町の領主邸 - 3 -
昼間に来た領主邸。
その門を飛び越えた所で、首飾りに籠められていたスローの術はその効力を失った。
わたしたちはそこで二手に分かれる。
ジェフリーさんは左手から、わたしとケイン王子は右手から屋敷に侵入することになった。
「──ケインさん。こういう事、いつもやっているんですか?」
懐から取り出した細い針金で、閉まっている扉の鍵を開けようとしているケイン王子に声をかける。
もちろん小さな声で。
聞こえないといけないから、邪魔にならない程度に近づいて話している。
「いつもじゃないけどな」
ケイン王子はそう答えて、立ち上がった。
「開いたぞ」
もう?実は凄いじゃないですか、ケイン王子。
わたしはてっきりダメダメ王子かと思っていましたよ。
けれど、そのスキルはライアン・フランシス様のモデルには必要ないものかと。
本当に残念だけれど。
「……気のせいか、お前。少し前から俺のことを憐れむような視線で見てないか」
「気のせいですよ」
憐れむような視線ではなく、慈しむといった感じかしら。
子供を持ったことはないけれど、きっとこれが母性愛。
憎さ余って可愛さ100倍?出来が悪い子ほど可愛い?ちょうど、そんな気分なの。
「昼間に俺の着替えを見ていた視線よりは何十倍かマシだが……お前、俺のこと見るなよ」
「そんなの無理です」
「簡単なことだろ?俺の前から消えてくれればいい。視界に入るな。さっきから妙に近いんだよ、お前」
「出来ません。ジェフリーさんにケインさんのことを頼まれましたから」
「お前な……頼まれたのは俺だ。お前じゃない」
「でも、ジェフリーさんは「いい経験だから」と言って、わたしを連れてきてくれたんですよ」
わたしはこの事件を早く解決して、聖騎士にならなくちゃいけない。
「ジェフリーの言った「いい経験」って言うのは、俺にとってのってこと。誰もお前のこと信用しちゃいねぇんだよ」
「何を言ってるんですか、ケインさん。いくら散々いじめられて、根性が捻くれちゃったとしても、自分の部下を信用してあげなくちゃダメですよ」
「お前は俺の部下じゃないだろう?」
「はい?そんなの当たり前ですよ。わたしはまだ聖騎士ではありません」
もちろん、もうすぐなる予定ですけれど。
その暁にはもちろんケイン王子のペアを狙っていますとも。
「……何か、話がかみ合ってないな」
「そんなことありません。ケインさんは人を信じることが難しいのかもしれませんが、ジェフリーさんの言ったことぐらい、ちゃんと信じてあげて下さい」
ジェフリーさんはわたしの為に足手まといになるかもしれないことを承知で、現場に連れてきてくれたのだ。
それも全て、わたしを聖騎士団に迎え入れようとしている為ではないかしら?
そのジェフリーさんの心意気に何としても報いなければ。
「さあ、ケインさん。こんなところで話している暇なんてありませんよ。早くしないと、見回りしている誰かに見つかって……」
「もう、見つかっちまったみたいだな」
ケイン王子はそう言って、わたしの後ろに佇む3人の少年達に向かって、両手を挙げた。
降参のポーズね。何もしませんよっていう意思表示。
「い、いつの間に」
まったく気配を感じなかったわ。
というか、足音すらも聞こえなかったような。
「──あいつ等は最初っからここにいたよ」
ケイン王子が小さな声でわたしに呟いた。
「お前の仲間じゃないのか?」
仲間、仲間って。なんで、この子達が……。
と、そこでようやく少年たちの格好に目が届く。
「こ、この子達って!?」
── 盗賊団「白い風」!?
わたしたちはあの後、3人組の男の子に連れられて、屋敷の地下(?)にある窓のない部屋へと押し込められた。
出入り口はたぶん、わたしたちがこの部屋に入れられる時に通った扉の1つだけ。
それから通気口だろうか、どこかから微かに風の音が聞こえる。
……これなら、窒息しなくて済むわね。
窓を作ることを忘れるなんて、この部屋を作った人の設計ミスかしら。
それとも、この部屋は物置?
部屋の広さはわからない。
だってこの部屋、明かりが一切ないんだもの。真っ暗なの。
一緒に入ったはずのケイン王子がどこにいるのかさえ、わからない。
「……ケインさん」
わたしは恐る恐ると、その名前を口にした。
怖いじゃない。怖いのよ。
突然、暗闇から訳の分からない物体が飛び出してきたら、どうしましょう。
もしかしたら、ここは魔獣の飼育部屋かもしれないわ。
トリエスタ国内ではあり得ないことだけれど、ここから遙か北の大地では魔獣を愛玩動物として飼っている部族がいると聞いたことがある。
これも本で読んだのだけど。
家のペットは魔獣で、餌は人間なんです。
なんて、この国内では無理よね。
でも、ちょっとまって。
確か、ここの領主は少年達をお金で買っているのよ。
もしかすると、その子達は魔獣の餌にされたのかもしれない。
先ほど出会った少年たちは自分たちが餌にされないように、わたしたちを捕まえて、ここに放りこんだんだわ。
きっと、そうよ!そうに違いない。
……こ、これは大変だわ。
ケイン王子が抵抗もなしに少年たちに捕まっちゃうものだから、何か考えがあるのかと思ったけれど。
ダメね。わたしがケイン王子を守らなくちゃいけなかったのに。
「ケインさん、どこですか!?ここには魔獣がいますから、気をつけて下さい!」
わたしは暗闇に向かって声を張り上げた。
すると部屋の奥で何かが動いた気がする。
……魔獣!?
闇に蠢く何かが息をひそめて、こちらを窺っている。
……ああ、やっぱり。
しょうがないわね。ここは注意をわたしに引き付けて、その隙にケイン王子に逃げてもらおう。
ライアン・フランシス様を守るために自らの身を犠牲にした、物語の中のナサニエル・レインのように。
なんて、萌えるシチュエーションなの!?
「ケイン!わたしのことには構わず、お逃げくださいっ!」
物語の冒頭で登場するこのセリフ。1度は使ってみたかったの。
呼びかける相手がライアン・フランシス様ではなく、ケイン王子なのがほんの少し残念だけれど。
この際、細かいことは一切、気にしないでおこう。
それよりも、次のセリフが一番の見せ所なのよっ!
「なに勝手に呼び捨てにしてるんだ」
──ごすっ。
わたしが取って置きのセリフを口にする前に、何かが頭の上に落ちてきた。
……い、痛いわ。
「くぅ。ま、魔獣め……」
わたしは目尻に浮かんだ涙を拭いながら、暗闇に向かって目を凝らす。
……うーん、何も見えない。
しょうがないから、もう1度。気を取り直して言うしかないようね。
「ケイン!わたしのことは構わず、お逃げくださいっ!わたしたちはここであなたを失うわけにはいかないのです!あなたは一国の王子。平民出のわたしなど、本来ならあなたと口を訊くことすら叶わなかった。でも、ケインはわたしのことを……友人だと。友と呼んでくれた」
「いつ、誰が、お前と友人になったと?」
「わたしには勿体ないお言葉です!でも、それでも……わたしもあなたのことを友人だと思いたい。ですから、ここは友の頼みを聞き、皆と共に後退してください!」
「……だから」
「なに、心配は要りません!わたしはこいつを倒して、直ぐにでもあなた方の後を追うつもりですから」
「皆って、あなた方って誰だよ」
──ごすっ。
「い、痛いですっ!」
頭に振ってきた石のようなそれに、思わず声を上げてしまう。
……ああ、あと少しだけセリフが残っていたのに。
後は笑顔で「……行って下さい」と言うだけだったのに。
「今のは『聖なる騎士物語』の冒頭に出てくるナサニエル・レインの言葉ですよね。名前のところが、ライアンからケインに換わってますけど」
どこからともなく聞こえてきた声に、わたしは首をかしげる。
「あれ?今の声はジェフリーさんですか?」
「はい」
すると魔獣が居ると思った辺りから、衣擦れの音とジェフリーさんの声が聞こえた。
「……ジェフリーさん?」
魔獣は?もしかして、ジェフリーさん。食べられたりしてませんよね。
「この部屋には魔獣なんていませんよ」
よいしょっと立ち上がるような声がして、こちらへと近づく足音がする。
「ジェフリー。こいつ、もうここに置いて行こうぜ。こんな奴に盗賊なんて務まるわけねぇよ」
夜目も利かないみたいだし、とケイン王子。
「ですが……それならば何故、偽名を使うのかが分かりません。居もしないエルザ・クリンプトンなる架空の令嬢の名を使ってまで小細工した理由は?」
「そんなの知らねぇよ。直接こいつに聞けばいいだろ?なあ、ナサニエル。お前は何を隠してる?」
えっと、わたしには何のことやらサッパリ……。
密室で、しかも真っ暗闇の部屋の中。
魔獣の飼育部屋かと思ったら、そこには先ほど別れた筈のジェフリーさんが居て。
ケイン王子はわたしのことを置いて行こうと言うし、ジェフリーさんはエルザ・クリンプトンなんて存在しないと言う。
おまけにわたしが何かを隠してると、疑われているみたい。
「あの、ジェフリーさん……ジェフリーさんはクリンプトン家の遠い親戚の方、なんですよね?」
エルザが存在しないなんてこと、あるわけないじゃない。
だって、わたしは現にあそこで元気にスクスクと育ったんだもの。
それにジェフリーさんだって、言っていたわ。
クリンプトン家には「奇跡の色」を持った娘さんが居るって。
「確かにその通りですが。今までのことは、それを踏まえた上での作り話だったのですか?」
ジェフリーさんが言うのと同時に、首筋に何か冷たい物が当たった。
細くて、固い何か。
それがわたしの皮膚を切り裂き、その部分がじんじんと熱く疼いている。
「……ジェ、ジェフリーさん」
わたしが掠れた声でその名前を呼ぶと、首筋から胸元にかけて一筋の何かが伝った。
──血。たぶん、きっと血だわ。
わたし、殺されちゃうのかしら。
せっかく聖騎士になれると思ったのに。
作り話なんてしていない。
そう言いたいけれど、所々に嘘が交じっている。
わたしの本名はエルザ・クリンプトン。性別だって違うわ。
でも、そんな話をしたところで、果たして信用して貰えるかしら。
だけど、なんとかして誤解を解かないと。わたしはまだ死にたくないもの。
そう思うけれど、体が言う事を聞いてくれない。声が出ない。
「クリンプトン家に問い合わせた時に、はっきりと言われましたよ。エルザという人物はいないとね。エルザ、ではなくエルザムの間違いじゃないかと。エルザは女性名、エルザムは男性名。もっとよく調査するべきでしたね」
どういうことだろう。
ジェフリーさんの言っていることは本当のことなの?
わたしはエルザよね。確かにエルザ・クリンプトンだったわ。
今はナサニエル・レインなんて名乗っているけれど……そんなの、嘘よ。
わたしはエルザ・クリンプトンとして16年間、ちゃんと生きてきたんだから。昨日までは。
「そもそも、そのエルザムと言う名のクリンプトン家の子息は、つい最近、生まれたばかり。そんな赤ん坊がサイズの大きな服なんて注文する訳ありませんからね」
エルザムと言うのは、弟の名前だ。
お父様がせっかくの姉弟なんだから、お揃いの名前にしよう、と言って付けた名前。
「ジェ、ジェフリーさん」
聞いてください、そう言おうとしたけれど、口を開いた瞬間に、剣がさらに皮膚に食い込んだ。
……痛い。
「あなたは何の目的があって、僕達に近づいたのですか?」
ジェフリーさんが静かに言う。
ここ1日と少しの付き合いしかないけれど、ジェフリーさんがこんな冷たい声を出すだなんて……なんだか、ちょっとショックだ。
優しくて、話のわかるお兄さんだとばかり思っていたから、余計に。
「一時期、ある噂が流れたんですよ。クリンプトン家が「奇跡の色」の持ち主を隠しているっていう根も葉もない噂が、しかも少女を。それに僕の父が関わっているとね。お蔭で大変な思いをしました」
何の話かしら。
「奇跡の色」の持ち主を隠していたら、何かいけないことでもあるの?
そもそも、わたし、隠されてなんかいなかったわ。
だって、普通に屋敷を抜け出して、村の子達と遊んでいたし。それに町にだって買い物に来ていた。
それはまあ、この年になっても公の場所やなんかに出してもらった事はなかったけれど、お父様って過保護だったから、仕方がなかったのよ。
わたしはいつも大人しく屋敷にいるだけ。
と、言っても、わたしは妄想するのに忙しくて、物事を深く考える余裕なんてなかった。
……ひょっとして、わたしって隠されていたの?
そんな、まさか、そんなことって、あるわけないわよねぇ。
「前にも言いましたが、ケインが最初にあなたを連れてきた時に、荷物を調べさせていただきました。その中にクリンプトン家の名前が……噂もようやく下火になったというのに、これですよ。わたしがどんな気持ちだったと思いますか?」
ジェフリーさん、よほど嫌な思いをされたのね。
暗くてその表情は見えないけれど、声が少し震えていらっしゃるもの。
けれど、だからと言って、わたしに剣を向けるのは間違っていると思うのよ。
「初め、あなたを見た時、女だと思いました。けれど、あなたは男だった。それならば関係ないかも知れない。そう思ったんですがね」
「ジェフリー、気持ちはわかるがその辺でやめとけよ……って、けしかけた俺が言うのも何だが」
わたしのすぐ傍からケイン王子の声が聞こえた。
その後、ジェフリーさんはわたしの首に当てていた剣を引いてくれた。
シャキンと剣を鞘におさめた音がする。
ああ、よかった。
取りあえずは殺されずにすんだみたい。
「あの、すみません。わたし……上手く説明は出来ないんですが、全て本当のことをお話します」
わたしはそれから、自分がエルザ・クリンプトンだという事。
昨日までの性別は女だった事。
わたしが聖騎士の服を作ったのは本当にライアン・フランシス様の等身大人形を作るつもりだった事と、何でも願いが叶う指輪に「聖騎士になりたい」とお願いしたら、いつの間にか男の人の体になっていた事を話した。