噂の義賊「白い風」 - 2 -
目覚めると、わたしの隣には美しい金の髪をした男の人が眠っていた。
ああ、ライアン・フランシス様。
わたしはその薄い唇にそっと口づけを落とす。
うーん。いつもと違って無味無臭。
だっていつもは肖像画でしょう?乾いてはいても、油絵独特の臭いが鼻につく。
でも、今日の愛の接吻は、何て言うか……柔らかい。
そうね、もう一回くらい。
「んー」
目を閉じて顔を近づけていくと、大きな手に頭を押さえられた。
「あれ?」
「あれ?じゃない!お前は今、何をしようとした?」
「何って、口づけのコトですか?」
パチクリと瞬きすると、開いている方の手で寝癖のついた頭をバリバリと掻き毟るケイン様がいた。
「ケイン様、そんな風に頭を掻かないでください。ライアン様はそんなコトなさいません!」
「いや、お前な」
「人のコトをお前って呼ぶのもナシです」
「だから、俺は」
「俺ではなく、わたし。もしくは、わたくし。それが嫌なら僕でも構いません。取り合えず、俺って言うのは止めてください」
「いや、そんなコトより。お前、俺にキスしようとしただろ?」
「お前でなく、ナサニエルです」
「だから……」
「ナサニエル!」
「……な、ナサニエル」
「そう、よろしい」
わたしがそう言った所に、背後から拍手する音が聞こえる。
「いやー、お見事です。ナサニエルさん。ケイン様に言うことを聞かせるとは。この我儘王子には僕たち第3聖騎士団員も手を焼いておりまして」
振り返ると、隣のベットにではなく、部屋の入り口付近に立っているジェフリーさんの姿があった。
ジェフリーさんはいつの間に着替えたのか、白いシャツに少し値段の張りそうな紺色のジャケット。
それから同色のズボンを着こんでいる。
胸元には赤いスカーフが巻かれていて、ちょっと何処かのお坊ちゃんみたいだ。
昨日はケイン様と似たような、その辺のゴロツキ風な恰好だったのに。
と、言うか、それよりも……。
「ジェフリーさんって、聖騎士なんですか!?」
思わず身を乗り出してしまったので、わたしは勢い余ってベットから転がり落ちてしまった。
そんなわたしに手をかしながら、ジェフリーさんが頷く。
「お恥ずかしながら、これでも第3団の副団長を務めさせて頂いてます」
「──副団長……」
おお、こんな所に聖騎士になる為の近道が……。
考えてみれば、ケイン様も聖騎士団の団長なのよね?
この2人に上手く とり入れば、ひょっとしてわたしも憧れの聖騎士団の一員になれるかも!?
「あ、あの!わたし」
ジェフリーさんに思いの丈を告げようと、口を開くと、背後から不機嫌な声がした。
「おい、お前」
「──?」
お前って誰のコトだろう?
「お前だ、お前。首を傾げるな」
まったく学習能力のない。わたしはナサニエルだって言ったのに。
わたしはため息をついて、ジェフリーさんを見た。
「ご苦労お察し致します」
そう言って、ジェフリーさんの肩に手を置くと、不思議そうな顔をされた。
おお、何て団長 思いの方だろう。
不甲斐ない上司の無能さに目をつぶり、その広い心で、ケイン様の成長を見守っているのね。
「おい!人の話を聞け!!」
まったく、ライアン・フランシス様のモデルが聞いて呆れるわ。
ライアン様がケイン様だと思ってたから、様づけで呼んでいたけれど。
このような半人前は呼び捨てで結構ね!
── でも、仮にも一国の王子だもの。
それ相応の敬意は必要……ケイン王子って所が妥当かしら。
「話を聞いて欲しいなら、まず人のコトをお前だなんて呼ばないでください」
わたしの言葉にケイン王子は悔しそうに顔を顰める。
「……ナ、ナサニエル」
「はい。なんでございましょう?」
「目が覚めたらお前の顔が近くにあった」
それはそうだろう。
どうやら同じベットで寝ていたらしいから。
「そうですね。わたしが寝た時は1人だった筈ですが。何故、あなたがわたしのベットに?」
「お前のベットじゃない!俺のだ」
「はあ。でも後から入って来たのはケイン王子ですよね?」
「それは、そうだが……」
まったく、乙女の寝ているベットに忍び込むなんて。
いや、わたしは今、男だけれど……。
「一緒のベットに寝れば、相手の顔が近くにあったって仕方ありません」
わたしは至極当然のことを言ってみせた。
「それはそうですよね」
わたしの隣でジェフリーさんが頷く。
「それはその通りだが、いくらなんでも近すぎるだろう!?」
はて?彼は何のコトを言っているのだろう。
しばらく考えて、ああ、と思いつく。
「もしかして、先ほどのコトですか?」
わたしの日課のアレ。
「そうだ!お前、俺に何かしたか!?」
ベットの上に起き上ったままの体勢で、ケイン王子はわたしを見つめる。
その瞳には些か脅えの色が見えた。
「何って……ただのキスですよ?」
わたしの答えに、ケイン王子が喉の奥で悲鳴を上げる。
「お、お前……俺は男だぞ?」
「それが何か?」
「な、なんで、男が男にキスなんてするんだ!」
うーん、わたしはただ、ここにはライアン・フランシス様の肖像画がないから、その代用として彼を使っただけなのに。
まあ、普通に乙女心としては、キスってどんな感じかなぁー、なんて興味はあったけれど。
ケイン王子に対して、別に特別な意味があったワケじゃない。
なんたってわたしの心はライアン・フランシス様のモノ!
間違っても、見た目だけの偽物には与えられない代物だ。
……とか、色々言ってみたけれど、はっきり言って、寝ぼけてたのよねぇ。
ついつい、いつもの調子でやっちゃったけれど……。
わたし、心の中では動揺していると思う。
だって仕方がないじゃない?
昨日は色々ありすぎたんだから。
混乱しないって方が人としてオカシイわよね。うん。
だから目が覚めて、目の前にライアン・フランシス様みたいな顔があったから、条件反射でキスしちゃってた。
うーん、日頃の日課だったから、無意識に出ちゃったんだろうな。
習慣って恐ろしい。
「ケイン……あなたはとうとう僕の知りえない領域にまで達していたんですね。すみません……僕、気付けなくて」
わたしとケイン王子のやり取りを聞いていたジェフリーさんが、呆然と呟く。
「ジェ、ジェフリー?誤解だからな。勘違いするなよ!」
神妙な面持ちのジェフリーさんに、先ほどまでわたしに突っ掛かっていた王子は、慌てて弁解し始める。
「いや、誤魔化さなくてもいいんですよ。王子。大丈夫です……す、少し時間はかかるかも知れませんが……僕は理解できると思います」
「違うんだ!ジェフリー。変な所で物分かりの良さを発揮させるな!」
すごく必死なケイン王子。
王子が一生懸命否定すれば、するほど ジェフリーさんの表情が青ざめていってる気がするわ。
それって逆効果ってことなんじゃないかしら。
今のは冗談だぜって笑い飛ばした方が……。
「おい!お前も突っ立ってないで誤解を解け!元はと言えばお前の所為で!!」
ああ、またお前って言った!
……ふん、知るもんか。
ケイン王子なんて、誤解されてしまえー!!
あ、でも、ライアン・フランシス様のモデルなんて噂されちゃってるケイン様にホモ説が浮上したら、ライアン様が穢される?
いやいや、ケイン王子とライアン様は全くの別物だもの。
そんな噂が流れたら、あっという間に「彼がライアン様のモデルよ~」「きゃあ、素敵」なんて乙女はいなくなるに違いない。
逆に喜ぶ人もいるかも知れないけれど……。
この間、読んだお話しは刺激的だった。
ライアン・フランシス様を称える為の会「聖なる騎士同盟」が毎月発行している会報には、ファンのみんなが書いた少し短い物語も載っているのだ。
そして、その中の1つのお話に、こういうのがあった。
ライアン様と彼に想いをよせる聖騎士の物語。
もちろん、聖騎士は男の人しか なれないんだから……。
結末はハッピーエンドでは無かったけれど。
憧れがいつの間にか愛情に変わってたっていう切ないお話だった。
でも世の中には同じ性別同士で愛し合う人々がいるっていうことを、わたしは知っている。
その知識の大半は本を読んで得たものだけど。
みんな純粋にお互いを愛しているのよね。
間違っても、わたしだけは偏見の目で見たりしない。そう、心に決めてるの。
……愛って奥が深い。
「無視するな!頼む!ナサニエル・レイン!!」
頼む、頼むですって?
そ、そんなこと言われても……ああ、その顔。
やっぱりライアン・フランシス様にそっくりだ。
しょうがないなぁ……今回はその顔に免じて、助けてあげよう。
ちゃんと名前も読んでくれたし、ね。
元はと言えば寝ぼけたわたしの所為でもあるワケだし。
「ヤダなー。ジェフリーさん。冗談も通じないんですか?」
あははっとわたしは笑ってみせた。
「……冗談、ですか?」
「ええ。今までの流れは全部、ジェフリーさんをからかう為のほんの軽い冗談だったんですよ」
「本当ですか?」
わたしの言葉にジェフリーさんがケイン王子を見る。
「あ、ああ。こいつ……いや、全てナサニエルの言う通りだ」
うんうん、と、必要以上に頷く王子。
「いつもジェフリーさんにからかわれるから、少し見返してやりたいって、頼まれたんです。わたし」
「そうそう、ジェフリーを見返す為に……って、おい!」
そこで、おい!なんて言ったらダメじゃないですか。ケイン王子。
もしライアン・フランシス様だったら、ここで機転をきかせて、あることないこと つけたして、色んな事を有耶無耶にしてしまいますよ!
自分の身を守る時には嘘だって必要なんです。
そう、今のわたし みたいに!
と言うか、身元とかさっぱり聞かれてないから、ウソなんてついてないんだけどね。
いや、名前は嘘か。そもそも性別も違うし。
でも、そう言えば……わたしって、なんでここにいるんだろう?
確か洋服を受け取って、指輪を買って、路地の隅っこで試着したまでは覚えている。
そして、ライアン様ではなく、ケイン王子に声をかけられて、それから……。
── え、なんで!?
家に帰れないから、助かったのは助かったんだけれど……。
そもそも、一番最初は縛られてたんじゃなかったんだっけ?
あれ、人買いは?
どうして、聖騎士の人がこんな田舎にいるんだろう……。
しかも制服も着てないし。
出来たら制服姿が見たい!っていうか、それ以前に、ここはどこ?わたしは だあれ?
わたしは、わたしは……ナサニエル・レイン。なんちゃって。
「あのー。すみません」
わたしは今更ながらの質問をしてみた。
「あなた達は一体、誰で、わたしはどういった経緯でここにいるのでしょうか?」
彼らの正体というか、名前とか肩書を疑っているワケじゃない。
俄かに信じがたいけれど、ケイン王子は確かに王子だと思うし。口調がちょっとアレだけど。
ジェフリーさんだって、どことなく聖騎士って感じだし。こちらの勝手なイメージで、だけれども。
ただ、わたしは自分の置かれているこの状況に、やっと目を向けるコトが出来たのだ。
最初はライアン・フランシス様のコトで頭が一杯だったからね。
……愛って恐ろしい。
全てにおいて盲目になってしまっていた。
わたしの本当に今更な質問に、ケイン王子もジェフリーさんも脱力してしまったみたいだ。
いや、本当にごめんなさい。