町の領主邸 - 5 -
「賊が入ったと知らせを受けたのですが、これはこれは」
そう言って、この部屋に姿を見せたのは白髪頭のてっぺんが禿げ……ではなくて、上頭部の髪が後退されているご老人だった。
見た所の年齢は60歳前後といった感じかしら。
それでもロアンお爺さんよりは背も高いし、背筋もしゃんとしている。
ロアンお爺さんはと言うと、そのフサフサの髪とか眉とか髭のお蔭で謎めいてはいるけれど、実際の年齢はかなり高齢だと思う。
突然、現れた2人のご老人の所為で、無駄にこの部屋の平均年齢が上がっている気がするわ。
「花がないと思いませんか?ケインさん」
「お前は少し黙ってろ」
わたしの素直な感想に、ケイン王子が冷たく言った。
ああ、そのいつもより低い声。すごくいい感じ。背中がゾクゾクっとするわ。
ライアン・フランシス様も魔のモノに対峙した時には、普段の穏やかな声音とは違って、身も縮むような冷たい声を出したって書いてあったものね。
たぶん、きっとこんな感じの声だったんだわ。
「報告では3人と聞いていたんだが、1人多いな」
部屋に入ってきたご老人は後ろに控えていた少年達に向かって言った。
推定65歳くらいのご老人の背後には、聖騎士風な白い服を着こんだ少年達の姿がある。
みんな年齢的にはわたしよりも下、10歳に満たない子も居るのではないかしら。
彼らのお蔭で、平均年齢はぐっと下がったわ。
「あなた様はこの国の王子、ケイン・フィーダ・トリエスタ殿下とお見受けするが、間違いないですかな?」
「人の名前を確認する前に、まずは自分から名乗ったらどうだ」
ケイン王子は一歩前に歩み出ると、扉の前のご老人に向かってそう言った。
「これは失礼致しました。わたしはこの町の領主を務めております。クリストファー・ベアトリスト言うものです」
ベアトリス卿は名乗ってから、深々と頭を下げた。
ケイン王子はそんなベアトリス卿を鼻で笑う。
「俺は殿下、なんて者じゃないさ。ただの人売り商人の従者ってやつだよ」
「おや、そうでしたか。こちらは失礼のないように丁重に扱おうと思っていたのですがね。それならば変に気を使う必要もなさそうだ。そもそも、殿下ともあろうお方がこんな田舎町の領主邸で賊まがいな事をなさる筈もありませんでしょうから」
ケイン王子の返答にベアトリス卿はほくそ笑んで言った。
「お前達、彼らの腕を縛りなさい」
ベアトリス卿の言葉に少年達が、わたし達の周りをワラワラと囲む。
その様子にジェフリーさんが腰の剣に手をやると、ベアトリス卿が言った。
「下手なことはしない方がいい。君が最初に売りつけた少年がどうなっても知りませんよ」
売りつけた少年と言うのはひょっとして、この領主邸に潜入していた聖騎士の人だろうか。
昼間わたしがここに来た時みたいに、売り物として、この屋敷に潜入したのね。
ベアトリス卿の言葉にジェフリーさんは剣の柄から手を離した。
「あなた方には少々協力して頂きたいことがありましてね」
そう言ってベアトリス卿は部屋を後にした。
なんでも準備があるのだとか…… 一体、何の準備かしら。準備って必要なの?
そもそもここに来る前に用意しておけばよかったのに。
手際が悪いわね、なんてことを思ったけれど、口には出さなかった。
ケイン王子は抵抗もせずに、腕を縛ろうとする少年達に自らその手を差し出している。
……何か考えがあってのことなのよ、ね?
ケイン王子はダメな子とばかり思っていたけれど、案外そうでもないみたい。
わたしは王子に対する見方をほんの少しだけ変えてみることにした。
まず、わたしを捕えたのは盗賊団の一味と間違えたから……あら、これはダメよね。
でもトイレでは親切に、わたしに立ちションの仕方を教えてくれたわ。
知りたかった訳じゃないけれど、それでも今後、男として生活していく上での参考になったのは確かよ。
聖騎士になった時にトイレの仕方も知らないんじゃ、やっていけないわよね。
でも次からは個室でするわ。絶対に。
あの時、ケイン王子がわたしのズボンを下げたのだって、たぶんわたしの性別を確認するためだったのよ。
恰好は男の子だったけれど、見た目はやっぱり女の子っぽいものね。
ジェフリーさんも最初はわたしのことを女性だと思った、と言っていたし。
でもわたしには立派なモノがついていた。
というか、わたしの体ってどうなっているのかしら?本当に大丈夫?ちょっと心配になってきたわ。
体に変化が起きたのは、胸がなくなって、アソコに例のモノがついたという事だけ。
見た目や声に何の変化もない。
それよりも、あの物置部屋で言っていたジェフリーさんの言葉を考えてみる。
どうやら「奇跡の色」を持った女性がクリンプトン家に居るといけないらしい。
わたしみたいに髪に変化が現れるタイプは男性では珍しいというし、女性に間違えられたってしょうがないわよね。
……ああ、なんでこんな髪色に生まれたのかしら。
出来ることならライアン・フランシス様と同じ、強い聖力を使った時にだけ変化する「奇跡の瞳」がよかったわ。
昼間、この屋敷に来る前にジェフリーさんに聞かれて、薄幸の少女、エルザお嬢様の作り話をしたけれど。
あの時、ジェフリーさんがその表情を歪ませたのは、立ちいったことを聞いてすまない、というものではなく。
不名誉(?)な噂を蒸し返すわたしへの嫌悪感からだったのかもしれない。
でも、ちょっと待って。
そもそも「奇跡の色」の少女を隠していたからって罪になることはないはずよね。
確かに珍しい現象だけれど、国宝級というわけではないもの。
── いけない。思考が脱線しているわ。
今はケイン王子が思ったよりも出来る子なんじゃないかって、考えている最中だったのに。
見た目は文句なしに合格ラインを軽く突破しているし、声も問題ないわ。
中身だって、少しぶっきら棒なところがあるけれど、所々に優しさがあって、それはそれでいいと思うの。
ライアン・フランシス様には遠く及ばずとも、なかなか見どころのある殿方だとは思うわ。
「俺を見るな」とか「消えてくれ」なんて冷たいことを言っているけれど、あれはそうね。
一種の照れ隠しじゃないかしら。ケイン王子はどちらかと言うと、天の邪鬼っぽいもの。
本当は「俺を見てくれてありがとう」「俺の前から消えないでくれ」そう思っているに違いないわ。
それに昼間、ここへ来る前に「ライアン・フランシス様の名前を口にするな」みたいなことを言っていたけれど。
あれは嫉妬ね。ただの嫉妬だったのね。
そう考えれば色々と辻褄が合ってくるわ。
ジェフリーさんがわたしに聖術を使わせようとした場面で、ケイン王子が妙にはりきっていたのも。
わたしをこの領主邸への潜入に同行させてくれたのも、全てはわたしがケイン王子を見直すように仕組んだジェフリーさんの計らいだったのね。
……すると、今のこの状態も?
「ケインさん、ごめんなさい。わたしの身も心も既にライアン様のモノなんです」
「お前、急に何を口走ってるんだよ。っていうかなんで俺に謝るんだ?」
わたしたち4人は腕を縛られた後、白い制服を着た少年達に連れられて、屋敷内の細い廊下を一列で歩かされている。
「認めたくない気持ちもわかりますけど、わたしのことは諦めて下さい」
ケイン王子がもし、その言葉遣いを改めて名前をライアン・フランシスと改名してくださるなら、考えないこともないんですけれど。
愛しいわたしを手に入れるために、こんなに多くの人々を巻き込むなんて……この辺りで止めさせないと。
道を正す責任は罪深きわたしにあるわよね。
「なんじゃ、ケインはこの子のことを好いておったのか」
わたしのすぐ後ろを歩いているロアンお爺さんが言った。
「黙れよ、髭じじい」
「──ケイン。前々から思っていましたが、あなたの言動はロアン様に対して失礼です」
先頭を歩くジェフリーさんは後ろの王子に振り返ることなく注意した。
「ケインさん……振られたからって、人に八つ当たりするのは、よくないですよ」
ごめんなさい、ケイン王子。
わたしにこんなこと言う資格はないかもしれないけれど、でも、わたしの所為で嫌な人にはなってほしくはないの。
「……おい、こいつの頭をどうにかしてくれ。でないと俺、たぶんストレスで死ぬと思うぞ」
まあ、振られたから死ぬですって。
そこまで思いつめていたなんて……。
「待って下さい。ケインさん、早まらないで。わたし、あなたのことを愛せるように努力します。だから命を粗末にしないでください」
王子がそこまでわたしのことを愛して下さっていたとは……。
わたし、まったく気がつかなくて。
いいの。いいんです。
わたしがライアン・フランシス様に捧げた愛はけして消えるものではないけれど。
大丈夫、2人とも愛してみせるわ!
わたしは愛情深いタイプだと思うの。
死を覚悟するほどのケイン王子からの愛。
わたし、ちゃんと受け止めて見せます。
そうだわ。エルザはライアン様を愛し、ナサニエルはケイン王子を愛す。
これで全ては解決ね。
だって、ケイン王子は男のわたしのことが好きなのですもの。
「わたし、ノーマルなんですが。でも同性愛にも理解があるつもりです」
そう言って前を歩くケイン王子の背中に語りかける。
「男と男の間に友情以上のモノが芽生えたとしても、それはそれでいいと思うんです」
わたしは乙女だから、もちろん男の人が好きだけれど。
「こんなわたしでよければ、ケインさん。可愛がってくださいね」
男、ナサニエルはケイン王子、あなたのモノですよ。
だから、死んじゃうなんて物騒なこと二度と口にしないで下さいね。
「いや、めでたいのぉ。ケインにもついに春が来たのか。あの小さかったケインがのぉ」
語尾を涙で詰まらせながら、ロアンお爺さんが言った。
「いくら誘っても女遊びをしなかった理由がやっとわかりましたよ。ケイン、お幸せに」
相も変わらずジェフリーさんは前を向いたまま、そんなことを言っている。
「……俺、死んだ。今、死んだ」
まあ、ケイン王子ったら。
嬉しくて死にそうだなんて、そんなこと言われたら、わたしも全力で王子に愛を返さないといけなくなるじゃないですか。
「ケインさん」
愛し合っている2人が、名前にさん付けなんて、ダメよね。
わたしはコホンと咳払いを1つして、改めて言いなおす。
「ケイン」
「もう、俺に話しかけるな」
頼むから、なんて照れちゃって。
ケイン王子は突っ張って見えるけれど、案外、可愛らしい方なのね。
「安心して下さい、ケイン。わたしがあなたを守って見せますから」
これがわたし、ナサニエルのケイン王子に捧げる愛の言葉です。