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第5話:加速する鼓動、泥濘を越えて

日曜日の朝。昨日、川崎の個別ダンジョンで手に入れた初級経験値ブーストの恩恵は、想像を絶するものだった。

 統合ダンジョン1層。演習の予習として軽くソロで潜った俺は、数体のゴブリンを屠っただけで、背筋を駆け抜ける魔力の奔流を感じていた。


(早い。早すぎる……)


通常なら数時間を要するはずの経験値が、わずか数十分で蓄積されていく。

 だが、俺はその喜びを噛み締める一方で、一つの重大な嘘を抱えることになった。

 ステータス画面を偽装する機能はこの世界にはない。レベルが上がれば、それだけ魔力の密度で周囲に察せられてしまう。


月曜日の午後。統合ダンジョンのロビーで待っていたのは、いつもの三人だった。

 佐藤がぶんぶんと手を振り、田中さんが装備の最終チェックをしながら頷く。鈴木さんは少し眠そうに目をこすりながら微笑んだ。


「おはよう、みんな。今日もよろしく」


俺が歩み寄ると、田中さんがふと眉を寄せ、俺を凝視した。


「ねえ、カイトくん。なんだか少し、雰囲気が変わった? 週末、かなり追い込んだんじゃないかしら」

「えっ、そうかな? 少し自主練を多めにしただけだよ」


嘘ではない。だが、その中身が個別ダンジョンでの無傷制覇だとは言えなかった。

 俺の現在のレベルは11。対して、佐藤たちはまだレベル9だ。

 この2レベルの差は、序盤においてはステータス以上に、レベル10スキルの有無という決定的な壁を生む。


「よっしゃ! 今日は4層から6層まで一気に抜けるぞ。新しい敵が出るって話だし、気合い入れようぜ!」


佐藤の威勢の良い声に背中を押され、俺たちは洞窟ステージの中層へと足を踏み入れた。


4層。これまでの乾いた岩肌とは異なり、壁面にはじっとりと湿った苔がへばりつき、天井からは絶えず水滴が滴っている。

 洞窟の奥から、ズズッ……という、何かを引きずるような不気味な音が響いてきた。


「いたわ。4層の新エネミー……スライムよ」


田中さんが杖を構える。

 そこには、半透明の青緑色をしたゼリー状の塊が三体、通路を塞ぐように鎮座していた。

 その奥には、通常よりも一回り大きいネズミ、ジャイアントラットが二匹、鋭い前歯を鳴らしながら隙を伺っている。


「佐藤、突っ込むな! スライムは物理耐性が高い。俺が引きつけるから、田中さんは魔法の準備を!」


俺は一歩前へ出た。

 まずはジャイアントラット。奴らは素早い動きで死角を突き、毒を付与してくる。

 俺はメイスをあえて背負い、両手を自由にして円盾だけを構えた。


「ガード・スタンス――固定!」


スキルの補正を利用し、俺は沼地での経験を活かして重心を極限まで低く保つ。

 襲いかかるジャイアントラットの噛みつきを、盾の表面で受けるのではなく、円盾の縁で弾いて軌道を逸らし、壁に激突させる。

 その衝撃を利用し、俺は流れるような動作でスライムの正面に立った。


「ギチギチッ!」


スライムが体の一部を触手のように伸ばし、叩きつけてくる。

 物理攻撃が効きにくい相手だが、こちらからの攻撃が効かないだけで、向こうからの衝撃は物理法則に従う。


(スライムの核……そこか!)


俺は盾を垂直に立て、スライムの触手が当たる瞬間に、盾を内側へ引き込んだ。

 ガード・スタンスの衝撃分散効果をあえて一点に集中させ、スライムの粘体を物理的に押し広げる。一瞬だけ露出した、青く光る核。


「今だ、田中さん!」

「了解! ――魔力矢!」


詠唱の短い田中さんの魔力矢が、核を正確に貫いた。スライムは一瞬で弾け、水溜りとなって消える。


「すっげぇ……カイト、お前いつの間にあんな変態的な盾捌き覚えたんだよ!」

「変態的って言うなよ。効率を考えただけだよ」


佐藤が興奮気味に肩を叩いてくる。

 だが、戦闘が終わるたび、俺の頭の中には無情なアナウンスが響く。


『経験値を獲得しました。ブースト効果適用。結城カイト:Lv.11 → Lv.12』


一方の佐藤たちは、まだレベル9。

 この差だ。

 俺が一人で倍速の世界を生きているせいで、彼らとの共闘が、どこか介護のような形になりつつある。

 俺は必死に、彼らの成長を促すような立ち回りを心がけた。あえてギリギリまで手を出さず、佐藤が剣を振るう隙を作り、鈴木さんの回復が間に合うようにダメージをコントロールする。


だが、5層。ジャイアントラットの群れに囲まれた時、均衡が崩れかけた。


「痛っ……! こいつら、速すぎ……!」


佐藤が、背後から回り込んだラットに脚を噛まれた。

 さらに、正面からは二体のスライムが迫る。

 田中さんは詠唱中で動けない。鈴木さんも佐藤の治療に奔走している。


(やるしかないか)


俺は深呼吸をし、レベル10で習得していた盾士のスキル――ヘイト・ブロウを発動させた。

 

 本来、このスキルは盾で敵を殴りつけて強制的に自分を意識させるものだ。

 俺はそれを一工夫し、メイスで自分の盾の中心を、魔力を乗せた特定の周波数で叩きつけた。


ゴォン――!


洞窟内に、心臓を直接揺さぶるような重低音が響き渡る。

 ただの挑発ではない。魔力の波動を盾の形状で増幅させ、敵の生存本能に訴えかける。


(「俺を殺さない限り、お前たちは死ぬぞ」……そう思わせるんだ)


敵の動きが一瞬で止まった。

 スライムも、ジャイアントラットも、まるで磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、俺一人を目がけて殺到する。


「カイトくん!? 多すぎるわ、下がって!」

「大丈夫だ、田中さんは詠唱を続けて! 鈴木さんは佐藤の傷を!」


四方八方から押し寄せる攻撃。

 俺は盾を構えるのではなく、円盾を振り回すようにして「面」ではなく「線」で防いだ。

 当たれば痛い。だが、前世の病室で、指先一つで世界中の攻撃を捌き続けたあの感覚が、今の肉体には宿っている。


右からの噛みつきを盾の裏で受け流し、左からの粘体をメイスの柄で弾く。

 一歩も動かず、円状の絶対防御圏を作り出す。

 

「……これで最後よ! 魔力矢!」


田中さんの放った連射が、俺の周囲に群がっていた魔物たちを仕留めていく。

 静寂が戻る。


「……はぁ、はぁ。助かったぜ、カイト。マジで死ぬかと思った……」

「カイトくん、あなた……本当に同い年なの? あの状況で一歩も引かないなんて、普通は無理よ」


仲間たちの驚愕と、尊敬の眼差し。それが、今の俺には何よりも痛かった。

 

「……運が良かっただけだよ。みんなが控えてくれてるから、思い切って動けたんだ」


そう言って笑う俺のステータスは、この一戦でレベル13に達していた。

 

 帰り道。

 夕日に染まる大崎の街を歩きながら、佐藤が「俺、もっと強くならなきゃな」とポツリと漏らした。


「カイトに守られてばっかりじゃ、カッコつかないもんな。……なぁ、明日も演習の前に自主練付き合ってくれよ、今日レベル10になったから新しくスキル覚えたしさ!」

「ああ、もちろんだ。」


俺にはブーストがある。彼らがどれだけ努力しても、俺の背中は遠ざかっていく。

 俺は、彼らと一緒にいたい。

 笑い合って、ハンバーガーを食べて、明日もまた会おうと言いたい。

 けれど、俺の手の中にある魔王への鍵は、それを許さない。

 

 俺が強くなればなるほど、パーティのバランスは歪み、いつか俺はこの盾を捨てなければならない。

 その時、俺は彼らに何と言えばいいのだろう。

 

(ごめんな。でも、俺は止まれないんだ)


鞄の中で、盾士の教本を握り締める。

 加速するレベルと、深まる友情。

 その矛盾に引き裂かれそうになりながらも、結城カイトは、誰よりも早く、孤独な頂へと駆け上がっていく。



『現在のジョブ:盾士』

『現在のレベル:13』

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