第4話:泥濘の試練、孤独な『倍速』への道
大崎市立第一中学校に入学して最初の金曜日。放課後の実技演習を終えた俺たちは、ゲートシティ大崎の中にあるハンバーガーショップにいた。
「いやぁ、今日の3層、カイトの防御がなかったらマジで危なかったって! サンキューな!」
ポテトを口いっぱいに詰め込んで笑うのは、剣士の佐藤勇馬だ。裏表のない性格で、クラスのムードメーカー。猪突猛進気味なのが玉に瑕だが、仲間がピンチの時は真っ先に前に出る熱い奴だ。
「佐藤くんが突っ込みすぎなのよ。でも、カイトくんがしっかりヘイトを取ってくれるから、落ち着いて詠唱できるわ。直結ルートを目指すなら、今のうちに連携を詰めておかないと。助かってるわよ」
魔法使いの田中美紀が、呆れたように、けれど信頼を込めた眼差しでこちらを見る。彼女は委員長気質の真面目な努力家で、パーティの戦術を理論的に支えてくれている。
「……私も、もっと早く回復飛ばせるように頑張るね。カイトくんにばかり、痛い思いさせたくないから」
癒し手の鈴木しおりが、小さな声で、しかし決意を込めて呟いた。彼女は人一倍優しく、俺たちのHP管理に常に気を配ってくれている。
「いや、みんなの動きが的確だからだよ。明日も、また一緒に頑張ろう」
俺は本心からそう答えた。
彼らとの時間は、前世の白い天井だけを見ていた俺にとって、奇跡のような宝物だ。
佐藤の冗談に笑い、田中の小言を聞き、鈴木の気遣いに癒される。
けれど、笑い合えば合うほど、俺の胸の奥には重い鈍痛が走る。
(……ごめんな。俺は、ずっと君たちと同じ歩幅では歩けないんだ)
彼らは信じている。この四人で剣士、魔法使い、癒し手、そして俺という最強の盾が揃った完成されたパーティで、どこまでも高みへ登っていく未来を。
だが、俺の計画は違う。
俺は近いうちに、彼らが完成形と信じる盾士を捨て、Lv.1の魔法使いに戻らなければならない。
それは、彼らの信頼を裏切り、パーティのバランスを崩壊させる行為に他ならない。
その罪悪感を振り切るように、俺は翌朝、一人で川崎へと向かった。
土曜日の午前、多摩川沿いの地下道。
個別ダンジョン『ゴブリンの汚泥洞窟』。
湿った泥の匂いが漂う中、俺は決意と共に足を踏み入れた。
ここには、複数職業の履修――いわゆるリセットを前提とする俺にとって、何としても手に入れておきたいスキルがある。
【特殊条件:入場時から無傷制覇、かつLv.15以下でソロ攻略】
【報酬:スキル『初級経験値ブースト(Lv.50まで獲得経験値2倍)』】
今のレベルは8、このダンジョンをソロクリアするのにレベル10のスキルは必要ない。
出来る限り、早くここの報酬を得たい。
「……行くぞ」
一歩踏み出すごとに、足元からズブッという音が響く。
膝下まで浸かる深い沼地。前世で数え切れないほど経験した足止め(スロウ)のフィールド。
回避が物理的に制限されるこの環境で、無傷を達成するのは至難の業だ。
最初に出現したのは、遠距離から泥弾を飛ばしてくる泥投げゴブリン。
俺は【ガード・スタンス】を展開した。
(泥の弾道、放物線の頂点……そこだ!)
盾の表面で衝撃を殺すのではなく、角度をつけて弾く。
パァン、と泥が四散し、俺の体には一滴もかからない。
システム上の防御判定を維持しつつ、物理的な受け流しを完璧に行う。もし一滴でも泥を被れば、そこで無傷の条件は潰える。
4層を過ぎ、沼潜りゴブリンが泥の中から襲いかかってくる。
視界には映らない敵。だが、泥の表面に現れるわずかな気泡と、微かな魔力の揺らぎを俺は見逃さない。
「――そこだ!」
飛び出してくる瞬間にメイスを叩き込み、潜んでいた個体を泥の中に沈める。
7層、蔦縛りゴブリンが放つ粘着性の蔦が、俺の死角から四肢を狙う。
俺はあえて蔦を盾に絡ませ、【ガード・スタンス】の重心固定を解除。逆に蔦を支点にして身体を反転させ、泥を滑るような歩法で接近して首を刈った。
汗が目に入りそうになる。だが、拭う暇さえない。
無傷という条件は、俺に中学生離れした極限の集中力を強要していた。
そして、ついに最深部。10層ボス、『ゴブリン・スカッド』。
標準、泥投げ、沼潜り、蔦縛り。4体のゴブリンが、まるで長年組んできたパーティのように完璧な連携で俺を囲む。
その光景を見て、俺の脳裏に佐藤たちの顔が浮かんだ。
(あいつらなら、ここでどう動く……?)
佐藤が突っ込み、田中が後衛を焼き、鈴木が俺たちの傷を癒す。
そんな当たり前の光景が、今の俺にはない。俺は一人で、彼ら全員の役割を、あるいは彼らの攻撃をすべて一人で捌かなければならない。
(……寂しいな)
本音が零れた。
一人で強くなるのは、合理的だ。誰の命も背負わなくていい。
けれど、この暗く冷たい泥の中、自分の技術だけを信じて戦う時間は、あまりに孤独だった。
「だからこそ……早く終わらせる!」
俺は盾を構え、一気に突っ込んだ。
蔦を回避し、泥弾を盾で遮り、潜んでいた暗殺者をカウンターで弾き飛ばす。
最後の一体を仕留めた瞬間、俺の目の前に黄金の光が舞った。
『特殊条件達成。スキル:【初級経験値ブースト】を獲得しました』
これで、俺のレベリングは2倍に加速する。
俺はこのダンジョンでレベル11になった。
彼らとのレベル差は開き、俺はやがて盾士としての役割を終え、彼らを置いてきぼりにする。
その効率を求めた結果が、今のこの勝利だ。
多摩川の土手。
泥を落とし、装備を整えた俺は、夕暮れの川面を見つめていた。
スマートフォンが震える。グループチャットの通知だ。
【佐藤】:カイトー、自主練お疲れ! 今から近くの公園で素振りの練習するんだけど、来れる?
【田中】:鈴木さんも来るって。カイトくんの盾、また見せてほしいわ。
【鈴木】:無理しなくていいけど……会えたら嬉しいな。
画面を見つめる指が震える。
彼らは何も知らない。俺が今、彼らとの時間を捨てるための準備を終えてきたことを。
「……馬鹿だな、俺は」
効率を求めるなら、断って一人で統合ダンジョンに向かうべきだ。経験値2倍の今、一分一秒が惜しい。
けれど、俺は震える指で返信を打った。
【結城】:すぐ行くよ。少し遅れるけど、待っててくれ。
魔王になりたい。あの頂点へ辿り着きたい。
その執念は変わらない。
けれど、いつか俺が盾を捨て、全く別の道を選んだ時。
「なんだよカイト、そんなに強くなりたかったのかよ」と笑って許してくれる場所があるなら。
たとえそれが迷惑をかけることになっても、今はただ、この不器用な友情をできる限り、守りたかった。
『現在のジョブ:盾士』
『現在のレベル:11』




