ナサニエル・レインの誕生 - 2 -
わたしがあの方に初めて出会ったのは、忘れもしない。11歳の夏。
メイドのマーサが読みかけていた本を拾ったのが始まり。
エンジ色のハードカバーに繊細な金の文字で書かれた『聖なる騎士物語』という文字。
わたしは本を開いた瞬間にもうその虜になっていたのだ。
……ああ、わたしの愛しのライアン・フランシス様。
彼はこの『聖なる騎士物語』の主人公。
美しい顔立ちに黄金の髪をもち、そのブルーの瞳は神に与えられた力を使う際に血のような赤色に染まる。
わたしと同じ「奇跡の色」の持ち主。
ライアン・フランシス様のおかげで、わたしは両親とは違うこの髪を少し好きになることが出来た。
類稀なる力を持った彼は味方から「黄金の騎士」と称され、敵である魔族からは「金色の悪魔」と恐れられている。
その凛々しいお姿と言ったら、わたしの想像力を以ってしても、神々しいばかり。
ひと度、ライアン・フランシス様に出会ってしまったわたしは、それから全力で彼に近づく努力をはじめた。
まずは形から。わたしは挿絵にあったライアン・フランシス様の髪形をマネしてみることにした。
腰まであった長い髪にハサミを入れる。抵抗はなかった。
何しろ特に思い入れのない自分の髪だ。
けれど半分に切った所でメイドの1人に見つかって、後でお父様とお母様こっぴどく叱られた。
髪型がダメならば、次は恰好だ!
『聖なる騎士物語』にハマる前は「お姫様」に憧れていたわたしのクローゼットはヒラヒラのドレスばかりだったのだ。
わたしはヒラヒラのスカートではなく、ズボンを履くようにした。けれども、それも却下。
淑女たるもの、それなりの身だしなみをしなければなりません、と怒られた。
ならば次は、瞳を赤くしてみよう。
子供だったわたしは、お父様の書斎に忍び込み、赤いインクを自分の目に垂らしてみた。
だって知らなかったのだ。インクがあんなに痛いものだなんて。
気付いた子守りのターニャが、すぐにインクを洗い流してくれなかったら、どうなっていたことか。
その事があってから、わたしは外見に こだわるのをやめた。
そう、外見よりも肝心なこと。聖騎士になろう!
そうと決めたわたしは特訓を開始した。
聖騎士の仕事は主に魔に属するモノを倒すこと。魔物、魔獣、魔族。
そもそもわたしたちの身に備わっている聖力は神話の時代に突如として現れた魔の集団に立ち向かう為の力だ。
広い世界、その魔族の親玉、魔王を神として信仰している国がある。
そこから定期的に世界に放たれる魔のモノたちを排除するのが彼らの勤め。
神のおわす国として、崇められる聖トリエスタ王国では聖女や聖騎士はお飾りでなく、実際にその力を駆使している。
聖女の役目は人々に神の言葉を伝えること。
聖騎士は魔の手から神の子である人々を守ることを使命としている。
聖女はある程度、聖力があればなれるが、聖騎士はそうではない。
実際に戦うのだから、それは仕方のないことだけど。
聖騎士なるために、わたしはまず剣術を習うことにした。
けれど3日で断念。よくもった方だと思う。
……剣って想像以上に重いんですもの。
替わりにナイフ投げを習うことにした。執事のバッスンの得意技だ。
これなら剣を習うより授業料も浮くし、一石二鳥。わたしは頑張った。
それから忘れてはいけないのが聖術。読んで字のごとく聖なる力を使う術。
聖術には主に3種類ある。怪我や病気を治したりする治癒術と、攻撃から身を守ったり、自分の身体能力を高めてくれる補助術。後は魔のモノたちにダメージを与える浄化術だ。
聖騎士になる為の試験には聖力の大きさと、どの程度 武器が扱えるか、それから聖術の基礎はちゃんと出来ているかが見られるのだと、『聖騎士になるための1・2・3』というハウツー本に書いてあった。
聖術を学びたいと言ったわたしにお父様は反対した。
淑女たるもの、慎ましく淑やかであれ。剣術は習わせてくれたのに、絶対オカシイ!
わたしはこっそりお父様の書斎にあった聖術の本をかすめ取り、一応の基礎は頭に叩き込んだ。
叩きこんだのだけど……実際のところ試したことはない。
試す前に気付いてしまったのだ。
わたしがどんなに努力しても聖騎士には慣れないんだってこと。
……だって、わたし、女だったんですもの!!
当時のわたしはすっかり失念してしまっていたのだ。
聖騎士が男の職業だと言うことを……。
打ちひしがれたわたしは、物欲に走った。
刊行されている『聖なる騎士物語』を保存用、読書用、観賞用、外出用に揃え、その頃に創刊された『月刊 聖騎士☆通信』の定期購読者になる。
ライアン・フランシス様の特大姿絵も手に入れたし、ブロマイドも。
それから、ライアン・フランシス様を称える会「聖なる騎士同盟」にも加入。
そして手に入れた会員証。ライアン・フランシス様の姿絵の入ったロケット型のペンダントは、今も肌身離さず身につけている。
後は肖像画も描いて貰った。
わたしが毎日、キスしているのがそれだ。
今日は頼んでいた服も完成したし。
すっかり浮かれ気分でいたのに、いきなり王都へ行って、聖女になれ!だなんて。
「エルザ……わたしは悲しいよ。幼い頃から今まで、どんなにお前を大切に育ててきたか。それこそ真綿で包む様に。周りの者から散々、親バカだ、何だと罵られようとも、お前が望むことは何だって叶えてきたつもりだ。お前の為ならこのクリンプトン家がどれほど傾こうとも、落ちぶれようとも厭わない。そう思っていたのに……お前はもう肖像画の男に身も心も捧げたと言うではないか……」
「……お父様」
浮かんだ涙で視界が霞む。
お父様がわたしのことをそんなに愛して下さっていたなんて……。
わたし、まったく知りませんでした。
でも、ごめんなさい。お父様。わたしの愛は変えられないの。
「わたしはバッスンに命令を下した。嫁入り前のお前を傷モノにした男を探して連れてこいとな」
「まあ」
お父様の言葉にわたしは目を丸くする。
「エルザ」
「なんでございましょう?」
呼ばれてわたしは首を傾げる。
「……あの肖像画の人物が、物語の中の主人公と言うのは本当か?」
感動しているのかしら?
机の上の拳を握りしめワナワナと肩を震わせているお父様にわたしは答えた。
「おっしゃる通り『聖なる騎士物語』の主人公、ライアン・フランシス様です。わたしがこの身を一生 捧げることを誓った相手」
ポッと頬を赤らめたわたしにお父様は言った。
「架空の人物に一生を捧げるヤツがあるか!?」
「お父様!?」
「あなた!落ちついて!!」
顔を真っ赤にして叫んだお父様にわたしもお母様も、一様に驚く。
その声に目を覚ました弟が、おんぎゃあ、と力の限りに泣きだした。
「あら、よちよち。ごめんなさいね。お父様がいきなり大きな声を出すからビックリしちゃったわよねぇ~」
お母様が弟の背中をポンポンと叩いてあやす。
「……あ、う、その……すまん」
しゅるしゅると小さくなったお父様は、小さな咳払いをして わたしに言った。
「エルザ、お前は金輪際、聖騎士と名のつくモノ。ライアン・フランシスとかいうモノには触れさせん!本も全部 捨ててしまえ!!」
「お、お父様?」
こんなに声を上げられたお父様は初めてだった。
わたし、エルザ・クリンプトンの短い人生の中で、一度も……こんなことはなかったのに。
「お前はとりあえず神殿で、その腐った思い込みを清めて もらってくるんだ」
そんな、そんな、お父様。
「や、やっぱり……わたしはお父様とお母様の子では なかったのね!?」
わたしは思わず叫んでいた。
「だからそんなヒドイことが言えるんだわ!わたしは、わたしは、ライアン・フランシス様がいなければ生きていけないのにっ!!」
弟が生まれたから、跡取りが生まれたから、わたしのことが要らなくなったんだ。
わたしは堪らずにお父様の書斎を飛び出した。
涙が、涙が溢れてきて止まらない。次から次へと頬を伝う。
好きだった。大好きだった。
お父様もお母様も、この家もこの村も。
わたしを取り巻くもの全て。
けれど、それと引き換えにライアン・フランシス様へ捧げた この愛を捨てる事なんて出来ない!
……出よう、この家を。
わたしは1人、あの方への愛を胸に生きていくのよ。