第45話:新たなる希望、あるいは狂気の証明
都営ギルド本部。
東京都心の千代田区の一角にそびえ立つそのビルは、日本のダンジョン攻略の心臓部だ。重厚なエントランスにギルド専用車両が滑り込み、カイトと引率の教官が車を降りた。
そこで二人を待ち構えていたのは、一人の女性だった。
白衣のボタンを掛け違え、寝不足特有の隈を目の下に刻んだその女性——職業研究部門部長、九十九紗英は、カイトが地面に足をつけた瞬間、獲物を見つけた猛獣のような、あるいは未知の素粒子を発見した物理学者のような、爛々とした視線を浴びせてきた。
「……あぁ、君が。君が『それ』なのね」
挨拶よりも先に、彼女はカイトを、文字通り「舐めるように」観察していた。
「私の直感が告げてるわ。君は、既存のどのチャートにも当てはまらない。歪んでいて、それでいて結晶のように美しい……。ねぇ、今すぐステータスを見せてくれないかしら?」
「九十九部長、初対面でそれは失礼だ」
教官が慌てて割って入るが、九十九は聞く耳を持たない。カイトは無機質な表情のまま、「断ります」と短く告げた。その動じない様子に、九十九はさらに頬を紅潮させ、「いいわ、ますます興味深い」と独り言を漏らしながら、二人を最上階の特別会議室へと誘った。
会議室の重い扉が開く。
そこに漂っていたのは、物理的な重圧だった。
「ガハハ! 来たな、話題の坊主!」
部屋の中央、応接ソファにどっしりと腰を下ろしていた巨漢——攻略部門部長、剛田鉄心が立ち上がる。身長百九十センチを超える筋肉の塊から放たれるのは、数多の戦場を潜り抜けた上級職『壊剣士』特有の殺気にも似たプレッシャーだ。
並の生徒なら腰を抜かすであろうその圧を、カイトは柳に風と受け流し、視線を逸らさずに会釈した。
「ほう……俺の圧をまともに受けて、瞬き一つしねぇか。龍崎たちの報告は盛りすぎだと思ってたが、こりゃあ『本物』だな」
龍崎……教官の名前を上げ、カイトを試したと言外に伝えた剛田に声がかかる。
「鉄心、客人を怖がらせるのではない」
部屋の奥から響いたのは、穏やかだが、この場の空気を一瞬で平定する通る声だった。
都営ギルド長、皇慈円。
白髪を整えた老紳士は、柔和な笑みを湛えながらカイトを席へと促した。
「結城カイト君。急な呼び出しに応じてくれて感謝する。我々が君に聞きたいことは山ほどあるが……まずは、君が三十層で見せたあの『力』について、君自身の口から語ってもらいたい」
三者三様の視線が、カイトに集中する。
カイトは一度目を閉じ、どこまでを「商品」として差し出すかを思考した。
単独ダンジョンの特殊条件クリア報酬や、複合上級職の具体的なルート——それらは自分の持つアドバンテージだ。だが、この場を納得させ、かつ自分の価値を正しく認めさせるには、相応の「正解」を提示する必要がある。
カイトは目を開け、静かに口を開いた。
「僕の職業は『魔騎士』。……これは、直結ルートでは『ハズレ』とされている二つ以上のとある中級職を、それぞれ極めた者にのみ開放される【複合上級職】です」
その言葉が落ちた瞬間、九十九紗英が「複合、上級職……!」と、喘ぐような声を漏らした。
「通常の上級職は、一つの初級、一つの中級を経て到達する一直線のルートです。しかし、僕は『騎士』を極め、『大魔法使い』を極めた。それによって二つの系統が混ざり合い、独自の進化を遂げたのがこの職です」
カイトは、ステータス画面の職業とレベルのみ見えるようにして、理論の裏付けを示した。
「直結ルートの上級職に比べ、複合職は前提となる経験値とスキルの蓄積量が倍以上になります。その結果、ステータスの基礎値、スキルの保有数、そして何より『物理と魔法の完全な同時行使』という、単一職では不可能な出力が可能になるんです」
「……馬鹿な。そんな話、どの資料にも……」
教官が絶句する。だが、九十九の目は、その理論の整合性を瞬時に認め、狂喜に震えていた。
「あり得る……! 理論上は可能かもしれない! でも、誰もやらなかった……いえ、できなかったのよ。誰が好き好んで、レベル50や70でカンストした職を一度捨てて、また一から初級職のレベリングなんてする? 効率が悪すぎるし、何よりみんなリセット時の喪失感に耐えられなかったもの!」
「坊主……お前、それを一人で証明したっていうのか?」
剛田が、信じられないものを見る目で問いかける。
「証明と言えるかは分かりませんが。……ただ、魔法使いでは耐性のある敵に弱く、騎士では物理無効の敵には勝てない。そうやって一人で攻略する時に”詰まない”方法を模索していった結果、この職に辿り着いた。それだけです」
カイトの淡々とした言葉に、会議室を沈黙が支配した。
その「それだけ」を、たった一年、冒険者の卵となってからたった一年で熟したこと。この場の誰もが、その異常性を理解していた。
「……ふむ。理屈は分かった。だが、実際に『職を捨てる』ということがどれほどの喪失感か、理論だけで語るのは不十分かもしれんな」
不敵に笑った剛田鉄心が、自身のステータス画面を開いた。
「俺は今、上級職『壊剣士』のレベル85だ。坊主、お前の言ったことが本当なら、俺が今ここで初級職に戻っても、いずれは高みに辿り着けるってことだよな? ちょっと試させろ」
「鉄心、やめておけ!」
皇の制止も聞かず、剛田は職業変更をした。
瞬間。
剛田の全身から、爆発的な魔圧が霧散した。
鍛え抜かれた肉体そのものは変わらない。だが、彼の魂に刻まれていた強者の風格、スキルの輝き、そして「万物を切り裂く」という絶対的な確信が、音を立てて剥がれ落ちていく。
「……ぐっ、がっ……あぁ……っ!!」
剛田が膝をつき、肩で荒い息をつく。
圧倒的な全能感から、何も持たざる『初級職:魔法使い(レベル1)』への転落。それは、健康な人間がいきなり全感覚を奪われたかのような、凄まじい虚脱感だ。
「……無理だ……。これ、は……正気じゃない……」
剛田はわずか数十秒で、震える手を使って元の上級職へと再転職した。
戻ってきた魔力に安堵しながらも、彼の顔には冷や汗が流れていた。
それを目の当たりにした教官、九十九、そして皇の視線が、再びカイトへと向けられる。
この苦行を、周囲から「落ちこぼれ」と蔑まれながら、たった一人で、二度、三度と繰り返した少年。
彼が持っている力の源は、単なる運や才能ではない。常軌を逸した「執念」と「狂気」なのだ。
「……失礼した、結城君。鉄心には良い薬になっただろう」
皇が静かに謝罪する。その瞳には、先ほどまでの「期待」に加えて、深い「敬意」が宿っていた。
「君が提供してくれた『複合上級職』の情報は、極めて価値が高い。……だが、これを今すぐ公表するのは、君にとってもギルドにとってもリスクが大きすぎる。まずは我々の方で、過去の文献や理論を精査させてもらう」
「はい。構いません」
「君には感謝する。いずれ、君にしか頼めない依頼をすることになるかもしれない。……もちろん、その際はギルドとして最大限の報酬と便宜を約束しよう」
そこで話し合いは終わり、カイトは都営ギルドを後にすることになる。
会議室を出る際、九十九紗英に「今度、絶対ラボに来てね! ケーキ作ってあげるから!」と叫ばれたことを思い出し、少しだけ頭が痛くなる。
だが、目的は果たした。
これでギルド上層部を味方につけ、かつ「魔騎士」という力を公認(非公式ながら)のものにできた。
(とりあえず、これで今後は少し動きやすくなったかな)
カイトは建物の外に出ると、春の夕暮れに染まる空を見上げた。
カイトの手元には、まだ明かしていないカードがいくつもある。
そして、彼がこの一年で極めた職業は、二つだけではない。
嵐の始業式は終わった。
しかし、世界を揺るがす波紋は、まだ広がったばかりだ。
『現在のジョブ:魔騎士』
『現在のレベル:90』




