ナサニエル・レインの誕生 - 1 -
わたしこと、エルザ・クリンプトンは悲しんでいた。
生まれてこの方16年。今までにないくらいに、悲しい出来事が起こったのだ。
わたしの生家であるクリンプトン家は、聖トリエスタ王国の南外れの小さな村を治める、しがない貴族。
爵位は一番下っ端の男爵だ。
クリンプトン家がこの土地を領地としたのはいつのことだったか。
もう何代も前のご先祖様が、かつて行なわれた戦争でご尽力された際、後にその褒美として与えられたモノと聞いている。
村の名前はミネリ。
背後にはそびえ立つ山々を抱え、これといって珍しいものがあるわけでもない、辺鄙な所だ。
唯一の自慢は澄んだ空気と村人たちのその人柄といった、のどかな村。
わたしはそれが気に入っていた。
ずっとこの村で暮らしきて、いずれは結婚しなくてはならなくても、大好きな読書と、大大大好きなライアン・フランシス様への愛さえあれば、どこででもやっていけると思っていたのだ。
けれど数時間前──。
「エルザ、少し話があるんだが」
「あら?お父様」
わたしが日課である、ライアン・フランシス様の肖像画に愛を捧げる行為(つまり接吻)をしている所へ、お父様がやってきた。
お父様は娘のわたしから見ても、まだお若くて恰好よくて、大変 素晴らしい方だ。
わたしの愛するライアン・フランシス様ほどではないけれど、とても魅力的な男性だと思う。
少しくすんだ金色の髪と、その口に蓄えたお髭がセクシーなんだと、屋敷のメイドたちが影で噂している事を知っている。
それからグリーンの瞳。わたしと同じ色をしたその瞳は、今、困惑の色を浮かべていた。
「エルザ……聞いてもいいかい?」
「はい、お父様」
わたしはベッドに腰掛け、膝に抱え上げていた ライアン・フランシス様の肖像画に傷がつかないよう細心の注意をはらいながら、それを脇に置く。
「エルザ、わたしの目はどうかしてしまったのだろうか……先ほど、お前がその肖像画に、その、キキキ、キスをしていたように見えたのだが」
お父様ったら、顔が引きつっていらっしゃる。
「ええ、その通りよ。お父様」
「なぜ、肖像画に?」
「もちろん、愛しているからです」
「あ、愛とは、つまり……その肖像画に描かれている人物を、エルザが愛しているということかい?」
「はい、お父様」
「そのやたらとキラキラしたその男をか?」
お父様の言い方には少しだけ引っかかりを感じたものの。
わたしのライアン・フランシス様は確かにキラキラしていらっしゃる。それはもう、眩しいほどに。
風になびく その美しい金髪は月明かりの妖精が飛び立った軌跡のようだと言うし、澄んだ夏の青空を想わせるブルーの瞳は、底がしれない。
「ええ、お父様。エルザはこのお方を愛しております。もう、わたしの身も心も、全て。この方に捧げているのです」
「……身も、心も……全て?」
わたしの言葉を聞いた途端、お父様の顔色は白から赤、赤から白、白から青に変わって、今は灰色にみえる。
──ばたんっ!
と、大きな音を立てて、仰向けに倒れると、お父様はそのまま動かなくなってしまった。
「旦那様!」
扉の外で控えていたのだろう。
執事のバッスンが今の音を聞きつけて、わたしの部屋の中へ飛び込んできた。
「何があったのですか!?エルザお嬢様!!」
あまりの出来ごとにわたしは首を振る。
「わからない……話の途中でお父様が突然、顔色を変えられて……」
バッスンがお父様の脈を確認しながら、わたしに問いかけてくる。
「一体、何のお話をされていたのですか?」
「それはもう、わたしのライアン・フランシス様に捧げる思いの数々を……」
わたしが言い終わる前に、バッスンは深いため息と共に、暫しその頭を抱えてしまった。
「とりあえず、旦那様を部屋にお運びします。エルザお嬢様はここで大人しくしておいてください」
大人しく、だなんて失礼しちゃう。
わたしはいつだって、大人しくしているもの。
大人しく本を読んだり、大人しくライアン・フランシス様のお姿を想像してみたり。
時にはその想像で、悶えてベッドの上を転がることもあるかもしれないけれど、大抵いつもは大人しくしている。
なんたって、これでも貴族の娘ですからね。
他の貴族のご令嬢がどのように過ごしているかは、まだそのような方たちに1度もお目にかかったコトがないからよくわからないけれど。
きっとみんな、屋敷の中で大人しく、慎ましやかに暮らしていると思う。もちろん、わたしのようにね。
わたしがみんなと違うのは、ただ1つだけ。
ライアン・フランシス様への愛!それだけだと思うの。
わたしはそれから、先ほど お父様の乱入で中断されていた ライアン・フランシス様(肖像画)への愛の行為を再開した。
それから程なくして、部屋の扉が叩かれる。
「エルザお嬢様、旦那様がお呼びです。書斎の方へいらしてください」
「ええ、わかりました」
扉の向こうから聞こえたバッスンの声に答えると、わたしは抱えていた肖像画を元にあった場所。部屋のどの位置からも眺めることの出来る壁に戻して、外に出た。
お父様の書斎は2階のわたしの部屋から階段を下りて、すぐ脇の所にある。
──トントン。
扉をノックして、わたしは部屋の中へと声をかけた。
「お父様、エルザです」
「──入りなさい」
扉の向こうから声がして、わたしが部屋の中へ入ると、目の前にはお父様とお母様。
それから、先週生まれたばかりの弟がお母様の腕の中で、スヤスヤと安らかな寝息を立てていた。
わたしがプレゼントした白い最上級の産着に包まれている弟の、まだ薄らとしか生えていない髪はブルネット。お母様と同じ髪の色だ。
そして、閉じられている瞳の色はグリーン。お父様とお母様と同じ色。
わたしは……わたしの瞳の色もグリーン。
けれど、その髪の色は両親とはとても似つかない変わった色をしている。
赤みがかった金髪……というかピンク?
わたしのその髪は「奇跡の色」と呼ばれるもの。
たいへん素晴らしい色だと、みんな褒めてくれるけど、わたしはあまり好きではなかった。
この世界で誰もが持っているとされる、聖力。神から与えられた聖なる力。
その力が強いと、体からその一部が漏れ出し、その姿形に影響をあたえると言う。この世で最も尊き神に近い姿に。
ファーミリアム。ここ聖トリエスタ王国が神と崇めるその方は、桃色の髪と赤い瞳を持っている。
「お父様、わたしにお話とは何ですか?」
わたしにはこれから隣町の仕立て屋に行かなければならない用事がある。
今朝方、随分前に特注していた服が ようやく完成した、という知らせが届いたのだ。
……ああ、早く着て見たい。
ライアン・フランシス様のお洋服。
それは少ない資料から、研究に研究を重ねて描きあげたデザイン画によるもの。
きっと本物以上に本物な仕上がりになっているはずだ。
材質なんかにも こだわって、基調となる白い生地には弟の産着にも使われている最高級のものを用意した。
ここから東へ向った所に生息している、スワロウの繭から作り上げられた生地。
肌触りがとても滑らかで、この生地を使った服を着ているのはある種のステータスになる。
ライアン・フランシス様は王子なのだから、身につける物も上等なはず。
きっと金具はメチル産の物だとか、この襟の所にはカリドルの骨が使われているだろうとか、考える時間はとても有意義だった。
「エルザ……お前に話というのは、だな」
お父様はとても言いにくそうに言葉を濁し、それから、チラリと横に立つお母様に視線をおくる。
「あなたはこのクリンプトン家の家長でございましょ?しっかり仰ってください」
ニッコリ微笑むお母様の声はドスがきいている。
「そ、そうだな」
お父様はお母様には逆らえない。惚れた弱みというヤツだろうか。
しっかり尻に敷かれてしまって……そう嘆いていたのは、去年この世を去ったお父様のお母様。
つまりわたしのお婆様だ。
「エルザ、お前は明日から王都に向いなさい」
「……王都?」
お父様の言葉にわたしは首を傾げる。
「王都の神殿で聖女として数年間、神にお仕えするのだ。王都はいいぞー。こことは違って華やかだし」
「あなた!」
話しを脱線させかけたお父様にお母様のカツが飛ぶ。
それにお父様は咳払いをして、話を続けた。
「何と言っても、お前の母も聖女だったんだからな」
「そうよ、エルザ」
お母様はこの村のパン屋の娘だった。
しかし貴族であるお父様と恋に落ち、その想いを遂げるために聖女となったのだ。
聖女とはこの国で女性が唯一、身分とは関わりなくなれる職業で、その判断基準は聖力だ。
聖力がある一定以上の基準値を超えていれば、女性なら誰でも聖女に志願することができる。
そして晴れて聖女に選ばれれば、与えられるのは「神の乙女」と言う地位。
──その地位、何ものにも侵されることなかれ。
例え元一般人でも、一国の王と婚姻を許される立場になれる。
その男性バージョンが聖騎士で、女性であれば聖女に、男性であれば聖騎士に。
幼い頃、誰もが憧れを持つ職業だ。
それはわたしも例外ではなく、憧れた。
でもそれは……でもそれは……けして聖女に、ではない。
わたしは聖女になんてなりたくない!
わたしがなりたいのは「聖騎士」なんだから!!