噂の義賊「白い風」 - 1 -
※下ネタ注意。
トイレに着いて、わたしがまず思ったことは……何、これ?だった。
だって、だって、壁一面に変わった形の陶器の器が等間隔に並んでいるのよ。
こ、これで、どうやって用を足せっていうんだろう。
途方に暮れるわたしにケイン様は言った。
「何だ?小便したいんじゃないのか?」
しょ、しょうべんですってぇぇぇ!!
止めてください。そんな美しいお顔で小便だなんて。
せ、せめてオシッコって……いや、それも色々と間違ってる気がする。
やっぱり小便でいいのかしら?何かもっと相応しい言葉が……黄色い水とか?
それはそれで嫌な気がするけれど。
「あ、あの……どうすればいいんでしょう?」
わたしは取り合えず聞いてみた。
イメージとか云々よりも、この歳でお漏らしなんて経験したくない。
「はあ?普通に立ってすればいいだろう……って、お前、男のくせに立ちションしたことないとか言うなよ」
立ちション──それは立ったまま用を足すこと。
そんな高等技術、ほんの少し前まで女だったわたしは経験したことがない。
「ないです」
「は?」
「ないんです!立ちションなんて!!」
「お、お前……どこの王族だよ」
王族?王族って立ちションしないモノなのだろうか?
そんなことよりも、奥の方に個室があるみたいだから、そこで何とか用を足そう。
わたしがそちらに行こうとすると、ケイン様に引きとめられた。
「ちょっと待て。教えてやるよ、立ちションの仕方」
……え、えっと?
そう言ってケイン様は徐に1つの器の前に立つ。
「まず、ズボンを下ろすだろ?それから自分のモノを持つ。そして、あの少し窪んだ所を目がけて出す。わかったか?」
いや、わかったかって言われましても。
「わたし、個室でやります」
いくら お相手がケイン様でも、そんな自分を晒すような真似は出来ません。
モノには順序ってものがありますし。
わたしがずっとお慕いしていたことには変わりないけれど、やっぱりねぇ。
個室だったら女性のトイレと同じ作りだと聞いたことがあるし、屋敷のトイレは みんな そうだった。
突然、体が変わってしまっても、多分、やり方にそう違いはないと思う。
取り合えずズボンを下ろして、座ってすればいいのよ。
だから、こんな往来の目の前でお尻を見せて、立ってするなんて、考えられない。
ドアは閉まっててもカギがないんじゃ、いつ、誰が入ってくるか、わからないじゃない!
「お前なぁ。恥ずかしがってる場合じゃないだろ?男だったら、こっちでするもんだぜ。それとも何か?用があるのは大便の方だったのか」
「ち、違います!!」
だ、大便とか、言わないで欲しい。
わたしの中のライアン・フランシス様のイメージをこれ以上、壊さないで!!
「や、やればいいんでしょう……やれば!!」
う、うう……どうして、こんなことに。
「あ、あのー。むこう向いてて下さいね」
「その間に逃げようってか?」
そう言って目を細めるケイン様。
うう……そんな目で見ないでほしい。
「……わかりました」
わたしは小さな声で答えた。
そうね、きっとコレは試練なんだ!
願いを叶えてくれた神様がわたしに与えて下さった試練。
聖騎士になれたら、どんな困難にだって立ち向かって見せるって誓ったんだもの。
……まだ、なれてないけれど。この体になったことで、道は開けたってコトよね。
うんうん。
わたしは頷くと、壁際の器の前に立った。
なんとなく、隅っこの方が落ち着く気がしたのだ。
意を決してズボンを下ろそうとするけれど、手が縛られてて上手くいかない。
「うーん、もう!」
四苦八苦してると、後ろから声がかかった。
「ったく、しょーがねーな。ズボンくらい1人で下ろせねーのかよ」
金色の髪をポリポリ掻きながら、ケイン様が近寄ってくる。
え、ちょっと……何をなさるおつもりで?
「さっさとしねーと、洩らしちまうぞ」
言ってわたしのズボンを下着ごと引きずり下ろした。
「あれ、お前。なんだって女物の下着なんか履いてるんだ?」
だって、だって、それは……。
「いぎゃあぁぁぁぁぁぁ!」
わたしの羞恥の叫びに駆けつけて来てくれた人は、どうやらケイン様のお知り合いだったみたいだ。
どうしてわたしの前に神様が降臨させて下さった ライアン・フランシス様ことケイン様にお知り合いがいるの?だとか。
その他、色んな疑問がわたしの頭の中に渦巻いたけれど。
「──ケイン。部屋にいないと思ったら、こんな所で、いたいけな少年に何て事を……」
「い、いや。ジェフリー、これには深い訳が」
「これのどこに深い訳があるって言うんですか?あなたはこの少年を無理やり」
「いや、誤解だ。ジェフリー」
「情けないです。僕はそんな方の元で汗水たらして働いていたなんて」
「お前が汗水たらして働いてたことなんて、1度も見たことないが……」
トイレに入ってきた黒髪の男の人、ジェフリーさん(?)とケイン様は仲よさそうに会話している。
……う、羨ましい。
できる事なら、わたしも仲間に加わりたい。
でも、でもね──わたしは堪え切れずに泣いていた。
ズボンを下ろされた衝撃で、出るモノも引っ込んじゃったけれど。
見られた!見られた!!
今は女じゃなくて、男だけど、そういう問題じゃないわよね!
ああ、もうお嫁にいけない。この場合はお婿なのかしら?
憧れのライアン様ならまだしも、見知らぬ男性にまで下半身を露出した姿を!
っていうか男同士なら、ありなの?平気なものなの?この状況。
どうでもいいけど、笑ってないで、ズボン上げてよ!
こんな風に縛られてちゃ、届かないんだからー!!
泣きだしたわたしをなんとか宥めすかしたケイン様とジェフリーさんは、一先ずわたしを先ほどの部屋へと連れて行った。
どうやらここは宿屋のようで、ジェフリーさんが下の食堂で適当にご飯を見つくろってきてくれる。
気のすむまで泣いたわたしは、両手を縛りあげていた縄を解いてもらって、それから、ちょうど お腹が減っていたので、それを黙々と食べた。
「あ、ちょっと……聞きたい事が……」
あるんだけど、とケイン様に言われても、食べる!
ああ、何てことだろう。
これが、聖騎士になる為の試練なのだろうか?
そうよね……聖騎士になったら、周りは男の人ばかり。
これしきの事でダメージを受けてちゃダメよね。
笑って流せるようにならなくちゃ。
だって、わたしはエルザ・クリンプトンではなく、ナサニエル・レイン。
れっきとした男の子なんだから。
でも、どうしよう……このまま家に帰ってはダメかしら。
ダメよね……。
血のつながらない男児なんて、邪魔なだけだ。弟が生まれたなら尚更。
やっぱり、わたしには王都に向かって聖騎士になるしか道はない、わよね?
「あ、えっと……ナサニエル、だっけ……もう、落ち着いたか?」
あれからライアン様、もとい ケイン様は微妙に罪悪感を感じたのか、ほんの少しだけ、わたしに優しく接してくれる。
それは嬉しい、嬉しいんだけど……わたしが求めていたことと大きく差がある気がするの。
「…………」
わたしはケイン様を無言で見つめる。
ああ、思い出すだけで涙が……。
そんなわたしを見て、ケイン様が、うっと言葉を詰まらせた。
「申し訳ありません。怖い思いをされたでしょう?まさか僕もケインがあんなことをするなんて、思っても見ませんでした。いくら女性が苦手だからと言って……こんな少年に手を出すなんて」
そんな時、ジェフリーさんがわたしを見て言った。
さっきは気が動転していてわからなかったけれど。
この人、どこかで見たことあるような気がする。
綺麗に整えられたブルネットの髪。
それからグリーンの瞳は、まるでお父様とお母様みたいな色合いをしている。
横わけにした髪に乱れはなく、そして、優しい笑みを湛えている。
「ジェフリー!それはさっきも説明しただろう!?」
彼の言動にカッと頬を赤く染めたケイン様は、何と言うか、可愛らしい。
ライアン様とは少しイメージが違うけれど、これはこれでいいんじゃないだろうか?
もしかしたら、物語が進んでいくにつれて、こういう場面も見られるのかしら。
「冗談はさておき、ナサニエルさんとおっしゃいましたか」
そう言って、頭を上げるジェフリーさん。
「冗談かよ」
なんてケイン様がその横で悪態をついている。
……う、やっぱりイメージじゃない。顔はソックリなのに。
わたしは気を取り直して頷いた。
「はい。わたしはナサニエル・レインと言います。失礼ですが、ジェフリーさんはライアン様の何ですか?」
「ライアン、様?」
「ええ、ライアン・フランシス様です」
訝しげな表情のジェフリーさんに、わたしは頷く。
「ライアン様と言うか、今はケイン様と名乗っているようですが……」
「ケイン……」
ジェフリーさんはわたしから視線をケイン様にうつす。
「言ったろ?こいつ俺の事、ライアン様とか何とか言って聞かないんだ」
おかしな奴だろ?って、ケイン様ったら、酷い。
わたしは おかしな奴でもなんでもなくて、ナサニエル・レインだって ちゃんと名乗ったのに。
それとも本名の方がいいのかしら?
「ナサニエルさん……ひょっとして、ライアン・フランシス様と言うのは……今、巷で人気の『聖なる騎士物語』の主人公、ライアン・フランシスのことですか?」
「ええ!ジェフリーさんも御存じですか!?」
「はい。愛読させて頂いてますが……」
ああ、こんな所で同志と出会えるなんて。
「ナサニエルさん、非常に言いにくいことなんですが。ここにいるケインは見てくれこそ物語の主人公にそっくりですが、本当に見てくれだけ、なんですよ」
「そんな、違います!ジェフリーさん。わたしちゃんとお願いしたんです。神様に。そしたらライアン様が現れて」
「彼はライアン様ではありませんよ。あなたも聞いたことくらいあるでしょう。この人はこう見えてもこの国の王子です。今は任務中でこんな恰好ですが……彼の名前はケイン・フィーダ・トリエスタ。ライアンと言う架空の人物ではなく、実在する人ですよ」
「……そ、そんな」
願いが叶ったと思っていたのに。
わたしはジェフリーさんの言葉に愕然とする。
「本当に、ライアン様じゃないんですか?」
本当の本当に?わたしはケイン様とジェフリーさんを見た。
「おい、ジェフリー。こんな得体のしれないヤツに正体ばらしていいのか?この任務は一応、極秘にってことだっただろう?」
「彼は大丈夫だと思いますよ。盗賊団「白い風」の一味ではない筈です」
「筈って、お前なぁ」
2人の会話がまったく耳に入って来ない。
ケイン様がライアン様じゃない?
じゃあ、ライアン様はどこに……って初めからいないのか。
「……ライアン様っ」
どうもわたしの今日の涙腺はすこぶる緩くなっているらしい。
次から次に流れてくる涙に、ケイン様とジェフリーさんは困ったようにため息をついた。
「ジェフリー、こいつどうする?」
「あなたがここに連れて来たんでしょう?ケインが最後まで面倒みて下さい」
「お、俺がぁ?」
ひっく、ひっくとしゃっくりをあげるわたしに、ケイン様が顔を引き攣らせる。
「俺、無理。ガキは嫌いだ」
「あなたはそれだけじゃなくて、人が嫌いなんでしょう?」
ジェフリーさんの言葉にケイン様は顔を顰める。
「ウルサイな。ほっとけよ」
「昔はあんなに可愛らしかったのに」
「小さい頃の話はするな!」
「あの時は無邪気でしたよね。疑うことも知らずに、姉君たちに いいように遊ばれて……」
「ウルサイ!」
……あ、なんか。わたしって忘れられてる?
もう、どうでもいいや。なんだか泣いたら疲れちゃったし。
わたしってば、今日、かなりの距離を歩いたものね。
お腹はまだ空いてる気がするけれど、それよりも、今は眠い……。
わたしは言い合っている2人を無視して、近くのベッドに潜り込む。
あ、このシーツの匂い。ケイン様の匂いだ。
彼がライアン・フランシス様じゃなかったのは残念だけど……モデルと噂される人物だけのことはある。
見た目は本当にそっくりだ。
あの雑誌の挿絵、まんざら嘘でもなかったのか。
何割か美化されていると思ったのに。
見た目だけなら……それでも十分な気がする。
わたしのライアン様に、そう呼ぶに相応しい人柄になってくれさえすれば……。
「おい、お前!そこは俺のベットだぞ!!」
ほら、この言葉づかい。これをまずは正して。
「おい、出ろって!寝るな!!」
仮にも一国の王子がこんな、だなんて。
まあ、わたしも人のコト言えないけれど……。
「おい、お前。ナサニエル・レイン!」
そう、お前じゃなくて、ナサニエル・レインよ……。
わたしはそれから程なくして、夢の世界へと旅立った。