町の領主邸 - 4 -
「お前はこの期に及んで、そんな微妙な話を信じろって言うのか?取りあえず謝れ。真剣に聞いた俺達が馬鹿だった」
ケイン王子はわたしが話し終わるなり、ため息交じりにそう言った。
「ほ、本当の事ですよ!わたし、嘘なんか言ってません」
正直に話したのに、信じてもらえていない。
「ナサニエルさん、何度も聞くようですが、貴方の本名は?」
暗闇の中でジェフリーさんの声が響く。
「だから、エルザです。エルザ・クリンプトン」
「それだと、女性の名前になってしまいますよ?ちゃんと答えて下さい。また切られたいんですか?」
ひぃぃぃ。
チャキっと言う音がする。剣でまた、わたしを切りつけようとしているのね。
周りが暗いから、まったく見えないけれど、怖いわ、とっても怖いのよ。
見えないことで余計に怖いのかもしれない。助けて、お父様にお母様。
「ナサニエルです。もう、本名はナサニエル・レインでいいです」
これなら納得してもらえるだろうか。
「では、先ほどの話も作り話だと?」
「つ、作り話なんかじゃ……」
ないです、と主張したいけれど、どう考えても信じてくれそうにない。
ジェフリーさんみたいな穏やかそうな人が怒ると本当に怖いのね。
「言っときますけど、僕は怒っていませんよ」
……わたし、うっかり口に出しちゃったのかしら。
「そんなに脅えた顔をされると、傷つきます。僕は何も全て嘘だと言っているわけでは、ないんですから」
なんだ、表情を読まれたのか。
「クリンプトン家の方が従者である貴方の存在を証明してくれています。名前は明かしてはくれませんでしたが「奇跡の色」を持った少年なんて、その辺にごろごろ居るわけありませんから貴方のことで間違いないでしょう。ですが何故、貴方は居もしない令嬢の名を騙ったのですか?」
ジェフリーさんの言葉を信じるならば、クリンプトン家ではエルザと言う娘はいないことになっているらしい。
その代わりに「奇跡の色」を持つ従者の少年が存在している。
なんで、どうして?
さっぱりわけがわからないわ。
「でも、ジェフリーさん。昨日、言ってましたよね。クリンプトン家には「奇跡の色」を持ったお嬢さんが居るって」
「ちょっとカマをかけてみただけですよ。本当は「そんな人、存在しません」とか言って欲しかったんですけど。貴方はそれを否定しなかった」
「あ、あの時はちょっと間違えちゃって。クリンプトン家にお嬢様なんて、いませんよ。やだなぁ」
なんて今頃、言っても遅いかしら。
もう、わたしにどうしろと言うのよ。
真っ暗闇の中、冷たい床に腰を下ろして、多分近くに居る筈のケイン王子とジェフリーさんに向かって話をしている。
……なんだか、もう疲れちゃった。
「それよりも、ちょっと聞いていいですか?」
わたしは言った。
「何だ?」
「どうぞ」
左右から、ケイン王子とジェフリーさんの声が聞こえる。
「いつまでここに居たらいいんでしょう?わたし達、当初の目的を忘れていませんか?」
今までの会話はなかったことに……なんて出来るわけないけれど。
そろそろ、ここを出た方がいいと思うの。
幸い、誰も縛られたりしていない。
ただこの部屋に閉じ込められているだけなんだもの。
早くこの屋敷に潜入している人の無事を確認しないと、日が昇っちゃう。
隠密行動をする時には夜が鉄則よね。
『聖なる騎士物語』の中で、ライアン・フランシス様の仲間が確かそんな風なことを言っていた気がするわ。
「……お前、自分の立場、ちゃんと分かってるのか?」
ケイン王子の声がする。
もちろん、わかっていますとも。
謂れのない罪をきせられたなんとも可哀そうな乙女……今は男の子だけれど。
本当のことを話しているのに、誰も信用してくれない。
いままでの流れを考えると、ひょっとして、わたしは聖騎士になれないんじゃないだろうか。
そんなことないわよねぇ。そんなはずない。
「貴方が今回の事件に関係ないという確証がえられなければ、ここで始末させて頂きます」
どうしましょう。
ジェフリーさんが物騒なことを言っているわ。
「── まあ、2人とも安心なさい。その子の身元はワシが保証しよう」
その声が聞こえると同時に、室内が明るくなった。
部屋の中はこれといった特徴のない白い壁紙で覆われている。
壁も天井も白。床だけは茶色の板張りだった。
家具は一切、置かれていないし、室内はそれほど広くもない。
こんなんじゃ魔獣は飼えないだろうから、ここはきっと物置だろう。
「髭じじい」
「ロアン様」
思ったよりも離れた所に立っていたケイン王子とジェフリーさんが、部屋の中央に現れた人物に向かって、声を上げた。
わたしは暗闇から突然、明るくなった室内に、目をシバシバとさせながら、ロアン様(髭じじい)と呼ばれた人物を見る。
「あ」
そこには昼間、宿屋の公衆浴場で出会ったお爺さんが居た。
「すまんね、お嬢さん。うちの騎士達が失礼をしたようで」
「耄碌したか、髭じじい。そいつは男だ」
お爺さんの言葉にケイン王子が横から口をはさむ。
「おや、これは失敬」
ほっほっほ、と笑いながら、蓄えた立派な顎髭を撫でつつ、こちらに近寄ってくるロアンお爺さん。
「どうやら、ちゃんと機能しとるようじゃの」
と、わけのわからないことを言いながら、わたしを見た。
「首の傷は大丈夫かね?」
先ほど、ジェフリーさんにつけられた傷。
そこには赤い血の滴った後だけが残っている。
「あ……大丈夫です。これくらいなら」
そう言って、わたしは自分の首元を手で隠した。
わたしは昔から傷の治りが異様に早い。
小さい頃、それが当たり前だと思っていたわたしは、遊び仲間の村の子1人がケガをして、しばらく寝込んだ時にその事実に気付いたの。
そのことで妙に不安になったわたしは、お母様に尋ねた……どうしてなの、と。
すると、お母様は少し困ったように笑って、わたしに答えてくれた。
──それはね、エルザの聖力が強いからよ。ファーミリアムに愛されているから。
神に愛されているなんて、ライアン・フランシス様とお揃いじゃないの!
その頃すでに『聖なる騎士物語』に出会っていたわたしは、その共通点に喜んだりしたのだけれど。
「奇跡の色」の持ち主に、傷の治りが早いという特徴はないのよ。聖力とは関係がない。
わたしはその事実を踏まえて、今度はお父様に聞いてみた。
──エルザ、いいかい。その治癒能力はクリンプトン家に代々受け継がれている古の力。けして他人に知られてはいけないよ。
わたしはお父様のその言葉を信じて、これまで生きてきたのだけれど……どうなのかしら?
わたしってクリンプトン家の子供ではないのよね?
そこのところは、一体どうなっているのかしら?
でも一応、隠しておくのに越したことはないわよね。
誰だって得体のしれないモノには恐怖を抱くもの。
何か首元を隠すものは……。
わたしは辺りを見回し、ふと目にとまったケイン王子の腰紐を解いた。
「おい!お前、ふざけんなよ」
「ふざけてなんかいません」
ただの飾りだった腰紐を自分の首に巻きつける。
「俺の腰紐を返せ!」
「腰紐がない方がお洒落です。いまどきです。恰好いいですよ、ケインさん」
ケイン王子が近づいてきて、わたしの首からスカーフみたいにしている腰紐を引き抜こうとする。
「痛っ!」
わたしは痛くも痒くもなかったけれど、腰紐の上から自分の首を抑えた。
「おっと、すまん」
ケイン王子はそう言って、引っ張っていた腰紐から手を離した。
「その傷、俺が治してやってもいいぞ」
そう声をかけてくる王子に、優しさの面ではライアン・フランシス様に通じるところがあるわね、と感心しながら首を振る。
「大丈夫です。もう、殆ど痛くないので」
残念なのは、その言葉遣い。
ライアン様ならばきっと「その傷、わたしが治しましょう」とか、もう少し砕けた感じでいくなら「その傷は僕が治すよ」といった感じかしら。
素材は悪くないのよねぇ、素材は。
「……ナサニエル。お前、また何か変なこと考えてないか?」
頼むから消えてくれ、なんて言いながらケイン王子がわたしを見るけれど、そんなことよりも──。
「ケインさん……わたしの名前」
ナサニエルって、そう呼んでくれるんですか?
「ああ、お前の名前はナサニエルでいいんだろう。それとも、エルザって呼んだ方がよかったか?」
「いいえ、ナサニエルでいいです」
誰もわたしの話を信じてくれてないのかと思っていたわ。
でも、ケイン王子はわたしの話をちゃんと、
「まあ、お前の名前なんてどうでもいいんだけどな」
信じてくれた訳じゃなかったのね。
「ロアン様、この者をご存知なのですか?」
わたしとケイン王子のやり取りをしり目にジェフリーさんがロアンお爺さんに詰め寄る。
「うむ。ちょっと知りあいの娘さんでなぁ」
「髭じじい、娘じゃなくて息子だろ?」
ロアンお爺さんの言葉にすかさずツッコミを入れるケイン王子。
知り合いの娘さんって、ひょっとしてロアンお爺さんはお父様のお知り合い?それとも、お母様のかしら。
もしかして、わたしの本当のお父様とお母様のお知り合いだったりして。
「そうじゃった、そうじゃった。今は息子さんじゃの」
「しっかりしろよ。仮にも神殿の幹部だろう?」
ケイン王子は何やら頭を掻きむしりながら、イライラとしている様子だ。
それにしても、ロアンお爺さん。
この密室にどうやって姿を現したのかしら。最初からこの部屋にいたとか。
ケイン王子もジェフリーさんも、何だかワザとここの人たちに捕まったみたいだし。
予め打ち合わせをしていたとか……。
でも、どこの部屋に入れられるかなんて最初からわかるわけないわよね。
「──娘、ですか」
ジェフリーさんはケイン王子とは違って、ロアンお爺さんの言葉に何やら思案顔をしている。
それからしばらくして、わたしを見た。
「ナサニエルさん。先ほどのお話ですが……」
ジェフリーさんがそこまで口にした時、一ヶ所しかない出入り口の扉が音を立てて開いた。