彼は私で私は彼で?
シャルトン王立学校の最終課程である専門教育は大きく分けて二つの学部がある。一つは一般兵から騎士まで育て上げる剣術学部。もう一つは魔法と言う奇跡の法を操る者を育て上げる魔導士学部。
シャルトン王立学校と普通の学校との差は、義務教育課程から魔法の基礎知識や剣術などを教える事だ。だから将来騎士団や魔導士団に子供を入れようと考えている親は、迷わずシャルトン王立学校を選ぶ。
義務教育から中等教育、高等教育までは、地方にあるいくつかの分校でも受けられるが、最終課程である専門教育は、王都の南にある学校都市ヴェールにある本校でしか受けられない。そのためヴェールの本校は王城に匹敵するくらいに大きかった。いや、ある意味王城よりも大きい。なぜならヴェールという都市そのものがシャルトン王立学校だからだ。
ヴェールの住宅街は全て学生のが借りる貸家であり、飲食店街や商店街に並ぶ商品は学生向けのものばかりで、値段も国が補助している分安い。
学校都市とは言え勉強だけしているわけではない。ちゃんとした娯楽施設もあり、生徒達は衣食住はもちろんの事、様々な面において、青春を謳歌できるようになっている。
もちろんヴェールを運営する大人達の区画もあり、大人達が楽しむ娯楽施設等もちゃんと存在しているが、学生達に悪影響がでないように、立ち入り禁止区画になっている。
ヴェールはシャルトン王立学校を中心に、波紋の様に住宅街が並び、波紋を切り裂くように東西南北に延びたメインストリートには、飲食店や娯楽施設が並び、少し離れた丘の上には、貴族達が借りる小さな屋敷が並んでいる。通称貴族丘である。シャルトン王立学校に通う貴族は、貴族丘に家を借りる事が一種のステータスとなっていた。
基本的にシャルトンに在学する生徒は一人暮らしをする。貴族でもだ。だから貴族が住む屋敷にしては、どの屋敷も小さく造られているし、大きな屋敷を沢山建てる程ヴェールは広くない。それにあまり大きくては一人で管理する事など学生には無理がある。そんな貴族達が住まう家の中でも、少し大きめな家で、怪しい魔法の実験が行われていた。一度は成功したようだが、二度目は事故が起きたようだ。
「どうやら中身は鳩や猫じゃないみたいね」
ディアスの中のシェーナはちょっとホッとした。もし中身が猫や鳩だったら、想像もしたくないようなとんでもない事になっていただろう。いや、もうすでにとんでもないことになっているのだが、まだマシな方に転がったようだ。
「簡単に言うと、私とあなたの魂が入れ替わったのよ」
「はぁ?」
シェーナの中に入ったディアスには、一瞬理解できなかった。
「その布に描かれた魔法陣は、血を垂らした生物の魂を交換する魔法を発動するための物よ」
「……はぁっ? ってことは俺とお前の魂が入れ替わったって事か?」
そう言ってディアスは自分の体を見下ろした。
「ああああああああああああ!」
ディアスは愕然とした。わかったのだ。シェーナが言ってることが本当だと言うことが。
「なんじゃこりゃあ!?」
ディアスは見た目で一番変化がある、盛り上がった自分の胸を鷲掴みにした。
「何してんのよ!」
その瞬間シェーナがディアスの頬をひっぱたいた。
「ぐあっ!」
今のシェーナの体はディアスの体で、ディアスの体はシェーナの体だ。当然シェーナは力加減が分からない。思いっきりひっぱたかれたディアスは、ソファーに向かって背中から飛び込むように吹っ飛んだ。
「いきなりなにすんだよ!」
「スケベ! 変態! いきなりはそっちでしょう! 人の胸を勝手に触るなんて、変態以外何者でもないわ!」
「はぁ? あのなぁ。自分の体がいきなり変わったら確かめるだろう」
「だからってさわる必要なんてないでしょう!」
「まぁまぁ二人とも。今はそんな事で言い合ってる場合じゃないでしょ?」
「……そうね」
エリスが仲裁にはいると、シェーナは意外にもすぐに落ち着いた。いや、落ち着いたように見えるだけだった。頭の中ではどうしようとどうしようと言葉が堂々巡りしている。
「とりあえず。早く戻せ」
ディアスが言うと、シェーナは体をピクリと震わせた。
「どうした?」
「……今すぐには無理」
シェーナは消えそうな程小さな声で言った。
「何だって?」
「今すぐには無理って言ったのよ!」
「何故だ!?」
ディアスはシェーナに詰め寄った。
「布の上に魔晶石があるでしょう」
そう言ってシェーナは魔晶石を指さした。
「あぁっ! これ真っ黒になってるよ」
エリスがそれに気づいて言った。
「魔晶石の力が全て使い果たされてる。新しい魔晶石を持ってこないと、魔法を発動させる事ができないわ」
「じゃあ早く取ってこいよ」
「予備がないのよ」
「それなら買ってくるなり、借りるなりしてこい!」
「それも無理。この魔法はその……魂とかを操るネクロマンシーって言う種類の魔法で、一般的には禁止されているの。だからネクロマンシーに必要な魔晶石も売られていないわ。所持する事自体禁じられているのよ。私は闇市場を知らないし……」
「じゃあ、どうやってシェーナはその魔晶石を手に入れたんだ?」
「去年の夏、故郷に帰った時に、旅行先で偶然見つけたよ。使わなくても珍しいから買って帰って来たの。いけないことだけど……」
「それで、シェーナの故郷は?」
「ガーネイル……」
「ガーネイルだって!?」
「そう。ここから馬車でも片道七日はかかるわ。魔晶石がある場所まで行くのに更に三日。往復で約半月かかるわ。学校を休んで行くにはちょっと時間がかかり過ぎるわ」
「なら故郷にいる親に頼んで、持って来てもらえばいいじゃないか。貴族なんだから使用人とかに運ばせればいい」
「魔晶石がある場所は危険なのよ。旅行先でちょっと宿を抜け出して行った場所なんだけど、モンスターが生息しているの。親や使用人に取ってこさせるわけにはいかないわ。かといって冒険者なんかにネクロマンシー系の魔晶石を取ってこいなんて依頼はできないわ。下手すればゆすられる危険性があるし」
冒険者とは人々のやっかい事を解決して報酬を得たり、モンスターと呼ばれる凶悪な生き物を退治して、その賞金を得て生活している者だ。中には各地に眠る遺跡を探索して一攫千金を得た者などもいる。夢のある仕事だが、荒事が常に付きまとう仕事でもある。だから当然の如くガラの悪い者達も多い。良い冒険者を見極めればいいのだが、下手をすればネクロマンシー系の魔晶石を持っている事をネタに、ゆすって来る可能性もある。
「なら自分達で取りに行くしかないな。往復で半月なら二ヶ月ある夏休みに取りに行けばいいってことだろう」
「……そうね。それしかないわ。問題は夏休みまでの三ヶ月を、このままの姿でどうにか生活していかなければならないってこと」
「何とかなるだろう。たった三ヶ月……って、期末試験はどーすんだよ!」
「うっ……」
学校には夏休み前に期末試験がある。この試験をしくじると進級審査に非常に響く。下手をすれば留年だ。シェーナもディアスも総合主席を狙っている。だから期末試験は高得点を狙っている。もし体が入れ替わったままで、お互い未知の分野の試験を受ける事になったら、当然進級さえ難しい。
「体が……魂の方か? まぁどっちでもいいけどさ。入れ替わった事を先生に話して直してもらおう。魔導士部なら闇の魔晶石を保管してるかもしれないし。直せる先生がいるかもしれないだろ」
「駄目よ! ネクロマンシーは禁呪なの。バレたら退学どころじゃないわ!」
「そんな事言ったってなぁ。禁呪を使う方が悪いんだろう」
「う、それはそうだけど……。あなただって触るなっていったのに、ソファーの下をあさったのがいけないんでしょう!」
「ぐっ」
「騎士を目指してるからそんな事しないとか言っておいて、直ぐにソファーの下をあさるなんて呆れるわね。もし私がネクロマンシーを使った事を誰かに言ったら、あなたが女性の部屋をあさるのが趣味で、しかも私の胸を揉んだって言いふらすわよ。この二つの事をみんなが聞いたらどう思うかしらね? 下手すれば停学よ」
「くっ……。卑怯な……」
「退学がかかってるんですもの。これくらい当たり前よ。あなた、本当は私に消えてもらいたいんじゃないの? 総合主席を狙っているなら、私はあなたに取って最大の障害だもの」
「そんな事は思っていない」
「どうかしら?」
疑うようなシェーナの視線と、それを受け止め跳ね返すようなディアスの視線がぶつかり、暫く睨み合っていたが、ディアスはため息をついて視線を外した。
「……わかった。言わない。こうなったら俺がシェーナに剣術を、シェーナが俺に魔法を教えるしかないな。たった三ヶ月で」
「三ヶ月……」
魔導士になる者は子供の頃から基礎知識を身につけ、実技という名の訓練をこなして来た。それは剣術も変わりない。それをたった三ヶ月間で、最終教育課程である専門教育の期末試験に、合格する程の実力を身につけなければならない。厳しいどころではない。大抵の人なら諦めるだろう。だがシェーナもディアスも諦める気は更々なかった。
「期末試験だけじゃない。普段の生活や授業だってお互いどうしたらいいかわからないだろう。俺はエリスがいるからいいとして、シェーナはどうするんだ? 俺の友達を一人呼んでこようか? フォローできる奴がいないと無理だろう」
「信用できるの?」
「大丈夫だ。信用できる奴だよ。俺とエリスの幼なじみでもあるしな」
「あっ、クレイの事? 彼なら大丈夫よ。シェーナ。私からもお勧めするわ」
「……へぇ」
シェーナはちょっとした疎外感を感じた。ディアスもエリスも、そしてクレイと言う男も、みんなお互いを知っている。自分だけがエリスしか知らない。それがちょっと悔しかった。
「じゃあ、明日にでもクレイを連れて来るわね」
「そうだな。明日は休みだし、今日はもう遅いし、明日にしよう」
そう言ってディアスは立ち上がると、ドアの方へ向かった。
「ちょっと。どこへ行くのよ?」
「帰るんだよ。何だか異常に疲れた……」
「待ちなさい。その姿であなたの家に帰られたら困るわ。私があなたの家に入る所を見られたら、変な噂が立つかもしれないでしょう」
「じゃあどうするんだよ」
「しばらくの間、私と一緒に住んでもらうわ」
「はぁ?」
「私はあなたを信用してないの。見張らせてもらうわ。あなたはさっき私の胸をさわったでしょう。一人にしたら何をされるかわからないわ。言っておくけど。元の体に戻った時に……その……私の貞操が奪われてたら、殺すわよ」
「誰がそんな事するか! 男と寝る気はない!」
「相手が男だとは限らないでしょう! 自慢じゃないけど、私は男だけじゃなくて女にももてるのよ。中には特殊な趣味を持った子もいるみたいだし、気をつけなくちゃいけないの。わかった!?」
「もてるとか言っておきながら、その歳で処女じゃないか。気をつけるまでもないんじゃないのか!?」
「うっさいわね! 男運がないのよ! 言い寄ってくるのはあなたみたいな変な奴ばっかりなのよ!」
「まぁまぁ、二人とも。押さえて押さえて。あーもーなんですぐ喧嘩するかな……」
エリスは二人の仲の悪さにうんざりした。こうも二人の相性が悪いとは思いもしなかった。
「とりあえず、あなたは私と一緒に住んでもらうわ。私だって嫌なんだから、あなたも我慢しなさい」
「でも……同じ屋根の下で暮らすなんて、その……危なくない?」
エリスはディアスが聞いてるので遠慮がちに言った。
「大丈夫よ。男の体の私を襲うほど変態じゃないと思うから」
「あぁ。ありえないな。……仕方ない。それにお互い剣と魔法を教え合うにも、都合がいいしな。でもどうするんだよ。俺の体のお前がこの家に入る所を見られてもいけないだろう」
「大丈夫。私に考えがあるわ」
シェーナは郊外の自然地区にある大きな湖の近くに、別宅としてもう一つ家を借りていた。疲れた時や夏の間の避暑に使うという名目で家を借りたが、本当は都市中央では周りに迷惑がかかるような、大規模な魔法の実験をするための拠点して借りたのだ。
その別宅はシェーナのクラス担任と学校のお偉方とエリスくらいしか知らない。そしてシェーナは別宅まで行くのに、空間転移の魔法を使っている。
空間転移と言っても、どこへでも転移できるわけではなく、予め空間転移用の対なる二つの魔法陣を用意しておかなければならない。転移もその二つの魔法陣を行き来できるだけだ。魔法は非常に便利であるが万能でない。その空間転移用の魔法陣をディアスの家にも設置して、通学は別宅からお互いの家まで空間転移によって移動してから、ちゃんとそれぞれの家から通学しているように見せかけるのだ。そうすれば二人が一緒に住んでいる所を見られる心配はない。
「普段は今話した別宅で過ごすわ。学校へはそれぞれの家へ転移して通学するのよ」
「面倒だな。だいたい俺がその空間転移とか言う魔法を使えるのか?」
「大丈夫よ。魔法陣を予め設置すれば、誰にでも使えるようなるから」
「ふ~ん」
「ふ~んじゃないわよ。あなただってこれくらいの知識は当たり前のように身につけてもらう必要があるのよ」
「そう言えばそうか。自覚しておくよ」
「とりあえず。あなたは今夜この部屋に泊まりなさい。私の寝室に入ったら殺すからね」
「あぁ分かったよ。しっかし、殺す殺すって、学校のアイドルがこんなにおっかないとは思わなかったよ。はぁ……猫かぶってたんだな」
ディアスは少しだけシェーナに対して幻滅した。
「エリス。こいつの家知ってる?」
シェーナはディアスを無視して、エリスの方を向いた。
ディアスも地方貴族出身である事をシェーナは知っていた。最大の敵であるディアスの事を調べるのは当然の事だ。貴族出身ならばこの近くに家を借りているはずだ。
「おいおい。こいつはないだろう?」
「人の胸を触る変態はこいつで十分よ」
「ディアスの家なら知ってるよ」
「じゃあ案内して。こいつの家まで行って魔法陣を描いてくるわ」
「うん。わかった。ディアス。鍵かして」
「シェーナ。左ポケットの中に俺の財布が入ってる。財布の小銭入れの中に鍵が入ってるから、渡してやってくれ」
「わかったわ」
シェーナはポケットの中に手を入れると、財布をディアスに渡した。中を見るのはマナー違反だと思ったからだ。ディアスはシェーナから財布を受け取ると、中から鍵を取り出して、エリスに向かって放り投げた。
「よっと」
エリスは手を上げて、器用に空中でキャッチした。
「朝まで大人しくしているのよ。なるべくリビングとキッチン以外はうろつかないこと」
シェーナは念を押して言うと、魔法陣を描くための特殊な道具と、魔法陣の見本が描かれた魔導書を持ち出し、エリスに家の前の様子見てもらい、人がいない事を確認してから、ディアスの家へと向かった。
一人残されたディアスはあまり動かないのが得策だと思い、ソファーの上でゴロゴロしていたのだが、ディアスはいつまでもじっとしていられる人間ではなかった。ふと立ち上がると玄関まで来た。玄関に全身が映せる鏡があった事を思い出したのだ。きっと出かける前に身だしなみをチェックするための物だろう。
ディアスは暇つぶしに今の自分の姿を見てみようと鏡を覗き込んだ。
鏡には見慣れない美人が映し出されている。美しいが剣を使う戦闘にはまるで向いてない体だ。今まで鍛え上げてきた自分の体でないと、どうも落ち着かず不安だ。
ディアスはまるで壊れやすい貴重品を扱うように頬に手を当てた。柔らかくてほんのり暖かい。肌の質が全然違った。ただ鍛えれば良いと思っていたディアスとは違って、大事にされた体だ。
シェーナは学期末に行われるトーナメントで、常に一位にいるだけあって、有力な総合主席候補として人々に知られている。シャルトンでは魔導士学部と剣術学部に、それぞれの主席が用意されているが、両学部を合わせた卒業年度総合主席がもう一つある。だからディアスもシェーナには注目していた。総合主席を取るために一番の障害になるのは、同じ剣術学部のライバル達ではなく、シェーナだと思った。けれど不思議と邪魔だとか敵だとか、そう言う気持ちは浮かんでこなかった。シェーナの事を良く知らないという事もあるし、剣術と魔法では分野が違いすぎて想像ができなかった。凄い奴がいる。ただそれだけだ。しかしどうやらシェーナの方は、ディアスを敵だと認識しているようだ。
ディアスはしばらくボーっと鏡に映るシェーナの姿を見つめた。
シェーナは成績が優秀なだけでなく、容姿端麗で人当たりも良い。そうなると周りが放っておくわけがなかった。シェーナはいわゆる学校のアイドル的な存在なのだ。それがディアスにとってプレッシャーになっていた。
果たして自分はシェーナを演じきれるのだろうか?
ディアスは試しに、鏡に向かって上品に微笑んでみた。意外な事に上手くいった。ディアスは普段荒っぽい所があるが、これでも一応地方貴族の端くれである。上品に振る舞おうと思えばできるのだ。
ディアスは調子に乗って、今度は色々とポーズを取ってみた。長めのスカートを手でつまんで膝を折り、女性流の会釈をしてみたり、あご先に指を当てて、思案しているポーズを取ってみた。そして手を腰に当てて頬を膨らませる。なんだかこのポーズが一番様になっている気がした。そしてスカートをふわりとなびかせつつ、その場で一回転すると、鏡に向かって微笑んだ。
「……ディアス。あんた何やってんの?」
エリスは玄関のドアを開けたまま、不気味な生き物を見る様な目でディアスを見ていた。
「うっ……あ……え~と……」
ディアスは顔を真っ赤にして狼狽えた。考えてみればまるで変態である。
「シェーナがそんな事するなんてありえないし、中身がディアスだと思うと不気味すぎるわ」
エリスは小さく息を吐いた。
「これはシェーナの言うとおりね。ディアス一人にしておくのは危険すぎるわ」
「そ、そうか?」
「そうよ。そうそう、シェーナだけど、別宅にも魔法陣描かないといけないから、今日は別宅で寝るそうよ。転移用の魔法陣って複雑だから、遅くなるみたいだし。だからシェーナから今夜ディアスを見張ってくれって頼まれたのよ。女の子同士なら大丈夫でしょ。何か反論でもある?」
ディアスは帰す言葉が見つからなかった。
「いい? 魔法陣の上に立って、クロス・オーバーって唱えるのよ」
翌日の朝になると、エリスが別宅への行き方をディアスに教えた。方法は至って簡単。魔法陣の上で呪文を唱えるだけだ。それだけでもう一つの魔法陣の上へと移動する事ができる。
「私が見本を見せるから、後から来てね。あっ、それと。転移先の魔法陣の上に何か乗っていたら、魔法は発動しない仕組みになっているの。だから私が向こうの魔法陣から離れる時間だけ待ってね」
「わかった」
「それじゃあ。お先に。クロス・オーバー!」
エリスは魔法陣の上に乗って呪文を唱えると、魔法陣から光の柱が上がり、エリスはその光の柱に包まれると消えてしまった。転移したのだ。
「……凄いな」
ディアスは恐る恐る魔法陣の上に上がると、エリスの言われたとおりしばらく時間をおいてから、呪文を唱え始めた。
「クロス・オーバー!」
次の瞬間、ディアスは真下から突き上げる光に飲み込まれた。
「うおっ!」
思わず声を上げ、腕で顔をかばって目を閉じると、クスクスと笑い声が聞こえた。
目を開けるとエリスが口に手を当てて笑っていた。
「おっきな声上げちゃって。そんなにびっくりした?」
エリスはいたずらっぽい視線をディアスに向けた。
「あぁ。初めてだからな。で、ここは?」
ディアスは少し恥じるように苦笑すると辺りを見回した。ここは窓一つない部屋だった。
「ここは私の別宅の地下室よ」
答えたのはシェーナ。
「魔法の光が見えないように、地下に魔法陣を設置してあるの」
「なるほどね」
「今あなたが立っている魔法陣の隣にあるのが、あなたの家に繋がってる魔法陣よ。生活必需品なんかは自分の家から持ってきて」
「わかった」
「とりあえず、あなたの部屋を教えるわ」
そう言ってシェーナはディアスを促した。
「あ。私はクレイを連れてくるね」
「わかったわ。よろしくね」
「うん。じゃ、ディアスの家の魔法陣を借りるわね。そっちの方が近いから」
エリスが言うと、シェーナは借りたままだったディアスの家の鍵をエリスに渡した。
「俺のプライバシーはどうなってんだよ……」
「エリスは幼馴染みなんでしょう。家に入れた事はないの?」
「そりゃあ、あるけどさ。勝手にされたら困る」
「信用ないの?」
「わかったよ。気にしないさ」
「へぇ。なかなかいい部屋じゃないか」
ディアスは通された部屋をぐるりと見回した。
カーテンを開けると、目の前に湖が広がっていた。シェーナの別宅は湖畔にあり、湖の向こうには、万年雪に覆われた山々が見えた。
「綺麗な景色だなぁ」
「そうでしょう。この景色が気に入ってこの家を借りたのよ」
「へぇ。良い趣味してるな」
「当たり前でしょう。それと私の部屋は二階にあるけど、勝手に入ったら庭にテント張ってもらうからね」
「頼まれたって入らないから安心しろ」
「なら良いけど……」
シェーナはディアスの部屋を教えると、今度は別宅の間取りを教えていった。
「お風呂はここ。私が入ってる時は、この札を下げて置くから気をつける事!」
シェーナは手のひらよりちょっと大きめの札を、風呂場のドアノブにぶら下げた。
「男の体なんて覗かないから安心しろ」
「う。まぁ……そうだけど……」
シェーナは急に恥ずかしくなった。これからディアスがお風呂に入る度に、全部見られてしまうのだ。
「うぅ……」
「どうした?」
「な、なんでもないわよ!」
シェーナは真っ赤になって言った。
黒い瞳がシェーナとディアスを交互に観察していた。その瞳の持ち主であるクレイは、エリスに呼ばれてシェーナの別宅を訪れていた。来る途中に聞いた、エリスの要領の掴めない説明を、何とか理解したクレイは、エリス達三人が自分を騙しているのだろうと思った。
「やっぱりどう見ても信じられないな」
クレイは茶色の髪をポリポリとかいた。
口ではそう言っているが、クレイは戸惑っていた。シェーナと言えばシャルトン王立学校のアイドルである。そんな有名人が自分を引っかけるために、秘密の別宅まで使って手伝うのだろうか? しかしシェーナはエリスの友達だ。あり得なくはないのだが想像しがたい。しかしシェーナとディアスの魂が入れ替わったなどと言う話よりかは信憑性がある。
「まぁ、俺がクレイだったらまず信じないな」
ディアスが言った。クレイから見ればシェーナが男口調で話している様に見える。
「今日俺達は、明日からの登校に備えて、お互い基礎的な事はできるように教え合う予定だ。暇かも知れないがそれに立ち会って自分なりに納得しくれ」
「しゃーないな。今日一日付き合ってみるか」
クレイはディアスと同じ剣術学部の生徒だ。剣の腕はディアス程ではないが、成績は学年ベスト五十位内に入っている。ディアス達の学年は八百人程いるのだから、それでもかなりの腕の持ち主だ。体付きはディアスよりもほっそりとしているが、その分俊敏そうだ。
シェーナはディアスがいない時はクレイに剣術を教わろうと思った。顔つきはシェーナの好みではなかったが、格好いい部類に入る。少し楽しみになってきた。シェーナは学校のアイドル的な存在だから誤解されやすいが、シェーナとて思春期の学生だ。異性への関心もちゃんとあるのだ。
まずは日が昇っている内に、ディアスが剣術の基礎をシェーナに教える事になった。
ディアスは始めに剣の持ち方と構え方をシェーナに教える事にした。ちなみに今日シェーナが使う剣は木製。本物の剣より軽いし、ディアスの体なら難なく持てるはずだが、シェーナは重そうに持っていた。意識的な問題なのだろう。
まずディアスは一番基本的な正眼の構えを教えてみた。
剣の持ち方だが、剣の柄頭を左手で持ち、右手は添えるだけ。そして肩に力が入らないようにして、剣先は目の前に相手がいると想像し、相手の喉の高さに定め、目線は剣先に構える。左右の足は正面に向けてすんなりと伸ばし、右足の踵を浮かせる。更に体は正面を向き、背筋を伸ばしてあごを引く。そして力まずリラックスしてないといけない。
「……駄目、無理」
シェーナがその構えに耐えられたのはほんの数秒だった。手を気にすれば足がおろそかになり、足を気にすると手がおかしくなる。どこかを直そうとすれば背筋が曲がったり、あごが上がったり、脇が甘くなったり、剣先が上がったりする。
「こんなの絶対動けないわ」
「大丈夫だ。一度リラックスしてから構え直して」
「……わかったわ」
シェーナは言われた通りに全身の力を抜き、剣を構えなおした。
「すり足はわかる?」
「地面から足を離さないように、ズルズル動くの?」
「そうだ。そのまますり足で前に出てみろ」
シェーナはディアスに細かい指示を受けながら、何とかすり足で前後する。その間に構えは崩れるわ、よろめくわで、クレイは見てられなかった。
しかしディアスの体は覚えているようで、シェーナは驚くほど早く構えとすり足を覚えた。当然ディアスと同じようには動けないが、それっぽく見える。
「なんかさ、体の方が覚えてるみたいね。出来の良いゴーレムを扱ってるみたいだわ」
「ゴーレムってのはどうかと思うが……。数え切れないほど練習したからな。考えるよりも体が動くのかもしれないな」
「ふ~ん。じゃあ、私はこの感覚を覚えていけば早いわね」
「……そうかもな」
次にディアスは振り方を教えた。
「ふんっ!」
調子に乗ったシェーナは、上段から唐竹に剣を振り下ろした。
「うあっ」
しかし真っ直ぐ振り下ろしたつもりの剣は、斜めに振り下ろされ、更に剣の重さに体が引っ張られ、剣先がガツンっと地面を叩いた。なまくらならそのまま剣がへし折れてしまってもおかしくない勢いだったが、木製の剣は軽い分折れなかった。
「あちゃぁ」
クレイが目を覆った。これが本当にディアスだったら良い演技をしてると思う。
「剣を真上から握ってないから脇が開いて真っ直ぐ振れないんだよ」
「むぅ。難しいわね」
シェーナはぶつぶつと文句を言いつつも、ディアスの言う事を聞いて剣を握り直し、素振りを続けた。そしてある程度振ってそれっぽく見えてきたら、今度は打ち込みに入った。
ディアスが木刀を水平に構え、それに向かってシェーナはひたすら木刀を打ち込む。
「やあっ!」
木刀と木刀がぶつかり合う度に、ガツンっとシェーナの手がしびれる。
「振り下ろした時に手の内を絞るんだ。力任せに叩いたんじゃ、力んで正確に打ち込めないぞ」
「もぉ。一度にそんなにいっぱい言われたんじゃ、覚えきれないわよ!」
「最初はそんなもんだ。でも俺達には時間がない。きついかも知れないが頑張るしかないぞ」
そう言ってディアスは水平に構えた木刀をひょいっとどけた。
「えっ?」
シェーナは再び木刀で地面を叩いてしまった。
「ひどい! 急に退けるなんてあんまりじゃない!?」
「ビシッと止めるんだ。外した時に止められなかったら、隙だらけになるぞ」
「うぅ~」
こんな調子で日が暮れるまでシェーナは基礎を習った。
ディアスは体が覚えていると言われて話を合わせたが、内心驚愕していた。そんなものは極限状態に陥った時に、無意識に体が反応する時に使う言葉だ。
実際試合や練習の最中に、無意識的に体が動く事がある。頭で考えるのではなく、もっとも適した動きを無意識の内に行ってるのだ。
ところがシェーナの動きには無駄が多いし、ディアスの動きに似てはいるが、素人臭さが抜けていない。少なくとも最も適した動きではない。
そこでディアスは二つの可能性を思いついた。
一つは一種の暗示。シェーナは体が覚えていると、自己暗示的な物を無意識の内に自らにかけ、ディアスの体が覚えている事を引き出しているのかもしれない。
もう一つは天授の才能。シェーナは剣術を人が百必要な行程を、十でこなす天授を持っているのかもしれない。
そしてディアスの体が覚えているから自分はできると思い込み、元からの素質との相乗効果によって、恐ろしい程早く剣術を身につけ、上達しているのだ。
(……まさかな)
ディアスは考えすぎだと思って、それ以上考える事を止めた。
クレイは半日二人に付き合って、やっと納得したようだ。まずディアスの女口調が気持ち悪い。ディアスはそんな喋り方をするような趣味じゃない。そして長い付き合いじゃないと気づかないような、仕草や考え方の違いから別人だと判断した。
「ふふふふ。ここからは私があなたに教える番ね。今までのお返しをしないとね……」
シェーナは意地の悪い笑みを浮かべた。
剣術の基礎訓練の後、シェーナはお風呂で汗を流し、食事を取った後、今度はディアスに魔法の基礎を教える番になった。
「ぐっ。俺は別に意地悪したわけじゃないぞ」
二人はリビングのテーブルの上に魔法の教本を置いて対峙していた。
「まずは基本中の基本から教えるわよ。あなたは世界創世神話は知ってる?」
「舐めるな。それくらいは誰だって知ってるだろう」
「本当に? 一応神話の説明からするわよ」
この国、いやどこの国にも共通して古くから語られている神話があった。ある学者が国々を旅してその神話をまとめると、驚くべき結果が導き出された。地方によって呼び名が違えども、どう考えても同じ神々が神話に出てきたのである。
神々は遠い昔、世界創世の覇権をかけて争った。そしてその戦いに勝った神々は、世界の礎となり、ありとあらゆる物を創造していった。
大地の神となったレリンスは、その名の通り世界の基本となる大地を創り上げた。空の神となったシェーサは大気を創り上げた。そして海の神となったアルレンソは広大な母なる海を創り上げた。これが三大創世神である。
生命の神となったアシャンは、海に陸に空に生命を創り出した。光の神となったレンテは、天空遙か彼方に太陽を創り上げた。闇の神となったアンマは、その創造物の素晴らしさに嫉妬し、夜を作り出して太陽を半分隠した。しかしアンマは罪悪感から月を作る事で、夜に光を差し込んだ。運命と試練の神となったファイレクは、春夏秋冬の四季を創り上げた。
これらはほんの一部で、様々な神々が世界を創世していった。
そして神々は自らの姿を模した人間を創った。
しかし先の神々の大戦で負け、混沌の神となったスィードは、その世界を気に入らず、世界の中に混沌を創り出してしまった。
神々は慌ててその混沌を調和しようと、従属の精霊達を世界に宿した。更に神々はその代表たる地水火風光闇の六大精霊の結晶、すなわち精霊石を創り、世界のバランスを保った。
かくして神話の時代は終演を迎え、人間の時代となった。
世界に入った混沌により、人間は自然の摂理から抜けだし、神々の予想を越えた。そして遂に人間は精霊の存在を知り、精霊の力を得て魔法を生み出した。それだけではなく、とうとう神が創造した精霊石を発見し、その絶大な力を持った精霊石を使い始めた。
魔法の発展は止まること知らず、その力は凄まじかった。多種多様の魔法を生み出し、大地を空に浮かべ、天候すら操った。しかし熟した果実がいずれ地に落ちる様に、その文明は自らの力の強さ故滅んだ。精霊力を身勝手に使ったため、自然界のバランスが崩れたのだ。
世界中で天変地異が起こった。暖かい地域が寒くなり、寒い地域が暖かくなり、各地で嵐が竜巻が起こり、氷の大地が溶け大洪水を引き起こし、海は荒れ、津波が島々を襲い、山々は次々と噴火し、空は厚い雲に覆われ、幾日も光りを遮った。
世界中の種が絶滅の危機にひんした。
人間も例外ではなく生き残った者はほんのわずかだった。
しかし人間を始め全ての生き物は懸命に生き、世界が元の状態に戻るまで耐え続けた。
その間に精霊石の行方は忘れ去られ文明も後退し、そして人間は新たな文明を築き上げた。
精霊力のバランス崩壊による天変地異が原因なのか、世界にモンスターと呼ばれる異形な生き物が生まれ始めた。そしてそのモンスター達は人や他の動物を襲って食べる。これは人が魔法を使って世界を滅ぼした罪だと学者達は口を揃えた。
これが一般的に人々に知られている範囲の神話だ。ディアスが知っているのもこの程度だった。しかしシェーナはディアスが知っている以上に詳しく神話を説明した。魔法が生み出されるきっかけの話でもあるからだ。
「創世神話に出てくる代表的な神々の名前は全部言える? 神々が世界に使わした精霊達の名前は? 上位精霊くらいまではわかる?」
「……さっぱりわからん」
「試験の最初の方の問題にどれかは必ずでてくるわ。サービス問題だから、必ず覚えておく事。逆にここで点数取っておかないと、他人と差が付くわよ」
そう言ってシェーナは、教本に書かれている神々と上位精霊の名前に赤線を引きながら、丁寧に一つ一つ教えていった。
人は神話の時代に精霊の力だけでなく、より強力な精霊石の力を借りて、巨大な魔法を作り出したが、現在は文明が一度滅んでしまったためか、その精霊石がどこにあるのかはわからない。
けれども自然界には至る所に様々な精霊がいる。その代表的な精霊は地水火風光闇の六大精霊で、魔法は精霊の力を借りて使うのだが、その中でも破壊をもたらす魔法を黒魔法と呼び、治癒や防護の魔法を白魔法と呼ぶ。中にはどちらにも属さない魔法もある。
ディアスはてっきり今日から魔法が使えるのかと、内心ちょっと期待していたのだが、剣の道と同じくそう簡単にはいかないようだ。
剣術に例えると、今日の神話の話は、やっと剣がどんな形をしているのかを教えてもらっている段階である。まだ握らせてもくれない。この調子では呪文を教えてくれるまでには、まだまだかかりそうだ。
シャルトン王立学校は週休二日制である。週五日いけば二日休みだ。
「……!」
ディアスは起きると知らない部屋にいた。
「う~ん。昨日飲み過ぎたっけ?」
酔っぱらって帰れなくなったのだろうかと考えを巡らせながら、ディアスはもうろうとしている頭を振った。すると長い髪が顔にかかった。それを手で払いのけようとしてあることに気が付いた。
「はぁっ!? 金髪?」
ディアスは部屋を見渡して鏡を発見すると、その前に立って自分の姿を見た。
「あっ! そうだ……体が入れ替わったんだ……」
二日経ったくらいではまだまだ慣れない。しかしこの体でいる間は、この体を使いこなさなければならない。ディアスは気合いを入れるために頬をパチンッと叩いた。
ディアスはとりあえず着替えようとしたが、今はシェーナの体だということを思い出して躊躇した。しかし着替えないわけにはいかない。だからディアスはなるべく体を見ないように着替えた。
「……くそ。俺ってまじめ過ぎるのか……?」
「おはよう」
リビングに行くとシェーナがいた。
「おはよう。……まったく男ってのは朝から節操ないのね!」
シェーナが顔を赤くして言った。
「……しょ、しょうがないだろう。生理現象なんだから」
「くっ。まぁいいわ。朝ご飯作ったから食べなさい。私の体なんだから、ちゃんと栄養つけてもらわないと困るわ。美容にはバランスの良い食事が大事なのよ」
「はいはい。そうですか」
そう言ってディアスは席に着いた。
「まったく何で私があなたの食事まで作らなくちゃならないのかしら……」
「そりゃあ、怪しい魔法なんて使うからだよ。こっちはとばっちり受けてるんだ。これくらいしてもらわないとな」
「あなただっていけないのよ。普通ソファーの下から他人の私物を引っ張ったりする?」
「まだ言うのかよ」
「あなたが蒸し返すからよ」
「わかった。今のは俺が悪かったよ」
「それじゃあ、家事は交代でいこうと思うけど、あなた食事作れる?」
「伊達に一人暮らししてないさ。シェーナこそお嬢様っぽく見えても料理作れたんだな」
「今あなたが言った事をそのまま返すわ」
ディアスは苦笑するしかなかった。
食事を済ますと、シェーナはディアスと一緒に素振りを始めた。まずはまともに剣を振れるようにならなければ話にならない。ディアスは昨日よりも、厳しくシェーナを見た。剣の持ち方や姿勢など細かく見て、おかしいところを指摘する。今からきちんとしないと変な癖がついて、後で泣きを見る事になるからだ。
シェーナも理解しているらしく、ぶつぶつ文句は言いつつもディアスに従った。
しかし一緒に素振りをしていて、最初にばてたのはディアスだった。
「はぁ……はぁ……。何だよこの体……」
ディアスはいつもの半分も素振りをしていないのに、既に腕を上げる事すらできない状態だ。
「おまえって筋肉なさすぎ。体力もなさすぎ」
「あなたと一緒にしないでよ」
ディアスが息を切らしているのに対して、シェーナは息を切らしているどころか、汗さえかいてない。
「さすが俺の体だな」
ディアスはまだまだ余裕なシェーナを見て言った。
「そうね。なんだか怖いくらい体力あるわね。筋肉もあるし。あっ、今思ったんだけど、私の体で変な筋肉つけないでよ。戻ったときに腹筋割れてたら殺すわよ」
「うっ。いや、俺も普段の感を鈍らせないように、一緒に鍛錬しようと思ったんだが……」
「それは私の体なのよ!」
「……だ、大丈夫だ。剣術学部の女生徒は筋肉質な奴ばかりじゃないから、適度につければスタイルアップにも繋がる……はず……。ダイエットだと思えばいいじゃないか。しかも苦労するは俺だし」
「……まぁ、いいけど。それと勘違いしてもらいたくないから言うけど、私にダイエットは必要ないわよ」
「そうなのか?」
「そうよ。あっ、確かめようとしたら……」
「殺すんだろう? 絶対しないって」
「……ならいいわ」
昼食はエリスとクレイと待ち合わせして食べる事になっていた。明日からはそれぞれ違う体で、違う学部に登校しなければならない。だから四人で情報交換をし、少しでも疑われないように、細かい打ち合わせをするためだ。
シェーナとディアスは、教室で仲が良い子や悪い子の名前を教えたり、普段どんな事をしているかを教えあった。エリスとクレイもどうフォローするか話し合った。
「昨日今日で一つわかったことがある」
一段落つくと、ディアスが言った。
「なによ」
「おまえってすっごい猫かぶりだな。正直騙された気分だ」
「うるさいわね。女の子は誰だって美しく見せたいのよ」
「それにしても今のシェーナと、学校のシェーナとじゃ違いすぎないか? 今俺に話してるような言葉使いは絶対にしないだろう?」
ディアスの言葉にエリスがうんうんと頷いた。
「そうね~。シェーナはシャルトンじゃお淑やかで清楚って事になってるからね」
「あぁ。俺もそう思ってたよ。昨日までは……」
ディアスはため息をついた。
「くっ。それよりあなたはその『清楚でお淑やかなシェーナ』を演じるのよ」
「難しいな。今のシェーナの方がインパクトありすぎて想像できない」
ディアスはわざと嫌がらせのために言った。
「できないなら私にも考えがあるわよ。あなたの姿でとんでもない事してやるんだから!」
「てめぇ。それは卑怯だぞ!」
ディアスは腰を上げて言った。
「まぁまぁ、二人共。お互い助け合おうね。共倒れは馬鹿がすることよ」
エリスが今にも掴み合いになりそうな二人の間に入った。
「とりあえず三ヶ月の間は私とクレイが一緒に登下校した方が良いわね。学校生活はなにも学校内だけの事じゃないから。クレイもいい?」
「いいぜ。学校のアイドルと登下校できるなんて、役得じゃないか。見た目はディアスってのが嫌すぎるけどな」
「ひでぇな。って事は俺はエリスとか。なんて言うか、波瀾万丈な生活になりそうだな」
ディアスはむしろ面白そうに言った。
「あなた達は気楽ね」
シェーナはため息をついた。
「それと週末は私も手伝うね。休みの最初の日は毎週用事があるから無理だけど、次の日は大丈夫だから一日付き合ってあげるわ。私がディアスに教えて、クレイがシェーナに教えた方が効率いいでしょ。と言うわけでクレイ大丈夫?」
「いいぜ」
「二人共せっかくの休みなのに悪いな」
「いーのよ。友達でしょ。それにどうせ三ヶ月だしね」
「そう言うことだ」
シェーナは友達のために力になろうとする二人が、なんだかとても眩しく見えた。
打ち合わせが終わり別宅に戻ると、今度はディアスがシェーナに魔法を教わる番になった。
昨夜は神話の勉強から始まり、大まかな魔法の歴史やら、色々と眠たくなる事を教えてもらったのだが、今日はやっと魔法について詳しく話してくれる事になった。
「昨日も言ったけど、魔法には大きく分けて地水火風光闇の六つの属性があるわ。そして世界の至る所にいる精霊の力を借りて使うの。例えば風の強い所は風の精霊力が強いから、風系の魔法が威力を増すわ。本当は全ての属性の魔法を使えれば、その場その場に応じて使い分けができていいんだけど、人によって精霊との相性があるの。例えば私は割とどの属性も使いこなせるけど、それでも風の精霊と相性がいいから、風系魔法の威力は他の魔法よりも高いわ。逆に風と正反対の位置にある地系魔法はあまり得意じゃないの。威力も他の魔法よりも落ちるわ。周りも私が風が得意って事を知ってるから、あなたには風の魔法を中心に覚えてもらうわよ」
「なるほど。それにシェーナの体にあった属性の魔法なら、魔法が成功しやすいって事だな」
「そう言うこと」
「それで相性ってのはどうやってわかるんだ?」
「対象の魔力を計る魔法があるわ。その魔法を使えば属性の傾向も調べられるの」
「便利なもんだな」
「戦闘を行わない魔導士達が、順列を決めるために開発したって聞いたわ」
「はーん。なるほどね。でもそれだけじゃ本当の強さじゃないだろう」
「そうね。でもとりあえずの目安には使えるわよ」
そう言ってシェーナは魔力計測の魔法を自分を対象にして唱えた。するとシェーナの目の前の空間に、魔力を示す帯状の光りや、円盤を一部カットしたような光りが現れた。
「この数値がディアスの体の魔力よ」
「なんて書いてあるんだ? まだ俺には読めん」
光の帯の横には、魔法に使われている精霊文字が一緒に浮かび上がっていた。
「今は気にしないで。今教えても分からないと思うから」
「了解」
「ふむふむ。あなたの魔力って本当に低いわね」
「魔導士学部の生徒と一緒にするなよ」
「それもそうね。それで相性はと……。ふむふむ、光の精霊と相性がいいのね。逆に闇の精霊とはあまり相性よくないわ。他はそこそこと……」
「それを見たって今の俺とは関係ないんだろう」
「今のあなたとはね。私もあなたの体で魔法を唱える事があると思うのよ。だからついでに調べたの」
そしてシェーナは、地水火風光闇の精霊は、それぞれの上位精霊から下位精霊まで様々な精霊がいる事を教えた。例えば火の上位精霊にはイフリートと呼ばれ、まるで炎の巨人の様な精霊がいたり、下位精霊には炎のトカゲの姿をした、サラマンダーと呼ばれる精霊がいる。使う魔法のレベルによって、どの精霊の力を借りるのかも変わってくるのだ。
どうやら今日も魔法を唱える所まで辿り着けそうにないディアスであった。