猛者達が再び動きだした。

「ちょっといいかしら?」

 ディアスは放課後の帰り際に呼び止められた。

 呼び止めたのは、去年の後期トーナメントの決勝で、シェーナに敗れて二位となったトレイシアと言う女生徒だ。

 トレイシアはシェーナよりも頭一つ高く、体つきは細くしなやか。長い栗色の髪をポニーテールに結び、春の風に揺れている。姿勢も常に正しく、服装を見てもだらしがない所が一つもない。顔つきはきりっと凛々しい。いわゆる格好いい女だ。

「何か用?」

「ええ。悪いけどそこのあなたは外してくれる?」

 トレイシアは風でなびく長いもみあげを押さえつつ、返事はシェーナに、その後の言葉はエリスに向けて言った。

「わかったわ。シェーナ。頑張ってね」

 そう言ってエリスはさっさと帰ってしまった。

(薄情者!)

 ディアスは心の中で叫んだ。

「シェーナ。ちょっとついてきなさい」

 そう言ってトレイシアが向かったのは人気のない体育館裏だった。

「あなた、スランプってのは嘘でしょう?」

 ディアスは心臓が飛び出るかと思った。

「何で上級魔法を使わないの? 以前のあなたの戦い方は、小技で相手を翻弄し、上級魔法で一気に肩をつけていたわ。でも小技しか使っていない。例えそれで相手を倒せても、成績十位以内の猛者には勝てないわ。小技程度でどうやって多重に張られた上級防御障壁を破るって言うの?」

「忠告はありがたいけど、私は上級魔法を使わなくてもそれくらいなんとでもなるわ。冗談を言ってるように聞こえるかしら? でも手の内を明かすほど私は馬鹿じゃないわよ」

 そう、ディアスには魔法剣があった。普通の魔道士ならばまず自分の武器に魔法をかけない。だから対魔法剣対策も疎かになっているはずだ。ディアスはそこにつけつけ込む隙がある。魔法剣は射程が零に等しい分、威力が半端じゃない。例え中級の魔法剣でも上級防御魔法を易々と貫く威力があった。そのためには雨のように降り注ぐ魔法を潜り抜けなければならないのだが……

「悪あがきは見苦しいわよ。どんな奇策を使っても、私の上級防御障壁は破れないわ」

「それはどうかしらね? やってみないとわからないんじゃない?」

「いい加減にして! あなたにとってはただの実験かもしれないけど、私や私のように本気であなたと戦いたがっている者に対して失礼よ!」

「あら、実験じゃないわ。ただ上級魔法を撃ってるだけが戦いじゃないのよ。例え中級魔法でも使い方によっては上級魔法をしのぐわ。魔法に上下はないの。ただの戯れ言だと思ってるのなら、トーナメントで私と戦ってみなさい。本当に戯れ言なのかどうかわかるわ」

 そう言ってディアスは踵を返した。

 ハッキリいってハッタリも良いところだ。ディアスが踵を返したのは、これ以上話しているとボロがでそうだからだ。魔法の論理合戦ではディアスには勝ち目がない。

「大きく出たわね」

「うあああああああっ!」

 いきなりエリスがディアスの前に降って来た。

「驚かすな……かさないでよ。いったいどこから降ってきたの?」

「上」

 そう言ってエリスは体育館の屋根を指さした。

「聞いてたの?」

「もち。こんな面白そうな事が目の前で起きてるのに、私がそのまま帰るとでも思ったの? それで、どうするの?」

「まぁ、何とかなるでしょう」

「無責任ねぇ。トレイシアって言ったら、シェーナと同等の力を持っているわよ。去年シェーナがトレイシアに勝ったのも、殆ど運が良かっただけよ。間違いなくあなたじゃ勝てないわ」

「はっきり言うとは珍しいわね」

「それ程トレイシアは強いって事よ。あれ程完成された魔道士はなかなかいないわ。もし中級魔法だけで戦って負けたら、シェーナの立場がないわ」

「……ならどうしろって言うのよ」

「勝ちなさい」

「矛盾してるわよ」

「人間無理でも、どうしてもやらなければならない時があるのよ。残り一ヶ月の間、クレイとのデートを諦めてもいいわよ。私も特訓してあげる」

「ありがとう。助かるわ。ありがたく特訓も受けるけど、私には奥の手があるわ」

「例の魔法剣?」

「そうよ。あくまで魔法は補助。私は剣で戦うつもり」

「それで勝てるの?」

「シェーナには引き分けたわ」

「あぁ、シェーナが告った時のあれね」

「ぶっ! み、見てたの!」

「うん。クレイと一緒にね」

「な、ならわかるでしょう」

「ええ。でもあの時のシェーナは確かに本気だったけど、その本気も八割ってところね。愛するあなたを殺さないために、無意識に力を抑制していたと思うわ。本気のシェーナの戦いを見た事あるからわかるの。でもトーナメントでは、相手を殺さないように、先生達が強力な防御結界を張るから、何も遠慮する事がないのよ。防御結界にも限度があるけど、先生達がかける防御結界は、まだ私達みたいな学生には絶対に破壊できない。先生達との格の差を見せつけられるわ。少しへこむわよ」

 防御結界とは防御障壁の上位魔法であり、当然防御障壁とは比べ物にならないほどの耐久力を持っている。

「つまりトレイシアはあなたの命を気にせずに本気の本気で来るわ。それでも勝てるの?」

「私も本気の本気じゃなかったから」

「……それもそうね。ディアスもシェーナの事好きみたいだし。それに女の子に本気で剣を向けるような人じゃなかったわね」

「そりゃそうよ」

「でもね。もしそれで負けたら、どうなるかわかってるよね?」

「え?」

「わかってるわよね?」

 エリスはニッコリ笑って返した。

「うっ」

 だが目が笑っていない。こんな時のエリス程怖い物はない。負けたら地獄が待っている。

「……善処します」

「男ならきっぱり言う!」

「勝ちます!」

「ならよし。じゃあナルアのチーズケーキと、チョコトルテね」

「はっ?」

「今日の事はシェーナには黙っておいてあげる。わかるわね?」

 要するに口止め料だった。

「……太るわよ」

「私っていくら食べても太らない体質だからいいのよ」

「その分胸に行ってるんでしょう」

「羨ましい?」

「物には限度があるわ。シェーナくらいのが丁度いいわ」

「それはディアスの好みでしょ。でも良いこと聞いたわ」

 エリスの顔に邪悪な笑みが浮かんだ。

「へっ?」

「ディアスはシェーナの乳が好きー!」

 いきなりエリスが叫んだ。

「ぶっ! てめぇ! 何言ってやがる!」

 ディアスはたまらず声を上げた。

「何かしら? シェーナ。言葉使いが下品よ」

「くっ!」

「ふふふ。モンブラン追加ね」

「……わかりました」

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