魔物の種 - 3 -
「旦那様っ!」
現れたのは、なんちゃって盗賊団だった少年たちの内の1人。
わたしに猿ぐつわなんかをしてくれた、あの男の子だ。
「若旦那様が……」
この国では珍しい漆黒の髪を振り乱し、現れた少年の言葉にベアトリス卿は席を立った。
「マイケルに何かあったのか!?」
ベアトリス卿の息子。マイケルさん。
彼は第3聖騎士団所属でケイン王子やジェフリーさんの部下の1人。
前回の魔物退治で負傷した彼は、奇病に侵されていた。
体の表面の半分が植物の根の様なものに覆われている。
「……不味いな、動き出したか」
ケイン王子が呟いた。
マイケルさんは寝ていないと病気の進行が早まるらしく、少年達に連れられて自室へと戻っていたのだ。
「彼を叱らないで上げて下さい。お兄様。マイケル・ベアトリスは何とか自分で解決しようとしていました。わたくしが下手に手を出してしまったばかりに、こんなことに」
無表情なテレサ姫の顔に、僅かに苦渋の色が滲む。
どう言う事なのかしら?
「お前は良かれと思ってやったんだろう?」
ケイン王子は言った。
「植物タイプの魔物は己の命が危険に晒されると、その生存本能から近くのモノに自分の種を植えつけると聞きます。まさか、それがマイケルの体に埋まっていたとは」
僕の注意が足りませんでした。すみません。と、ジェフリーさんが頭を下げる。
それから、わたしたちは部屋を飛び出したベアトリス卿の後を追って、廊下を走っていた。
ロアンお爺さんも、ついさっきまで眠っていたブライアンさんも、ジェフリーさんに叩き起こされて、一緒に走っている。
「アイツにやられてケガをした奴は何人もいたんだ。でも、マイケルだけ傷の治りが遅かった」
「疲労の蓄積により、体の再生機能が一時的に落ちているのだろう、と言う宮廷医師の診断を鵜呑みにしたのがいけませんでしたね」
ケイン王子とジェフリーさんは走りながら、そんな会話を交わしていた。
「あの時点で専門の医師に見せていれば、こんなことには──クソっ!」
そうやって、ケイン王子は悪態をつく。
テレサ姫はそんな様子の王子をを心配したのか、徐に口を開いた。
「マイケル・ベアトリスは言っていました。もしかしたら、自分のケガは普通の傷ではないかもしれない。その場合、上司であるお兄様方やそれを見逃した宮廷医師に迷惑がかかるかもしれない、と」
「何だそれ?」
少しイライラとした感じで、ケイン王子が後ろを走るテレサ姫を見る。
「彼は死ぬつもりで、故郷に帰って来たのです。ところが戻ってみると屋根にわたくしと言う邪魔者が居りましたでしょう?……わたくし、事情をよく知る前に彼の傷に治癒術を施してしまったのです。そうしたら、突然、傷口から植物の根の様な物が生えてきて」
そして、今のような状況に陥ってしまった、と。
テレサ姫は死のうとしていたマイケルさんを何とか思い留めていたみたい。
「わたくし、これほど自分の無謀さを呪った事はありません。彼が命を落とすような事があれば、わたくしも死ぬと、脅させて頂きました。お兄様達が来て下されば、どうにかなるのでは、と思い……ですが、こんなに進行が早いだなんて」
「テレサ様、感謝します」
「お前にしては上出来だ!」
ジェフリーさんとケイン王子が言った。
よくぞマイケルを生かしておいてくれた、2人はそのような事を口々に言う。
「でも、治癒術を使っちゃったのは失敗だったよね~。テレサちゃん」
後ろを走るブライアンさんが言った。
まだ眠そうに、目をこすっている。
ブライアンさんの何気ない一言に、テレサ姫はその表情を少し曇らせた。
「魔物の種は、生物の生命力を吸って成長するからのぉ」
続く、ロアンお爺さんの呟きに、姫はピクリと肩を震わせる。
治癒術とは、神に祈りを捧げ、己の生命力や術をかける対象者の生命力を一時的に増幅させる聖術。
だから、ケガや病気の時にはその治りが飛躍的に早まる。
厳密に言えば、ケガや病気の種類によって、使われる治癒術にも違いがあるのだけれど。
ロアンお爺さんの言う事が確かならば、テレサ姫の施した治癒術によって、マイケルさんの体に潜んでいた魔物の種の成長するスピードが速まってしまったことになる。
一見、万能に見える治癒術には、そうした欠点があった。
使い方を一歩間違えれば、それは一変してケガや病気を悪化させてしまうことがあるのだから。
それと、もう1つ。
1度、治癒術を施すと、最低でも1年以上はその人物に同じ術を使えなくなる、と言う事。
だからこの術は、余程の時でない限り、使われることが少ないの。
「わたくし、もう二度と聖術は使いません」
テレサ姫は静かにそう言った。
「ああ、そうしな。女の聖術使いは、なぜか煙たがれる」
「所詮は、男性優位の世界ですからね」
本当、どうして女性が聖術を使うと、変な目で見られるのかしら。
「そうじゃなくて、女が使うと危ないからだろう?」
ケイン王子が言う。
「そんなの詭弁ですよ。ケイン様はそんなこと本当に信じていたんですか?」
「え、いや。違うだろう?ほら、聖術って対象に触れないと使えないじゃないか。だからさ、女性が自ら進んで異性に触れるのはちょっとなぁ、ってことだろ?」
何とも古風な考え方だわ。
それなのに言葉遣いが乱暴なのは何故?
「ケイン様。普通それは魔のモノを相手にすることを指すんですよ」
そちらの方が危険でしょう?と、ジェフリーさんが少し呆れたように返す。
「お兄様は男性が聖術をかける際、女性の体に触れるのには問題がないと仰るのですか?でしたら、それは差別です」
テレサ姫がじっとりとした目で王子を射抜く。
確か少し前に似たような問題で、事件があった気がする。
聖術をかけようとして、男性が女性の胸を触ったとか、触らなかったとか。
そのことで、女性の聖術師を国がもっと認めなくては、という話が持ち上がっていた気がするのだけれど。
「そういう事を言ってるんじゃなくてなぁ」
ケイン王子が走りながら頭を掻く。
それと同時にパラパラと白い粉が、え、えええ?
ケイン王子……それはライアン・フランシス様のモデル以前に王子として、大丈夫なの?
そう言えば、昨日、お風呂に入られて無かったわよね。一体いつから?
「まったく、ケインはスケベじゃのぅ」
「どうしてそうなる!?」
突然かけられた、ロアンお爺さんからの言葉に、ケイン王子が素っ頓狂な声を上げた。
「そうまでして、女子の体に触りたいとは……欲求不満な証拠じゃの」
「誰が言った?女の体に触りたいだなんて、誰が言ったんだよ!」
相変わらずな物言いだけれど、そうよね。誤解されているんだもの。
そんな時には口調も多少、荒くなるものだわ。
間違った認識を改めて差し上げないと、ケイン王子の今後の為にも。
「違いますよ、ロアン様」
そう言えばわたし、ロアンお爺さんを何とお呼びしてもいいのか分らないわ。
たぶん、ジェフリーさんと同じ呼び方でも大丈夫よね。わたしは言った。
「ケイン様は男性に触れたいんです。そして触れられたい。間違っても女性なんかには触れられたくないと」
だから女性の聖術師には反対されているのよね。
「ちがーう!!」
わたしの言葉にケイン王子は叫んだ。
「そう言えばケイン様はナサニエルさんと……」
ジェフリーさんが含みのある言葉を呟く。
それを聞いたテレサ姫は、ぱっとわたしを見た。
表情からは、彼女が何を考えているのか、よくわからない。
無表情だけど、少し元気がないようにも見えるし。
「そうだったのですね。ではナサニエル・レイン。あなたの事は兄とお呼びした方が?」
至極真面目な、と言うか無表情だからそう見えるのだけれど。
テレサ姫が後ろを走る、わたしに話しかけてくる。
「お前ら、ふざけるなよ」
ケイン王子が声を震わせて、わたしたちに言った。
その一言で、一気に膨れ上がった不穏な空気に気付かず、それとも、わざとなのかしら?
ブライアンさんが口をはさむ。
「ナサニエル君は僕と同じような可愛い系だもんね~。ケイン君が血迷ったとしても納得だよ~」
一番後ろから、ヨタヨタついてきていたブライアンさんが、笑顔でそう言ってのけた。
それが止めだったわね。
「お前ら全員。絶対、叩き斬ってやる!」
ケイン王子はそう宣言して、剣を手に、わたしたちを振りかえった。
けれど、それは振り下ろされることなく、ジェフリーさんの言葉で再び鞘に収まる事になる。
一足先に目的地に到着したジェフリーさんは息をのんで、こう言った。
「ケイン様、どうやら遊んでいる場合じゃないようです」
応接室を出て、廊下を走り、玄関ホールから2階へと続く階段を駆け上った。
そして、扉が開かれた一室に、彼らは居た。
広い室内。
奥にあるベッドの横には大きな窓。
そこから見える薄っすらと明るい空は、夜明けを告げている。
その景色をバックにして、蠢く何か。
扉の近くで呆然と佇んでいるのは、数人の少年達とベアトリス卿だった。
「……マイケル」
口から零れ出たベアトリス卿の呟きは、その名前の持ち主には届かない。
マイケルさんの母親譲りであろう紫色の瞳は固く閉ざされたまま。
2度と開く事はないのかしら……。
彼の体を動かしているのは左半身の……魔物。
「マイケルさんは……」
死、わたしは浮かんだ言葉を飲み込んだ。
だってマイケルさんの顔色が凄く悪い。青白くて精気が無い。
マイケルさんの体を覆っていた植物性の魔物は、ウネウネとその根を伸ばし、辺りを物色していた。
その伸びた根の先には縛られ、動けなくなっている数人の少年達の姿が。
「大丈夫じゃ、まだ間に合う」
絶望した空気が漂う中、ロアンお爺さんが言った。
「今、マイケルに巣食う魔物は開花する為のエネルギーを探しておる所じゃ。マイケル1人の力では恐らく足りんかったのじゃろう」
「それでは、マイケルは?」
ロアンお爺さんの言葉にジェフリーさんが問いかける。
「安心せい。まだ生きとるわい。マイケルが死ねば、あの魔物も死んでしまうのでな。殺さん程度に生かしておるのじゃろうて」
それならば、マイケルさんは言わば仮死状態と言う事かしら。
でも、早くなんとかしないと。
わたしに何が出来るわけでもないのに、気持ちだけが焦る。
魔物、魔物だなんて、図鑑以外で初めて見るもの。
実物がこんなに凄まじいなんて思ってもみなかった。
対峙しただけで感じる、この言い知れぬ不安感は何?
「髭じじい!マイケルを助ける方法は!?」
勿体ぶらずにさっさと言えよ、と、乱暴な言葉を吐き捨てるケイン王子。
目の前の現状に焦っているのは、わたしだけではないのね。
それもそのはず、だってヒト1人の命が、かかっているんですもの。
「マイケルの体から、あの魔物を切り離すのじゃ。それしか方法はない」
「いや、だから、それをどうやんのかって聞いてんだよ!このクソじじい」
ケイン王子、いくらなんでもクソは、ないのではないかしら。
思っても、口にしてはいけない言葉の1つよ。
ケイン王子の暴言をものともせず、ロアンお爺さんは続ける。
「そうじゃな、マイケルにありったけの聖力を注ぎ込む。そうすれば魔物はそれを嫌って彼から離れていく」
「なんだよ、それなら楽勝だ!」
ロアンお爺さんの話を聞いて、そう言ったケイン王子は、早速、マイケルさんとそれに取りつく魔物に近づこうとする。
「ケイン、待て。話はまだ終わっておらん。まったくお前と言う奴は……人の話は最後まで聞くもんじゃ」
ここからが、重要なポイントなんじゃから、そう言ってロアンお爺さんはケイン王子の頭を叩いた。
「いいか、よく聞け。まずは根に捕まっている少年達を解放する。その前に聖力に自信のない奴はこの部屋から避難してもらうしかないのぅ。奴も生きなくてはいかんからな。そう簡単には離れてくれんぞ。並大抵の聖力では話にならん。しかも逆に寄生される可能性がある。一番に狙われるのは聖力の少ない奴じゃ」
その言葉を聞くや否や、ブライアンさんが聖術を唱え始めた。
……え?
確かそれは補助術の1つ。シールド。
その術がかかっている間は、ある程度の物理攻撃を防いでくれる。
言わば見えない盾。
ブライアンさんは聖言を唱え終わるとジェフリーさんに近づいて、彼に触れた。
『──シールド』
その声と同時に、ジェフリーさんは部屋の奥へと飛び出した。
手にはスラリと伸びた剣。
あれはわたしの首を切った時と同じもの。
「がんばってね~。ジェフリー君」
ブライアンさんは魔物と対峙したジェフリーさんの背に手を振って、他のみんなにもシールドの術をかけ出した。
「わたくしは、あまり聖力が強いとは言えませんから、この子達を避難させます。みなさん、速やかに退去してください」
テレサ姫が声を上げる。
その間にジェフリーさんは、伸びてくる触手の様な根っこを、剣で切り刻みながら、少年の1人を救出した。
「この子をお願いします」
そう言って、ジェフリーさんが気を失っている男の子をコチラに投げてよこす。
「あ、あああ」
わたしは竦んでいた足を何とか動かして、その少年を無事受け止めることが出来た。
それから、青ざめた表情で気を失っている男の子を、テレサ姫に託す。
他にわたしに出来る事は……?
辺りを見回すと、わたしたちが部屋に踏み入れた時の状態まま、動こうとしないベアトリス卿が目に入った。
「ベアトリス卿もお早く。ここはお兄様達にお任せして」
テレサ姫の言葉に反応を示さないベアトリス卿。
「ナサニエル君、この子もお願い~」
ブライアンさんはいつの間にか、みんなにシールドの術をかけ終わり、今度はジェフリーさんの少年救出を加勢していた。
「投げるよ~」
相変わらず、呑気で気の抜けるような口調のブライアンさん。
でも、彼は空気が読めないだけじゃなかったのね!
意外にも出来る人物だったなんて。
「おーらい」
わたしはそう言って、投げられた少年を両手で受け止めた。
これで、あの根っこの魔物に捕まった少年は後、1人。
みんな顔色は悪いけれど、息はしている。
マイケルさんに取り付いた魔物は、それほど力の強いものではないらしい。
けれど、その分、生命力が凄いと言う。
「権力にしがみ付こうとするどっかの馬鹿貴族や、玉の輿を狙う恐ろしい女の様なしつこさだ」
と、ケイン王子はそう明言した。