魔物の種 - 4 -
「わたしがやる。わたしにやらせてくれ!」
ベアトリス卿は言った。
マイケルさんの自室だった部屋は、様々な家具が散乱している。
魔物の根が辺りを這いずり回った所為と、その根を次々と斬り落としているジェフリーさんとブライアンさんの所為もある。
本体から切り離された魔物の根っこは朽ち果てて、灰のようになり、それが赤い豪華な絨毯を汚していた。
ようやく、魔物の根から捕まっていた少年達を救出し、彼らを避難させ、ここに残ったのは、ベアトリス卿となんちゃって聖騎士団の黒髪の少年が1人。
わたしたちを呼びに来た男の子。なんと、彼は聖術が使えるらしい。
それから、この屋敷の住人以外では、ケイン王子率いる、わたしを含めた男性陣。
つまりはテレサ姫以外すべて、この部屋に居る。
テレサ姫はケイン王子の説得により、屋敷の外へと避難させられていた。
姫は最後まで、この場に残りたがったのだけれど。
その逆にわたしはと言うと、情けない事に、出来ることなら姫たちと一緒に避難させてほしかった。
だって、役に立てるとは、とてもじゃないけど思えないもの。
わたしだって『聖なる騎士物語』のナサニエル・レイン見たいに、恰好よく決めたい気持ちはあるのよ。
ケイン王子の手足になって活躍したい。それこそ、ブライアンさんみたいに。
普段、あれだけ空気の読めないキャラのブライアンさんは、ウソみたいにジェフリーさんと息のピッタリ合ったコンビ振りを発揮していた。
厄介払いだなんて、そんなこと思って、ごめんなさい。
一番の役立たずは、このわたしね。
そんなわたしに、ケイン王子が言う。
荒れ狂う部屋の中、茫然と何をしていいのか分らず、ただ佇んでいるだけのわたしに。
「お前もテレサたちの所に行くか?」
「え?」
それは何とも優しい声だった。
別にそれはわたしに対する嫌味とかではなくて。
そう、ただ心配してくれている。
こんなに情けないわたしに、ケイン王子は言った。
「お前、こういうのは初めてなんだろう?無理するな。ここは俺達で何とかするから」
「ケイン様……」
開花する為の力を求めて、部屋中には魔物の根が伸びていた。
早くしないとマイケルさんの体力が持たない。
彼の代わりに魔物に力を与えていた少年達は、もういないから。
「それはダメじゃ。彼にはここに残ってもらわんと」
わたしたちのそんな遣り取りに、気付いたロアンお爺さんが横から口をはさむ。
ロアンお爺さんは、その手に銀色の淡く光る杖の様なものを持っていて、先端を襲ってくる根に翳し、どういう原理か、それを枯らしていた。
ケイン王子は頭上から迫ってきていた根を、ジェフリーさんのより刃の広い剣で薙ぎ払う。
「何だよ、髭じじい。コイツはたぶん、聖術だって、まともに使った事ないんだぞ!」
そんな奴に行き成り実践なんて無理だろう、と王子が叫ぶ。
……どうして、そんなことが分るのかしら。
わたしは何も言わなかったのに。
どちらかと言うと、聖術を使えるようなふりをしていた。
聖騎士になるのには、そっちの方が有利だと思っていたから。
もしかして、その事を知っていたから、わたしに聖術を使わせなかったの?
ジェフリーさんに試されるように言われたあの時に。
「この先、彼の力が必要になる」
「なんだよ、それ」
ロアンお爺さんの言葉に、ケイン王子の声がオクターブ下がった。
「お前さんだけでは無理じゃ。ケイン」
「そんなの、やってみなけりゃ、わかんないだろう?」
ケイン王子は鼻で笑った。
けれどロアンお爺さんは王子の言葉に首を振る。
「ここまで成長した魔物を取り除くのに、必要な聖力はお前さんの想像を遙かに超えとるんじゃよ」
「コイツが、ナサニエルが色持ちだからか?」
ケイン王子が静かに言った。
色持ち……それは「奇跡の色」の保有者を下げずむ言い方だわ。
でも、違う。違うわよね。ケイン王子はそう言う意味で使ったんじゃない。そうよね?
持つ者と持たざる者。神の色は敬うべき対象だけれど、人の心はそんなに単純に出来ていない。
力がある者を妬む気持ち、それから己が敵う事のない恐怖。
大抵の人々は「奇跡の色」に好感を持っている。
けれど、そうじゃない人もいる。
そんな人たちは、色という言葉の様々な意味合いをもってして、わたしみたいな人間を「色持ち」とそう呼ぶの。
その姿で人心を惑わしている、なんて。
ケイン王子は、そんな事、思っていないわよね。
「色持ちだからって、怖がってるコイツを、このままここに置いとくって言うのか?」
ケイン王子は震えるわたしの肩を、そっと包み込むようにしてくれた。
わたし、自分でも気づいていなかった。
……わたし、震えていたの?
どうしよう。恥ずかしい。
こんな事じゃ、聖騎士になんてなれっこないじゃない。
小さい頃からの夢なのに。
嫌よ。嫌。そんなの嫌。
わたしは決めたんでしょ。誓ったじゃない。
聖騎士になって、ケイン王子を立派なライアン・フランシス様にして見せるって!
モデルなんて言わせないわ。元祖よ。元祖ライアン・フランシス様!
ふっふっふっふっふ。
この時、わたしは頭のネジが弾け飛んでいたんだと思うの。
恐怖心が過ぎて、臨界点を突破して、飽和状態。
頭の中は真っ白で、フワフワと現実感がない感じ。
体から魂だけが抜け出して、勝手に動く自分を傍から見ているような感覚。
頭が空っぽのわたしに残っていたのは、この5年間で培われた、深い深いライアン・フランシス様への愛だった。
「ナサニエル!行きます!!」
「お、おい。お前……」
わたしは勢いよく両手を振り上げた。
そう、わたしの腕はまだ縛られたままだったのよ。
これじゃあ、上手く身動きが取れないでしょう?
この状態のまま、子供を受け止めたり、非難させたりしてたんだから。
褒めてくれたって構わないのよ。
振り上げた両手の先には、鋭く尖った魔物の根の先端が……わたしを目がけてやってくる。
その軌道に上手い事、縄のつなぎ目を合わせた。
わたしの動体視力をなめるんじゃないわよ!
バッスン直伝、投げナイフで培われた能力なのだから。
──ブツン。
と、縄の切れる音がして、自由になった手で、わたしは向かってきた その根を払いのける。
痛ぁーい。
見た目で柔らかそうだと判断した魔物の根は、涙が出るほど硬かった。
それはそうよね。縄が切れるぐらいなんだもの。
「ケイン様、痛いです」
「当たり前だ!ナサニエル!!素手で戦うやつがあるか!」
わたしの手に弾かれて、軌道をそれた根が、再びコチラへと向かってくる。
それをケイン王子が剣で叩き落とした。
「ほら、これ使え」
そう言って、ケイン王子が投げ寄越したのは、綺麗な装飾が施された短剣……ではなく、なんの変哲もないただのナイフ。
「それ、大切なもの何だから、使い終わったら返せよ。一応、それも聖器だ」
──聖なる武器。
己の聖力をこめることで、魔のモノたちを滅する事が出来る武器。
「あ、ありがとうございます!」
わたしがそう言って頭を下げると、ケイン王子は言った。
「お前、本当にいいんだな?」
何がいいのかなんて聞かない。
聞く必要はないもの。
わたしは逃げない。戦うって決めたんだから!
「はい!」
「お前がいいなら、俺は何も言わない」
「はい!」
「行くぞ、ナサニエル!」
「はい!」
ああ、これって、夢のよう。
わたしとケイン王子は、まるでペアみたいじゃない?
そう、物語から飛び出してきた、ライアン・フランシス様とナサニエル・レインのような。
よかった。勇気を出して。
よかった。わたし、男の子で。
もし、女の子のままだったら、今、この現場に立ち会う事は出来なかったもの。
……でも、それにしても痛いわ。
先ほど、魔物の根を振り払った右手の甲がヒリヒリしている。
わたしの場合、すぐ治るのだけれど。
右手が利き手なのよねぇ。
ケイン王子から貸してもらったナイフは、暫く使えそうもない。
迫ってくる魔物の根を粗方駆除したわたしたちは、マイケルさんに聖力を注ぎ込む段階に移る。
そこで、ベアトリス卿が名乗りを上げた。
「わたしがやる。わたしにやらせてくれ!」
ベアトリス卿は、青ざめた表情で声を上げる。
「マイケルは……マイケルを助けなくては」
そう言ってその場に崩れ落ちる、ベアトリス卿を黒髪の少年が支えた。
本来なら、ベアトリス卿はみんなと一緒に避難するべきだった。
彼の聖力はそれほど、強くないのだから。
けれど、息子の傍に居たいと言う彼の願いを、聖術が扱える少年が一緒なら、という条件で、今、この場に残っている。
「お主の聖力では無理な話じゃ、クリストファー。ここは こ奴らに任せるがいい」
ロアンお爺さんはそう言って、わたし達を見る。
こちらは気にせず、早く作業に取り掛かれ。
口には出さなかったけれど、ベアトリス卿を宥める傍ら、こちらに振り向いたお爺さんは言外にそう語っていた。
「──おい、行くぞ」
ナサニエル、そう呼ばれて、振り向くとケイン王子が近くに居た。
わたしが返事をする為に口を開くと、部屋の奥から声がかかる。
「お~い。こっちは準備できたよぉ~」
ブライアンさんだ。
魔物の動きを封じたブライアンさんがコチラに向かって、手を振っている。
その横にはジェフリーさん。
まったくの無傷の彼は、傷だらけのブライアンさんとは対照的で、その額には汗も浮いてないんじゃないかしら。
ケイン王子もわたしも無傷には代わりないんだけど、もう汗だくだった。
だって360度、いろんな角度から、根っこが迫ってくるんだもの。
幸い、わたしは聖力が強いから、あまり狙われずには済んだけれど。
残念なことに、わたしの勢いは最初のうちだけだった。
だって、怖いものは怖いんだもの。
せまってくる根っこに、殆ど逃げ回っていたの。
力を蓄えるために、人間を捕獲しようとしていた魔物は、自分の体が傷を追うごとに、わたしたちを排除しようとその形態を変化させていた。
ちょっと硬めの根っこから、すごーく硬い根っこに。
もう、先は尖がってるいし、しなやかな鞭のようだったそれは、今は木の棒みたいに硬質なの。
動きも素早くなって、それまでケガのなかったブライアンさんはお蔭で傷だらけ。
でも、誰も寄生はされていない。
今の段階ではマイケルさんの様に種を植えつけられる心配はないらしい。
だって花が咲いて実がつかないと、種は出来ないからね。
マイケルさんは本当に運が悪かったのだと思う。
わたしはそんな根っこから逃げ惑いながら、少し余裕が出来ると、この中で一番、標的になりやすいベアトリス卿に向かっていくそれに、ケイン王子から借りたナイフを投げつけ、なんとか応戦していた。
遠くから的を射る。
それがナイフ投げと言うものよね。
「ナサニエル!お前、人が貸した物を投げるなよ!それ、大切な物だって言ったろう?」
ケイン王子はちょっぴり涙目になりながら、そんなことを叫んだ。
わたしは灰になった根っこの残骸からナイフを素早く回収、そして再び戦線離脱。
根っこが届きそうにない所まで、後退する。
「お前、人の話を聞けー!」
日頃、自分が散々人様から言われているであろう言葉を、わたしに浴びせながら、ケイン王子は魔物と戦っていた。
ジェフリーさんは余裕で、ブライアンさんは何故か自ら迫りくる根に向かって行っているように見える。
「あ、あれ?こっちに来た!」
うわぁ~なんて叫びながら、ブライアンさんの傷がまた1つ増えた。
わかったわ。ブライアンさんって空気が読めないから、魔物の動きも読めないんだ。
ジェフリーさんはそんなブライアンさんを上手い事、盾として使っている。
この中で一番恐ろしいのは、魔物よりもジェフリーさんかもしれない。