魔物の種 - 5 -
──部屋の隅。
マイケルさんの左半身を覆っていた根は、その範囲を広げて、まるで大木の幹の一部みたいに、しっかりとそこに根付いていた。
意識のないマイケルさんの体は、魔物の根でその殆どが、表から見えなくなっている。
唯一こちらから確認できるのは、洞のような場所から覗いている青白い顔だけ。
一体、魔物のどこに、そんな力が残っていたのだろう?
花を咲かせる為、足りない力を集めていたというのに……こんなに成長するものかしら。
魔物の事は、よくわからない。
日がな一日、お父様の書斎で読書に励む事もあったけれど。
そこにあった『魔物の図鑑』に、そんな記述はなかった。
それに『聖なる騎士物語』に出てくる魔物に植物タイプなんて、いなかったもの。
もし、物語の中に登場していたら、きっと調べつくしていたのに。
けれど、わたしの疑問はロアンお爺さんによって、解消された。
わたしたちの攻撃によって危険を感じた魔物は、開花に備えていた力を自己防衛に切り替えたのだと言う。
急成長の原因は自分の核を守るため。
その核はマイケルさんの中にあって、だからそれを隠すように……。
マイケルさんは大丈夫よね?
まだ、ちゃんと生きているわよね。
逸る気持ちを抑えながら、わたしたちは作業に取り掛かる。
ブライアンさんは魔物の動きを封じる役目。
聖術で一時的に眠らせておくらしい。
マイケルさんに聖力を送る際に、邪魔されないように。
ジェフリーさんはもしも魔物が動き出した時の為の保険。
聖器を携え、近くで待機している。
聖力を扱う時には集中力が必要で、その間、とても無防備な状態になるから。
そんな時に襲われたら、ひとたまりもないもの。
そして、肝心のマイケルさんに聖力を注ぎ込むのは、わたしとケイン王子の仕事となった。
どうしてそんな大役を、聖術も使った事のないわたしが仰せつかったのか。
その理由は単純明快で、この中で最も聖力が強いのが、なんと、わたしだったから。
その次がケイン王子らしいの。
今まで調べたことはなかったけれど……ロアンお爺さんは聖力を測る機器がなくても、大体の力量がわかるんですって。
だから、大したことも出来ない、力の使い道もしらない、聖騎士でもないわたしがこの場に引きとめられた。
よく考えてみたら、わたしって部外者だものね。
そんな理由でもない限り、今のこの状況はあり得ない。
力が有る者が居た。だから、それを使う。ただ、それだけの事。
ケイン王子が言っていた「色持ちだから」には、そんな意味が含まれていたのね。
聖力が強いというだけで関係ない者を巻き込んでもいいのか、ケイン王子はそう言っていたんだわ。
わたしたちは、ブライアンさんの聖術によって動かなくなった魔物に近づいた。
そして、お互いを見つめ、頷き合う。
わたしは左から、ケイン王子は右から、それぞれ冷たくなっているマイケルさんの頬に手を触れた。
……大丈夫。きっと上手くいく。
聖術を注ぐのは、初めてじゃないんだから。
この館に侵入する為に使った首飾りでは、成功したんだもの。
……大丈夫、大丈夫。わたしはきっと出来るわ。
そう自分に言い聞かせていると、何故かケイン王子が隣で噴出した。
「お前でも緊張したりするんだな」
え、そんなの当たり前じゃない。
こんなこと緊張するに決まってる。
「言わないんだな」
……え、何を?
わたしが訝しげな顔を向けると、ケイン王子は続けた。
「絶対、言うと思ったんだが」
だから、何を?
こんな時に、謎かけ?謎かけなの?
わたしにはケイン王子のお遊びに付き合っている余裕なんてないのよ。
もう、一杯一杯なんだから。
ぷいっと顔を背けたわたしの耳に、その言葉は飛び込んできた。
「愛の共同作業」
な、なんですって。
ケイン王子、今なんて?
「お前のこれまでの言動から、そう言うかと思ったんだが」
わたしの視線の左斜め上、45度の視界にケイン王子の素敵な笑顔があった。
笑った。笑ったわ。
ケイン王子が、わたしの隣で笑ってる!?
これまでの短い付き合いの中、一度も見た事のなかった笑顔。そう、純粋な。
苦笑いとか、嘲笑うとか、不敵な笑みだとか、そう言うものでは無くて、ただの笑顔。
そう、ケイン王子に足りなかったのはスマイルだったのよ!
ああ、笑顔であれば言葉遣いが、どうかなんて気にしないわ。
だって、素敵だもの。
ライアン・フランシス様は別名、微笑みの貴公子で在らせられますことよ!
それに、それに、なんなの!?先ほどの、あの言葉は……愛の共同作業!?
その顔で、その声で、言ってしまわれるのね。
ああ、もう、なんて──し・あ・わ・せ。
誰か、誰か。有名な画家を連れてきてちょうだい。
この眼福な現象を一枚の絵に留めておくのよ!
タイトルはもちろん『愛の共同作業』。
願わくばその声も一緒に記録しておきたいけれど、そんな技術はどこにもないし。
せめて、わたしの脳内に保管しておくしかないわね。
ケイン王子の笑顔と共に、わたしの頭の中で繰り返される映像。
いつもなら、それがライアン・フランシス様へと変換されて、わたしの記憶に残るはずなのに。
あら?おかしいわ。おかしいわね。
何……この、胸の高鳴りは。
動機に息切れ、それから、眩暈までしてきたわ。
それに、胸が苦しくて、ぎゅっとするの。
でも、今はマイケルさんを助けないと。
深呼吸をして、少し落ちつきましょう。きっと緊張し過ぎているのよ。
「ナサニエル……お前、大丈夫か?」
鼻息が荒いぞ、だなんてケイン王子。
それは事実でも、女性に言ってはいけない言葉だわ。鼻息だなんて。
まあ、今は男だけれど。
その言葉で、わたしは妙に落ち着いてしまった。
おかげで、すんなりと、わたしはマイケルさんに聖力を注ぐ事が出来た訳だけど……。
隣で聖力を送りながら、目を閉じているケイン王子の横顔をチラリと盗み見る。
すると、先ほどの笑顔を思い出して、急に顔が熱くなった。
「ナサニエル、聖力が乱れとるぞ」
意外にも、近くから聞こえたロアンお爺さんの声に、わたしは慌てて、作業に集中する。
目を閉じて、呼吸を落ち着かせ、体の中心に感じる力を自分の手から、マイケルさんの体へと流し込むイメージ。
すると、ゆるゆると、何かがその道順を辿って動いて行くのがわかる。
そうしてしばらくしていると、ある変化が起きた。
今まで動く事のなかった魔物が蠢きだしたのだ。
わたしは驚いて、思わずマイケルさんから手を離しそうになったけれど、それはどうにか こうにか思いとどまる事が出来た。
「いい調子じゃぞ。あともう少しじゃ」
ロアンお爺さんの声が聞こえる。
わたしはもう一度、意識を集中させた。
まだ、わたしの中の聖力は尽きていない。
……よし、もう少し。
頑張るぞ、と気合を入れた途端。急にマイケルさんが苦しみ出した。
わたしは怖くなって、今度はその手を離してしまう。
「続けるんじゃ」
「でも!」
瀕死の状態のマイケルさんに、これ以上、苦痛を与えるなんて。
わたしはロアンお爺さんを振り返る。
「他に方法は!本当にこの2人に任せてマイケルは助かるのか!?」
そこにはロアンお爺さんに詰め寄るベアトリス卿の姿があった。
……その通りよね。
ケイン王子ならまだしも、見ず知らずのわたしなんて信じてもらえる訳がない。
マイケルさんを助けたい気持ちはあるけれど、それはどうしてかしら。
ここで活躍しておけば、聖騎士になれるかもしれないから?
けして、そんな理由じゃない。ただ助けたいだけ。
だけど、こんなに辛そうなのに、これ以上、続けてもいいの?
マイケルさんが苦しんでいるのは、わたしの聖力の送り方が間違っているからではない?
……わたし、自信がないわ。
マイケルさんを覆っていた魔の根は、その殆どが体から離れ、今は彼の左足から床一面に広がっている。
そして、今までは見える事のなかった傷口から、溢れ出す血と、蠢く根が彼に苦痛を与えていた。
眠っているはずなのに、動く魔の根は注ぎ込まれる聖力から逃れようとしている。
でも、それと同時に、マイケルさんの体力も削られていく気がする。
このままじゃ、彼は持たないかもしれない。
ベアトリス卿の言うように、他に方法はないのかしら。
マイケルさんに負担をかけることなく、魔物だけを退治する方法が……そうよ、浄化術!
浄化術は魔物に影響を与える術。だから、人体に影響が及ぶ事はない。
それなら、ちゃんと聖術を使える人が確実に仕留める事が出来る。
「ロアン様、浄化術を使っては?」
傍に控えていたジェフリーさんが言う。
わたしも今、そう言おうと思っていたの。
「今はまだ駄目じゃ。魔物の核が完全にマイケルの体から離れてからでないと、彼の体にその核が残ってしまう。そうなれば、また同じことの繰り返しじゃ」
いい考えだと思ったけれど、ロアンお爺さんに否定されてしまった。
「マイケル……」
そう呟くベアトリス卿の声に、僅かにマイケルさんが反応する。
どうしよう……このまま続けるしかないの?
続けたとして、マイケルさんを助ける事が出来るのかしら。
わたしなんかに……。
「ナサニエル。大丈夫、上手くいくさ」
ケイン王子が言った。
「俺は……もう二度と自分の目の前で、命が消える所を見たくないからな。何が何でも助けて見せる。こいつを、な。まあ、あんまり信用してもらえてないみたいだが、一応、俺の部下だし」
わたしとは違って、マイケルさんに聖力を送り続けていたケイン王子。
そうよね、このまま。何もしないままでは、いけないわ。
これしか方法が無いんだったら、やるしかない。やらなくちゃいけないんだから。
わたしったら、何を弱気になっていたのかしら。
このままじゃ、ナサニエル・レインの名が廃る。
ケイン王子のことをライアン・フランシス様のモデルに相応しくないなんて、言えなくなっちゃう。
よし。気合を入れなおしたわたしは、隣のケイン王子を見た。
目が合うと、さっとその視線を逸らされる。
──奇跡の瞳。
ケイン王子の瞳の色が普段の色合いから、赤へと変わっていた。
「……その、目」
わたしの呟きは無視されて、再び王子は目を閉じる。
ケイン王子が「奇跡の瞳」を持っていたなんて。
そこまで、ライアン・フランシス様と同じなの?
強い聖力を使用することで生じる瞳の変化。
どうしましょう。一瞬とはいえ、本物を間近で見てしまったわ。
ああ、もう一度、じっくり観察したい。
「ナサニエル君、早く~。魔物をこれ以上、眠らせておくのは無理だよ」
起きちゃう、起きちゃう、早くして~!そう言うブライアンさんの声に、はっと我に返る。
いけない。今は集中しないと。
再び、今度は魔物の根が飛び出しているマイケルさんの足元に、手を添える。
なるべく近くから送った方が、魔物も嫌がるのではないかしら?そう思ったの。
「ぐっ……くぅ…ぁ……ぅぁ」
程無くして、マイケルさんの口から漏れだす苦悶の声。
マイケルさんは意識を取り戻したのかしら?
それから、彼の足があり得ない形で波打ったかと思うと、その傷口から、何かが飛び出した。
マイケルさんの血で染まった、脈打った拳の様な塊がなんとも気色が悪い。
植物の種と言うよりは、まるで何かの臓器の様な、それ。
核が抜けて、支えを失ったマイケルさんはその場に崩れ落ちる様に倒れた。
そこへ、ベアトリス卿と黒髪の少年が駆け寄ってくる。
彼らは倒れたマイケルさんを抱き起こし、そして、よかったと涙を流した。
その様子を、暫く満足そうに眺めていたケイン王子は、
「やったな」
そう言って、わたしの頭をクシャクシャとかき混ぜる。
その王子の何気ない行為に、わたしの頭はパニック寸前。
や、やだ。何これ?
ケイン王子は、疲れたと言いながらも、マイケルさんから離れた魔物の処理に足を向ける。
聖力を使い果たしたわたしたちに、殆ど出来る事なんてないのに。
聖術も使えなければ、聖器だって使えないんだから。
けれど、わたしはそんなことよりも、ケイン王子に対する自分の反応に戸惑っていた。
……こ、これが噂に聞く、恋のトキメキ。
ライアン・フランシス様を慕う気持ちとはまた別の、何と言うかキュンっと胸の奥が締め付けられるような、この感情。
どうして、ケイン王子なんかに。
彼はライアン・フランシス様では無いのよ!
外見は、まあ、似てるけれど。中身は違うもの。
わたしは見た目に騙されたりしないんだから。
愛そうとは思っていた(死なれると困るし)けれど、こ、恋。
恋って言うのは、あれよね。
相手の一挙一動や、その言動に一喜一憂してしまうと聞く、あれのことよね。
恋も愛の始まりだけれど、愛には色々と種類があって、友愛とか博愛とか人類愛とか色々。
わたしのケイン王子へ対する愛はたぶん、博愛みたいなものだったのよ。
それがいつの間に、こんな事に。
こ、これじゃあ、わたしの計画が難しくなるじゃない。
だって、恋すると相手に触れる度に、恥ずかしいとか。
こんなことをすると嫌われちゃうかも、とか、色々と気にする事が増えるのよ。
ダメよ、ダメ。それは却下。
わたしには使命が!
神に与えられた使命があるんですから。
ケイン王子を立派なライアン・フランシス様にするという使命がね。
ここまで、リアルライアン様なケイン王子を、このまま野放しにしておけないわ。
きっと全国のライアン・フランシス様ファンの女の子たちは、わたしと同じように触って確かめられる彼を求めている。
そう感じるの。
だから、ダメ!
恋心なんて封印して、今はその目標に向かって突き進むのよ、エルザ……じゃなくて、ナサニエル!
わたしがそんな葛藤をしていると、視界の隅に何かがよぎった。
「危ない!」
わたしは咄嗟に、その軌道上に飛び出す。
瀕死状態の魔物の根が、ベアトリス卿を目がけて動いたのだ。